第10課 愛する人の目覚める朝

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安らぎのとき

「フランダースの犬」や「マッチ売りの少女」のお話を読まれたことがあると思います。あの中で、少年ネルロや少女の魂は、冷たくなった体から抜け出して、すぐ天国へと迎えられていきました。

幼い日、物語を読んで涙を流していた私は、その最後のページでホッとしたものです。ネルロたちは天国で幸せになったのだからと――。

でも、教会に来るようになって、聖書では死は深い「眠り」であって、十字架の後、復活して天に昇られたイエスが迎えに来られた時に目覚めると言っているのを知りました。それを読んだ時、なぜ神は死んだ人たちをすぐに天国へ入れてくださらないのだろうと、不思議に思ったのを覚えています。あのネルロのように、亡くなった人たちも、今は天国で幸せでいると思えたら、こちらも少しだけ、ホッとするだろうと考えたからです。

けれどある方から、死んだ人たちが今天国に行っていないのはうれしいと言われて、本当に驚きました。

Aさんは、1人っ子の幸ちゃんを、可愛いさかりに事故で亡くしました。

「もしあの子が今、天国へ行っているのなら、あの子は1人ぼっちです。あの子は母親の私でなければ寝つかないし、泣き止みません。だから、私も1日も早く行ってやらなければと思い続けてきました。でもあの子が眠っているのなら、私は生きて前より素晴らしいお母さんになれるようがんばります」

幸ちゃんとAさんのように、切ることのできない深い絆を持っている人にとって、たとえ相手が天にいると言われても、別れていることは決して幸せではないのです。

幸ちゃんが眠っていると知ってからのAさんは、素敵なボランティアとして働かれるようになりました。悲しみがすっかり癒えたわけではありません。ときには、半日ぐらい泣いている日もあるようですが、「あの子が泣いていないのなら、私は耐えていけます」と語っておられました。

死んだ人たちがすぐに天国に昇るのであれば、そこもまた、悲しみの場所ではないでしょうか。幼い子は親を慕い、親もまた、地上に残してきた者たちを思って心を痛め――、決して幸せな所ではないはずです。

一緒に目覚める

そう考えると、イエスが来られる時一緒に目覚めるというのが1番素晴らしいのだと言えるでしょう。

幸ちゃんは、今は何も感じず、時の流れさえ止まった深い眠りの中にいて、次に目覚めた時には、前よりもずっと素敵なお母さんが横にいるのです。ですから、幸ちゃんが母を恋う涙を流すことはないでしょう。Aさんの目には涙はあるでしょうが、それは喜びの涙です。そして喜びの涙は天国でもふさわしいのではないでしょうか。

約束

2,000年前、死から復活されたイエスは、弟子たちと地上で40日ほど過ごされました。その後、オリーブ山の山頂から、弟子たちの見ている前で、天に昇って行かれます。

弟子たちが呆然とその姿を見ていると、白い服を着た2人の人がいつの間にかかたわらに立っていて、「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(使徒言行録1章11節)と語りかけてきたのです。

それは、イエスが再び来られるという再臨(アドベント)の約束でした。弟子たちはこの時初めて、再臨を待つ人(アドベンチスト)になったのです。それまでの弟子たちは、どちらかというと、宗教者であるより、革命家であったような印象を私は持っています。彼らは神の子イエスを押し立てて、大ユダヤ帝国を造り、高い地位につきたいという野望を持って従っていったようです。

でも、そのイエスが天に昇られて初めて、弟子たちは、イエスの言われる神の国が、地上の王国ではないことに気がついたのです。地上に建てる国では、すべての人が幸福であることは不可能ですから。

再び来るとのイエスの約束を胸に、弟子たちは殉教の死が待つと予感しつつ、その信じる道を歩いて行ったのです。

御国を待つ生き方

弟子たちもそうだったでしょうが、天国を信じる生き方は、あの世界に行けばすべてが良くなるからと、この世界をいい加減に生きるようにと教えるものではありません。かえって、1つ1つに責任を持って生きることを私たちに求めています。なぜなら、地上のつながりは天にまで続くものですから。

御国を信じて生きる時、地上の愛や友情は天国にまで続くものになります。そのため、相手に対する誠実さや親愛の思いをより一層深めていこうと努めるのです。

御国を信じて生きるならば、自分の働きをより大切に思うようになります。たとえその仕事で、今称賛を受けなくても、自分なりに納得して歩いていこうとするからです。

私には、病気で知能を失ってしまった友人がいます。今が朝なのか、夜なのか、目の前にいる人が誰なのか解りません。けれどその方に対するご家族の態度に、私は心を惹かれています。子どもたちは学校であったいろいろな出来事をお母さんに報告します。そして御主人も、ちゃんとした返事の返るはずもない彼女に、あれこれと相談を持ちかけているのです。おそらく彼女は、地上では2度と妻や母としての働きはできないでしょう。けれど天国で再び彼女は母に、妻になれるのです。だから家族は、今もお母さんとして、妻として接しているのです。

これが天国を信じる生き方なのだと私は思います。永遠の世界に続くことを信じて、誠実に、希望を持って――。

そして、イエスが迎えに来てくださる日まで、地に足をつけて待つのです。愛する人が目覚める日を――。

聖書の言葉
しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。フィリピの信徒への手紙3:20

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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