第15課 充実した人生を生きる
目次
90%はライフスタイル
『ザ・ブルー・ゾーン』の著者ダン・ビュイトナーは、『デンマークの双子の研究』を引用しながら次のように言いました。「一定の生物学的限界の中で、平均的な人がどのくらい長く生きられるかを決定するのに、遺伝的要因は10%だけであり、残りの90%はライフスタイルによる」。
究極的には、人は自分の寿命を決めることはできませんが、健康に影響を与える重要な要素について、わたしたちはコントロールできるものをもっているのです。
神はわたしたちが天で永遠に生きられるように準備をしているので、この地上でわたしたちが長生きすることが必ずしも神の計画のすべてではありません。
それでは聖書は、わたしたちが健康な人生をおくることについて何と述べているでしょうか? また身体の健康と心の健康との間にはどのようなつながりがあるのでしょうか?
健康と長生きをとおして幸福に生きるための鍵を、聖書の中から探してみることにしましょう。
聖書の大切なテーマのひとつ
- 健康であることはどれほど大切ですか?
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愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。
ヨハネの第三の手紙2節
「健康」は聖書の重要な主題の一つです。使徒ヨハネも、彼の友が身体的にも霊的にも恵まれるようにと願っていました。
からだの健康に良い影響を与えるものはどんなものでも、その人全体に良い影響を与え、悪影響を与えるものはどんなものでも、その人全体に悪影響を与えます。わたしたちがどう感じるか、どう考えるか、どう決定するかなど人生の重大な局面においても大きな相互作用を与えるものなのです。
わたしたちが自然の法則に従って自分のからだを注意深く扱うなら、わたしたちの頭脳もよりよく働くようになるでしょう。そうなれば、神との交流もより良いものになり、真に幸福な人生の土台づくりが実現できるのです。
- なぜ、神は神の民に健康の原則を与えたのでしょうか?
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あなたがたの神、主に仕えなければならない。そうすれば、わたしはあなたがたのパンと水を祝し、あなたがたのうちから病を除き去るであろう。
出エジプト記23章25節
神は、わたしたちが病気で苦しむことがないように、また自分のからだを不用意に扱ったり、死期を早めたりすることがないように、神の民に健康の原則を与えました。
人間を創造した神は、わたしたちの健康についてもっともよくご存知のお方です。神は大昔から、人間に重要な健康の原則を与えましたが、それらは現代の最新医学と比較しても、今なお有効なものです。
- キリストはどのような生き方をわたしたちに約束していますか?
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わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。
ヨハネによる福音書10章10節
神の願いは、神の民がこの地上で最大限活力に満ちた人生を生きることです。
神は、わたしたちが人生において繁栄することを願っておられます。
豊かな人生とは、わたしたちの願いをはるかに越えて健康で幸福な人生を与えようとしておられるキリストが、わたしたちと共にいてくださるということです。
神の計画
- 聖書はわたしたちのからだを何と呼んでいますか。
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あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。……それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。
コリント人への第一の手紙6章19―20節
ある人々は、自分のからだなのだから「自由にできる」と考えます。
しかし聖書は、人間のからだは聖霊が宿る場所であると言いました。わたしたちには、自分自身のからだを健康に保つ努力をする責任があります。そうすることで、神との愛の関係を正しく維持するために、最上の状態を保つことができるのです。
頭脳が鈍って働かなくなると、神との関係を保つことが難しくなり、霊的な成長にかげりが見えてしまいます。健康的な活力の維持は、聖書を十分に理解する助けとなって、神との親しい関係を築くのにとても役立つのです。
- わたしたちの健康を促進する実際的な方法は何でしょうか?
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だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである。
コリント人への第一の手紙10章31節
毎日の食事(飲食)を含め、わたしたちが日々行う何ごとも、神の栄光のためにすることを神は望んでおられます。神の栄光にはならない暴飲暴食やあやまった食生活は避けなければなりません。
人間の創造主である神の言葉(聖書)は、わたしたちが「聖霊が宿る場所」である自分のからだをどう扱うべきかを明確に示しているのです。
- わたしたちが健康でいられるように、神が最善の計画を示されたのはいつのことですか?
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神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
創世記1章29節
罪と死がまだ存在しなかったエデンの園で、神がアダムとエバに許された食物リストのなかには、動物の肉は含まれていませんでした。もともと、肉食は人間の食生活にはなかったものなのです。
神が人間に与えられた食生活は、わたしたちにとってもっとも良い結果をもたらすものです。まだ罪が入ってまもない頃であったとはいえ、この計画に忠実に従って生きたメトセラは、なんと969歳まで長生きしました。(創世記5章27節)
聖書に見られるひとつのボーダーライン
- 人間に与えた食事の計画を神が変更されたとき、食べてよい食物と食べてはいけない食物について、神はどのような制約を与えられましたか?
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獣のうち、すべてひずめの分かれたもの、すなわち、ひずめの全く切れたもの、反芻するものは、これを食べることができる。
レビ記11章3節
人間が肉食をするようになったときにも、豚、ウサギ、ラクダ、馬などの動物の肉は食べてはいけないと明確に、神は言われています。人間が食べることができるのは、ひづめが分かれていて反芻する動物の肉に限られました。
- 食べてはいけない(清くない)動物を食べるなという制約は、ユダヤ人だけに与えられたものでしょうか?
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あなたはすべての清い獣の中から雄と雌とを七つずつ取り、清くない獣の中から雄と雌とを二つずつ取り
創世記7章2節
大昔のノアの時代に、神は食べても良い(清い)動物の肉と食べてはいけない(清くない)動物の肉の区別を明らかに示していました。神はノアに、清い動物からそれぞれ七つずつ、清くない動物からそれぞれ二つずつを箱舟に乗せるように命令しています。
神のご計画は、人間が食べてはいけない(清くない)動物を口にしないことでした。神がノアにこの計画を示したのは、ユダヤ人の先祖が登場するよりずっと昔のことであり、ユダヤ人だけに限った制約ではないことは明らかです。
人間が健康状態を良好に保つために、神が与えられた原則はすべての人間にあてはまります。
- 水中の生物を食べることについて、神はどのような指示を与えましたか?
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水の中にいるすべてのもののうち、あなたがたの食べることができるものは次のとおりである。すなわち、海でも、川でも、すべて水の中にいるもので、ひれと、うろこのあるものは、これを食べることができる。すべて水に群がるもの、またすべての水の中にいる生き物のうち、すなわち、すべて海、また川にいるひれとうろこのないものは、あなたがたに忌むべきものである。
レビ記11章9―10節
わたしたちが病気で苦しむことがないように、神はわたしたちが水中の生物を食べるときに、けっして口にしてはいけないある種の生物について明確に示されました。
牡蠣をはじめとする貝類などの濾過摂食生物は、生態系にとても重要な役割を果たしています。このような生物は、水の中の不純物を濾過することによって水を清浄化しているのです。
エビやカニ、その他の水底の濾過摂食生物は、川や海の生物の死骸を掃除しています。ナマズなども同じ働きをしています。
このような生物は、水の浄化を助けるという重要な役割を果たしていますが、もともと人間の食べ物としては造られていません。
注目すべきことは、神が清くないと言われた動物を食べることは、わたしたちにとって「忌むべきことだ」と明確に宣言していることです。
神が忌むべき行為を最初に示し、後になってそれを取り消したという記録は、聖書のどこを探しても見つかりません。清くない食べ物は常に忌むべきものであり、永遠に変わらない神のご計画なのです。
- 鳥を食べることについて、神はどのような指示を与えましたか?
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鳥のうち、次のものは、あなたがたに忌むべきものとして、食べてはならない。それらは忌むべきものである。すなわち、はげわし、ひげはげわし、みさご。
レビ記11章13節
ニワトリや七面鳥は清い鳥ですが、猛禽類や腐肉を食べる鳥類、ワシやハゲワシ、そのたぐいの鳥は清くないと神は言いました。
- 神は飲酒を良いことだと言われたでしょうか?
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酒は人をあざける者とし、濃い酒は人をあばれ者とする、これに迷わされる者は無知である。
箴言20章1節
酒はあかく、杯の中にあわだち、なめらかにくだる、あなたはこれを見てはならない。これはついに、へびのようにかみ、まむしのように刺す。 あなたの目は怪しいものを見、あなたの心は偽りを言う。
箴言23章31―33節
聖書は飲酒の危険性について明確に示しています。聖書の記録の中には、飲酒をしている多くの人々が登場しますが、聖書は決して飲酒を肯定的には描いていません。
同様に、聖書に登場する人物は重婚や奴隷売買などを行っていますが、過去のこのような誤った行為が、現代も続く諸問題を正当化するものでないことは明白です。
- 神はわたしたちに、どのような「ワイン」であれば自由に飲んで良いと言われましたか?
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主はこう言われる、「人がぶどうのふさの中に、ぶどうのしるのあるのを見るならば、それを破るな、その中に祝福があるから』と言う。そのようにわたしは、わがしもべらのために行って、ことごとくは滅ぼさない。
イザヤ書65章8節
神が自由に飲んで良いと言われた「ワイン」とは、ぶどうの房の中にあるもの、つまり発酵する前のぶどう汁のことです。
ある人々は、カナの婚宴の席でキリストが水を「ぶどう酒(ワイン)」に変えたこと(ヨハネによる福音書2章1―11節)を取り上げて飲酒そのものを正当化しようとしますが、この話の中でキリストが水をぶどう汁ではなくお酒(発酵酒)に変えたという証拠はひとつもありません。
聖書の中で使われている言葉の原語であるギリシャ語を知ることはとても大切です。実は「ワイン」と訳された原語には、発酵していないぶどう汁と発酵したワインとの区別がないのです。
キリストは飲酒に強く反対していましたので、同じ人物が婚宴の終わりに大量の発酵酒をつくって提供したというのは一貫性がなく違和感を覚えます。
- 神は喫煙を良いことだと言われたでしょうか?
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あなたは殺してはならない。
出エジプト記20章13節
最新の科学は、形態を問わずすべての喫煙(受動喫煙も含む)が、人間のからだと脳に甚大な害を及ぼすことを明らかにしています。
米国疾病予防管理センターの研究によれば、肺がんやその他の重大な疾病の90%がタバコの煙が原因で起こっていると結論づけています。
「聖霊が宿る場所」であるわたしたちのからだにこれほどの悪影響を与える行為が、神に栄光を帰す結果を生むはずがありません(コリント人への第一の手紙10章31節)。
聖書のわかりにくい箇所について
神がペテロに与えた幻についてはどうなのでしょうか? 神はペテロに清くない動物でも食べてよいと言われたのではありませんか?
この幻は使徒行伝10章に記されています。異邦人(外国人)のコルネリオは、使いの者を送ってペテロを自分の家に招き、福音の使命を教えてもらうように神に告げられました。ところが、ペテロには外国人に対する強い偏見があり、このような招きに応じる気持ちはまったくありませんでした。
そこで神は幻の中で、地上に降ろされた「清くない生き物」を見せ、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」と命令しました。(使徒行伝10章13節)
ペテロは、清くない動物は一切食べませんと抵抗しますが、神はそれに対して、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」と返答しました(使徒行伝10章15節)。
後日、ペテロは神が伝えたのとまったく同じ内容を、コルネリオの家に集まった人々に語って聞かせました。「あなたがたが知っているとおり、ユダヤ人が他国の人と交際したり、出入りしたりすることは、禁じられています。ところが、神は、どんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました」(使徒行伝10章28節)。
神はペテロに、「清くない食べ物を食べよ」と命令したのではありません。神がペテロに伝えたかったのは人種差別をすべきではなく、民族的な背景に関係なく、すべての人に福音を語るべきだということでした。
さらにキリストの十字架の死によって「清くない」動物の制限が取り去られたというのであれば、カルバリーの十字架から数年が過ぎているにも関わらず、ペテロがそれを知らないでいたはずがありません。
パウロがテモテに向かって言った「神の造られたものは、みな良いものであって……それらは、神の言と祈とによって、きよめられる」という言葉は、どういう意味でしょうか?
テモテへの第一の手紙4章4―5節に、「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。 それらは、神の言と祈とによって、きよめられるからである。」と書いてあります。
パウロはテモテに、どんな動物であっても(へびやネズミやゴキブリなども)すべて食べてよいと言っているのではありません。そうではなく、良い食べ物が「神の言葉と祈りとによってきよめられる」という意味なのです。
パウロは、祈って食べるならどんな食べ物でも清くなると言っているのではなく、神の目に受けいれられる食べ物には二つの大切な要素があることを述べているのです。それは「神の言葉」と「祈り」です。神の言葉はレビ記11章と申命記14章のことで、人間がどの動物を食べてよいかが定められています。
パウロはテモテに、胃の調子を良くするためにワインを飲むように勧めていますが、これはどうなのでしょうか?
テモテへの第一の手紙5章23節で、パウロはテモテに「これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒(ワイン)を用いなさい。」と言っています。ここでパウロが、胃の不調を治すためにアルコールを摂取しなさいとすすめているとは思えません。
パウロが若い弟子に向かって、胃を落ちつかせるためにぶどう汁を飲むように言っていると考えればつじつまが合います。
このように、聖書の中で使われている言葉の原語を知ることはとても大切です。実は「ワイン」と訳された原語には、発酵していないぶどう汁と発酵したワインとの区別がないのです。
ですから、わたしたちは文脈と聖書の証拠に着目しながら、この「ワイン」がどのような状態のものであったかを調べなければなりません。この場所では、前後の文脈と歴史的に有力な証拠を合わせた場合、パウロがテモテの胃の不調を治すためにぶどう汁を飲むことをすすめている、と結論づけるのが正しいと考えられます。
ローマ人への手紙14章2節で、パウロが「弱い人は野菜だけを食べる」と言っていることについてはどうでしょうか?
コリント人への第一の手紙8章と比較すれば、「弱い」兄弟というのは一度、偶像にささげられた食物を口にすることに対して良心のとがめを感じる人々のことを指しています。偶像崇拝から抜け出してクリスチャンになったばかりの人が、このような行為に嫌悪感を覚えることはすぐに想像できます。
成熟したクリスチャンは、パウロが強調しているように「究極的には偶像は神ではなく、唯一の神のほかには神はいない」と信じています(コリント人への第一の手紙8章4節)。
パウロはすべての信徒がその知識を有していないことを説明し、「ある人々は、偶像についての、これまでの習慣上、偶像への供え物として、それを食べるが、彼らの良心が、弱いために汚されるのである。」と述べています(コリント人への第一の手紙8章7節)。
ですから、パウロは、一度でも偶像に供えられた物であるなら、何ひとつ口にしない「弱い(純粋な)」人々がいると言っているのです。
賞を得るように
- パウロは、天の家に向かうわたしたちクリスチャンの生き方をどのように描写しているでしょうか?
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あなたがたは知らないのか。競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりだけである。あなたがたも、賞を得るように走りなさい。 しかし、すべて競技をする者は、何ごとにも節制をする。彼らは朽ちる冠を得るためにそうするが、わたしたちは朽ちない冠を得るためにそうするのである。
コリント人への第一の手紙9章24―25節
スポーツ選手が、地上の勝利の栄冠を勝ち取るために一心に努力して備えるように、クリスチャンは永遠の命という神の偉大な贈り物を受け取るためにあらゆる方法で節制し、十分な準備をするべきです。
- わたしたちのからだを使って、神に栄光を帰すことの大切さを思い出させてくれる聖書の原則は何でしょうか?
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兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
ローマ人への手紙12章1節
救いはキリストを救い主と信じることで与えられますが、キリストを信じる者は神の栄光をあらわすために、神がすすめている健康の原則に忠実でありたいと願うことでしょう。
わたしたちが神の栄光のために心とからだを神にゆだねるときに、神はわたしたちのうちに住んでくださり、日々の交わりを通してわたしたちを満たすことができるのです。
この健康の原則の実例を預言者ダニエルの生涯に見ることができます。エルサレムから捕虜として連れて来られた十代の若者ダニエルは、ネブカデネザル王が用意した豪華な食事(王宮の不健康な食物)を口にすることを拒否しました。
それによって、彼は王の怒りを受けるかもしれないことを覚悟していましたが、神がすすめている健康の原則に従うことを選んだのでした。
この選択の結果として、神はダニエルとその友人を特別に祝福し、バビロンの他の知者たちより健康的に「十倍すぐれている」状態にまで引き上げられました(ダニエル書1章20節)。
自分のからだをもって神の栄光をあらわすことを選んだダニエルは、神が人間に与えた中でも最大の預言のメッセージを語る特権にあずかったのでした。
- 神がすすめている健康の原則に、忠実に従う力はどこからくるでしょうか?
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わたしを強くしてくださるかたによって、何事でもすることができる。
ピリピ人への手紙4章13節
わたしたちの内に宿っている聖霊の力によって、神はわたしたちの生活を完全に造り変えることができます。それだけでなく、献身したわたしたちを神の栄光をあらわすために用いられるのです。
弱い人間の目には不可能だと思えるようなことでも、偉大な神には何ひとつできないことはありません。神は、健康の原則に従うことによってもたらされる最大限の祝福をわたしたちに得させ、すべての人を助けることができるように整えてくれるのです。
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聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会
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