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6:1その夜、王は眠ることができなかったので、命じて日々の事をしるした記録の書を持ってこさせ、王の前で読ませたが、 6:2その中に、モルデカイがかつて王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタナとテレシのふたりが、アハシュエロス王を殺そうとねらっていることを告げた、としるされているのを見いだした。 6:3そこで王は言った、「この事のために、どんな栄誉と爵位をモルデカイに与えたか」。王に仕える侍臣たちは言った、「何も彼に与えていません」。エステル6:1―3(口語訳)
主が王から眠りを取り去られた
その夜、王は眠ることができなかったので、命じて日々の事をしるした記録の書を持ってこさせ、王の前で読ませたが、エステル6:1(口語訳)
もしかしたら、王はエステルの願いがなんであるかを考えていて、眠れなかったのかもしれません。
以前、エステルから暗殺計画を知らされた経験がある王にとって、このエステルの行動はさまざまな想像や不安が駆り立てられたのではないでしょうか。
さらに、エステルがハマンを招いたということは、ハマンが何かしら関係していることを示唆しており、これもまた不安材料となったはずです。このように考えると王が眠れなかったのも当然と言えるでしょう。
エステル記には、神の名が出てきませんが、この出来事は明らかに神の介入でした。
この部分を七十人訳ギリシャ語聖書でも、この箇所は「主が王から眠りを取り去られた」となっており、神が介入したと解釈しています。
こうして、モルデカイに何の報償も与えていないことが発覚していくのです。
わからない状況下でも
神がどこにおられるか、わからないような状況下でも、確かに神が働かれることがこの6章で描かれています。神という名が直接的に出てこないエステル記において、最も神の存在を近くに感じる場面かもしれません。
わたしたちも、自分がどこにいるか、何をしているのか、どうすればいいかわからないような状況でも、神が共におられることを信じることができるのです。
モルデカイやエステルは、この出来事が起こるとは知りませんでした。同じように、わたしたちが右往左往しているような状況の時に、神が何をされているのかは、わかりません。
ただひとつ確かなのは、わからなかったとしても、エステルのときに働かれたように、神は今も働かれているということなのです!