目次
デートナイト
何年か前に、結婚した夫婦が定期的に「デートナイト」を行うことが流行りました。現代社会では毎日さまざまな必要に直面するため、夫婦であってもお互いのために時間をつくりだすことが困難になっています。そこで定期的に「クオリティタイム(質の高い時間)」を得るために、週に一度、2人で共に過ごす有意義な時間を確保しようと考えたのです。
もし、あなたの生活があまりにも忙しく、神さまとの時間をつくるのが難しいとしたらあなたはどうしますか?
神が世界を創造されたとき、神と造られたもの(被造物)が共に時間を持つことができるように、神はあることを決められました。
ともに過ごすために
- 神はわたしたちと一緒に過ごしたいと望んでいますか?
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すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
マタイによる福音書11章28節
わたしたちが神と共に過ごすことを、神は望んでいます。
ほとんどの人は、毎日の生活に忙しく、ストレスも多いことも神は知っているのです。ですからその忙しさ、わずらわしさから逃れて、わたしたちが神と共に時間を過ごせるような方法をあらかじめ準備されました。
- わたしたちが定期的に神との時間を過ごすために、神は特別にどのようなプレゼントをくれましたか?
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神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
創世記2章2―3節
天地創造の終わりに、人間が神との時間を過ごすための特別な日を、神は設けられました。
人々が忙しさや悩みに追われることを知っていたからこそ、日常生活のストレスから人々の心を守るために、神は人に安息日を与えられたのです。
- 安息日はユダヤ人だけが守るべきものですか?
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安息日は人のためにあるもので……
マルコによる福音書2章27節
神は安息日をすべての人のために創造しました。
「すべての人のため」に創造したということは、安息日が意図的に、考えられて、時代を超えて人々への贈り物として与えられたことの証拠です。
ユダヤ人の先祖があらわれる約2,000年も前、天地創造のときに、安息日がつくられたことを考えてみてください。安息日はすべての人のためにつくられたのです。
安息日の重要性
- 神にとって、安息日はどれほど重要な日でしょうか?
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安息日を覚えて、これを聖とせよ。
出エジプト記20章8節
神は十戒の中に、第7日の安息日を守ることを含めています。神は安息日を「聖別」されました(創世記2章3節)。神がその日をつくり、聖なることのために分けられた(聖別)のです。神が聖別したということは、神が特別な日とみなしている証拠です。
安息日は、仕事をするほかの6日間(エゼキエル書46章1節)とは異なり、わたしたちが日常の世俗的な仕事をやめて、神と共に過ごす日です。
神は出エジプト記20章10節で、次のように言われています。「七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない」。
わたしたちが日常の仕事で完全に消耗してしまわないように、神はあらかじめ安息日を与えられ、神との充実した時間を過ごせるように計画しました。
もちろん、ほかの6日間に神を礼拝したり、神と過ごしたりしてはいけないという意味ではありません。むしろ健全なクリスチャンであるためにはそのほうが理想的です。しかし、安息日は1日のすべての時間を神と共に過ごすのです。
- わたしたちが日々神と交わる上で、安息日はどのように重要なのでしょうか?
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主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
出エジプト記20章11節
第7日の安息日は、神の創造の記念日です。「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1章1節)
安息日は、わたしたちが神の創造の働きを思い起こす日です。愛に満ちた創造主は、世界を意図的に創造し、わたしたちの幸福のために美しい世界を造りました。
同時に、安息日はわたしたちが神の手によって注意深く創造されたことも教えてくれます。安息日は、創造主が存在することを思い起こさせてくれるのです。
- 安息日は、神とわたしたちとの関係について、ほかにどのようなことを教えていますか?
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わたしはまた彼らに安息日を与えて、わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを、彼らに知らせるためである。
エゼキエル書20章12節
安息日は、神がわたしたちの創造主であることを思い出す日であると同時に、神がわたしたちをつくり変えてくださることを覚える日でもあります。罪と堕落によって、わたしたちは、はじめに神が与えてくださった「神の品性」を失ってしまいました。
イザヤ書59章2節には、罪は神から人を引き離すと書かれています。堕落した罪びとはつくり変えられる必要があるのです。「神よ、わたしのために清い心をつくり、……与えてください」とダビデは祈りました(詩篇51篇10節)。
安息日は、神がわたしたちを清められるしるしでもあると、預言者エゼキエルは述べています。神だけが、わたしたちに清い心を創造し、わたしたちを聖なるものとすることができます。安息日はその偉大な真理のしるしでもあるのです。
安息日は土曜日か日曜日か
- キリストは、どの日を聖日(礼拝日)として守られましたか?
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それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。
ルカによる福音書4章16節
アダムから始まり、アブラハム、イサク、モーセ、そして初期のキリスト教会がそうであったように、キリストもまた第7日安息日を聖日(礼拝日)として守られました。
- 第7日の安息日とは、何曜日ですか?
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そして帰って、香料と香油とを用意した。それからおきてに従って安息日を休んで。
ルカによる福音書23章56節
聖書によれば、キリストは備えの日(金曜日)に亡くなりました(ルカによる福音書23章54節)。この日は一般的に受難日と呼ばれています。
キリストが死からよみがえったのは、イースターサンデーとしても知られる日曜日にあたります(ルカによる福音書24章1節)。
その金曜日と日曜日の間に、安息日があります。金曜日と日曜日の間にあるのは土曜日なので、聖書が言う第7日の安息日は土曜日のことです。
- キリストが十字架で死なれた後、安息日は変更されましたか?
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わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
マタイによる福音書5章17―18節
キリストは、自身の働きが十戒を変更するためのものではないと明確に宣言しています。キリストは安息日を変更していません。
神は安息日を、すべての人の祝福と喜びの日として与えられました。聖書のどこをさがしても、神が安息日の祝福を取り除いたとは記録されていません。
- キリストが天に帰られた後も、安息日を聖日として守るようにと教えていますか?
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あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
マタイによる福音書24章20節
キリストは十字架にかかる前、40年後(紀元70年)に起こるエルサレムの滅亡について忠告されていました。40年後の未来に向けて、十字架の後も、安息日が重要であることをキリストは伝えていたのです。
- 初期のキリスト教会のクリスチャンたちは、キリストの十字架後も安息日を聖日として守っていましたか?
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ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。 そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信心深い改宗者たちが、パウロとバルナバとについてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神のめぐみにとどまっているようにと、説きすすめた。次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言を聞きに集まってきた。
使徒行伝13章42―44節
使徒パウロも、安息日を聖日として守りました(使徒行伝17章2節、18章4節)。 他の弟子たちと共に、パウロは安息日にユダヤ人や異邦人(外国人)と一緒に礼拝をしました。
礼拝するための会堂がない時には、彼は外国人のクリスチャンたちと共に川のほとりに集まりました(使徒行伝16章13節)。 第7日目の安息日は、初期のキリスト教会にとってたしかに礼拝の日だったのです。
終わりの時代における安息日
- 安息日がどの日であるかは、それほど重要なことなのでしょうか?
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七日目はあなたの神、主の安息である。
出エジプト記20章10節
神は、わたしたちが守るべき安息日を特別に定められました。第7日目の安息日を唯一の聖なる日とされたのは神です。それゆえに、それ以外の日を聖なる日とすることはできません。
これは神のご計画であって、神はこの日にわたしたちと共に過ごしたいと望んでいます。
自分の都合の良い日を選んで安息日とするように神は求めていません。第7日目が安息日であることを神は明確に述べているのです。
- 神は、安息日を聖なる日として守らないことを罪だと考えているのでしょうか?
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なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。
ヤコブの手紙2章10節
安息日の戒めが、他のどの戒めよりも際立って重要と言うわけではありませんが、決して軽視してはいけないものです。
わたしたちが一つでも戒めを破るなら、どの戒めであっても、ほかのすべての戒めを破るのと同じくらい重大なことと神はみなしています。
- 神は、最後の時代に生きるクリスチャンが安息日を聖日として守ってほしいと願っておられますか?
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ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある。
ヨハネの黙示録14章12節
永遠の命を約束されたクリスチャンは神の戒めを守ります。彼らはどこに行っても、十戒をすべて守ることが神のみこころ(神の意志)であることを理解しているのです。
もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。
ヨハネによる福音書14章15節
救いと安息日
- 第7日の安息日を忠実に守る人は、行いによって救われると信じているのでしょうか?
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神を愛するクリスチャンが神に従うことは自然であるとキリストは言われました。キリストを救い主として受け入れた人は、神のみこころ(神の意志)に従うことに喜びを見いだすようになるのです(詩篇40篇8節)。
クリスチャンが生活をとおして神に従うということは、重荷などではなく、神を愛していることの自然な結果です。キリストを信じる人々の人生において、「願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところ」なのです(ピリピ人への手紙2章13節)。
- 第7日の安息日を多くの人々が守っていないこの世界で、わたしたちは何をすべきでしょうか?
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人間に従うよりは、神に従うべきである。
使徒行伝5章29節
大勢の人が安息日を守っていない世の中でも、クリスチャンは神からキリストの弟子となるように召されています。人に従うのではなく、神に従うべきなのです。
- 安息日は、永遠に聖なる日として守られるのでしょうか?
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わたしが造ろうとする新しい天と、新しい地がわたしの前にながくとどまるように……「新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する」と主は言われる。
イザヤ書66章22―23節
新しく再創造される地球でも、クリスチャンは安息日ごとに集まって神を礼拝します。エデンの園で人が最初の罪を犯す以前から安息日は存在し(創世記2章2―3節)、世界から罪が根絶された後も聖なる日として守られるのです。
天国の描写の中でも、十戒は天にある神の聖所の契約の箱の中に保管されています(ヨハネの黙示録 11章19節)。これこそ、神が十戒の第4の戒めを永遠に守るべきものと考えておられることの証拠です。
安息日についての補足説明
- 安息日は土曜日
- 安息日は日没から始まり、日没で終わります。つまり、金曜日の日没から始まって、土曜日の日没に終わるのです。(レビ記23章32節、マルコによる福音書1章32節)
- 百科事典では、土曜日は週の7日目、日曜日は週の1日目と記されています。
- 安息日は変更されていない
- キリストの復活によって、安息日が変更されることは一切ありませんでした。キリストは週の最初の日、つまり日曜日に復活したのです。復活を記念して、日曜日を聖なる日として守るように変更したとは聖書のどこにも書かれていません。
- キリストの十字架の死によって、安息日の戒めが終了したわけではありません。
キリストが死んだとき、エルサレムの神殿で聖所とその奥の部屋である至聖所を隔てる幕が上下にまっぷたつに裂けました。
これは旧約時代の犠牲制度と儀式が終了したことを意味していました(マルコによる福音書15章38節、エペソ人への手紙2章14節、コロサイ人への手紙2章14―17節)。
それゆえ、クリスチャンは旧約時代の礼典律(儀式に関する律法)を守る必要はありませんが、十戒はまだ効力をもっており、神を愛するがゆえにわたしたちはそれを守るべきです。
- 安息日は天地創造のときに神から与えられたものです。
- アダム、アブラハム、モーセもみな安息日を守り、キリストご自身も守りました。
- 初期のクリスチャンたちも安息日を守りました。
- 安息日は永遠に守られるものです。
- 安息日は、神がご自分の民に与えられたプレゼントです。
- 世界の150以上の言語が、土曜日を「サバス(安息日)」という言葉で表現しています。
スペイン語 ― サバド
ドイツ語 ― サムスタッグ
フランス語 ― サメディ
イタリア語 ― サバト
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聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
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