ルツ記を徹底解説!あらすじやその内容は?

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この記事はこんな人におすすめ!
・ルツ記のストーリーざっくり知りたい
・ルツ記全体のテーマと教えを知りたい
・ルツ記の詳細な解説を学びたい

フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーの『落穂拾い』のモチーフにもなったルツ記

この記事の前半はその内容とあらすじについて、後半は詳細な解説とテーマについてまとめられています

ルツ記を知りたいすべての人は必見です!

目次

ルツ記の概要

ルツ記の登場人物

ルツ

ルツ記の主人公で、モアブの女性。ナオミに忠誠を尽くし、ボアズと再婚した。

ナオミ

ルツの義母で、エリメレクの妻。マロンとキリオンという二人の息子がいたが、夫とともに早くに亡くした。

オルパ

ナオミの義理の娘。マロンかキリオンの妻であった。ルツとは異なり、ナオミの説得に応じて、途中でモアブの地に帰っていった。

ボアズ

ベツレヘムに住んでいる有力者で、ルツの再婚相手。

ルツ記のあらすじ

モアブの地へのがれる(ルツ記1章1―18節)
飢饉を逃れてモアブの地へ

エリメレクとナオミは、二人の息子マロンとキリオンを連れて、飢饉を逃れてモアブの地へ逃れます。

エリメレクの死と息子たちの結婚

やがて夫エリメレクは死に、二人の息子はモアブの女性であるルツとオルパと結婚します。

モアブの地に移住して10年後、二人の息子たちも死去

モアブの地に行って10年後、二人の息子も子どもを残すこともなく、死去します。

ナオミが故郷へ帰ることを考える

家族を失ったナオミは、子どももいないことからルツとオルパには実家に帰ることを勧め、自分は故郷へ帰ろうとします。オルパは勧めに従って帰りますが、ルツはナオミと共に行くことを決めます。

ルツとナオミのイメージ画像
AIによって生成されたイメージ画像です
ユダへの悲しみの帰郷(ルツ記1章19―22節)
ベツレヘムへの帰郷

ルツと共にベツレヘムに帰ったナオミですが、家族を失った悲しみからナオミ(喜び)ではなく、マラ(苦しみ)と呼んでほしいと言います。

ナオミへのルツの配慮(ルツ記2章1―23節)
落ち穂拾いに出かけるルツ

当時、経済的に困窮した人々は収穫から外れた穂を拾って生きていました。そのため、ルツも落ち穂拾いに出かけたのでした。

ボアズに出会うルツ

落ち穂拾いに行ったルツはそこの主人であるボアズに出会い、親切にしてもらいます。

落ち穂拾いをするルツとそれを見るボアズのイメージ画像
AIによって生成されたイメージ画像です
ルツのために家を求めるナオミ(ルツ記3章1―18節)
ボアズとの結婚を勧めるナオミ

ボアズに親切にしてもらったことを聞いたナオミは、ボアズが最も近い親戚の一人で、自分たちを経済的に助ける責任を担っていることを伝えます。そして、ボアズとの結婚を勧めていきます。

ボアズに結婚を申し込むルツ

ナオミの勧めに従い、ルツはボアズに結婚を申し込みます。ボアズはこの申し出を受け、ルツを助けることを告げるのでした。

ボアズとルツのイメージ画像
AIによって生成されたイメージ画像です
救い主キリストの先祖となるルツ(ルツ記4章1―22節)
ルツとの結婚の前に、正式な手続きをするボアズ

最も近い親戚がエリメレクの土地を買い戻し、ナオミとルツを助ける責任を負っていましたが、ボアズよりも近い親戚がまだいました。

そのため、ボアズはその親戚と話をし、その役目を放棄してもらい、ボアズがその責任を負うことを町の長老たちに承認してもらうのでした。

ボアズのイメージ画像
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ボアズと結婚するルツ

晴れてボアズと結婚したルツは、その後、オベデを産み、オベデからエッサイが、エッサイからダビデが生まれます。そして、その系図はキリストへと連なるものになるのでした。[1]

落穂拾いとは?

ジャン=フランソワ・ミレー(1857年)『落穂拾い』
ジャン=フランソワ・ミレー(1857年)『落穂拾い』(出典:Wikipedia

あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、その刈入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。

レビ記23章22節

神は、貧しい者と寄留者のために穀物の落ち穂を残しておくようにと命じられました。

これは、経済的に困窮した人々の生活を守るための制度です。ルツはこのどちらの条件も満たしていたので、落穂拾いに向かいました。

当時、夫に先立たれた女性は、自分の子どもかもしくは父の下に戻ることができるなら、問題ありませんでした。

しかし、そういった家族がいない場合は、当時の社会保障の外に出てしまうことになったのです。

タイトルと著者

ルツ記のタイトルは、その物語の中心人物に由来しています。

ルツ記の位置付けは、士師記の付録であり、またサムエル記の序論です。

中心人物のルツは、モアブ人であり、ヘブライ語の意味はなく、その由来や意味は定かではありません。一説には、「友人」や「友情」という意味かもしれないと考えられています。[2]

ルツ記からは、成立年代や著者を正確に割り出すことは難しいですが、タルムードの言い伝えによると、預言者サムエルによって、サムエル記や士師記とともに書かれたと考えられます。[3]

テーマ

ルツ記のテーマは、善と悪の大争闘(キリストとサタンの論争)において働いておられる神です。

直接的には登場していませんが、物語に登場する人々を通して、神は現れています。

作者が神を示している最も特徴的な方法は……神の働きと作中人物の働きとを一致させるところにある。……神がルツ記のなかにいて働かれるのは、人々の相互の振る舞いにおいてである。[4] 

エドワード・F・キャンベル・ジュニア『ルツ記』29ページ

ルツ記1章の解説

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ルツ記1章

1:1さばきづかさが世を治めているころ、国に飢きんがあったので、ひとりの人がその妻とふたりの男の子を連れてユダのベツレヘムを去り、モアブの地へ行ってそこに滞在した。 1:2その人の名はエリメレク、妻の名はナオミ、ふたりの男の子の名はマロンとキリオンといい、ユダのベツレヘムのエフラタびとであった。彼らはモアブの地へ行って、そこにおったが、 1:3ナオミの夫エリメレクは死んで、ナオミとふたりの男の子が残された。 1:4ふたりの男の子はそれぞれモアブの女を妻に迎えた。そのひとりの名はオルパといい、ひとりの名はルツといった。彼らはそこに十年ほど住んでいたが、1:5マロンとキリオンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子と夫とに先だたれた。

1:6その時、ナオミはモアブの地で、主がその民を顧みて、すでに食物をお与えになっていることを聞いたので、その嫁と共に立って、モアブの地からふるさとへ帰ろうとした。 1:7そこで彼女は今いる所を出立し、ユダの地へ帰ろうと、ふたりの嫁を連れて道に進んだ。 1:8しかしナオミはふたりの嫁に言った、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰って行きなさい。あなたがたが、死んだふたりの子とわたしに親切をつくしたように、どうぞ、主があなたがたに、いつくしみを賜わりますよう。 1:9どうぞ、主があなたがたに夫を与え、夫の家で、それぞれ身の落ち着き所を得させられるように」。こう言って、ふたりの嫁に口づけしたので、彼らは声をあげて泣き、 1:10ナオミに言った、「いいえ、わたしたちは一緒にあなたの民のところへ帰ります」。 1:11しかしナオミは言った、「娘たちよ、帰って行きなさい。どうして、わたしと一緒に行こうというのですか。あなたがたの夫となる子がまだわたしの胎内にいると思うのですか。 1:12娘たちよ、帰って行きなさい。わたしは年をとっているので、夫をもつことはできません。たとい、わたしが今夜、夫をもち、また子を産む望みがあるとしても、 1:13そのためにあなたがたは、子どもの成長するまで待っているつもりなのですか。あなたがたは、そのために夫をもたずにいるつもりなのですか。娘たちよ、それはいけません。主の手がわたしに臨み、わたしを責められたことで、あなたがたのために、わたしは非常に心を痛めているのです」。 1:14彼らはまた声をあげて泣いた。そしてオルパはそのしゅうとめに口づけしたが、ルツはしゅうとめを離れなかった。

1:15そこでナオミは言った、「ごらんなさい。あなたの相嫁は自分の民と自分の神々のもとへ帰って行きました。あなたも相嫁のあとについて帰りなさい」。 1:16しかしルツは言った、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。 1:17あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます。もし死に別れでなく、わたしがあなたと別れるならば、主よ、どうぞわたしをいくえにも罰してください」。 1:18ナオミはルツが自分と一緒に行こうと、固く決心しているのを見たので、そのうえ言うことをやめた。

1:19そしてふたりは旅をつづけて、ついにベツレヘムに着いた。彼らがベツレヘムに着いたとき、町はこぞって彼らのために騒ぎたち、女たちは言った、「これはナオミですか」。 1:20ナオミは彼らに言った、「わたしをナオミ(楽しみ)と呼ばずに、マラ(苦しみ)と呼んでください。なぜなら全能者がわたしをひどく苦しめられたからです。 1:21わたしは出て行くときは豊かでありましたが、主はわたしをから手で帰されました。主がわたしを悩まし、全能者がわたしに災をくだされたのに、どうしてわたしをナオミと呼ぶのですか」。 1:22こうしてナオミは、モアブの地から帰った嫁、モアブの女ルツと一緒に帰ってきて、大麦刈の初めにベツレヘムに着いた。

モアブへの移住

エリメレクとナオミの故郷であるベツレヘムからモアブの地までは、現代の尺度で考えるならわずかな距離でした。しかし、パレスチナ地方の複雑な地形のために、わずか数マイル離れているだけで雨の量に相当な開きがある場合がありました[5]

ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』15ページ

エリメレクとナオミは、苦しい飢饉から逃れるために、モアブの地へ逃れていきます。エリメレクは「わたしの神は王である」という意味で、エリメレクの両親の敬虔深さが垣間見えます[6]

またエフラタ人というのは、ベツレヘムに住む人々のことでした。ベツレヘムが大きな町ではなかったことを考えると、すべてのベツレヘム人がエリメレクの親近者であった可能性が高いです。

信仰が異なり、親族もいないモアブへの移住は一時的なものでした。それは、「滞在した」と訳される言葉に中に「寄留」というニュアンスがあることからもわかります[7]

しかし、その滞在は長引き10年にも及びます(ルツ記1章4節)。その中で、ナオミやルツは夫に先立たれてしまったのでした。

荒野のイメージ画像

ルツ記1章7節―19節の文構造と解説

  • A|物語の始まり―ナオミと彼女の嫁たちがユダの地に帰ろうとする(7節)
    • B|対話―ナオミが嫁たちに対して、家に帰るように促し、祝福する(8―9節)
      • C|物語の転換―ナオミが別れの口づけをし、嫁たちが涙を流す(9節)
        • D|対話―嫁たちはがナオミと共にいきたいと強く訴え、ナオミは帰って欲しいと強く懇願する(10―13節)
      • C’|物語の転換―彼らは泣き続けた。オルパは別れるが、ルツはしがみついた(14節)
    • B’|対話―ナオミが強く訴えるが、ルツは拒み、思いを語り、ナオミは訴えるのをやめていく(15―18節)
  • A’|物語の終わり―ベツレヘムにまでいく旅路(19節)[8]

ルツ記1章7節―19節は、交差対句法で書かれていて、Dの10―13節が一番強調されています

1:6その時、ナオミはモアブの地で、主がその民を顧みて、すでに食物をお与えになっていることを聞いたので、その嫁と共に立って、モアブの地からふるさとへ帰ろうとした。1:7そこで彼女は今いる所を出立し、ユダの地へ帰ろうと、ふたりの嫁を連れて道に進んだ。

ルツ記1章6節

ここにはナオミが主体的にモアブの地を出ている様子が描かれています。その嫁であるルツとオルパはそれについていっただけでした。

しかし、19節では主語は「ふたり」になっています。

そしてふたりは旅をつづけて、ついにベツレヘムに着いた。彼らがベツレヘムに着いたとき、町はこぞって彼らのために騒ぎたち、女たちは言った、「これはナオミですか」。

ルツ1章19節

一人は離れ、一人は残ります。この違いを浮き彫りにしたナオミの言葉が、Dの10―13節の部分なのです。

このナオミの言葉にあるメッセージは、神の民を二分するようなメッセージなのかもしれません。

あなたがたのために、わたしは非常に心を痛めている(D)

そのためにあなたがたは、子どもの成長するまで待っているつもりなのですか。あなたがたは、そのために夫をもたずにいるつもりなのですか。娘たちよ、それはいけません。主の手がわたしに臨み、わたしを責められたことで、あなたがたのために、わたしは非常に心を痛めているのです」。

ルツ記1章13節

「あなたがたのために、わたしは非常に心を痛めているのです」(13節)というナオミの3度目の訴えはオルパの説得に成功しますが、ルツは4度目の訴えがあっても断りました。

ルツがまだ「若い女(少女)」とベツレヘムの町の人々から言われたことからも(ルツ記4章12節)、ナオミはまだ壮年期に入ったばかりであったと考えられます[9]

しかしナオミは、どれほどの悲しみの中にあってもなお、人生を捨てるには若すぎるルツとオルパのことを考えていきます。

当時、夫に先立たれたものがみな「やもめ」となったわけではありませんでした。自分の父の権威の下に戻ることができるなら、問題なかったのです。

「やもめ」は、家族の権威の下に戻ることができない状態で、一家の財産を受けることができませんでした[10]

それゆえに、聖書は「やもめ」を考慮するようにと述べているのです。「やもめ」は当時の社会保障の外に出てしまったことを意味しています。

そのために再度、夫を持てないことと子どもは望めないことを強調し、社会的保障を得ることができないと伝えたのでした。

当時の習慣であれば、彼女たちはナオミに縛られるはずですが、ナオミは彼女たちに仕えることを強要せず、再婚するように促しています(ルツ記1章8節)[11]

また、ナオミは「主の手がわたしに望み、わたしを責められた(the hand of the Lord has gone out against me[12])」(13節)としています。

この表現には、軍隊が敵を攻めるときに使われる用法が使用されており、ナオミにとって主が敵であるかのように思われたことが描かれています。

主の御手は、かなり一般的に使われている擬人法である。旧約聖書では、内面的な状態などを表現するために身体の一部を自由に用いており、神について語るときでさえそうである。つまり、神の手は神の活動を表す表現なのである。goen outという動詞は、敵意をもって出て行く軍隊に使われることがあり、ここでの用法の背景にはこのことがあるのかもしれない[13]

Cundall, A. E., & Morris, L. (1968). Judges and Ruth: an introduction and commentary (Vol. 7, p. 250). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.

ナオミは、この苦しみの責任を神に求め、神がおられないのであれば、ルツやオルパがナオミときたところで祝福はないと考えたのかもしれません。

彼らはまた声をあげて泣いた。そしてオルパはそのしゅうとめに口づけしたが、ルツはしゅうとめを離れなかった。

ルツ記1章14節

このナオミの訴えにより、オルパは故郷へと帰っていきました。この時、オルパは「口づけ」をし、ルツは「離れなかった」。

この場面は、オルパとルツの行為の同時性を表し、両者を対比している場面です[14]

苦しみの中で神が責められたのだ。わたしについてきても祝福はないから、あなたがたは自分の人生を考えなさい」というナオミの訴えは、二人を二分します。

一方は離れ、一方は残るのです。

別れのイメージ画像

あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。

しかしルツは言った、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。

ルツ1章16節

ルツはナオミへの献身を口にするだけでなく、ナオミが信じている神に対しても言及します。慕っているナオミの人格を形成しているのが、聖書の神への信仰だったからかもしれません。

ルツが聖書の神についてどの程度の理解を持っていたのかは分かりません。しかし、いずれにせよ、神への信仰はしっかりとルツの心の中に根ざしていたのです。

異教徒であったルツの回心は単なる知識の伝達によってなされたのではなく、ナオミを通して伝えられた神の品性の雰囲気によってでした。[15]

この時に、ルツは明確に自分の民モアブから離れ、ナオミの民イスラエルに加わることを宣言します。

そして、これは単なる宣言に留まらず、その後でルツが「わたしがあなたと別れるならば、主よ、どうぞわたしをいくえにも罰していください」と述べているように、誓いの言葉となったのです(サムエル記上3章17節,14章44節,20章13節)

ルツ記1章では、宣教の一つの証を見ることができます。

苦難の中にあっても、義理の娘たちを思うナオミの愛に見ることができる神の品性は、ルツの心に深い印象をつけました。

それは、苦しみにあってナオミ自身の信仰が揺らいでいる中であっても、働き続け、ルツはついにモアブの神を捨て、イスラエルの神と共に生きることを決意するのです。

こうして、決意を固めたルツは過去の価値観も生活も捨て去り、ベツレヘムへと向かうのです。

同様に、わたしたちから溢れる神の品性のかけらは、わたしたち自身の信仰が揺らいだとしても、種として人々の心に植えられ、芽が出るのです。

ナオミの心境

わたしは出て行くときは豊かでありましたが、主はわたしをから手で帰されました。主がわたしを悩まし、全能者がわたしに災をくだされたのに、どうしてわたしをナオミと呼ぶのですか。

ルツ記1章21節

ここで、ナオミは「主がわたしを悩まし、全能者がわたしに災をくだされた」と繰り返し述べています。

これは13節の「主の手がわたしに望み、わたしを責められた(the hand of the Lord has gone out against me[16])」や20節の「全能者がわたしをひどく苦しめられた」の繰り返しです。

この21節の「全能者がわたしに災をくだされた」には、「不利な証言をする」というニュアンスがある法学的な文脈で使用される言葉が使われています[17]

昔のイスラエル人は神の手が人生のすべての面で働いていると考えました。物事はすべて神の直接的な支配のもとにありました。自分が家族を失ったのは神のわざによるものだ、とナオミが考えたのも不思議ではありません。……ナオミは法的な告訴の形式でその苦痛にみちた疑惑を述べています[18]

ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』24ページ

ナオミはヨブと同じように、善と悪の大争闘に巻き込まれたのです(ヨブ記1章1節―2章10節)

この経験から、ナオミ(楽しみ)からマラ(苦しみ)へと名前を変えたいとナオミは思います。

古代近東では、名前はしばしば、その人の運命を特徴づける、あるいはその人の運命を刻み込むという期待を込めて、意味を込めてつけられました[19]

Matthews, V. H., Chavalas, M. W., & Walton, J. H. (2000). The IVP Bible background commentary: Old Testament (electronic ed., Ru 1:20). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.

このように信仰的にも、精神的にも、肉体的にも弱りきったナオミに対して、ルツが次のように言ったことは驚くべきことです。

わたしがあなたと別れるならば、主よ、どうぞわたしをいくえにも罰してください。

ルツ記1章17節

ナオミへのルツの愛情が見えるとともに、ルツがどこまで知識として知っていたかは分かりませんが、ルツの神への信仰が見える場面です。

苦しみの中にあって、物質的や社会的な豊かさと安全性を求めてモアブに帰ることを、ルツは選びませんでした。

その渦中にありながら、なおルツはナオミと神に仕え、共にいることを選んだのです。

信仰のイメージ画像

イスラエルとモアブの関係性

イスラエルの民がまだ荒野を放浪していたとき、モアブはその領地の通過を承知せず、イスラエルの民は迂回しなければいけませんでした(士師記11章17節)

また、偽預言者バラムを雇って、イスラエルを呪わせようとするなど敵対行動をとっていたのです。

そのため、モアブ人について、申命記では次のように言われています。

23:3アンモンびととモアブびとは主の会衆に加わってはならない。彼らの子孫は十代までも、いつまでも主の会衆に加わってはならない。 23:4これはあなたがたがエジプトから出てきた時に、彼らがパンと水を携えてあなたがたを道に迎えず、アラム・ナハライムのペトルからベオルの子バラムを雇って、あなたをのろわせようとしたからである。

申命記23章3―4節

このように、イスラエルとモアブの関係は良好ではなく、ルツがイスラエルに行くということは非常に特異なことでした。

そのために、「モアブの女ルツ」という表現がルツ記1章22節以降、何度も登場しています。

ルツ記2章の解説

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ルツ記2章

2:1さてナオミには、夫エリメレクの一族で、非常に裕福なひとりの親戚があって、その名をボアズといった。 2:2モアブの女ルツはナオミに言った、「どうぞ、わたしを畑に行かせてください。だれか親切な人が見当るならば、わたしはその方のあとについて落ち穂を拾います」。ナオミが彼女に「娘よ、行きなさい」と言ったので、 2:3ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾ったが、彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた。 2:4その時ボアズは、ベツレヘムからきて、刈る者どもに言った、「主があなたがたと共におられますように」。彼らは答えた、「主があなたを祝福されますように」。 2:5ボアズは刈る人たちを監督しているしもべに言った、「これはだれの娘ですか」。 2:6刈る人たちを監督しているしもべは答えた、「あれはモアブの女で、モアブの地からナオミと一緒に帰ってきたのですが、 2:7彼女は『どうぞ、わたしに、刈る人たちのあとについて、束のあいだで、落ち穂を拾い集めさせてください』と言いました。そして彼女は朝早くきて、今まで働いて、少しのあいだも休みませんでした」。

2:8ボアズはルツに言った、「娘よ、お聞きなさい。ほかの畑に穂を拾いに行ってはいけません。またここを去ってはなりません。わたしのところで働く女たちを離れないで、ここにいなさい。 2:9人々が刈りとっている畑に目をとめて、そのあとについて行きなさい。わたしは若者たちに命じて、あなたのじゃまをしないようにと、言っておいたではありませんか。あなたがかわく時には水がめのところへ行って、若者たちのくんだのを飲みなさい」。 2:10彼女は地に伏して拝し、彼に言った、「どうしてあなたは、わたしのような外国人を顧みて、親切にしてくださるのですか」。 2:11ボアズは答えて彼女に言った、「あなたの夫が死んでこのかた、あなたがしゅうとめにつくしたこと、また自分の父母と生れた国を離れて、かつて知らなかった民のところにきたことは皆わたしに聞えました。2:12どうぞ、主があなたのしたことに報いられるように。どうぞ、イスラエルの神、主、すなわちあなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように」。 2:13彼女は言った、「わが主よ、まことにありがとうございます。わたしはあなたのはしためのひとりにも及ばないのに、あなたはこんなにわたしを慰め、はしためにねんごろに語られました」。

2:14食事の時、ボアズは彼女に言った、「ここへきて、パンを食べ、あなたの食べる物を酢に浸しなさい」。彼女が刈る人々のかたわらにすわったので、ボアズは焼麦を彼女に与えた。彼女は飽きるほど食べて残した。 2:15そして彼女がまた穂を拾おうと立ちあがったとき、ボアズは若者たちに命じて言った、「彼女には束の間でも穂を拾わせなさい。とがめてはならない。 2:16また彼女のために束からわざと抜き落しておいて拾わせなさい。しかってはならない」。 2:17こうして彼女は夕暮まで畑で落ち穂を拾った。そして拾った穂を打つと、大麦は一エパほどあった。 2:18彼女はそれを携えて町にはいり、しゅうとめにその拾ったものを見せ、かつ食べ飽きて、残して持ちかえったものを取り出して与えた。 2:19しゅうとめは彼女に言った、「あなたは、きょう、どこで穂を拾いましたか。どこで働きましたか。あなたをそのように顧みてくださったかたに、どうか祝福があるように」。そこで彼女は自分がだれの所で働いたかを、しゅうとめに告げて、「わたしが、きょう働いたのはボアズという名の人の所です」と言った。 2:20ナオミは嫁に言った、「生きている者をも、死んだ者をも、顧みて、いつくしみを賜わる主が、どうぞその人を祝福されますように」。ナオミはまた彼女に言った、「その人はわたしたちの縁者で、最も近い親戚のひとりです」。 2:21モアブの女ルツは言った、「その人はまたわたしに『あなたはわたしのところの刈入れが全部終るまで、わたしのしもべたちのそばについていなさい』と言いました」。 2:22ナオミは嫁ルツに言った、「娘よ、その人のところで働く女たちと一緒に出かけるのはけっこうです。そうすればほかの畑で人にいじめられるのを免れるでしょう」。 2:23それで彼女はボアズのところで働く女たちのそばについていて穂を拾い、大麦刈と小麦刈の終るまでそうした。こうして彼女はしゅうとめと一緒に暮した。

落穂拾い

あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、その刈入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。

レビ記23章22節

神は、貧しい者と寄留者のために穀物の落ち穂を残しておくようにと命じられました。困窮者の生活を守り、豊かな人々に無欲と憐れみの教訓を教えるための律法でした。

ルツはこのどちらの条件も満たしていたので、落穂拾いに向かったのです。

ルツは「大麦刈の初め」に着いて(ルツ記1章22節)、「大麦刈と小麦刈の終るまで」働きますが、このことからルツがベツレヘムに着いて、すぐ熱心に働き始めた可能性があることがわかります。

この働きの記録にナオミは登場していませんが、旅の疲れや年齢による問題で行けなかったのではないかと考えられます[20]

2:2モアブの女ルツはナオミに言った、「どうぞ、わたしを畑に行かせてください。だれか親切な人が見当るならば、わたしはその方のあとについて落ち穂を拾います」。ナオミが彼女に「娘よ、行きなさい」と言ったので、 2:3ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾った……

ルツ記2章2節―3節

「どうぞ、わたしを畑に行かせてください」とルツは述べていますが、ここにルツのナオミに対する尊敬の念があらわされています。

この表現は、尊敬される人物や権威者に向けた丁寧な依頼の表現として用いられることが多い表現です[21]

これに対し、ナオミは「娘よ、行きなさい」と伝えます。ここにナオミとルツの深い関係を見ることができます。義母と義理の娘ではなく、母と娘という関係に変わっているのです。

「娘」とは、ここでは単なる呼び名ではなく、ルツが今や完全にナオミの娘であることを示しています。この物語の残りの部分では、ルツは真の娘だけが受けられる特権を与えられています[22]

Rubin, B. (Ed.). (2016). The Complete Jewish Study Bible: Notes (p. 1192). Peabody, MA: Hendrickson Bibles; Messianic Jewish Publishers & Resources.

このときに、ルツは「はからずも」ボアズの畑の部分にきて、その時にボアズはルツに出会います(ルツ記2章3―4節)。

これは神の導きでした。わたしたちが気づいてもいないかもしれない、偶然に起こる物事のひとつひとつは神の導きによるものであることがここからわかります[23]

また、ここでルツはボアズの前から落穂拾いをしていますが、これはとても興味深いことです。

落ち穂拾いを許可するのは、ふつうは主人の役目でした。ところが、ルツはボアズが現れる前に落ち穂拾いを始め、あとで監督のしもべから許可をもらっています。そのしもべは勝手に許可を与えた理由としてルツの勤勉さをあげています[24]

ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』27ページ

ルツの人格と品性は、監督のしもべの心を打ち、主人を超えて許可を出すことにしたのです。

そのルツの姿勢はボアズの目のも留まります。他の畑に行かないように言い(ルツ記2章8節)、若者たちが汲んだ水を飲めるようにし(9節)、束の間からでも拾わせ(15節)、束からわざと抜き落とすようにしました(16節)。

また、ボアズは彼女を食事に誘います。

食事の時、ボアズは彼女に言った、「ここへきて、パンを食べ、あなたの食べる物を酢に浸しなさい」。彼女が刈る人々のかたわらにすわったので、ボアズは焼麦を彼女に与えた。彼女は飽きるほど食べて残した。

ルツ記2章14節

最近の研究で、「酢」と訳されている言葉は、ひよこ豆のフムスをあらわしているものであることがわかりました[25]

また、焼麦は一般的な主食で[26]、おそらく収穫したばかりの麦を炒ったと考えられます。

これは素祭としても捧げられるもので(レビ記2章14節、23章14節)、美味とされていました。

「飽きるほど食べて残した」ほど、ルツはこの食べ物を受け取り、ナオミに「残して持ち帰ったものを取り出して与え」ます(ルツ記2章14、18節)

このような好意をボアズがルツに向ける理由として、ルツのナオミに対する忠誠が挙げられています。

2:10彼女は地に伏して拝し、彼に言った、「どうしてあなたは、わたしのような外国人を顧みて、親切にしてくださるのですか」。2:11ボアズは答えて彼女に言った、「あなたの夫が死んでこのかた、あなたがしゅうとめにつくしたこと、また自分の父母と生れた国を離れて、かつて知らなかった民のところにきたことは皆わたしに聞えました。 2:12どうぞ、主があなたのしたことに報いられるように。どうぞ、イスラエルの神、主、すなわちあなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように」。

ルツ記2章10―12節

ルツの信仰と品性は、モアブとイスラエルの壁を超えて、多くの人の心を打ったのでした。

こうして、ルツは大麦1エパ(約22か36.4リットル)を収穫しましたが、これは通常よりもはるかに多い量でした。

これは30ポンドまたは50ポンドをわずかに下回る重さで、古バビロニア時代にマリで働いていた男性労働者の一日当たりの穀物配給量が1〜2ポンドをほとんど超えていないことからも、非常に多い量であることがわかります[27]

落ち穂拾いをするルツとそれを見るボアズのイメージ画像
AIによって生成されたイメージ画像です

贖い(ゴーエール)とレビレート婚

ルツが収穫を持って帰ると、ナオミは誰が助けてくれたのかを尋ねます。

ボアズが関わったことを知ると、ナオミはボアズが「わたしたちの縁者で、最も近い親戚のひとり」であることを伝えるのでした(ルツ記2章20節)。

あなたの兄弟が落ちぶれてその所有の地を売った時は、彼の近親者がきて、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。

レビ記25章25節

ボアズはエリメレクの財産を贖う権利つまり、買い戻しの権利を持つ親類(ゴーエール)でした。

また、この後ナオミはボアズとの結婚をルツに勧めます(ルツ記3章1節)が、これは当時の慣習に則ったことでした。

律法(申命記25の5―10)によれば、もし兄弟が一緒に住んでいて、そのうちの一人が子供がなくて死亡した場合、生き残っている兄弟がその未亡人を妻とし、生まれた最初の子を法律上、故人の子としなければならなかった。……この制度はヘブル語ヤバン・・・(『義理の兄弟』)のラテン語訳レビル・・・をとって〔英語では〕レビレートと呼ばれている[28]

ローランド・デ・ヴォークス『古代イスラエル』第1巻37ページ。引用元、ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』18ページ

この「贖い」は、神と人間との関係にも適用される用語となりました。

ある人が経済的な困窮のために、土地を手放し、奴隷の身分になってしまった時には、彼とその財産を贖う義務が一番近い親族の上に負わされたのです。

同様に、キリストもわたしたちを贖われました。それは、単にわたしたちを救ったというだけでなく、キリストがわたしたちの親や兄弟、また配偶者よりも近い関係にあることを示しています。

ルツ記3章の解説

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ルツ記3章

3:1時にしゅうとめナオミは彼女に言った、「娘よ、わたしはあなたの落ち着き所を求めて、あなたをしあわせにすべきではないでしょうか。 3:2あなたが一緒に働いた女たちの主人ボアズはわたしたちの親戚ではありませんか。彼は今夜、打ち場で大麦をあおぎ分けます。 3:3それであなたは身を洗って油をぬり、晴れ着をまとって打ち場に下って行きなさい。ただ、あなたはその人が飲み食いを終るまで、その人に知られてはなりません。 3:4そしてその人が寝る時、その寝る場所を見定め、はいって行って、その足の所をまくって、そこに寝なさい。彼はあなたのすべきことを知らせるでしょう」。3:5ルツはしゅうとめに言った、「あなたのおっしゃることを皆いたしましょう」。

3:6こうして彼女は打ち場に下り、すべてしゅうとめが命じたとおりにした。 3:7ボアズは飲み食いして、心をたのしませたあとで、麦を積んである場所のかたわらへ行って寝た。そこで彼女はひそかに行き、ボアズの足の所をまくって、そこに寝た。 3:8夜中になって、その人は驚き、起きかえって見ると、ひとりの女が足のところに寝ていたので、 3:9「あなたはだれですか」と言うと、彼女は答えた、「わたしはあなたのはしためルツです。あなたのすそで、はしためをおおってください。あなたは最も近い親戚です」。 3:10ボアズは言った、「娘よ、どうぞ、主があなたを祝福されるように。あなたは貧富にかかわらず若い人に従い行くことはせず、あなたが最後に示したこの親切は、さきに示した親切にまさっています。 3:11それで、娘よ、あなたは恐れるにおよびません。あなたが求めることは皆、あなたのためにいたしましょう。わたしの町の人々は皆、あなたがりっぱな女であることを知っているからです。 3:12たしかにわたしは近い親戚ではありますが、わたしよりも、もっと近い親戚があります。 3:13今夜はここにとどまりなさい。朝になって、もしその人が、あなたのために親戚の義務をつくすならば、よろしい、その人にさせなさい。しかし主は生きておられます。その人が、あなたのために親戚の義務をつくすことを好まないならば、わたしはあなたのために親戚の義務をつくしましょう。朝までここにおやすみなさい」。

3:14ルツは朝まで彼の足のところに寝たが、だれかれの見分け難いころに起きあがった。それはボアズが「この女の打ち場にきたことが人に知られてはならない」と言ったからである。 3:15そしてボアズは言った、「あなたの着る外套を持ってきて、それを広げなさい」。彼女がそれを広げると、ボアズは大麦六オメルをはかって彼女に負わせた。彼女は町に帰り、 3:16しゅうとめのところへ行くと、しゅうとめは言った、「娘よ、どうでしたか」。そこでルツはその人が彼女にしたことをことごとく告げて、 3:17言った、「あのかたはわたしに向かって、から手で、しゅうとめのところへ帰ってはならないと言って、この大麦六オメルをわたしにくださいました」。 3:18しゅうとめは言った、「娘よ、この事がどうなるかわかるまでお待ちなさい。あの人は、きょう、その事を決定しなければ落ち着かないでしょう」。

ボアズのところへ行くルツ

ナオミはルツにボアズとの結婚をすすめ、それに従い、ルツは夜にボアズのところへ向かいます。

ボアズがルツに気がつくと、ルツは次のように答えました。

私はあなたのはしためルツです。あなたの覆いを、あなたのはしための上に広げてください。あなたは買い戻しの権利のある親類です。

ルツ記3章9節(新改訳2017)

ここで、ルツはボアズに贖われることを願い、結婚を求めます。「すそで覆う」(口語訳)ことは結婚を象徴しています(エゼキエル書16章8節、申命記22章30節)[29]

また、この表現は「翼」と訳せる可能性があり、その場合、結婚による保護を求める表現となります[30]

また、「あなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように」というボアズの祈りとも関連してきます。

信仰のイメージ画像

このルツの訴えに対し、ボアズは次のように答えます。

3:11それで、娘よ、あなたは恐れるにおよびません。あなたが求めることは皆、あなたのためにいたしましょう。わたしの町の人々は皆、あなたがりっぱな女であることを知っているからです。 3:12たしかにわたしは近い親戚ではありますが、わたしよりも、もっと近い親戚があります。 3:13今夜はここにとどまりなさい。朝になって、もしその人が、あなたのために親戚の義務をつくすならば、よろしい、その人にさせなさい。しかし主は生きておられます。その人が、あなたのために親戚の義務をつくすことを好まないならば、わたしはあなたのために親戚の義務をつくしましょう。

ルツ記3章11ー13節

ボアズはこの訴えを聞き入れますが、より近い親戚がいることを伝え、その人物に筋を通さなければならないと告げます。しかし、必ずルツを助けることを約束するのでした。

ルツ記4章の解説

参考箇所はこちらをタップ

ルツ記4章

4:1ボアズは町の門のところへ上っていって、そこにすわった。すると、さきにボアズが言った親戚の人が通り過ぎようとしたので、ボアズはその人に言った、「友よ、こちらへきて、ここにおすわりください」。彼はきてすわった。 4:2ボアズはまた町の長老十人を招いて言った、「ここにおすわりください」。彼らがすわった時、 4:3ボアズは親戚の人に言った、「モアブの地から帰ってきたナオミは、われわれの親族エリメレクの地所を売ろうとしています。 4:4それでわたしはそのことをあなたに知らせて、ここにすわっている人々と、民の長老たちの前で、それを買いなさいと、あなたに言おうと思いました。もし、あなたが、それをあがなおうと思われるならば、あがなってください。しかし、あなたがそれをあがなわないならば、わたしにそう言って知らせてください。それをあがなう人は、あなたのほかにはなく、わたしはあなたの次ですから」。彼は言った、「わたしがあがないましょう」。 4:5そこでボアズは言った、「あなたがナオミの手からその地所を買う時には、死んだ者の妻であったモアブの女ルツをも買って、死んだ者の名を起してその嗣業を伝えなければなりません」。 4:6その親戚の人は言った、「それでは、わたしにはあがなうことができません。そんなことをすれば自分の嗣業をそこないます。あなたがわたしに代って、自分であがなってください。わたしはあがなうことができませんから」。 4:7むかしイスラエルでは、物をあがなう事と、権利の譲渡について、万事を決定する時のならわしはこうであった。すなわち、その人は、自分のくつを脱いで、相手の人に渡した。これがイスラエルでの証明の方法であった。 4:8そこで親戚の人がボアズにむかい「あなたが自分であがないなさい」と言って、そのくつを脱いだので、 4:9ボアズは長老たちとすべての民に言った、「あなたがたは、きょう、わたしがエリメレクのすべての物およびキリオンとマロンのすべての物をナオミの手から買いとった事の証人です。 4:10またわたしはマロンの妻であったモアブの女ルツをも買って、わたしの妻としました。これはあの死んだ者の名を起してその嗣業を伝え、死んだ者の名がその一族から、またその郷里の門から断絶しないようにするためです。きょうあなたがたは、その証人です」。 4:11すると門にいたすべての民と長老たちは言った、「わたしたちは証人です。どうぞ、主があなたの家にはいる女を、イスラエルの家をたてたラケルとレアのふたりのようにされますよう。どうぞ、あなたがエフラタで富を得、ベツレヘムで名を揚げられますように。4:12どうぞ、主がこの若い女によってあなたに賜わる子供により、あなたの家が、かのタマルがユダに産んだペレヅの家のようになりますように」。

4:13こうしてボアズはルツをめとって妻とし、彼女のところにはいった。主は彼女をみごもらせられたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。 4:14そのとき、女たちはナオミに言った、「主はほむべきかな、主はあなたを見捨てずに、きょう、あなたにひとりの近親をお授けになりました。どうぞ、その子の名がイスラエルのうちに高く揚げられますように。 4:15彼はあなたのいのちを新たにし、あなたの老年を養う者となるでしょう。あなたを愛するあなたの嫁、七人のむすこにもまさる彼女が彼を産んだのですから」。 4:16そこでナオミはその子をとり、ふところに置いて、養い育てた。 4:17近所の女たちは「ナオミに男の子が生れた」と言って、彼に名をつけ、その名をオベデと呼んだ。彼はダビデの父であるエッサイの父となった。 4:18さてペレヅの子孫は次のとおりである。ペレヅからヘヅロンが生れ、 4:19ヘヅロンからラムが生れ、ラムからアミナダブが生れ、 4:20アミナダブからナションが生れ、ナションからサルモンが生れ、 4:21サルモンからボアズが生れ、ボアズからオベデが生れ、 4:22オベデからエッサイが生れ、エッサイからダビデが生れた。

ルツ記の中の調査審判

ボアズはルツとの結婚を決意しますが、ボアズよりも近い親戚がいたために、その人物と町の門で話をします。

町の門は裁判が開かれ、公的な業務が行われる場所でした(申命記21章19―21節、詩篇127篇5節、ゼカリア書8章16節参照)。

ボアズはルツを完全に贖う前に、「町の長老十人を招いて」(ルツ記4章2節)、すでに彼自身が決めた贖いの業が正当であることを示します。

これはダニエル書7章に出てくる「人の子(キリスト)」が行なっていることと同じです。

調査審判と呼ばれるこの審判は、次のように言われています。

ついに日の老いたる者がきて、いと高き者の聖徒のために審判をおこなった。そしてその時がきて、この聖徒たちは国を受けた。

ダニエル書7章22節

ここでは、すでに「国を受ける」ことが決まっている聖徒たちが審判を受けています。

また、ボアズが「町の長老住人を招い」たように、この裁判に「彼(日の老いたる者)に仕える者」が出席しているのです(ダニエル書7章10節)。

「日の老いたる者」は父なる神で、神に仕える天的な存在は天使です。

ボアズが町の長老たちの目の前で、彼自身がすでに決断したことが正当であることを示したように、神も天使たちの前ですでに決断したことが正当であることを示しているのです。

神ご自身はご自分の情報のためには公の調査審判など必要ありません。神は聖なる審判官としてすべてをご存知であり(詩篇139)、天使や贖われた者たちの助けを得なくても救われる者と滅びる者との運命の決定はおできになるのです。従って、もし私たちがダニエル7章の出来事を「調査審判」と呼ぶならば、それは神がすでにご存知のことを被造物が調査することを許すという意味です。神の立場から見れば「立証する審判」であって、各ケースの事実が明示されるのです[31]

ロイ・ゲイン 『審判は福音』22ページ

ボアズが親戚と話した結果、親戚はルツを贖うことを拒否し、自分のくつを脱ぎます(ルツ記4章7節)。これは、申命記25章7―10節にある贖いを拒否する時の規定に則ったものでした。

この親戚は当初エリメレクの地所を贖うことをに同意しましたが、ルツも贖わなければならないことを知ると拒否します。

彼は、ルツを贖うことは「自分の嗣業をそこな」う経済的な損失につながると思ったのでした(ルツ記4章6節)。

そのため、ボアズは正当にルツを贖うことができたのでした。ボアズは経済的な損失を無視して、ルツを贖ったのでした。

また、この一連の審判は現代に例えるならば、刑事事件というよりも民事事件でしょう。

このルツ記の物語と同じように、聖書の裁きは刑事というよりも民事として捉えたほうが良いのかもしれません。

古代ユダヤ人は、われわれと同様、神の裁きを地上の法廷のように考えている。異なる点はその裁きを、クリスチャンは、自分自身が被告として裁かれる刑事事件として捉え、ユダヤ人は、自分自身が原告となる民事事件として捉えることである。一方は無罪を、というより恩赦を願うが、他方は、大きな損害を与えながら勝訴を願うのである[32]

C.S.ルイス著、西村徹訳『詩篇を考える』新教出版社、16ページ、引用元、マルティン・G・クリングベイル『小さな聖書「詩篇」』福音社、26ページ

また、どちらにせよ、裁判は当事者間に和解をもたらすことを目的としていました[33]

それは「贖罪(atonement)」が英語では、「一つとなっている」「一致している」という意味で、ギリシャ語でも「和解」の意味があり、この言葉が和解の結果としての関係の調和を示していることからもわかります[34]

ダビデとキリストの系図に名を連ねたルツ

ボアズと再婚したルツのところに、オベデが生まれ、オベデからエッサイが、エッサイからダビデが生まれました(ルツ記4章21―22節)。

この出来事をルツ記は「主は彼女をみごもらせられた」(ルツ記4章13節)と表現していますが、旧約聖書の中でここだけに見られる特別な表現で、神の特別な祝福であったことを表現しています[35]

ヨブ記の最後が新たな子の誕生で締めくくられているように、ルツ記の最後も子の誕生で締めくくられています。

そして、どちらも苦難の終わりを示すものとして描かれているのです。

信仰のイメージ画像

ルツ記の教えの要約

ルツ記のテーマは、善と悪の大争闘において働いておられる神です。

苦しみの中でもなお、神が導かれている様子とそこで働かせるべき信仰について学ぶことができるのがルツ記です。

ヨブ記を見ると、サタンの訴えに対して、神が動かざるをえない状況が描かれています。

ルツ記も書かれてはいませんが、同じような背景があるのではないかと推察できます。

また、ルツ記は「贖い」が中心となり、それを実行するために調査審判というステップが踏まれることを暗示させています

このルツ記にある物語は、ルツとボアズの関係だけでなく、全人類とキリストの関係をも例示させるような物語なのです。

キリストはわたしたちを贖われました。それは、単にわたしたちを救ったというだけでなく、キリストがわたしたちの親や兄弟、また配偶者よりも近い関係にあることを示しているのです。

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参考文献

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[2] Nichol, F. D. (Ed.). (1976). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 2, pp. 421–423). Review and Herald Publishing Association.

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[5] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』15ページ

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[10] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』16ページ

[11] Nichol, F. D. (Ed.). (1976). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 2, pp. 430–431). Review and Herald Publishing Association.

[12] The New King James Version. (1982). (Ru 1:13). Nashville: Thomas Nelson.

[13] Cundall, A. E., & Morris, L. (1968). Judges and Ruth: an introduction and commentary (Vol. 7, p. 250). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.

[14] Bush, F. W. (1996). Ruth, Esther (Vol. 9, p. 81). Dallas: Word, Incorporated.

[15] Nichol, F. D. (Ed.). (1976). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 2, p. 432). Review and Herald Publishing Association.
Cundall, A. E., & Morris, L. (1968). Judges and Ruth: an introduction and commentary (Vol. 7, pp. 251-252). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.

[16] The New King James Version. (1982). (Ru 1:13). Nashville: Thomas Nelson.

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[18] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』24ページ

[19] Matthews, V. H., Chavalas, M. W., & Walton, J. H. (2000). The IVP Bible background commentary: Old Testament (electronic ed., Ru 1:20). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.

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[21] Bush, F. W. (1996). Ruth, Esther (Vol. 9, p. 102). Dallas: Word, Incorporated.

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[23] Francis D. Nichol, ed., The Seventh-Day Adventist Bible Commentary, vol. 2 (Review and Herald Publishing Association, 1976), 434.

[24] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』27ページ

[25] Barry Rubin, ed., The Complete Jewish Study Bible: Notes (Peabody, MA: Hendrickson Bibles; Messianic Jewish Publishers & Resources, 2016), 1192.

[26] Fredric W. Bush, Ruth, Esther, vol. 9, Word Biblical Commentary (Dallas: Word, Incorporated, 1996), 126.

[27] Fredric W. Bush, Ruth, Esther, vol. 9, Word Biblical Commentary (Dallas: Word, Incorporated, 1996), 133.

[28] ローランド・デ・ヴォークス『古代イスラエル』第1巻37ページ。引用元、ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』18ページ

[29] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』36ページ

[30] Fredric W. Bush, Ruth, Esther, vol. 9, Word Biblical Commentary (Dallas: Word, Incorporated, 1996), 165.

[31] ロイ・ゲイン 『審判は福音』22ページ

[32] C.S.ルイス著、西村徹訳『詩篇を考える』新教出版社、16ページ、引用元、マルティン・G・クリングベイル『小さな聖書「詩篇」』福音社、26ページ

[33] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』43ページ

[34] Siegfried H. Horn, The Seventh-Day Adventist Bible Dictionary (Review and Herald Publishing Association, 1979), 97.

[35] 服部嘉明、湯浅鉄郎、鍋谷堯爾『旧約6 ヨシュア記・士師記・ルツ記(信徒のための聖書講解)』聖文舎、259ページ

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