ユダの最後の5人の王【エレミヤ書】#3

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ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーは、政治的破壊活動のかどで1800年代にシベリアの収容所で4年間を過ごしました。のちに彼はこの体験を記したとき、囚人仲間の中には彼らの犯したひどい行為に対する後悔の念をまったく抱いていない者たちがいたと述べています。「数年の間、この人たちの中に後悔の様子は—彼らの犯罪に対するわずかな落胆や思い悩みの形跡さえ—まったくうかがえなかった。彼らの大多数は、自分がまったく正しいと内心思っていたのである」(ジョゼフ・フランク『ドストエフスキー—試練の歳月(1850~1859)』95ページ、英文)。

ドストエフスキーは、エレミヤが預言者として働いていた頃のユダを治めた5人の王(ヨシヤ王は除く)について語っていたのかもしれません。彼らの行動が、エレミヤを通じて神から警告された災難をもたらしていると、ますます明らかになったにもかかわらず、相次いで、これらの王は自分の行動をまったく後悔していないかのようでした。

イスラエルに王を与えることは、神の意図ではありませんでした。今回の研究が終わるまでに、私たちはその理由をさらによく理解できるでしょう。また、哀れなエレミヤが、ほとんど報われなかった彼の働きの間に受けた厳しい圧力についても理解できるでしょう。

ヨシヤ王の治世下

ヨシヤは南王国を治めた第16代の王(在位:紀元前640~609年)でした。彼は、ユダにおける最も邪悪な2人の王であった父親(アモン)と祖父(マナセ)の下での半世紀以上に及ぶ道徳的、霊的衰退のあと、8歳で王になりました。ヨシヤの統治は31年間続きました。しかし彼は、父親や祖父とは違い、彼の足を引っ張る状況にもかかわらず、「主の目にかなう正しいことを行い」(王下22:2)ました。

「ヨシヤは悪王の子として生まれ、父の足跡に従うような誘惑に取り囲まれ、正しい道を歩むように彼を励ます助言者もいなかったにもかかわらず、イスラエルの神に忠誠をつくしたのである。彼は過去の時代の過ちから警告を受けて、彼の父や先祖たちが陥ったような罪の低い水準や堕落に陥らずに、正しいことを行うことを選んだ。彼は『右にも左にも曲らなかった』。彼は信任の地位を占める者として、イスラエルの王たちの指導のために与えられた教えに従う決心をした。そして神は、彼が服従したので、彼を尊い器として用いることがおできになったのである」(『希望への光』533ページ、『国と指導者』下巻3~4ページ)。

問1

歴代誌下34章を読んでください。ヨシヤの改革は、どのようなもので構成されていましたか。なぜそれらが、団体として、あるいは個人として、霊的改革の中核を成すのでしょうか。

ヨシヤの改革は、二つの要素で構成されていました。第一は、偶像礼拝を感じさせるものはすべて可能な限り捨て去ること。つまり彼は、国民の間に生じていた悪しき習慣を取り除くために働きました。

しかし、それは第一歩にすぎませんでした。悪しき、間違った習慣がなくなれば、自動的に良いものがあとに続くわけではありません。第二に、朗読された契約の書を聞いたあと、ヨシヤは主の前で、「主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されている契約の言葉を実行することを誓った」(歴代誌下34:31)のです。

ヨアハズとヨヤキム:もう一つの堕落

(シャルムとも呼ばれる)ヨアハズは23歳のときに父親[ヨシヤ]から王位を継承しましたが、彼の治世は3か月間しか続きませんでした。エジプトの政治にとってヨアハズが好ましくなかったので、ファラオが彼を兄弟とすげ替えました。ヨアハズはエジプトへ連れて行かれ、そこで死にました(代下36:4、王下23:31~34参照)。

ヨアハズのあとを継いだ王はヨヤキムで、紀元前609年から598年まで治めました。彼はヨシアの息子でした。ネブカドネツァル王がエルサレムを占領したとき、ヨヤキムは神殿の祭具類と一緒にバビロンに連れて行かれました。エレミヤは民に、彼らの新しい王はこの国を間違った方向に導いていた、と再び警告しました。

問2

エレミヤ22:1~19を読んでください。ヨヤキムがこのような厳しい叱責を主から招いたのは、どのような問題があったからですか。

エレミヤを通して、主はこの強欲で堕落した王に厳しい言葉を述べられました。ヨヤキムは、エジプトに貢ぐために重税を課した抑圧的で欲深いユダの王でした(王下23:35参照)。さらに悪いことに、彼は強制労働を用いて豪華な自分の宮殿を建設させました。それは、労働に対して人々に支払うことをはっきり命じているモーセ五書—「あなたは隣人を虐げてはならない。奪い取ってはならない。雇い人の労賃の支払いを翌朝まで延ばしてはならない」(レビ19:13)—に逆らってのことでした。父親のヨシヤと違い、ヨヤキムも異教の儀式がユダの中に再び蔓延するのを許しました。

エレミヤ22:16は力強い聖句です。父親のヨシヤと堕落したヨヤキムを比較して、主は彼に言われました。「彼[ヨシヤ]は貧しい人、乏しい人の訴えを裁き/そのころ、人々は幸いであった。こうすることこそ/わたしを知ることではないか」。言い換えれば、神が本当にわかるのは、困っている人たちをいかに扱うかによってであり、私たちが進んでお返しのできない人たちを助けるときなのです。聖書全体を通じて見られるように、貧しい人や無力な人に対する主の気遣いと、自力で困難を乗り越えられない人々を助けるという私たちの義務が、ここにも見られます。

ユダの王ヨヤキンの短い治世

ユダの第19代の王になったのはヨヤキムの息子ヨヤキンで、彼がダビデの王座に君臨したのはわずか3か月半でした。紀元前598年、ネブカドネツァルは軍隊をエルサレムに引き連れて来て、18歳の王と彼の母親や妃たち、また多くの王族を捕らえました。紀元前561年、捕囚となって37年目に、ネブカドネツァルの後継者であるエビル・メロダクによって、ヨヤキンは情けをかけられます。彼はバビロンの王と一緒に食事をする権利を認められ、王にふさわしい服を着ることができるようになりました(王下25:27~30、エレ52:31~34参照)。バビロンでヨヤキンと彼の息子たちは一緒でしたが、彼らはダビデの王座を諦めなければならないだろうと、エレミヤの預言は告げました。

問3

エレミヤ29:1~4を読んでください。これは、ヨヤキン[エコンヤ]王と彼の家族や臣下がエルサレムから捕囚となって連れ去られたあと、エレミヤを通して主が語られた言葉です。このような悲劇のさなかにあっても、神の愛と憐みはいかにあらわれていますか。

聖書の中で最も有名な聖句の一つがこれです—「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。未来と希望を与えるものである」(エレ29:11)。言うまでもなく、私たちはここでの背景を知っています。バビロンの征服者によって自分たちの生活が完全に奪われるのを見たユダの捕囚民に、神がエレミヤを通じて語られたという背景です。彼らの状況がいかに悪く思えようと、主は、御自分が彼らを今もなお愛し、彼らの幸福だけを考えていることを彼らに知ってほしいと願われたのでした。恐ろしい状況を考慮すれば、間違いなく、彼らは希望にあふれたこの言葉を歓迎したに違いありません。このように、恐ろしい警告と脅威ばかりの中にあっても、彼らには「未来と希望」の約束が依然として与えられていました。とりわけそのようなときに、こういった確証を持つこととは、彼らにとってどれほど重要だったことでしょう!

終わりの終わりに

問4

歴代誌下36:11~14を読んでください。ユダ王国が最終的に滅亡する前の最後の王に関して、これらの聖句は何と述べていますか。背教のどのような霊的原則が、ここで明らかにされているでしょうか。

(マタンヤとも呼ばれる)ゼデキヤは21歳で王位を継ぎましたが、それは傀儡君主としてネブカドネツァルによって据えられてのことでした。残念ながら、これらの聖句(王下36:11~14)に記されているように、彼は先の王たちに起こったことから多くの教訓を得ていませんでした。そしてその結果、これまでにも増して大きな破滅をこの国にもたらしました。

歴代誌下36:14は、非常に深刻なことを述べています。それは、いろいろな意味で彼らの背教の核心に触れる点です。ゼデキヤの治世下でなされたあらゆる悪行のリストの中で、ユダは「諸国の民のあらゆる忌むべき行い」に倣っていたと書かれています。

エジプトを出てから数百年、諸国の民を照らす光や灯台となるべき契約の民としてさらに数百年が経っていました。しかし、彼らは支配的な文化に依然として魅せられ、あまりに隣国の文化的、宗教的環境に魅せられたために、異教の「あらゆる忌むべき行い」を実行していました。そこには私たちのための教訓があるでしょうか。

エレミヤ38:14~18を読んでください。主はこれまでに何度となく、ユダがバビロンの支配に従わなければならないこと、この占領は彼らの悪行に対する罰であることを明らかにしておられました。しかし、ゼデキヤは聞く耳を持たず、ネブカドネツァルに対抗する軍事同盟を結びました。ユダはエジプトの軍事的勝利にすっかり希望を託していました。しかし紀元前597年、ネブカドネツァルはファラオの軍隊を破り、この敗北がエルサレムとこの国の運命を永遠に決めました。悔い改め、改革し、復興する機会がたくさんあったにもかかわらず、ユダは拒みました。

暗黒の時代

問5

神のメッセージを拒んだあと、ユダとエルサレムはどうなりましたか(エレ39:8、9)。

彼らに起こるであろうと神が警告しておられたことは、すべてそのとおりに起こりました。彼らが警告を信じたくないとどれほど思っても、それが起こったあとには信じざるをえませんでした。同様な体験をしたことのない人や集団があるでしょうか。私たちは主から、「これこれをしてはならない。さもないとこれこれが起きるだろう」と警告されているのに、お構いなしにそれをやってしまい、案の定、警告されたことが起こります。

問6

エレミヤ23:3~8の中には、どのようなメッセージがありますか。そこにいた民に、どのような希望が与えられましたか。

人間的観点からすれば、すべてが失われたように思えました。国は廃墟と化し、神殿は破壊され、指導者たちは捕囚となって連れ去られ、エルサレムの町はがれきの山となりました。ほかの多くの国々がこれまで消え去ってきたように、ユダヤ人の国も民も、そのとき歴史から消え去るはずでした。

しかし、主は異なる計画を持っておられ、先の聖句(や多くのほかの聖句)において彼らに希望を与えられました。すべてが失われることはなく、残った人々が故郷に戻り、彼らによって約束は成就するという希望です。つまり、破滅と破壊の警告ばかりの中で、預言者たちはこの民に唯一の希望をも与えました。

「ユダ王国の終局を画した破壊と死の暗黒の時代に、もし神の使者たちの預言的言葉の励ましがなかったならば、どんなに勇気のある人をも失望させたことであろう。主は、エルサレムにおけるエレミヤ、バビロンの宮廷におけるダニエル、ケバル川のほとりのエゼキエルなどによって、いつくしみ深くも神の永遠の計画を明らかにし、神は、モーセの書に記された約束を、神の民に喜んで成就してくださるという確証をお与えになった。神は、神に忠実な者のためになすと言われたことは、必ず実行なさるのである。それは、『神の変ることのない生ける御言』である(Iペテロ1:23)」(『希望への光』561ページ、『国と指導者』下巻80ページ)。

さらなる研究

「ユダの背信の末期において、預言者たちの勧告は、いかにも効果がないように思われた。そしてカルデヤの軍勢が最終的に第3回目のエルサレム包囲を行った時に、すべての者は希望を失ってしまった。エレミヤは全滅を預言した。そしてついに彼が投獄されたのは、彼が降伏を叫んでやまなかったからである。しかし神は、なお都にいた忠実な残りの者を、どうすることもできない絶望の中に放置されたのではなかった。エレミヤが彼の言葉を軽べつした人々によって厳しく監視されていた時にもなお、天の神は喜んでゆるし救おうとしておられることについての新しい啓示が彼に与えられた。それは、当時から今日に至るまでの神の教会に対して、つきない慰めの泉となったのである」(『希望への光』562ページ、『国と指導者』下巻82ページ)。

「天の神は喜んでゆるし救おうとしておられる」という言葉に目を向けてください。赦し、救うために「天の神(が)喜んで」おられることは、いろいろな方法で私たちに示されてきました。それらについて考えてみてください。突き詰めれば、私たちにこの「喜び(意欲)」を教えるのは、キリストの十字架だけです。私たちには救済計画を明らかにしている神の御言葉があります。すばらしい賜物である「預言の霊」も与えられています。ほかにどのような方法で、「天の神は喜んでゆるし救おうとしておられる」ことが私たちに示されてきたでしょうか。

*本記事は、安息日学校ガイド2015年4期『エレミヤ書』からの抜粋です。

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