主の前を離れて【ヨナ書1章3節】

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タルシシへ行く

しかしヨナは主の前を離れてタルシシへのがれようと、立ってヨッパに下って行った。ところがちょうど、タルシシへ行く船があったので、船賃を払い、主の前を離れて、人々と共にタルシシへ行こうと船に乗った。ヨナ1:3(口語訳)

ヨナ書1章3節では「主の前を離れて」というフレーズが2回繰り返し強調され、加えて、ヨナの向かったところが「タルシシ」であることを3回繰り返し、強調するのです。

この「タルシシ」がどこにあったかは、諸説ありますが、最も可能性の高い場所はスペイン南西部で、その当時考えられるニネベの反対側に位置している一番遠い場所でした (イザヤ60:9,66:19)。

ヨナは主の前を離れて、最も遠い場所へと逃げていくのです。

このときの様子をある註解書は、次のように表現しています。

ヨナはその遠い、にぎやかな場所で、自分の義務から逃れ、良心の声を静めることを望んだのです。

Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 4, p. 998). Review and Herald Publishing Association.

良心の声を押し殺して

わたしたちも、良心の声を聞きながら、逃げてしまうことがあるのではないでしょうか?

ヨナのように物理的に逃れることはなくても、信仰的にもしくは、気持ちが離れてしまうことはあるのではないでしょうか?

もしかしたら、気分転換をしてごまかそうとするかもしれません。ヨナが良心の声を静めようとしたようにです。

平安のない気分転換

ヨナ書1章3節には、ヨナが「離れて」「立って」「下って」「行って」「払い」「船に乗る」姿が描かれています。この動詞の羅列からヨナの動揺と慌てふためく様子が目に浮かぶようです。

ヨナがニネベから離れることによって、何を得ようとしたのかはわかりません。ただ、少なくとも彼はこのとき平安を失っていました。

わたしたちが、神の声から逃げて気分転換をしたとしても、平安を失ってしまうのです。

この後、ヨナ書を読み進めていくと、死を身近に感じるような状況下で、ヨナが平安を取り戻す場面に出会います。神の声に向き合ったヨナは、どのような状況であっても平安を得ることができたのです。

平安とは、気分転換をして得られるものではなく、神の声に向き合うことによって得られるものだからです。

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