第10課 人生の午後を豊かに

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超高齢社会を迎えて

65歳以上の人口が全人口の14%を超えると「高齢社会」といいます。7%を超えると、高齢社会に向かいはじめたということで、これを「高齢化社会」と呼んでいます。

高齢化社会から高齢社会に移るのに何年かかったかということが、その国の高齢化のスピードを表す指標になっています。日本の場合、7%を超え、高齢化社会の仲間入りしたのが1970年でしたが、その後わずか24年、1994年に高齢社会になりました。ノルウェー、スウェーデンなど北欧諸国は19世紀に高齢化社会になり、80年以上かけて高齢社会になっています。フランスの場合は114年かかりました。ヨーロッパ諸国に比べ、日本が4、5倍の速さで高齢社会に突入したことがわかります。国としての体制も、国民の意識も、それに追いついていっていないのが現状です。

高齢化のスピードはその後も衰えず、もうしばらくすれば国民の4人に1人が高齢者という時代が来ようとしています。ところが従来の日本人の老年期に対するイメージは大変暗いものでした。若さにのみ価値がおかれ、老いるということは、老骨、老化、老弱、老衰といった言葉が表すようにマイナスのイメージでとらえられてきました。老年期は、体力、視力、聴力、脚力、記憶力、経済力、社会的役割などがみな衰え、失われていく喪失の時期だというのです。日本人の4人に1人がこのような意識で高齢期を過ごすとしたら、日本の社会全体がますます暗くなってしまうことでしょう。聖書は「しらがは栄えの冠である」(箴言16章31節、口語訳)といっていますが、高齢期のイメージをもっと積極的なものに変えていく必要があります。

第2の人生の始まり

昔は「人生50年」といわれましたが、戦後豊かな社会が訪れ、過去半世紀の間に日本人の平均寿命は、30年以上も伸びました。60歳で現役の人生は終わり、後は付録の余りの人生(余生)などという考えは変えられなければなりません。人生80年となった現在、60という年齢は、時間やノルマにしばられない、新しい人生のスタートと考えるべきなのです。

 あの大西洋無着陸横断飛行で有名なチャールズ・リンドバーグの妻アン夫人は、50歳の時にこう記しています。「人生の黎明や、40、あるいは50前の壮年期に属する原始的で肉体的な、仕事本位の生き方はもう中年にはない。しかし人生の午後が始まるのはそれからで、我々はそれを今までのもの凄い速度ではなしに、それまでは考えてみる暇もなかった知的な、精神的な活動に時間を割いて過ごすことができる」。

仕事や子育てから解放された人生の午後の時間はたっぷりあります。老人学の専門家であるS・ライチャード博士は、人生の午後の過ごし方を5つの型に分類しました。

これといった目標も持たず、安楽を楽しむ悠々自適型。しかしそれは受身的、他人まかせの生き方です。防衛型は、自分の弱さを人に見せまいとして、老齢に対抗し、衰えに対抗するタイプです。憤慨型は、防衛型と同じように老いを受容することができず、思うようにならないいらだちを他人にぶつけるタイプです。それに対して自己嫌悪型は、不満を他人のせいにするかわりに、自分を責め、こもってしまうタイプです。老境に入るに従って抑ウツ的になります。

望ましいのは成熟型で、自己を肯定し、他人を責めず、過去を悔やまず、現在をむだにしないで、積極的にできることに取り組もうとします。若いうちにしかできないこともありますが、人生経験を重ねた高齢者にしか見えないもの、できないことも少なくないのです。肉体の力は衰えていくでしょうが、精神はますます豊かに円熟していくことができます。

聖書には使徒パウロが手紙に「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」と記した言葉が残されています。内面の豊かさを追求する人にとって、高齢期は人生の下り坂どころか、成熟に向かって成長し続ける上り坂の毎日となりえるのです。

「ありがとう」の言葉で人生を締めくくるには

『終わりよければすべてよし』というのはシェークスピアの戯曲の一つだそうですが、人生も同じではないでしょうか。どうその人の人生の最後を締めくくるか、人生の集大成の時といってよいでしょう。都知事の石原慎太郎氏もその著『老いてこそ人生』の結びの部分で、「もし死についての何らかの定義、ある確信を持つことが出来ていたなら人間は迷うことも恐れることも無いに違いない。だから老いを感じるようになったら、目をそらさずに自分の人生の最終点にまぎれもなく在るものについて、それはいったい何なのだろうかと考えてみるがよい」と記しています。

どんなに仲のよい夫婦であっても、人間死ぬときは独りです。聖書は死を創造者のふところに帰る眠りの時にたとえています。詩篇121篇には、「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る」とあります。最後のとき、見上げ、信じ、自分の魂をゆだねる対象を知っている人は幸いです。その人は生まれてきたこと、それまで生きてこれたことを神と人に感謝しながら眠りにつくことができるでしょう。「ありがとう」の感謝の言葉で、人生を締めくくりたいものです。

祈りの言葉
神さま、人生の午後は長くなっております。たとえ年齢とともにさまざまな力が衰えてしまっても内面の豊かさを求め続ける人生を与えてください。どうか、私の生きているかぎり成熟に向かって日々成長し続けることができるようあなたを見上げていることができますように。そしてあなたが与えてくださる豊かさによって私が人々への祝福となることができますように。
イエス・キリストのみ名によって、お祈りします。アーメン。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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