神は約束される
神は私たちのために約束を成就すると保証しておられます。神はご自分に信頼する者たちのために、罪によって失われていたものを回復してくださいます。私たちの希望はこの神の確かな約束のうちにあります。
希望にみちた神の10の約束
ゼカリヤは神の代弁者として、ベテルの代表団、イスラエルの指導者・民に、エルサレムの明るい未来を描写して見せています。神はご自分の民に対する愛と思いやりの心から、もし彼らが本当に神の教えに従って生きるならどのようになるかを美しく描写しておられます。希望にみちたこれらの神の約束は、彼らが完全に神のもとに帰るのを励ますためのものでした。
帰還した捕囚民に対するこれらの約束は、彼らの心からの応答を条件にしたものでした。イスラエルは神から離れ、くりかえしその勧告を拒絶し、義の道からそれたために、古いエルサレムを中心とした国家的繁栄についての約束は彼らに成就しませんでした。しかし、これらの約束はなお霊的イスラエル(キリスト教会)に与えられています。それらは新しいエルサレムを中心とした大いなる回復において最終的に成就します。
希望にみちた10のメッセージはすべて、「主はこう仰せられる」という言葉で始まっています。しかし、神の言葉は全体的に、「万軍の主の言葉がわたしに臨んだ」という表現をもって始まっています(ゼカリヤ書8:1)。ゼカリヤ書8章は主ご自身の言葉を含んでいます。主はこれらの言葉が成就すると保証しておられます。
神は恵み深くも私たちに、古代イスラエルのように反抗してはならないと警告しておられます。彼らはこの世をキリスト初臨に備えさせるという神の計画に完全に協力しませんでした。私たちはこの世をキリストの再臨に備えさせるという主の大いなる働きに協力しているでしょうか。
第1のメッセージ—神の大いなるねたみ(ゼカリヤ書8章2節)
質問1 第1 のメッセージの中心的な思想は何ですか。この節の鍵となる言葉は何ですか。それにはどんな霊的な意味がありますか。ゼカリヤ書8:2
神のねたみ
神のねたみは人間のねたみと全く異なります。私たちは自分よりもすぐれている人、自分よりも富んでいる人をねたみます。しかし、神は最もすぐれた、最も富んだおかたです。神は私たちをねたむのではなく、私たちを心にかけてくださるのです。私たちのための神のねたみは、神の愛と同じくらい強いものです。ゼカリヤ書8:2は神のねたみを大いなるもの、また激しいものとして描いています。神の無限の愛と同情はその完全な正義と結びついて、私たちを神ご自身にひきつけ、敵から守ってくれます。
思いやりにみちた親
不従順な子供を思いやる愛情豊かな両親を思い浮かべてください。彼らはひとときも無関心でいることができません。息子を取り返すために最善を尽くします。彼らの強い愛が彼らを行動に駆り立てます。子供がいつも気になります。この両親の思いは、不従順な子らである私たちに対する天の父なる神の大いなる愛とねたみをかすかに描写しています。神は何とすばらしい父親でしょう。
愛にみちた長兄、イエス・キリスト
ある青年の10代の妹が、その愚かさと無知のゆえにある男から虐待されていました。それを聞いた兄は言いました。「妹のことなど、おれの知ったことではないさ」。彼は無関心で、自分の妹のことを気にかけませんでした。しかし、キリストはちがいます。彼は私たちのことを本当に気にかけてくださいます。このような思いやりにみちたねたみの心で私たちのために働いてくださるのです。
第2のメッセージ—神の臨在(ゼカリヤ書8章3節)
質問2 第2のメッセージはどのようなものですか。神はご自分の民に何と約束しておられますか。ゼカリヤ書8:3
神はご自分の民に対する愛のねたみのゆえに、彼らのうちに住みたいと望まれます。神の愛はつねに一体となることを求めます。
質問3 「聖なる山」に関するゼカリヤとイザヤの預言(イザヤ27:13)は、どのようにして最終的に成就しますか。黙示録21:23~27
約束されたエルサレムは二つの重要な美徳をそなえています。それは真実と聖潔です(ゼカリヤ書8:3)。ここでエルサレムについて用いられている忠信というヘブル語は、「安定」、「信頼」、「忠実」を意味します。改訂標準訳はそれを「忠実な町」と訳しています。
新エルサレムは神の意図された通りの町となります。その住民は忠実で聖潔です。神が忠実で聖であるように、神の民も忠実で聖です。
第3のメッセージ—平和と喜びの町、エルサレム(ゼカリヤ書8章4節、5節)
質問4 未来のエルサレムには、どんな新しい二つの特徴が見られますか。ゼカリヤ書8:4、5
第2のメッセージの二つの特徴と第3のメッセージの二つの特徴を結びつけるとき、忠信が聖潔に、聖潔が平和に、平和が喜びに発展しているのがわかります。もし気まぐれ、不純、争い、悲しみが忠実、聖潔、平和、喜びに変わっていたなら、エルサレムは新しく、また完全なものとなっていたでしょう。この預言は将来、新エルサレムにおいて成就します。
どんなことが可能であったか
「この祝福の約束は、イスラエルの人々が、捕囚の国々から帰還したあとの何百年かの間に、その大半が成就すべきものであった。今日キリストの再臨のための準備が行われているように、全地がキリストの初臨に対して準備をすることが、神の計画であった」(『国と指導者』下巻305ページ)。
「エルサレムは、『輝かしい繁栄のうちに、国々の女王として、神から与えられた豊かな力をもって続いていたかもしれなかった』(『各時代の希望』下巻12ページ)。しかしながら、これらの約束は『服従を条件にしたもの』であった(『国と指導者』下巻306ページ)。イスラエルは神の目的を成就することができなかった」(『SDA聖書注解』第4巻1103ページ)。
質問5 ゼカリヤはなぜ老人や子供について語っているのでしょうか。ゼカリヤ書8:4、5
神は老若男女に平和と安全を約束される
聖書においては、長寿は最高の祝福の一つとして描かれています(出エジプト記20 : 12、箴言3:2参照)。病気、不安、戦争のない生活、自然の寿命を全うする生涯は理想的なものです。老人は神の活力と祝福にあずかるべきです(イザヤ書65:20参照)。
街路で楽しく遊ぶ子供たちの様子は、平和と安全を美しく描写しています。エルサレムは、老人と子供という最も弱い人々も優しい思いやりと平和のうちに暮らすことのできる町となることができたのです。
しかし、この預言は成就しませんでした。古代の神の民がその条件を満たさなかったからです。この預言はイエスの再臨において成就します。そのとき、忠実な老人、若者たちが永遠の都を受け継ぎます。
第4のメッセージ—不可能を支配される神(ゼカリヤ書8章6節)
質問6 ここで用いられている「不思議な事」とはどういう意味ですか。それは何をさしますか。ゼカリヤ書8:6
「不思議な事」という言葉は、「異なった」、または「目立った、異常な、すばらしい、奇跡的な」という意味のへブル語から来ています。
人間は疑うが、神は実行される
「第4のメッセージは人間の理性によって神を判断することに対する警告となっている。二つの類似した聖句(創世記18:14、エレミヤ耆32:27)に、すばらしい約束に対する疑いが記録されている。約束を信じることは、さばきの脅威を真剣に受けとめることと同じくらい困難である。人口は非常に減少していたので、さまざまな年齢の人々があふれるという思想はたしかに受け入れがたいものであった。自然的増加では不十分であった。主の介入のみが人口を増加させるのであった」(ボールドウィン『ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書』150ページ)。
第5のメッセージ—神は契約の民を救い、集められる(ゼカリヤ書8章7節、8節)
質問7 第5のメッセージの中で、神はご自分の民のために何をされると言われていますか。ゼカリヤ書8:7、8
東の国、西の国とは、日の出る国から日の沈む国まで、つまり全世界をさしています。この約束は、キリストがおいでになって、地の四方から新エルサレムを受け継ぐ忠実な者たち——霊的イスラエル——を集められるときに成就します。
質問8 ゼカリヤ書8:8の後半は、神と神の民との契約関係についてどんなことを教えていますか。
契約関係は継続する条件の下にのみ更新されると、神は約束しておられます。神はつねにご自分が同意された分を果たされます。神はいつでも真実と正義をもって私たちを扱われます。約束の成就は私たちの応答にかかっています。私たちも真実と正義をもって神との一致を保とうとしているでしょうか。
第6のメッセージ—「あなたがたの手を強くせよ」(ゼカリヤ書8章9節〜13節)
質問9 第6のメッセージはどんな言葉で始まり、どんな言葉で終わっていますか。ゼカリヤ書8:9、13
ゼカリヤ書8:11は過去と現在の変わり目になっています。神はのろいを祝福に変えておられます。
質問10 さきの状態を、回復されたエルサレムの状態と比較してください。ゼカリヤ書8:10~13
神殿の基礎がすえられたときの、非常に困難な時期に、神はご自分の民を助けられました。そして今、この働きを完成するための知恵と力を彼らに約束しておられます。希望と励ましに満ちた神の言葉は、勇気と希望が失われつつあるときに与えられました。主にあって勇敢で、希望にみち、強いときに、私たちは国々のうちにあってのろいではなく、祝福となることができるのです。
第7のメッセージ—社会的正義に対する神の要求(ゼカリヤ書8章14節~17節)
質問11 イスラエルの先祖たちに対する神の思いが、ゼカリヤの時代のイスラエルとユダに対する神の思いとどのように比較されていますか。ゼカリヤ書8:14、15(同1:16、17、エレミヤ書31:28比較)
彼らに社会的正義を要求するまえに、神は彼らに対する祝福を約束しておられます。神が私たちに勇気と希望を与えてくださるときにのみ、私たちは神の道徳的・倫理的要求をみたすことができます。私たちさえその気になれば、神は喜んで私たちを積極的に助けてくださいます。
第8のメッセージ—悲しみの断食は喜びの祝宴となる(ゼカリヤ書8章18節、19節)
質問12 主はどのようにして悲しみを喜びに変えられますか。ゼカリヤ書8:18、19(イザヤ書61:3、マタイ5:4比較)
あなたの重荷を十字架のもとに置きなさい
「神はわたしたちがキリストのうちに逃げこむために、彼によって罪の束縛から解放し、神の子らの自由を喜ぶために、わたしたちの罪をあらわしてくださいます。真の悔いをいだいて、わたしたちは十字架のもとに来るこができます。そしてそこにわたしたちの重荷をおけばよいのです。…イエスはすべての打たれた者に、いやしのわざをもって来られます。失望、苦痛、苦難の生涯は、主の臨在の尊い啓示によって明るくされるのです。……主は魂を日ごとの悲しみと困惑の上に引きあげ、平和の国に入れられるのです」(『思いわずらってはいけません』12、13、15、16ページ)。
第9のメッセージ—真の宗教の力(ゼカリヤ書8章20節〜22節)
質問13 第9のメッセージの中心的思想は何ですか。捕囚後のイスラエルの歴史においてこの約束が成就しなかったのはなぜですか。ゼカリヤ書8 : 20~22
真の宗教にはすばらしい魅力があります。キリストが心に宿るとき、私たちを通して人々を引きつける愛と力が発散されます。塩のように、私たちは人々に自分の持っているものを渇望させます。また甘い香りのように、私たちは彼らを救い主に引きよせます。私たちは自分の宗教の確実性と魅力を人々に示さなければなりません。私たちと接する人々がキリストに強く引きつけられるために、キリストの美しさ、すばらしさを教えてあげるべきです。
質問14 ゼカリヤの預言はいつ最終的に成就しますか。イザヤ書2:2、3、黙示録21:7、24~27
第10のメッセージ—「神があなたがたと共にいます」(ゼカリヤ書8章23節)
質問15 なぜ10人の者がひとりのユダヤ人の衣のすそをつかまえるのでしょうか。ゼカリヤ書8:23
「これは『神のイスラエル』(ガラテヤ6:16)のための教訓である。神は今、地上のご自分の教会を通してその目的を遂行しておられる。……その教会員はすべての国民に真理の光を発散すべきである(黙示録14:6)。彼らはその個人的な生き方によってイエス・キリストの宗教を魅力的なものとしなければならない。それによって人々が、自分の生涯を救い主にささげるようになるためである。神の教会は今、世に対して祝福とならなければならない(ゼカリヤ書8:13)」(『SDA聖書注解』第4巻1104ページ)。
まとめ
神はご自分の約束に関していいかげんなかたではありません。神は勇気と希望にみちた方であられます。また、私たちのうちに喜んで住み、私たちを通してこの世をキリストの再臨に備えさせられます。捕囚後のイスラエルは自分たちを、また人々をキリスト初臨に備えさせることに失敗しましたが、私たちは断じて彼らと同じ過ちを犯してはなりません。
*本記事は、フィリップ・G・サマーン(英:Philip G. Samaan)著、安息日学校ガイド1989年4期『勝利の幻 ゼカリヤ書』 からの抜粋です。