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むなしい偶像に心を寄せる
2:8むなしい偶像に心を寄せる者は、そのまことの忠節を捨てる。2:9しかしわたしは感謝の声をもって、あなたに犠牲をささげ、わたしの誓いをはたす。救は主にある」。ヨナ2:8,9
価値のない偶像にしがみつく者は、その偶像への忠誠さえも、最後は捨てていきます。
ヨナは嵐の海に浮かんだ船の上で、それを目撃していきました。
人々は今までの経験を捨て、経済的な支えとなる積荷を捨て、精神的支柱であった偶像を捨てていきました。
それらは嵐の中では何の役にも立たなかったのです。最後には、それらは捨てられてしまうものでした。
救は主にある
人々が大切にしている財産や偶像、生きるために必要なシステムや設備を嵐の中で必死に捨てている光景をヨナは見ます。それらでは嵐を乗り切ることは決してできないばかりか、むしろ邪魔なものになっていたのです。
その姿にヨナは自分を重ねたのかもしれません。タルシシへいき、良心の呵責をおさえようとしていた自分に。
神のみ前から逃げても待っていたのは虚しさと苦しみだけでした。そのようななか、彼は死をも覚悟しますが、その苦しみの中から神はヨナを引き上げられるのです。
祈ることもできないような状態になっていたヨナがおぼれていくなか、思わず、すがったそのか細い祈りを神は聞き逃されませんでした。
そのことを思い返したとき、ヨナの中で「聖なる宮を見ることができるだろうか?」という思いから「わたしの祈りは聖なる宮に達した」という確信へと変えられていくのです。
そして、ヨナは言います。「救は主にある」。
わたしたちは何にすがっているでしょうか?