中心思想
サムソンは生まれる前から主によって選ばれた特別な救助者でした。神によって選ばれる特権にあずかった者はみな、きよく生きる責任を負わせられています。
約束の子
不妊は今日でも大きな問題です。多額の治療費を払ってでも妊娠の機会を高めたいと願う夫婦がたくさんいます。もちろん、多くの場合、そうしたからといって成功が保証されるわけではありません。
昔の夫婦もやはり子供がほしいと願っていましたが、現代のように技術が発達していたわけではありません。ラケルとヤコブの次の会話を見ても、不妊の悩みがいかに大きかったかがわかります。「ラケルは……ヤコブに向かって、『わたしにもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければ、わたしは死にます』と言った。ヤコブは激しく怒って、言った。『わたしが神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ』」(創世30: 1、2)。
神がラケルに子をお与えにならなかったのはなぜでしょうか。それは、子が与えられる時に、彼女がその子を神からの特別な賜物と認めるためでした(創世30:22、23)。以前にも、神はサラ(創世1 8 : 9 〜1 4 、2 1 : 1 〜7 ) とリベカ(創世2 5 : 2 1 ) に同じ教訓を与えておられました。
「士師」の時代、マノアの妻には子がありませんでした。しかし、主は彼女に子をお与えになりました。その子は成長して、大きく、強くなります。本当に強くなります。
Ⅰ.奇跡の子(士師記13章1節~5節)
エフタの短い時代(士師12:7)とそれに続く三人の小士師の時代(8〜15節)が終わると、イスラエル人は再び神に背きます。そこで、神は40年という長い間、彼らをペリシテ人の手に渡されました(士師13:1)。
この時、イスラエル人が悔い改めていたとは書かれていません。救助者もいませんでした。しかし、大いなる憐れみに満ちた神はイスラエル人を覚えておられました。神は一人の救助者を起こし、それを忠実な両親に子供としてお与えになりました。族長の妻たち(サラ、リベカ、ラケル)のように、マノアの妻も不妊の女でした。それゆえ、主の御使いによって予告された子は奇跡の子、神からの特別な賜物でした。
サムソンが誕生した時の状況には、イサク、バプテスマのヨハネ、イエス・キリストと共通した点があります。イサクとバプテスマのヨハネの母は出産年齢を超えていました(創世18:11、ルカ1:7、36、37)、イエスの母は処女でした(ルカ1:27、34、35)。
初期の士師たちはすみやかに、かつ決定的にイスラエルの敵を服従させました(士師3:30、4:23、24、8:28、11:33)。しかし、主の御使いによれば、サムソンはイスラエルをペリシテ人から解放する先駆者となるだけでした(士師13:5)。
サムソンがイスラエルを解放する先駆者にしかならなかったのはなぜですか。
次の答えの中から最も適当なものを選んでください。
1.イスラエル人の貧弱な霊的状態のために、神は彼らのために限定された働きしかおできになりませんでした。
2.サムソンは軍隊を率いてペリシテ人を攻めるのではなく、個人的に彼らと戦うのでした。
3.ペリシテ人は特別に手ごわい敵でした。
4.サムソンの生き方は神の理想にそぐわないものでした。
5.別の答え
6.上の答えすべて
Ⅱ.ナジル人(士師記13章4節、5節、7節、13節、14節)
サムソンは生まれる前から主によってナジル人に定められていました。つまり、彼は神に捧げられた、あるいは「聖別された」人でした。この献身の外面的なしるしとして、彼は決して髪を切ってはなりませんでした(士師13:5)。彼の母親は「ぶどう酒や強い飲み物」を飲まず、また汚れた物を食べてはなりませんでした(4、7、14節)。
祭司だけが聖所の職務を執り行うことができましたが、イスラエル人はだれもナジル人となって、主に献身することができました。民数記6章には、男であれ女であれ、一定の期間、自発的に神に献身したナジル人に関する規定が述べられています。献身した期間、ナジル人は次の方法によって主との特別な、聖なる関係を外面的に示さなければなりませんでした(8節)。
(1)ぶどう酒、「強い飲み物」、その他、ぶどうから作った物を控える(民数6:3、4)
(2)髪を切らない(5節)
(3)死体に触れない(6、7節)
ナジル人に関する規定は、やはり主に聖なる者であった祭司に関する規定と似ていました。祭司は聖所に入る時、ぶどう酒や強い飲み物を禁じられ(レビ10:9)、また死体に触れることに関して制限を受けていました。ナジル人は、肉親のためであっても身を汚すことを禁じられていた大祭司(レビ21:11)と似ています。祭司は髪を切ることを許されていましたが、死者のために嘆いて髪をほどくことは禁じらした(レビ10:6、21:10)。
サムソン、サムエル、バプテスマのヨハネは一生の間ナジル人でした。サムソンとバプテスマのヨハネは主によってナジル人に定められましたが(士師13:5、ルカ1:15)、信仰の祈りに答えて不妊の母親に生まれたサムエルは、母親によって主に捧げられました(サム上1:11、28)。一生の間ナジル人となった者は死体に触れることを禁じられていなかったようです。事実、サムソンは何度か、自分の殺したペリシテ人の死体に触れています(たとえば、士師15:15)。しかし、サムソンもサムエルも髪を切ることを禁じられていました(士師13:5、サム上1:11)。バプテスマのヨハネはぶどう酒や強い飲み物を飲むことを禁じられていました(ルカ1:15)。
Ⅲ.責任の重い両親(士師記13章2節~14節)
マノアの妻の名前は明示されていませんが、主の御使いが現れたのは彼女に対してでした(士師13:3)。アノマが主にもう一度、御使いを送ってくださるように祈った時にも、御使いは彼女に現れています。その後で、彼女は自分の夫を御使いのもとに連れて来ています(9〜11節)。
御使いがマノアではなく、おもにマノアの妻に現れているのはなぜですか。士師13:3、9
次の答えの中から最も適当なものを選んでください。
1.マノアの妻は不妊でした(士師13:2)。彼女には子供が与えられるという特別な証拠が必要でした(創世18:12比較——サラは笑いました)。
2.マノアの妻は妊娠中、胎児を養わなければなりませんでした。また、その子が生まれ、乳離れするまで、ナジル人の規定に従った食事法を守る責任がありました(士師13:4、7、14)。
3.士師記13:22、23に記されている夫婦の会話を見れば、マノアの妻の方が、主と主が人間を扱われる方法に関して夫よりも理解が深かったように思われます。
4.別の答え
5、上の答えすべて
マノアの言葉を見れば、彼が妻によって伝えられた主の御使いの言葉を信じていたことがわかります。バプテスマのヨハネの父、ザカリアとは異なり、マノアは子が与えられることに関する確証を求めませんでした(ルカ1: 18比較)。マノアが求めたのはその子の生涯と使命に関する詳しい説明でした。(士師13:8、12)。
マノアとその妻は自分たちの責任を重視しました。そこで、神は導きを求めるマノアの祈りにした(8、9節)。主の御使いは再び来て、直接マノアに語り、先に語った食事規定について繰り返しています(13、14節)。
Ⅳ.その名は不思議(士師記13章15節~23節)
マノアとその妻は、自分たちが見た人(6、10、11節)が「主の御使い」(16節)であるとは知りませんでした。ギデオンと同じように、彼らはその人に食物を与えました(士師6:19比較)。御使いは、自分は食物を食べないが、焼き尽くす献げ物を主にささげたいなら、ささげなさいと言います(士師13:16)。
好奇心を抱いたマノアは、御使いに名前を聞きます(17節)。御使いは名前を言わずに、ただ自分の名は「不思議」(18節)であると言いました。ここで「不思議」と訳されている言葉は「人間の理解を超えた」何かを意味します(英語新国際訳参照一詩139:6比較)。
マノアが主に焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物をささげると、御使いは炎と共に天に登っていきました(士師13:20)。マノアとその妻は、その人が「主の御使い」、つまり「神」、「主」であることを悟ります(21〜23節)。ギデオンと同じく、マノアは恐れました(士師6:22比較)。主はギデオンを安心させておられますが(23 節)、御使いの好意的な態度に基づいてマノアを安心させたのは、マノアの妻でした(士師13:23)。
先の研究において(第5課、火曜日、士師6:11~16)、「主の御使い」がキリストと同一人物であることを学びました。このことは、「不思議」(士師13:18)という御使いの名前をイザヤ書9:5(口語訳、9:6)にあるメシアについて次の描写と比較すると、さらに明らかになります。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる」。ここで「驚くべき」と訳されている言葉は文字通りだと「不思議」(指導者の不思議・驚異)を意味します。この名詞は士師記13:18の形容詞「不思議」と語源を同じくしています〔英語聖書参照〕。
主の「不思議」の重要な点は、ご自分の民のために救いという不思議を行われることにあります(出エ15:11、詩77:15——口語訳77:14)。主は焼き尽くす献げ物の炎と共に天に上ることによって(士師13:20)、マノアとその妻の前で不思議を行われましたが(19節)、これは主の最大の救いの行為、すなわち人類のための主ご自身の驚くべき犠牲を非常にはっきりと示していました(ヨハ1:29参照——ヨハ20:17比較、「まだ父のもとへ上がっていない」)。
Ⅴ.サムソン(士師記13章24節、25節)
神は驚くべき方法でサムソンの誕生を告知しておられましたが、同じように、サムソンに対して高い希望を持っておられました。少年が成長するにつれて、主は彼を祝福され、そして彼がまだ若かった時、「主の霊が彼を奮い立たせ始め」られました(士師13:25——ルカ1:15、80、2:52比較)。
神はサムソンに対して何を望まれましたか。サムソン主の理想に従った生き方をしましたか。士師13:5
次の答えの中から最も適当なものを選んでください。
1.数々の失敗を犯したにもかかわらず、サムソンは預言の通りイスラエルをペリシテ人の手から解き放つ先駆者となりました(士師13:5-16:30、31比較)。しかしながら、この預言が神の理想を完全に反映したものであったのか、あるいはサムソンの失敗のゆえに制限されたものであったのかは明らかにされていません。
2.もし心から神に献身した生涯を送っていたなら、サムソンはペリシテ人の脅威を取り除いていたはずです。
3.もし特別に神に捧げられた人物にふさわしい霊的な人間であったなら、サムソンはヨシュア、サムエル、ダビデのように偉大な宗教指導者になっていたはずです。彼はイスラエル人を悔い改めと改革に、またその名を不思議と言い不思議なことをなさるお方(士師13:18、19)に対する愛と尊敬に導いていたはずです。
4.別の答え
5.上の答えすべて
ペリシテ人はサムソンの時代までイスラエル人を悩まし(士師3:31、10:7)、ダビデによって征服されるまで彼らをひどく苦しめ続けました。「彼らもヘブライ人と同じくパレスチナへの侵入者であり、移住者であった。少数のペリシテ人はすでにアブラハムの時代からこの地方にいた(創世21:32)。しかし、彼らが大挙してパレスチナに移住してきたのは、小アジアやエーゲ海諸島からの他の非セム族のそれと同じく、おそらく紀元前12世紀の初めであろう」(『SDA聖書注解』第2巻382ページ)。
まとめ
サムソンは、「不思議」と言われる主の御使い自身によって告知され、不妊の母親に生まれた奇跡の子でした。彼の使命はイスラエルをペリシテ人の手から救う先駆者となることでした。神は指導者を選び、直面するであろう特別な戦いのために、彼らを注意深く訓練されます。
*本記事は、アンドリュース大学旧約聖書学科、旧約聖書・古代中近東言語学教授のロイ・E・ゲイン(英Roy E. Gane)著、1996年第1期安息日学校教課『堕落と救いー士師記』からの抜粋です。