「恐れ」から「畏れ」へ【ヨナ書1章5節】

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積荷を投げ捨てた

それで水夫たちは恐れて、めいめい自分の神を呼び求め、また船を軽くするため、その中の積み荷を海に投げ捨てた。ヨナ1:5(口語訳)

おそらく船には多くの荷物があり、中には高価な財宝などもあったと考えられます(エゼキエル27:25)。さらに積み荷は原語のヘブライ語で、「積み荷」や「船の装備」を指します。

つまり、乗組員たちは生きるために自分たちの生活や旅路を物質的に支えていたものを捨てていくのです。

しかし、海は荒れていきます。

自分の神を呼び求め

物質的な支えを失った今、さまざまな地域の出身であった乗組員たちは、おのおの精神的な支えである自分の神に助けを求めていきます。

しかし、海は荒れるばかりです。

この人間的な努力はヨナを海に投げ込む直前まで行われました。「しかし人々は船を陸にこぎもどそうとつとめたが、成功しなかった」のです(ヨナ1:13)。

ヨナを投げ込むしかない

そこで彼らはヨナの言葉どおり、ヨナを海に投げ込むことを決意します。ヨナを投げ込むしか、救われる道がないことを信じるのです。

わたしたちも同じように物質的な支えも精神的な支えも、支えきれない苦しみがきたときに、キリストを投げ込むしか、救われる道がないことに気づきます。

いや、すでにキリストは投げ込まれました。

十字架にかかられて、死なれたのです。

今まで自分を助けてくれたものが何の役にも立たないのを目にしたときに、わたしたちは十字架だけが救いの道であることに気づけるのです。

乗組員の変化

乗組員たちがヨナを投げ込み、海がおだやかになると、彼らに大きな変化がおとずれます。

1:15そして彼らはヨナを取って海に投げ入れた。すると海の荒れるのがやんだ。 1:16そこで人々は大いに主を恐れ、犠牲を主にささげて、誓願を立てた。ヨナ1:15-16(口語訳)

ヨナ書1章5節、10節、16節には「恐れ」というキーワードが登場します。人々は嵐を恐れ、ヨナのしたことを恐れましたが、16節では「主を恐れ」ていきます。恐怖から畏怖へと、怯えから尊敬と崇拝の念へと変えられていくのです。

わたしたちもキリストの十字架を目にしたときに、礼拝の思いが自然と湧き上がってくるのです。

あなたは今、何を投げ込もうとしていますか?

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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