霊感
有名なクエーカーの詩人、ジョン・グリーンリーフ・ホイッティア (1807~1892)は、老齢になってから失明しました。ある日の夕暮れ、近くの家に住んでいる小さな女の子がこの親切な老人を訪ねてきました。詩人は彼女に何か読んでくれるようにたのみました。家の中には明りがなく、日も暮れてしまったので、読むことができません。そこで、この女の子は本を読むふりをして、自分が覚えていたホイッティアの有名な詩「永遠の喜び」を暗唱しました。
「神の国には、緑なすヤシの木々が茂っている。
愛の神はわたしをそこに導いてくださる」
ホイッティアはその美しい詩に感動し、だれの作品かとたずねました。すると、少女が答えました。「まあ、ホイッティアさんたら。これはあなたの作品ですよ」。詩人は謙虚なクリスチャンにふさわしく、静かにこう答えました。「私のだって?では、神さまが与えてくださったにちがいない。神さまの助けがなければ、作ることができなかっただろうからね」。
神は知られる(詩139篇1節〜6節)
質問1 神は私たちの日常生活についてどれほどよく知っておられますか。詩139:1〜6(使徒10:1〜9比較)
コルネリオにペテロを招くように言われたとき、神はペテロがヨッパにいる皮なめしシモンの家に泊まっていることを知っておられました。コルネリオのしもべたちが皮なめし場をさがし当てるには、これだけの情報があればもう十分だったはずです。しかし、これに加えて、彼の家が海沿いにあることが示されています。さらに、神はペテロに対して、使いの者たちが全部で三人であることを明らかにしておられます(使徒10:7、19)。神は双方の人たちに、この言葉が神から出たものであることを確証されたのです。
「これらの命令の明白なこと、また、ペテロが宿っている家の人の職業まであげられていることを見ると、どんな身分の人々の一生も仕事も天には知られていることがわかる。神は王の経験や働きを知っておられるだけでなく、身分の低い労働者のこともごぞんじなのである」(『患難から栄光へ』上巻143ページ)。
質問2 神はエチオピヤの宦官をどれほどよく知っておられましたか。使徒8:5、26〜40
神は、執事ピリポがサマリヤにいること、またエチオピヤの女王カンダケの会計係がエルサレムでの礼拝を終えて、エルサレムからガザヘ下る道を通って国に帰ろうとしていることを知っておられました(使徒8:5、26〜40)。
「聖霊の働きにより、神はこのエチオピヤ人を、光へ導くことのできる人と接するよう導かれた。……
光を求め、福音を受け入れる準備のできた人のところに、ひとりの天使がピリポを導いた。今日も天使たちは、聖霊に舌をきよめていただき、心を純化し高めていただく働き人の歩みを導くのである。ピリポに送られた天使は、自分自身でエチオピヤ人に働きかけることもできたが、それは神の働かれる方法ではない。神は人が同胞のために働くように計画しておられる」(『患難から栄光へ』上巻113、114ページ)。
神は見られる(詩139篇7節〜12節)
質問3 神は宇宙空間の中でどんな位置を占めておられますか。神のみまえから逃れることができますか。詩139:7〜10
神は宇宙空間を超えてどこにでもおられます。たとえ地の果てに隠れたとしても、私たちは神から逃れることはできません。
アダムとエバは罪を犯したとき、「主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠し」ました(創世3:8)。神は彼らに「あなたはどこにいるのか」とたずねておられますが、これは罪を犯した二人が神の目に見えなかったということではありません。
慰めに満ちた神の臨在
詩篇139:10にもあるように、神が遍在されるということは私たちにとって大きな慰めです。たとえ私たちが道に迷ったとしても、神は私たちをごらんになり、み手をもって導いてくださいます。イシマエルをみごもり、将来が絶望的だったハガルは、サラの厳しい待遇から逃れることができても、すべてをごらんになる神の目からは逃れることができませんでした(創世16:6〜9参照)。彼女は泉のそばで神の御使いに会います。当時よくなされていたように、この出来事を記念して「ベエル・ラハイ・ロイ」という名が与えられました(創世16:14)。それは、「私をごらんになる生けるかたの井戸」という意味です。
神は私たちの失敗や罪をごらんになる一方で、魂の悩みや望み、恐れや弱さもごらんになります(詩103:14参照)。
「ヨナは主の前を離れてタルシシヘのがれようと、立ってヨッパに下って行った」(ヨナ1:3)。しかし幸いにも、主は彼の苦悩を知り、その絶望的な祈りを聞き、彼を希望の使者とするためにもういちど機会を与えられます。
質問4 やみは聖書の中で何を象徴していますか(詩139:11、12)。エぺ6:12
イザヤはルシファー、つまりサタンの堕落について記しています(イザ14:12、15)。かつては天使の長であったルシファーは天国から追放され、今はやみの世である「この世の君」(ヨハ14:30)となっています。これは「世の光」(ヨハ8:12)であるイエスの王国と対照的です。「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった」(コロ1:13—Ⅱコリ4:4参照)。
神は創造される(詩篇139篇13節〜18節)
羊飼いであったダビデは出産の時季における羊の妊娠や出産を自分の目で見ていたことでしょう。彼はまた動物の犠牲をささげることによって解剖学の基礎的な知識を身につけていたことでしょう。
質問5 ダビデの生物学の知識はどんな言葉に暗示されていますか。詩139:14
人間のからだのことが詳しくわかっている今日、私たちはダビデの言っていることをよく理解することができます。その一例が、重要な器官である心臓です。それは1日10万回収縮し、動脈、毛細血管、静脈を通して血液を送っています。70年の一生のあいだに、この驚くべき器官は約25億回鼓動し、何千トンもの血液を体中に送り出すことになります。「イエバエの目、人間の指の動き、蛾の擬装、あるいは陽子・電子の配列の変化によるさまざまな物質の構成を見ながら、それらすべてを設計者によらない、全くの偶然による出来事と考える人—そのような人は聖書のどの奇跡よりも驚くべき奇跡を信じているのである。芸術性と願望、自己と宇宙に対する意識、感情と道徳、神についての思想のような壮大な思想を抱く能力を持った人間—この創造物を他の生物よりもいくぶん進化した生物の一つとみなすことは、この上なく深い疑問を生み出すことになる」(H・G・コクイン『計画による起源』—D・R・クライン「神に代わる者はいるか」、『リーダーズ・ダイジェスト』1970年3月号55ページより引用)。
質問6 ダビデはさらにどんな深い洞察を与えていますか。詩139:13、15〜18
ダビデは人体にみられる神の驚くべき創造のみわざに圧倒され、神の無限の知恵と偉大さをほめたたえています。
神は聞かれる(詩139篇4節、創世21章14節〜20節)
ハガルはアブラハムの家に戻ってから、そこに息子のイシマエルと共に13年間とどまりました。しかし、イサクが生まれると、天幕に争いが生じました。族長の富を受け継ぐ者ができたからです。「突然彼〔イシマエル〕は退けられた。母子は失望してサラの子を憎んだ。だれもが喜んでいるのがねたましく思われ、ついにイシマエルは、公然と神の約束の継承者をあざわらった。サラは、イシマエルの狂暴な性質が、いつまでも争いの種になるのを察して、ハガルとイシマエルを天幕から追い出すようにアブラハムに訴えた。アブラハムは非常な苦悩に陥った。なお、深く愛しているむすこのイシマエルを、どうして追放することができたであろう」(『人類のあけぼの』上巻152ページ)。
質問7 イシマエルが渇いて死のうとしていたとき、だれがその叫びに耳を傾けられましたか。創世21:17
ハガルがサラによる虐待のゆえに自分から天幕を出ようとしたとき、その子はすでに預言的な名を与えられていました(創世16:11)。イシマエルという名は、「神は聞かれる」という意味です。
質問8 神がお聞きにならないことがあるのはどうしてですか。イザ59:1、2(詩34:15〜17比較)
罪は私たちを神から引き離します。神の耳はいつも開かれています。しかし、神は偽善者の祈りをお聞きになりません。使徒ペテロは詩篇34:15、16の言葉をほとんどそのまま引用しています(Ⅰペテ3:12)。
悩みのときの慰め
「どんな時にも、どんな場所でも、どんな悲しみにも、どんな苦しみにも、前途が暗く将来が困難に見えて無力と孤独を感じるときにも、信仰の祈りに答えて、助け主が送られる。この世のすべての友から離れるような事情が起こるかもしれない。しかしどんな事情もどんな距離もわれわれを天の助け主から離れさせることはできない。どこにいようとも、どこへ行こうとも、主はいつもわれわれの右にあって、力づけ、助け、ささえ、励まされる」(『各時代の希望』下巻154ページ)。
神は救われる(詩139篇19節〜24節、142篇、143篇)
ダビデは神の汚れない品性から神の悪しき敵へと突然、主題を変えています。これは、神と悪が完全に対立するものであるという認識から出ています。
質問9 ダビデは悪しき人々に対してどんな態度をとっていますか(詩139:19〜22)。思いを自分の内面に向けたとき、彼は神に何と嘆願していますか(詩139:23、24)。
神は罪を憎まれますが、罪人は愛されます。そして、彼を罪から離れさせるためにあらゆる手を尽くしてくださっています。しかし、神は自分の罪を愛する者に対して怒りをあらわされます(詩7:11)。神は世のすべての人を愛しておられます。一人として例外はありません。そして、御子の身代わりの死を心から信じる者たちをサタンの毒手から救うために御子イエスをつかわされました(ヨハ3:16参照)。
詩篇作者は、自分もまた罪人であり、神の目には、自分が憎み、敵とみなしていた人々と何ら変わりないということを認めました。彼は今、神に対して、自分の心をさぐり、真の自己、内面の思いをあらわしてくださるように求めています(詩139:1によれば、神はすでにそうしておられました)。
「彼は検査官である神に対して、最も強力なエックス線装置を用いて最小の罪の始まりを見つけ出してくださるように求めている。あらゆるところがあらわにされるように望んでいる。最悪のものをすぐに知りたいと望んでいる。彼は偉大なる医師である神を信じ、その完全な診断を自分から求めている」(カイル・M・イエーツ『詩篇からの説教』52ページ)。
質問10 孤独と苦悩を完全に解決するものは何ですか(詩142:1、2、5)。ダビデの苦境はどれほどのものでしたか(詩142:3、4、6、7)。
ダビデのように主を呼び求めることは、苦しみの中にある人にとって賢明な方法です。彼はサウルに追われて逃げていたとき、ほとんど助けを期待することができませんでした(サム上23、24章参照)。深い苦悩におちいると、人はそれを過大評価し、必要以上に失望し、人生を暗い目でながめがちです。主が7千人もの忠実な者たちを持っておられたのに、エリヤは神に忠実なのは自分だけだと考えました(列王上19:14、18)。
まとめ
人間は神のかたちに創造されました。しかし、人間は自らの知恵を信頼して、人のかたちに自分の神を創作しました。神はこの世にくだり、人性をとられました。私たちは人間の言葉を用いて神の品性を描写しようとします。神の目は私たちを見、神の手は私たちを導き、神の心は私たちを読み、神の臨在は私たちを包みます。しかし、人間の言葉や思想は神の知恵、力、愛を説明するには不十分です。
*本記事は、C・レイモンド・ホームズ(英:C. Raymond Holmes)著、安息日学校ガイド1992年2期『詩篇73-150篇 失望から栄光へ』 からの抜粋です。