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この記事はこんな人におすすめ!
・ミカエルがどんな存在かを知りたい
・イエス・キリスト=ミカエル説について調べたい
この記事では、大天使ミカエルとはどんな天使かを徹底解説!
名前の意味や役割、旧約聖書と新約聖書での登場シーンから、神学的な解説を交え、キリストとミカエルの関係まで深く掘り下げて解説します。
大天使ミカエルとはどんな天使?
天使とは
天使とは、神によって創造された超自然的な存在で、神のメッセンジャーとしての役割を担っています。
ただ、天使と訳される聖書の原語のヘブライ語(マラーハ)とギリシャ語(アンゲロス)は、一般的に知られている天上の生物としての天使だけでなく、メッセンジャーの働きをなす人々をも指す表現です。
ダビデは、サウルの子イシュ・ボシェトに使者<マラーハ>を遣わし、ペリシテ人の陽皮百枚を納めてめとった妻ミカルをいただきたい、と申し入れた。
サムエル記下3章14節、括弧は筆者注
ヨハネの使い<アンゲロス>が去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められた。「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。
ルカによる福音書7章24節、括弧は筆者注
ミカエルの名前の意味と役割
ミカエルは「神に似たる者はだれか」という意味で、聖書の中でサタンと戦う存在として描かれており、イエス・キリストと同一視する見解もあります。
さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた……
ヨハネの黙示録12章7ー9節
しかし、聖書の中で、キリストは神に造られたものとか低級の神としては描かれていません。また加えて、キリストは天上の生物として一般的に知られている天使ではありません。
その一方、旧約聖書などを見ると、ミカエルには他の天使とは異なる興味深い点も多く見られます。
キリストは神に造られた天使や低級の神ではない
キリストは天上の生物として一般的に知られている天使ではありません。天使たちは「長子」であるキリストを礼拝するようにと言われています。
更にまた、神はその長子をこの世界に送るとき、「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。
ヘブライ人への手紙1章6節
また聖書の中で、キリストは神に造られたものとか低級の神としては描かれていません。
キリストは、はっきりと「神と等しい者」であることを宣言されました。
このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。
ヨハネによる福音書5章18節
パウロもこれを認め、次のように述べています。
キリストは、神の身分<原語:本質/性質>でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、……
フィリピの信徒への手紙2章6節(括弧は著者注)
子なる神・神の御子とは
「子なる神」や「神の御子」という称号は、キリストが神に造られたことや父なる神よりも劣る存在であることを示しているのではありません。
これは、人類の代表者としてキリストが立たれたことを示す表現です(注)。
ミカエル=イエス・キリスト説を徹底解説!
旧約聖書に描かれている「主の御使い」
モーセの前にあらわれた「神」と呼ばれる「主の御使い」
そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」
主エジプト記3章2ー5節
モーセが召される場面で、「主の御使い」が登場しますが、同じ存在が「主」と呼ばれ、さらに「神」と呼ばれています。
文脈的に、この「主の御使い」が一般的によく知られる天使ではなく、神ご自身であることは明らかで、イエス・キリストであると考えられています(注)。
また、その御前は「聖なる土地」であると言われています。
「【主】の使い」
①第二位格の神(受肉前のメシア)
②同じ方が「【主】(ヤハウェ)」と呼ばれている(4節)。
③さらに、「神(エロヒム)」と呼ばれている(4節)。
ヨシュアが礼拝をささげた「主の軍の将」
ヨシュアは「主の軍の将」と出会ったとき、モーセが神に出会ったときと同じように「あなたの立っている場所は聖なる所である」と言われています。
彼は答えた。「いや。わたしは主の軍の将軍である。今、着いたところだ。」ヨシュアは地にひれ伏して拝し、彼に、「わが主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と言うと、主の軍の将軍はヨシュアに言った。「あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」ヨシュアはそのとおりにした。
ヨシュア記5章14ー15節
また、ヨシュアはここで地にひれ伏していますが、ここからもこの「主の軍の将」が天使ではないことがわかります。
ヨハネの黙示録19章10節では次のようにあります。
わたしは天使を拝もうとしてその足もとにひれ伏した。すると、天使はわたしにこう言った。「やめよ。わたしは、あなたやイエスの証しを守っているあなたの兄弟たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。イエスの証しは預言の霊なのだ。」
ヨハネの黙示録19章10節
キリストの弟子であるヨハネが、天使を礼拝しようとすると、天使はそれを止め、神を礼拝するようにと言います。
そのため、ヨシュア記5章の「主の軍の将」が、礼拝を受けることを良しとして、「あなたの立っているところは聖なる所である」と言っていることからも、天使ではなく、神であることがわかるのです。
その証拠に、この続きのヨシュア記6章2節では、はっきりと「主」と呼ばれています。
また、この「主の軍の将」という表現は、ダニエル書8章11節では「天の万軍の長」という表現で登場し、神を指す表現です(注)。
「抜き身の剣をもった主の軍の将」が現われました。ヨシュアはすかさず顔を地につけて伏し拝んでいますので、この人は御使いではありません。御使は礼拝を受けないからです。……この主の軍の将こそ、やがてこの世に来られた救い主イエス・キリストではないかと言われています。
罪を取り除く「主の御使い」
主は、主の御使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、その右に立って彼を訴えようとしているサタンをわたしに示された。……御使いは自分に仕えている者たちに向かって言った。「彼の汚れた衣を脱がせてやりなさい。」また、御使いはヨシュアに言った。「わたしはお前の罪を取り去った。晴れ着を着せてもらいなさい。」
ゼカリア書3章1、4節
ここで「主の御使い」は「罪を取り去った」と宣言しますが、この権限は明らかに天使の権限ではありません。
キリストは次のように言われました。
また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。……また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。
ヨハネによる福音書5章22、27節
裁きの権能はキリストに与えられています。このことを踏まえると、先ほどの「主の御使い」はキリストであることが明らかになります。
また、このゼカリア書3章1ー2節の場面では、「主の御使い(キリスト)」とサタンが論争する場面が出てきますが、興味深いことにユダヤの文献では、これをミカエルと結びつけています。
ユダヤの文献では、ミカエルは天使の中でも最高位に位置し、神の真の代表者であるとされており、旧約聖書で頻繁に言及される神の存在としての「ヤハウェの天使」と同一視されている。また、ミカエルは天の法廷でサタンの告発に対してイスラエルの正当性を証明した天使であるとしています。
ダニエル書・ヨハネの黙示録に出てくるミカエル
王であり、祭司でもあるミカエル
ユダの手紙1章9節ではミカエルとサタンが論争し、ヨハネの黙示録12章7節でもミカエルとサタンが戦っている場面が出てきます。この宇宙的な戦いは死海文書の中にも登場するものです(注)。
さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。
ヨハネの黙示録12章7ー8節
興味深いことにある学者たちは、ヨハネの黙示録12章7節に登場する「ミカエル」と「人の子」に関連性があるとしています(注)。
また、ユダヤの文献の中の大天使ミカエルは、王であり、また祭司としての働きを天において行う存在として描かれています。
ユダヤ教、とくに黙示思想においては、神的存在である天使が、しばしば王と祭司の性格や職能を同時に付与されていることである。とくに大天使ミカエルが王と同時に祭司としての働きを天上においてなすと解されていることはよく知られている。
ダニエル書に登場するミカエル
ダニエル書は2章、7章、8章、11章と同様の預言が繰り返されている構造になっています。
ダニエル書2章の預言は、頭が金、胸と両腕が銀、腹とももが青銅、すねは鉄、足の一部は鉄、一部が粘土でつくられた大きな像の夢で、世界の歴史を預言していました。
そして、それはやがて、人手によらず切り出された大きな石がこの像を打ち壊し、大きな山となっていくのです。
聖書を見てみると、「石」はイエス・キリストを象徴しています(コリントの信徒への手紙一・10章4節、イザヤ書28章16節、ルカによる福音書20章17ー18節)。
さまざまな国の興りが預言された後、最後にイエス・キリストが立ち上がる場面が描かれて、ダニエル書2章は終わります。
7章ではこの預言は4つの獣として登場し、人の子の登場で終わり、8章では最後に「天の万軍の長(主の軍の将)」に対する攻撃の描写があり、11章はミカエルの登場で終わります。
ダニエル書の構造と文脈的に、人の子はミカエルのことを指しているのです。
また、イェール大学神学部の旧約聖書学教授のジョン・J・コリンズは著書の中で次のように結論づけ、さらに他の神学者もこれに同意しています(注)。
従って、人の子のような者の姿は、大天使ミカエルを表している可能性が高いと思われます。
つまり、旧約聖書においてはあきらかに「神であるキリスト」が「主の御使い」として出てきていて、ミカエルと関連しているのです。
「主の御使い」や「大天使長ミカエル」は、一般的に知られている生物としての天使ではなく、神をあらわす表現なのです。
また、これは近年出てきたものではなく、宗教改革時代からある理解です。
宗教改革者のジョン・カルヴァンは、ミカエルが登場するダニエル書10章21節の解説で、次のように述べています。
神は少なくともしばらくの間、その民を助けることなく去られたように思われましたが、その後、その民の戦いのために二人の天使が遣わされました。最初は一人の天使がダニエルに遣わされ、次にミカエルが遣わされましたが、そのミカエルはキリストだと考える人もいます。
私は、この見解に異論はありません。なぜなら、ダニエルはミカエルを教会の王子と呼び、この称号は決してどの天使にも属するものではなく、キリストに特有のものだと思われるからです。
全体として、神はご自身の教会のために争闘の中ですべての力を発揮されたわけではありませんが、 救いの時が来るまで、ご自身がその安全を守るために仕える者であることをこの天使は示しています。
まとめ
旧約聖書全体の文脈から、「主の御使い」としてキリストが登場し、ミカエルがキリストと同一視しされることがわかりました。
「神の御子」と呼んでいても、キリストが神から生まれた存在であるとは認めていないように、「主の御使い」や「大天使長ミカエル」は、一般的に知られている生物としての天使であることを示してはいません。
それは神をあらわす称号のひとつであり、またメッセンジャーとしての機能をあらわすものです。
天使と訳される聖書の原語のヘブライ語(マラーハ)とギリシャ語(アンゲロス)は、一般的に知られている天上の生物としての天使だけでなく、メッセンジャーの働きをなす人々をも指す表現でもあるからです。
ダビデは、サウルの子イシュ・ボシェトに使者<マラーハ>を遣わし、ペリシテ人の陽皮百枚を納めてめとった妻ミカルをいただきたい、と申し入れた。
サムエル記下3章14節、括弧は筆者注
ヨハネの使い<アンゲロス>が去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められた。「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。
ルカによる福音書7章24節、括弧は筆者注
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参考文献
文脈([出エジプト記3章]4-6、14節)から、この「主の御使い」が主ご自身であることは明らかです。
ヤハウェの使者(主の使)は、現在一般的に理解されている「天使」の意味での「天使」ではありません。旧約聖書でしばしば見られるように(創世記18章、士師記6章)、この箇所では象徴、代表、そして神自身の間で流動的なやり取りが行われています。……[出エジプト記3章]2節の使者、火、ヤハウェにエロヒム(4節)を加えたことで、同じ単一の真実を4つの表現で表しただけです。
「神(天)の万軍の長(主の軍勢の将)」は、ここ(ヨシュア記5章14節)とダニエル書8章11節のみ登場し、そこでは神ご自身を指しています。
大天使ミカエルは,ダニエル書でも終末の救いをもたらす決定的役割を与えられている(ダニ12: 13)。また,死海文書の「戦いの書(1QM)』では,終末時に大天使ミカエルに率いられた光の子らと,悪魔的存在であるべリアルに率いられた闇の子らとの宇宙的戦いが描かれている。
ミカエル「と彼の天使たち」の概念は、人の子が「彼の天使たちと共に」来ることと類似し、並行関係にあります。
U. Müller (Messias und Menscbensobn in jüdiscben Apokalypsen und der Offenbarung Johannes [Gütersloh: Mohn, 1972])は、「人の子のような者」はイスラエルの守護者である大天使ミカエルと同一視されるべきであり、聖なる者たちはイスラエルと同一視されるべきであると確かに主張しています。
キリスト教の著作『ヘルマスの羊飼い』とキリスト教エビオン派(いずれも紀元2世紀)は、ミカエルをキリストと同一視していたように思えます。これは3世紀のヒッポリトスにも当てはまるようです。宗教改革時代には、ジョージ・ジョイ(1545年)とジョン・カルヴァン(1561年)がミカエルをキリストと信じており、この見解は人気の高い聖書注解者マシュー・ヘンリー(1712年頃)も賛同しています。ジョン・ミルトン(1674年没)は、「ミカエルはキリストであると一般に考えられている」と述べています。ジョージ・フェイバー(1828年)と広く影響力のあったE.W.ヘンゲステンベルク(1839年)は、ミカエルはキリストに違いないと力説しました。最近では、アンドレ・ラコック1979)がミカエルを人の子( ダニエル7:13)とヤハウェの天使( 出エジプト.23:20参照)と同一視しています。
聖書が、イエスを「ひとり子」や「長子」と言い、またそのお生れになった日について述べているのは、イエスの神性や永遠性を否定しているのではありません。「ひとり子」(ヨハネ1:14、1:18、3:16、1ヨハネ4:9)という語は、ギリシャ語のモノゲネスからきたものです。聖書で用いられるモノゲネスは、「唯一の」とか「無類の」を意味しますが、それは、時間的経過の中のできごととしての唯一性や無類性ではなく、特別な関係としてのそれを意味します。たとえば、イサクはアブラハムの「ひとり子」と呼ばれていますが、かれはアブラハムのひとり子ではありませんでしたし、最初に生れた子でさえもありませんでした(創世記16:16、21:1-21、25:1-6)。イサクは、アブラハムの一族中、あらかじめその後継者と定められた唯一無二の子でした。
……同じように、キリストが「長子」(ヘブル1:6、ローマ8:29、コロサイ1:15,18、黙示録1:5)とお呼ばれになるとき、その語は、時のある点をさしているのではなく、むしろ、重要性あるいは優先性を強調しています(ヘブル12:23参照)。ヘブルの文化では、長子は一族の諸特権を与えられました。同様にイエスは、人々の間の長子として、人間が失ったいっさいの特権をとりもどされました。イエスは、新しいアダム、新しい「長子」、人類の頭となられました。聖書が、イエスのお生れになった日に言及するのは、ひとり子や長子と同じ概念に基づいています。