時のしるし
神の計画の地上における実施は、人間を対象としているので、神は人間にその計画を示されると同時に、その実施の時期についても、特別な方法で示されました。
イエスはかつてパリサイ人に対して、「あなたがたは夕方になると、『空がまっかだから、晴だ』と言い、また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ』と言う。あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのか」(マタイによる福音書16章2、3節)と言われました。
自然界を観察すると、そこには神が定めた一つの連鎖があることがわかります。同じように神の計画が成就していく上にも一つの連鎖があって、その連鎖が聖書の言葉の中に示されています。その連鎖を注意して見るときに、神の計画のどこに私たちは今いるのかということを、はっきり知ることができるのです。
また神の国の出現を約束するイエスの再臨に先立って起こる出来事は、これが人類歴史のクライマックスとなっている事件だけに聖書の中に数多く示されていて、聖書の預言を研究する人々が見過ごすことがないようになっています。
イエスは、昇天される直前に、再臨と世界の終末に先立って起こる出来事について、弟子たちに示してくださいました。
自然界にあらわれる前兆
1.暗黒日
イエスは「しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ」(マタイによる福音書24章29節)と言われました。「その時に起る患難」というのは、中世において、真に聖書を信じるクリスチャンに対して加えられた迫害を意味するものです。この迫害の期間は538年に始まって、1798年に終わる1260年間です。
聖書には、「その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう」(マタイによる福音書24章21、22節)とあります。迫害の期間となるはずであった1260年間は「縮められる」とイエスは言われましたが、実際に迫害がやんだのは1700年代の半ばすぎでした。これはルターを中心とした宗教改革の結果です。
マルコによる福音書には、「その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ」(13章24節)と記されています。すなわち、その迫害期間の中で、しかも実際の迫害がやんだ後という、時のかなり細かい区切りが、「日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ」という現象の起こる時期として預言されていたのです。言葉を変えて言えば、1700年代半ばすぎから1798年の間に、この現象は起こると預言されていたのです。
1780年5月19日に、アメリカ合衆国ニューイングランド地方を中心として特異な現象が起こりました。この事実に関して多くの記録が残っていますが、たとえば、1883年版のウェブスター辞典には「暗黒日」の項があり、「暗黒は午前10時頃から始まり、戸外で数時間、普通の印刷物を読むことができなくなり、家に灯がともされた」と書かれています。
当時のニューイングランドの多くの新聞がこの出来事を報道しています。天文学者ハーシェルは、「北米における暗黒日は、常に興味をもって読まれる驚くべき自然の現象の一つであるが、その原理は説明ができない」と言いました。
2.落星
暗黒日の後に、再臨の前兆として起こる現象についてイエスは、「星は空から落ち」(マタイによる福音書24章29節)と言われました。
また預言者ヨハネは、「第六の封印を解いたとき、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、月は全面、血のようになり、天の星は、いちじくのまだ青い実が大風に揺られて振り落されるように、地に落ちた」(ヨハネの黙示録6章12、13節)と幻で見せられたその終末の光景を記しました。
1833年11月13日に、有史以来最大の流星雨が北アメリカを中心に見られました。南は西インド諸島及びメキシコに至り、東はアフリカ海岸の東、経度61度、西は太平洋まで及びました。大英百科辞典によると、夜半から暁にかけて、一つの場所で20万個以上の流星が見られたのです。これはしし座に放射点を持っているので、しし座流星群と呼ばれています。この大出現に刺激されて、その後の流星の組織的な研究が本格化されたと言われています。
地上における前兆
1.格差社会
この他にも、社会を見渡すと、さまざまな前兆を見ることができます。
「あなたがたは、終りの時にいるのに、なお宝をたくわえている」(ヤコブの手紙5章3節)。
富の蓄積は最終の時代を特徴づけるものです。
「見よ、あなたがたが労働者たちに畑の刈入れをさせながら、支払わずにいる賃銀が、叫んでいる。そして、刈入れをした人たちの叫び声が、すでに万軍の主の耳に達している」(ヤコブの手紙5章4節)。
労使間の争闘や貧富の差、格差社会なども、最終の時代のしるしの一つです。ストライキはこの預言の著しい成就なのです。
2.知識の増加
「ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」(ダニエル書12章4節)。
終末時代になると「知識が増す」というのです。19世紀に入って聖書に関する知識も増しました。しかしいちばん著しい知識の増加は科学技術の分野です。その増加は今日に至るまで、そのスピードを増しつづけています。しかし知識が増したことによって人間は幸福になったかというと、必ずしもそうではありません。全人類を何度も減亡させるに十分な核兵器を持つことになりました。科学技術を支える倫理、良識を失えば、この世界はおそるベき危険に直面するところにきています。
3.争いの増加
「戦争と戦争のうわさとを聞くであろう」(マタイによる福音書24章6節)。
「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう」(マタイによる福音書24章7節)。
「諸国民は怒り狂いました」(ヨハネの黙示録11章18節)。
20世紀になってから起こった戦争や内乱の数は、それ以前の8倍もあるそうです。これからも戦争の数と規模とは、ますます増大していくに違いありません。各国の軍備拡張を預言しているのは次の聖句です。
「もろもろの国民の中に宣べ伝えよ。戦いの備えをなし、勇士をふるい立たせ、兵士をことごとく近づかせ、のぼらせよ。あなたがたのすきを、つるぎに、あなたがたのかまを、やりに打ちかえよ」(ヨエル書3章9、10節)。
4.再臨の軽視
「まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、『主の来臨の約束はどうなったのか……』と言うであろう」(ペテロの第二の手紙3章3、4節)。
主の再臨をあざける人々があらわれてくることも終末の一つのしるしです。ある無神論者が牧師に向かって、「世の終わりとか再臨とかいうのはおかしい。証拠があるなら示してほしい」とあざけりながら言ったとき、牧師はこの聖句を示して、「あなたはそのしるしです」と言いました。
5.道徳的退廃
道徳的退廃も世の終わりのしるしです。テモテの第二の手紙3章の初めにその姿が細かく記されています。
「このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう」(テモテへの第二の手紙3章1~5節)。
6.福音が全世界へ
イエスご自身の言葉の中に、もう一つの前兆について言及されています。「この御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」(マタイによる福音書24章14節)。現在福音を伝える働きは、全世界で進められています。セブンスデー・アドベンチスト教会だけを見ても、世界約200か国以上で伝道を進めています。これらの国の中に全世界の人口の98パーセント以上が住んでおり、彼らは福音に接する機会が与えられています。あらゆる障壁を乗り越えて、福音は宣べ伝えられるのです。この預言が成就する日も、あまり先のことではないと思われます。
再臨及び終末の前兆について語られたイエスは、「いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい」(マタイによる福音書24章32、33節)と言われました。
聖書に示された終末の前兆は、今、著しい規模とスピードで現れてきています。私たちはこれらの出来事について注意深く観察しながら、今がどのような時であるのか、見失うことがないようにしたいものです。
再臨の待ち方
キリストは、憐れみをもって罪の世界を見守っておられます。しかし、いつかはキリストが、罪の歴史に終止符を打たれ、罪の問題に対する最終的解決をなされるときが来るのです。そして、公正と平和に満ちた世界を確立されるのです。
「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです」(ペトロの手紙二・3章8、9節、新共同訳)。
「なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、この事を励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでにきている。なぜなら今は、わたしたちの救が、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか」(ローマ人への手紙13章11、12節)。
私たちが時を知ること、私たちの生きている時代がどのような時代であるかを知るということが、きわめて大切です。もし私たちの信仰が眠っている状態にあるならば、今現実に起こっている事態を察知することはできません。「平和だ、無事だ」と言っている間に、世界は確実に終末に向かっているのです。
パウロは、「眠りからさめるべき時が、すでにきている」と言っています。いわゆる私たちの見る現実と聖書の語る事実とはギャップがあるように思えることがあります。むしろ断絶があるとさえ言ってもよいでしょう。しかし、信仰の目を持って見るならば、聖書の語る事実こそが、究極のリアリティーであることを悟ることができます。
確かに闇が私たちのまわりを覆っています。しかし信仰の目を持って見るならば、夜は決していつまでも続くのではなく、必ず夜明けが来ることがわかります。夜明けは近づいています。だからこそ私たちは、いつまでも眠り続けるのではなく、新しい朝を迎える者としてその準備をすることが求められているのです。
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