第4課 人生は今からでもやり直せる

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人が生まれ変わるとき

わたしたちはみな取り戻すことができない過去を抱えて生きています。育った家庭環境、不可抗力の事故、自ら犯してしまった取り返しのつかないあやまち、それに生まれつきの性格などもあるでしょう。人に対して、「あの人は変わりっこない」と見切りをつけるだけでなく、自分に対しても、変わりたくても変われないとあきらめてはいないでしょうか。しかし、人はいつまでも過去にしばられて生きていく必要はありません。だれでも新しく生まれ変わることができる、それが聖書のメッセージです。

孤独な税務署長

世界最古の町の一つにあげられるパレスチナのエリコに、ザアカイという税務署長がおりました。「徴税人の頭」と聖書にありますが、ユダヤ人からローマ帝国のために税金を集め、しかも、よけいに取り立てて私腹を肥やしていましたから、売国奴、守銭奴と嫌われていました。しかし、お金は彼の心をみたしてはくれなかったようです。

彼はエリコの町をお通りになるイエス・キリストを一目見たいと思ったのですが、背が低いのに加え、群衆にじゃまされて見ることができません。先回りして木に登って待っていたところ、思いもよらないようなことが起きたのです。国中で評判のこのお方が、彼の名を呼んで、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言われたのです。ザアカイは喜んでイエスを迎え入れました。

その夜、2人の間にどんな会話が交わされたかについて聖書は何も記していませんが、おそらくイエスは、ザアカイの心の思いに耳を傾けられたにちがいありません。聖書によれば、ザアカイは立ち上がって、イエスに「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを4倍にして返します」と言っています。イエスは、「きょう、救いがこの家にきた。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」(ルカによる福音書19章、口語訳)と言われました。

2千年経った今も、イエス・キリストとの出会いによって、生まれ変わった新しい人生を歩み始める人が続いています。

昔、極道 今、牧師

腕から胸にかけて彫られた刺青を人目にさらし、「だれでも人生はやり直すことができる、あきらめないで」と訴えている人がいます。東映映画『親分はイエス様』のモデルになった鈴木啓之牧師です。鈴木牧師は両手の小指が途中からありません。昔は関西一の若手の博打打ちと称されたヤクザでした。

父、母、弟を次々と失い、生涯孤独になった鈴木さんが31歳のとき出会ったのが、高級コリアンクラブで働くまり子さんでした。同棲生活をしながら、まり子さんに誘われて教会に出席するようになりました。牧師のすすめで結婚し、やがて女の子が与えられました。それを機に、まり子さんは水商売を辞める決心をしました。

無条件の愛が人を変える

組織を離れフリーの博打打ちとなった鈴木さんは、3億円の借金を抱え組織に追われる身となって東京へ逃げ、歌舞伎町で別の女性と暮らすようになりました。そこで鈴木さんは、原因不明の頭痛や不整脈に襲われ、今まで経験したことのない恐怖を経験します。

歌舞伎町の裏手にある教会で必死に祈る鈴木さんの心に響いたのは牧師が示してくれた「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛する」(イザヤ書43章4節、口語訳)という聖書の神の語りかけの言葉でした。学歴もなく、職もなく、あるのは前科だけの、みにくく、よごれた自分に、ほんとうにイエスさまは「あなたは尊い」と言うのだろうか。疑いながらも鈴木さんは信じたいと思いました。

「できることなら自分はもう一度人生をやり直したい」と告げる彼に、牧師はイエス・キリストが十字架の上に自分のいのちを犠牲にされたのは、わたしたちの罪をゆるし、人の新しく生まれ変わりたいという願いに応えるためだと告げました。鈴木さんは、心の中にかつて経験したことのない喜びと希望が広がっていくのを感じました。

1年ぶりに大阪に戻り、罵倒されて当然と思いながら家の近所の公衆電話から奥さんに電話をしました。言葉が出ず、無言で立ち尽くす鈴木さんの耳に聞こえてきたのは懐かしいまり子さんの声でした。

「今、どこにいるの? 大丈夫なん? わたしと子どもはちゃんと生活しているから、心配せえへんでええよ。あんたがうちに帰りとうなったら、いつでも帰ってきてください。いつまでも待っています」。

まり子さんは韓国から取り寄せた布地をクッションやベッドカバーに仕立てて、教会員に買ってもらい、生まれたばかりの娘との生活を支えながら、主人の帰る日を祈り続けていたのでした。

その後、神学校での学びを終えた鈴木啓之さんは、2000年の7月から千葉県の船橋市で教会牧師をして、人を生まれ変わらせてくださるキリストの愛を宣べ伝えています。

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである」(コリント人への第2の手紙5章17節、口語訳)と聖書にあります。人はだれでも、過去がどうあろうと、キリストにあって、今から人生をやり直すことができるのです。

祈りの言葉
神さま、あなたは私の過去がどのようなものであろうとも、すべてのあやまちをゆるして私をかけがえのない大切な存在として受け入れてくださることを感謝します。あなたの真実の愛で私の人生をやさしくつつみ新しく生まれ変わらせてください。
イエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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