第18課 使命を持つ教会

目次

聖書は常に教会の唯一最高の権威

キリスト教を研究し始めた人がとまどう一つの問題は、キリスト教の中に300以上も教派があることです。各教会は違ったことを説き、異なる形式を持っていますが、どの教会が正しいのでしょうか。

教会は人間の救いの福音を世界的に伝えるために神が定められた機関です。イエスは「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう」(マタイによる福音書16章18節)と言われました。この岩はイエスご自身です。またエペソ人への手紙には「キリストが教会のかしら」であり、「教会はキリストのからだ」であると記されています。

イエスがこの世を去られる前、弟子たちのためにこう祈られました。「父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。……わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります」(ヨハネによる福音書17章21、22節)。

ですから、本来、教会の種類はいくつもあるはずはないのです。それなのにどうしてこんなに多くの教派に分かれているのでしょうか。これはだれにでも当然起こる疑問です。私たちはどの教会を選んだらいいのでしょうか。

この理由は教会歴史の上から考察し、聖書を土台として判断しなければなりません。

最初におぼえなければならない点は、教会は人間のつくった集合体ではなく、キリストご自身がおたてになり、また生命を与えて、導いておられる組織体であるということです。キリストは教会のかしらであり、教会はキリストの模範にならい、キリストの使命を遂行しなければなりません。キリストは聖書を土台として、聖霊を通して教会を指導しておられるのです。そのために、聖書は常に教会の唯一最高の権威でなければなりません。

宗教改革の歴史

イエスの昇天後、初代教会はしばらくの間、純潔な信仰を保っていました。ところが次第に世俗的傾向と妥協するようになり、教会は聖書の高い標準から離れていきました。ついには聖書に反するような教えさえ、教会の中に入ってくるようになったのです。教会は堕落し、背教の状態にまで陥ってしまいました。

しかしその中にあっても、神の言葉である聖書にかたく立って、腐敗の流れにさからってきた少数の人々がありました。たとえば北イタリアや南フランスのアルプスの中にいたワルデンセス教徒は、ひそかに聖書の言葉を写して、行商人などになって、欧州全体にそれを広めていきました。彼らは当時の教会からきびしい迫害を受けましたが、それでも神の言葉を命がけで伝えたのです。

14世紀になって、「宗教改革の暁の星」と言われたジョン・ウィクリフは、聖書を英語に翻訳しました。これは人々に神の言葉を示して、教会の堕落を知らせる強力な働きをしました。その後、ヤン・フスとヒエロニムスが改革運動に立ち、やがてルターが、同様に聖書を掲げて改革運動に乗り出しました。聖書の権威が再び認められて、宗教改革は前進しました。

しかし宗教改革の後における一つの悲しむべき失敗は、宗教改革者及びその後継者たちが、彼らの神学的意見の相違を調和させる努力をしないで、欧州の各地に別々のグループを作り、ついには多くの教派に発展していったことです。彼らは各々の認めた聖書の部分的な光に満足して、聖書全体を通してあらわされている神のみ旨を全体的に把握することをしなかったのです。そしてこれらの教派は各々違った信条を持つようになっていきました。

いわゆるプロテスタントの基本的態度は、「人間に従うよりは、神に従うべきである」(使徒行伝5章29節)という、聖書を唯一最高の信仰の基準とすることであったのです。このプロテスタント精神は、信教の自由のためにオランダを去って、アメリカ大陸に移住する決心をした清教徒に対するジョン・ロビンソン牧師の告別説教の中にも明らかにあらわれています。

「兄弟方よ、私たちは今や長の別れにのぞんでいる。再会できるかどうかはただ主のみ知っておいでになる。しかしともかく私は、神と聖天使の前で命じたい。私がキリストに従っているかぎりにおいて私に従われよ。もし神が他の器を通して何かを啓示なさるときは、私が聖職を通してあらわした真理を信受されたように信受されることを望む。何となれば私は神が聖書の言葉の中から輝やきいずべきより以上の真理と光とを持っておいでになることを信ずるからである」

「私個人としては、今日の改革教会の現状に対しては慨嘆に堪えない。教会はいきづまり、改革運動を起こした指導者たちより一歩も出ていない。ルーテル教徒はルターが認めた真理以上に出ていない。……カルヴァン教徒も、諸君の見られるように、かの偉大な神の人―ではあるが、すべての真理を認め得たとは言えない―の遺したところを守っているのみである。これは実に悲しむべきことである。なぜならば、彼らはその時代においては燃え輝く燈火であったが、神の教えの全部を見通すことはできなかった。彼らが今日生きていたならば、確かに彼らが最初受けた以上の光を受けることを熱望してやまないであろう」

彼はさらに続けて、「彼らがなした、すでに示され、また今後示さるべき主の道を全的にたどる」という契約をおぼえるようにすすめ、かつ新しい真理が示されたときは、聖書全体にわたってよく調べて受け入れるように注意しています。クリスチャンは聖書に従うものであり、教会が正しいかどうかも常に聖書によって判断しなければなりません。

16世紀に出発した宗教改革はさらに進展して、教会は完全に聖書の真理に帰らなければなりませんでした。しかし教会はこれを怠り、プロテスタントの中にも、モダニズムやヒューマニズムなどといった価値観が入ってきて、かえって教理を腐敗させてきました。近年では教会合同運動が盛んになってきましたが、これも本当に聖書を土台とするのでなければ神のみ旨にかなうものではありません。

神は最後の時代に一つの民を起こされるということがヨハネの黙示録に預言されていました。彼らは使徒時代からの正統的信仰を保ち、純粋にプロテスタント的立場を取り、神の戒めを守り、イエスを信じ、また、イエスと同じ信仰を守る民です(ヨハネの黙示録12章17節、14章12節)。完全に聖書の上に立つ教会です。

この教会について聖書の中にくわしい預言があります。この預言の通り、1800年代に起こり、今や全世界にこの福音を宣べ伝えているセブンスデー・アドベンチストがまさにその教会です。この教会は聖書の権威を全的に認め、聖書の中に教えられているすべての真理を信じ、受け入れています。多くの教会が十戒の中心にある第7日(土曜日)安息日を捨てていますが、この教会はこれを守っています。

しかし、これはセブンスデー・アドベンチスト教会員だけが救われるという意味ではありません。

神はすべての教会にご自分の子供たちを持っておられます。しかし特に残りの教会を通して、神は背教からご自分の民を呼び出し、また彼らをキリストの来臨に備えさせることによって、真の神の礼拝を回復するという使命を宣言しておられます。

『アドベンチストの信仰』 287ページ

また、多くの教会がイエスの再臨を現実のものとして受けとっていません。しかし、この教会は、アドベンチスト(再臨を待ち望む人々)という名前が示すようにこれを信じ、待望しています。

 教会が設立された当初は、聖書を全的に信じる人々の間にも聖書の教理について考えの相違がありましたが、熱心な聖書研究の結果、美しい調和ある真理を見いだし、聖書的な教理の体系を整えることができたのです。

米国の有力紙ワシントン・ポストは、「ワシントンは全世界をカバーする2つの組織の中心を持っている。一つは国務省で、もう一つはセブンスデー・アドベンチストの本部である。しかもセブンスデー・アドベンチストは国務省より多くの国語を用いている」と書きました。

聖書は、多くの人々のなした選択とその結果を物語っています。神は人間にどのような道も強制はなさらないのです。いろいろな選択とその結果を示して、私たちが正しい道を選ぶように望んでおられます。

一つの選択は、しばしば永遠の運命を決定するものとなります。

あるとき、ジョン・ワナメーカーは、伝道者ビリー・サンデーを案内して、自分の持っている大きな百貨店を見せました。一巡し終わったときに、ワナメーカーは、「この店の中のものならば何でもお好みに従ってさしあげたい」と申し出ました。しかし、ビリー・サンデーの求めたものは、「この世界最大のデパートの所有者の友情」でした。

今、多くの人々がものを求めて、この世界にものよりも尊いものがあることを忘れています。この世界を所有し、人を愛しておられる神の友情は人間の求めうる最高のものです。

あなたの選択は、あなたの生涯を決定するばかりでなく、家庭の幸福、社会の将来、国家の運命を決定するものとなります。

18世紀の英国を流血の革命から救ったのは、オックスフォード大学の数名の学生たちの選んだ精神革命の道でした。彼らは、まず、自ら神の前に良心的な歩みをすることを決心し、祈りの中に、その力を求めました。さまざまな嘲笑を意とせず、ついにその感化は広く社会を動かしたのです。

今日、私たちの生活をきよめ、社会を救うのはイエスの福音以外にはありません。この救いの福音は、今日の全世界にあるすべての問題に対して完全な解決を与えます。

聖書は「まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイによる福音書6章33節)とすすめています。

たとえ困難があるようにみえても、神に従う道は喜びに満ちたものであり、その彼方には永遠の希望と神の栄光が輝いています。神の祝福がありますように。

セブンスデー・アドベンチスト教会

セブンスデー・アドベンチスト教会(英語で Seventh-day Adventists、略してアドベンチスト)は、聖書をその信仰と実践の基準とする聖書主義に立つプロテスタント教会です。宗教改革以来プロテスタント教会の基本理念は、「聖書のみ」と「信仰による救い」ということでした。これはアドベンチスト教会の基本姿勢でもあります。

アドベンチスト教会は、その他の基本的教理においても聖書主義に立つプロテスタント教会と共通しています。三位一体の神、キリトの神性、十戒の永続性、処女降誕、十字架のキリストの贖い、キリストの復活など多くの点で一致しています。

アドベンチスト教会を特徴づけている教理は、その名の通り「セブンスデー・アドベンチスト」という点です。セブンスデーとは英語で「第七日」の意味です。これは週の第七日である聖書の安息日を聖日とする教会を意味します。アドベンチストとは、聖書の重要な教えである「キリストの再臨(アドベント)を待望する人」を意味します。この名称は、基本的な聖書を土台とする信仰では他のプロテスタント教会と共通していると同時に、第七日(土曜日)の安息日と再臨を強調するアドベンチスト教会の特徴をあらわしています。

アドベンチスト教会は、宗教改革者ルター以来のプロテスタント教会の流れをくむものですが、直接的には、19世紀前半に米国を中心に起こった再臨運動にその源泉を求めることができます。これらの再臨運動に参加した人たちを中心にして、アドベンチスト教会は、1863年にミシガンで3500人の信徒をもって正式に組織されました。1874年、J・N・アンドリューズ牧師がアドベンチスト教会の最初の宣教師としてヨーロッパに派遣されました。その後、世界各地にアドベンチスト宣教師が派遣され、アドベンチスト教会の宣教活動は世界中に拡がっていきました。

日本のアドベンチスト教会の歴史は、1896年(明治29年)、米国カリフォルニアのヒルズバーグ大学の学長であったグレンジャー教授が宣教師として大河平輝彦氏と共に来日したときから始まります。時は、ちょうど日清戦争の終わった翌年で、日本国中はその勝利に沸き、軍国的国家主義の高揚の中にありました。そのような時勢の中にあって、米国人がキリスト教を宣べ伝えることは至難の業でした。

彼らは伝道拠点として東京を選び、麻布に英語聖書研究会を開設しました。これは、やがて芝公園の「芝和英聖書学校」に発展し、ここにおいて、1899年(明治32年)6月、日本における最初のアドベンチスト教会である東京教会が13名をもって組織されました。ほぼ同時に教会の出版社(末世之福音社、現在の福音社)が創立されました。

同年10月、グレンジャー教授は、慣れない生活と過労からついに病に倒れ、その生涯を閉じました。来日して3年目のことでした。日本人を愛してやまなかった彼は、日本人の後継者に「あなたは同胞を愛するか」と問いかけてその厳粛な責務を託しました。そして「天国でまた会いましょう」との約束を残して、この世を去っていったのでした。彼の亡骸は青山の外人墓地に埋葬されました。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」(ヨハネによる福音書12章24節)とのキリストの言葉のごとく、彼は日本伝道の「一粒の麦」となったのでした。

その後、1926年に伝道者養成学校(日本三育学院)が、1929年には病院(東京衛生病院)がそれぞれ開設され、アドベンチスト教会の働きは、多方面において進められていきました。

しかし、日本の政治・社会情勢はキリスト教会にとって次第に困難な時代となっていきました。1931年満州事変以後急速に台頭した軍部は、次第にファシズム的傾向を強め、国際連盟の脱退(1933年)、日中戦争を経て、ついに1941年の太平洋戦争へと突入していきました。

戦時下、日本のほとんどのキリスト教会は、政府の圧力に屈し戦争への全面的協力をしていきました。そのような情勢下にあって、アドベンチスト教団は、聖書の主張を真剣に受け入れ天皇を神とすることを拒否したゆえに、教団解散を余儀なくされ、牧師たちは治安維持法違反(国体否定と戦争非協力)という罪名のもとに逮捕されました。アドベンチスト牧師・信徒は困難な中にもその信仰を曲げることはせず、立派に守り抜きました。当時の特高警察の資料は彼らについて「基督者特有の無抵抗主義に依る旧信の固執を図りつつありて、転向指導の至難なるを痛感せらるる実情なり」と述べています。

戦時中、神への純粋な信仰によって困難な時期を乗り越えたアドベンチスト教団は、戦後、信教の自由が保障された中にあって、全国的にその教会活動を再び展開していきました。さらに、幼稚園から大学にいたる教育機関、さらに医療機関、高齢者や障害者の福祉施設、出版社、食品工場などを各地に創設し、「ゆりかごから墓場まで」あらゆる年齢層の多様なニーズに応える教会としての働きを進めています。

現在では、アドベンチスト教会は全世界にまたがる教会となりました。特に歴史的なベルリンの壁の崩壊以後、東欧とロシアにおいてのアドベンチスト教会の成長には目覚ましいものがあり、また、中国大陸におけるアドベンチスト教会も着実に成長しています。

現在、アドベンチスト教会は、全世界に広がり、プロテスタント教会では最大かつ広範囲な世界的教育システムを構築しています。さらに世界的医療ネットワークにより、先進的医療技術の開発ばかりではなく、開発途上国への医療援助や技術指導、難民や飢餓民の診療などにもあたっています。その他、多くの福祉関係施設を運営しています。また、アドラ(ADRA)は、国際的な民族紛争や難民対策、災害救援、開発途上国の開発事業などを行うNGOとして世界120か国以上に拠点を持ち、国連、国際赤十字などと密接に連携しながら活動し、高い評価を得ています。

2017年には、信徒数は2000万人を突破し、世界でも、最も成長しているキリスト教会の一つに数えられています。この著しい成長ぶりは、現代の多くのキリスト教会の驚異と関心の的になっているのです。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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