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偶像礼拝とタトゥー
聖書には、タトゥーについて具体的に述べている聖句が1つしかないため、非常に物議を醸しています。
死者を悼んで身を傷つけたり、入れ墨をしてはならない。わたしは主である。
レビ記19:28(新共同訳)
この聖句が議論になる点は、異教の偶像礼拝行為として、タトゥーを入れる習慣や儀式が問題であって、タトゥーを入れること自体はいいのではないかというものです。
異教の文化では英雄が死んだ後に、異教徒の神や偶像として、彼らが祀られることが多くありました。
彼らは、バアル・ペオルを慕い、死者にささげた供え物を食べた。
詩篇106篇28節(新共同訳)
バアル・ペオルの供え物は死者の供え物だと言われています。バアル・ペオルは、死後に祀られた異教の英雄だったからです。
しかし、レビ記19章28節以外のほかにも、タトゥーを勧めない聖句があるとわたしは考えています。
理由1 わたしたちの体はわたしたちのものではないから
まず第一にわたしたちの体はわたしたちのものではありません。
知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。1コリント6:19―20(新共同訳)
したがって、「自分の体だから何をしてもいい。タトゥーを入れてもいいのだ」という考えは、聖書の価値観とは異なります。
加えて、わたしたちは神に似たものとして創造されたと、聖書は記録しています。
創世記1章27節は、このように述べています。
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
創世記1章27節(新共同訳)
タトゥーを入れると、そのかたちが崩れていくのです。実際、タトゥーは「切る」のと同じです。タトゥーを入れるということは、自分自身を切り刻んでいるということを意味します。
理由2 タトゥーは変化するため
タトゥーは血が出るほど、皮膚に穴をあけ、その穴にインクを満たします。その後、腫れやかさぶたができ、それが治った後に残っているのは、皮膚にあるインクだけです。
それを、人々はボディーアートだといいます。
タトゥーを入れ始めたばかりは芸術的に見えるかもしれませんが、歳を重ねていき肌が伸びると、それは変化し始めます。
タトゥーも伸びるからです。
そして、それはもうかつてほどには、魅力的に見えません。
歳をとり、好みも変わると、20歳の頃にはカッコいいと思ったデザインが、30歳、40歳、50歳になるとそれほど魅力的ではなくなります。
今、アメリカで急速にタトゥー除去の産業が増えているのは、それが理由です。
理由3 わたしたちのお金を正しく管理するため
今まで見てきたのは、タトゥーを避けると良い理由ですが、ここで少し、聖書の原則にある賢い経済管理の話を見たいと思います。
聖書は、賢い財政管理を勧めています。
わたしたちはお金を浪費すべきではありません。
知恵ある人の住まいには望ましい宝と香水がある。愚か者はそれを呑み尽くす。
箴言21:20(新共同訳)
タトゥーはお金の無駄です。
いうまでもなく、タトゥー除去には多くの費用がかかり、タトゥーを入れることも同様です。もしあとで、そのタトゥーが気に入らなくなったとしても、そのタトゥーを除去するのは大変なのです。
理由4 慎み深い外見を保つべきだから
ほかにも聖書は、クリスチャンは慎み深い外見を保つべきだと教えています。
同じように、婦人はつつましい身なりをし、慎みと貞淑をもって身を飾るべきであり、髪を編んだり、金や真珠や高価な着物を身に着けたりしてはなりません。むしろ、善い業で身を飾るのが、神を敬うと公言する婦人にふさわしいことです。
1テモテ2:9―10(新共同訳)
この聖句はクリスチャン女性に向けて書かれていますが、クリスチャン男性にも当てはまります。
「慎み深い外見を保つ」ということは、自分の注目を集める服装や行動をしないことを意味します。タトゥーを入れることは間違いなく、自分自身に注目を集めることでしょう。
理由5 健康被害があるため
また、タトゥーを入れることで健康を害する可能性もあります。
聖書は健康的な生活を勧めています。
愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。
3ヨハネ1:2 (新共同訳)
そのため、健康を損なうものを避けましょう。
タトゥーを入れることで起こりうる不健康な副作用には、アレルギー反応やインクに含まれる物質が傷跡を残すことなどがあります。
ほかにも、不衛生な器具による感染症やC型肝炎などの感染症などもあります。
C型肝炎は、病気の末期になって気分が悪くなり、致命的な状態になるまでそれに気づくことさえできない場合があります。
クリスチャンタトゥーはありなの?
人々のなかには、自分のタトゥーはクリスチャンタトゥーだという人もいます。彼らはイエスや十字架などのタトゥーを入れていて、わたしが見たユーチューバーには「これは伝道の手段だ」という人もいました。
しかし、それにはいくつかの危険があります。
1. 神の言葉に反していれば、神に受け入れられない
第一にキリスト教のタトゥーをいれたからといっても、それが神に清いものとして受け入れられるわけではありません。それが神の言葉に反している場合は、なおさらです。
2. 人々があなたに近づく可能性が低くなる
またキリスト教的なデザインのタトゥーであっても、それは伝道を助けるどころか、かえって邪魔します。
あなたがタトゥーで覆われているならば、人々があなたに近づく可能性が低くなるからです。
犯罪者や刑務所の受刑者とタトゥーを、今でも人々は関連付けています。そのため、知らないあなたに近づき、積極的なコミュニケーションを取りにくる可能性は低いでしょう。
わたし自身、8年の歳月を刑務所で過ごし、タトゥーで覆われた男たちに囲まれ、自分もタトゥーをしているのに、タトゥーをしている人たちを冷ややかな目で見てしまうくらいなのです。
だからこそ、このような伝道はうまくいかないと言えるのです。
3. 外見ではなく、行動を見られる
言うまでもなく、十字架やキリスト教のタトゥーをいれるだけで、良いクリスチャンになれるわけではありません。
タトゥーを入れている人を裁くべきだと言っているわけではありません。
わたしにも、何人かのタトゥーをしている良い友人がいます。しかし、同時に十字架のイエスや聖母マリアのタトゥーを入れていても、まったくクリスチャンとして生きていない人たちも知っています。
人を判断するのに良い方法は、行動を見ることです。
キリストはマタイによる福音書7章16節でこう言いました。「あなたがたは、その実で彼らを見分ける……」。タトゥーで見分けるのではありません。
今、タトゥーが社会的なトレンドになりつつあるのは、事実です。
わたしが読んだある統計によると18歳から29歳のアメリカ人の36%が少なくとも1つのタトゥーを入れていると推定されています。
社会の傾向は変わっていきます。
しかし、神の言葉が変わることはありません。社会で人気のあるものは、しばしば神が好まれないものです。
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
ローマ12:2
まとめ
まとめると、聖書によればタトゥーは罪深いものであり、クリスチャンはそれらを避けるべきです。
すでにタトゥーがある場合はもう入れないでください。あなたが神にゆるしを願うなら、神はゆるしてくださいます。
そして、神にゆるしを願ったなら、もうタトゥーを入れるのをやめましょう。
*この記事は、Bible Flock Boxの”Is It a SIN to Get a TATTOO for CHRISTIANS“の翻訳です。
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