第3課 あなたと出会うために

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待ち望まれていた方

初めて聖書を買ったのは、小学校4年生の時でした。自分のおこづかいで新約だけの聖書を買ったのです。わくわくしながら最初の1ページを開いてビックリしてしまいました。たくさんの外国人の名前がズラーッと羅列してあるではありませんか。

あきらめて閉じてしまった聖書を再び開いたのは、それから数年後に教会へ行くようになってからです。たくさんの人名は、イエスが旧約聖書に預言されていた通り、ダビデ王の子孫として生まれたという証明のためだったとそのとき知りました。

イエスの生まれる400年以上前からあった旧約聖書には、救い主の来られることが何か所にも預言されています。ですからイエス・キリストはその来られるのを待たれていた方、約束されていた方でした。

クリスマスによく歌う讃美歌の一つに
久しく待ちにし 主よ、とく来りて
み民のなわめを 解き放ちたまえ。
という歌詞があります。救い主の来られるのを待ち望んでいた心ある人々の想いを歌ったものです。

神の子としてのイエス

聖書はイエス・キリストの誕生の次第を「母マリアはヨセフと婚約していたが、2人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」(マタイによる福音書1章18節)と書いています。このことは、イエスを神の子と信じていない人々にとって大きなスキャンダルになったはずです。事実、当時のあるローマ貴族は、その日記の中に「近頃あの私生児の男の教えが広まってきた」と書き残しています。

そうした見方をされることを覚悟しながら、あえて聖書記者たちは真実を書かずにはいられなかったのです。それは彼らの『 イエスこそ神の御子である』との深い信仰の表れでした。ヨハネはイエスを『言』(ロゴス)と呼び、「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」(ヨハネによる福音書1章14節)と言っています。

思いがけないマリアの妊娠にヨセフは困惑しました。ひそかに婚約の解消を決心したヨセフに、夢で天使が語りかけます。

「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(マタイによる福音書1章20、21節)

この夢から覚めて、ヨセフは直ちにマリアを家に迎え入れます。そしてイエスは預言されていた場所――ダビデの子孫であるヨセフの家に生まれることになったのです。

マリアに対するヨセフの疑いは、夢ひとつで氷解しました。なぜそれほど簡単に納得できたのでしょうか。それは、ヨセフもまた、約束の救い主の来られるのを信じていたからです。旧約聖書には「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ」(イザヤ書7章14節下句)とあります。夢で天使がヨセフに告げた時、彼は驚きましたが、約束されていた救い主がマリアによって産まれる事実をしっかりと受け止めました。

そうです。世界でただひとり、イエス・キリストのみが、お生まれになる何百年も前から約束され、待ち望まれていました。旧約聖書にはイエスの誕生の地、その生涯、そして十字架の死に至るまで、詳細に預言されています。

イエスは、自分が神であると言い出した方ではありません。死後に周りの人々によって神に祀りあげられた方でもありません。生まれる前からあらかじめ知られていた方なのです。

人としてのイエス

イエスの生涯を伝える4つの福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)の大部分は、成人されたイエスの救い主としての働きについて書いています。

イエスの働きのひとつは、神の愛を人々に解りやすく伝えることでした。神を「わたしたちの父」と呼びかける言葉も、イエスを通して教えられました。

「山上の説教」として知られるマタイによる福音書5章から7章の中で、イエスは絶えず私たちを見つめ、心を傾けてくださる父なる神の愛の視線を繰り返して語られています。「隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる」「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」。イエスは私たちを愛してくださる父としての神を示してくださったのです。

また、イエス御自身、人々に深い愛を持って行動なさっています。12年間病に苦しんできた女が、癒されることを願って衣の房にそっと触れた時、そのためらいがちなひと触れを感じてすぐにその女に励ましの言葉をかけておられますし、群衆に打ち殺されそうになっていた罪の女を庇われたのもイエスです。

イエスの周りには弟子たちだけでなく、その母親たちの姿も多く見られます。普通、我が子が誰かに心酔してその人と行動を共にする場合、親たちはその相手を調べ尽くすでしょう。そして信頼できないところが少しでも見えたら、何とかして我が子をそこから引き離そうとするでしょう。でも、弟子たちの母親は引き離すどころか、自分たちもイエスの働きに同行します。酸いも甘いも知り尽くした年齢の女性たちが、イエスの中に我が子のすべてを託すに足るものを見たのです。そして、その信頼は最後まで崩れず、十字架の立てられたカルバリーの丘にも、弟子たちの母親の姿がありました。それはまた、彼女たちの夫もイエスを信頼し、同行することをゆるしたからでしょう。

イエス――その影響

わずか3年半のイエスの短い働きの中に、私たちは、もっとも豊かな人格を持ち、あらゆる年齢の人を惹きつけた人としてのイエスと、神を父として示してくださった御子としてのイエスを見ます。

その影響は、2千年の時を超えて今なお多くの人に、神を愛し、人を愛するよう訴え続けています。

聖書の言葉
イエスはこの人々を迎え、神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。ルカによる福音書9章11節

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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