【ヨナ書】聖書の預言者と現代の批評家【1章解説】#1

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ある男が巨大な魚に呑み込まれ、三日三晩その腹の中にとどまり、その後、生きたまま陸に吐き出された――私たちはそのように信じています。

なぜでしょうか。ヨナの記録が聖書に含まれているからです。もし聖書が神の言葉だとすれば、ヨナ書もまた神の言葉の一部です。次のように書かれています。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」(Ⅱテモ3:16)。「聖書はすべて」とあります。とするなら、ヨナ書も、魚の餌になった優柔不断な預言者の記録もそれに含まれます。

ヨナとヨナ書が宗教的な教訓を教えるための単なる神話、たとえ、おとぎ話にすぎない、と考える学者がいます。しかし、これは大きな誤りです。これから学ぶように、ヨナ書が聖書の正典に加えられていることには十分な理由があります。

今回は、純粋に学問的な視点からヨナという人物について学びます。彼が主のために素晴らしい働きをした歴史上の人物であることがわかるでしょう。

聖書の預言者と現代の批評家

預言書には大預言書と小預言書があって、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、ダニエル書は大預言書で、ヨナ書は12ある小預言書のうちの一つです。

預言書はみないくつかの共通した特徴を持っています。それは、預言者自身に関する記述と、託宣(神のお告げ)から成り立っています。ヨナ書も預言者とその託宣から成り立っています。しかしながら、ほとんどの預言書は預言者によって伝えられた神のメッセージが中心です。程度の差はあっても、一般的に、預言者の自伝的な記述はほんのわずかです。ほとんどの場合、預言者よりも託宣に重点が置かれています。しかし、ヨナ書の場合は、託宣そのものが10語にも満たないくらいで、ほとんどはヨナ自身に関する記述です。とはいえ、これから学ぶように、ヨナと彼の身に起こった出来事についての記述は、多くの意味で託宣そのものと言えます。

ヨナ書3:4を読んでください。ニネベに対するヨナの託宣の中心は何ですか。

ヨナ書に与えられている託宣の言葉は多くはありませんが、それらは本質的に聖書全体に流れているメッセージであり、歴史的に正しいことが証明されているほかの預言書とも一貫して同じものです。

ミカ書、ナホム書、ゼファニヤ書、オバデヤ書などの小預言書は、預言者自身について書かれていますか。

これらの預言書を読んでわかることは、預言者自身に関する情報が非常に少ないということです。書かれているのは預言者の名前、出身地、父親の名前くらいのものです。対照的に、ヨナ書の場合は、ヨナ自身の背景よりも彼の経験の方に重点が置かれています。これはほかの小預言書と大きく異なる点です。

「主の言葉が……」

ヘブライ語で書かれたヨナ書の原文は「~が起こった」を意味する言葉で始まります〔通常、この言葉は訳出されません〕。この表現は、過去に起こったことが現在も続いていること、またその言葉(~が起こった)の後に続く記述が事実であること、つまり歴史上の事実を示す表現方法です。これと同じ表現がほかにも用いられています。

「また主の言葉がエリヤに臨んだ。『立ってシドンのサレプタに行き』」(列王上17:8、9、強調付加、以下同じ)。「そのとき、主の言葉がティシュベ人エリヤに臨んだ。『直ちに下って行き、サマリヤに住むイスラエルの王アハブに会え』」(列王上21:17、18)。

「主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。『さあ、大いなる都ニネベに行って』」(ヨナ1:1、2)。

これと同じ冒頭の句、あるいは「きまり文句」がほかの預言者に対する召命においても用いられていることに注意してください。たとえば、エレミヤ書1:4、2:1、エゼキエル書1:3、ヨエル書1:1、ミカ書1:1、ゼフェニヤ書1:1、ハガイ書1:1、ゼカリヤ書1:1を読んでください。

この言葉は預言者に対する神の召しを読者に印象づける働きをしています。事実、「主の言葉」を受けることは真の預言者であることを証明するしるしでした。それはまた、託宣が人間からではなく、神御自身から与えられたものであることを証明するものでした。

ヨナ書には、「主の言葉」がヨナに臨んだと記されています。これは聖なる序文です。それは、私たちが聖書を読む時には、天の神の御前にひざまずき、聖霊の導きを祈り求めるべきであることを思い出させてくれます。それはまた、天の神がなおも罪深い人間とお交わりになられるという厳粛な思いで私たちを満たしてくれます。

歴史的な手がかり

次の聖句を読んでください。そこに記されている出来事はヨナの経験とどんな点で似ていますか。主はだれに警告を発しておられますか。イザ13:1、エレ25:20~27、エゼ21:28~32          

これらの聖句の中で、主は異邦の国民にその罪と不義の結果について警告しておられます。イスラエル以外の国民に焦点を当てているヨナ書は、この意味で、同じ警告を含む聖書のほかの書と何ら変わりありません。このように、ヨナ書はイスラエルとユダの国境を越えて、神の恵みについての重要なメッセージを宣ベ伝えています。これは、一部の批評家の主張とは異なり、ヨナ書が信頼に値する書であることのさらなる証拠です。

次の聖句を読んでください。語っているのはだれですか。どんなことが語られていますか。これらの聖句から、ヨナ書の史実性に関してどんなことがわかりますか。マタ12:39~41、ルカ11:29~32    

主御自身、ヨナが実在の人物であって、「大魚の腹の中」にいたことについて語っておられます。それだけでなく、御自分の使命をヨナの経験に結びつけておられます。このことからも、ヨナが歴史上の人物であったことには疑いの余地がありません。

ヨナ書の奇跡(1)

現代の批評家たちがヨナ書の史実性を受け入れないのは、そこに出てくる奇跡的な出来事のためです。

ヨナ書を読み、そこに出てくる奇跡的な出来事を書き出してください。

ヨナ書に出てくる奇跡的な出来事がいつでも非常に簡潔に、しかも淡々とした調子で書かれていることに注意してください。それらは物語の中であまり強調されていません。「巨大な魚」そのものでさえ、わずか3か所に出てくるだけです。超自然的な出来事は、あたかも自然界における神の力が当然であるかのように描かれています。

ある男が巨大な魚に呑み込まれ、3日後に生きたまま吐き出されます。聖書にこのような奇跡が出てくるのはここだけではありません。次の聖句を読んでください。それらはどんな奇跡について記していますか。創21:2、出13:21、22、ダニ5:5、24~29、マタ1:20、マコ6:44       

これらの出来事は神の超自然的な介入による以外に説明できるでしょうか。人間の論理、理性、科学を超えた超自然的な出来事であるという理由で、聖書の一部を否定することは愚かなことです。これらの出来事は、人間の科学、論理、理性が神の御業を説明するには全く無力であることを教えています。

ヨナ書の奇跡(2)

古代のユダヤ人著述家たちの間では、ヨナ書の信頼性は疑問視されていませんでした。イエスとほぼ同時代に生きたユダヤの歴史家ヨセフスは、ヨナ書を史実と認めており、それを彼の歴史書の中に取り入れています。ヨナ書の史実性は、それが二つのれっきとした預言書の間に置かれていることからも明らかです。それはつねに小預言書の中に含められてきました。初期の聖書学者は、ヨナ書の著者が小説を書いたなどとは考えていませんでした。

ヨナ書の歴史的正確さが疑問視されたのは比較的最近になってからです。なぜだと思いますか。近代になって科学が進歩したことと何か関係があると思いますか。

トマス・ジェファーソンは福音書を書き直しました。彼はその中から人間の理性や常識、合理的思想に合わないと思われる部分をすべて削除しました。こうして出来上がったのが『ジェファーソン・バイブル』と呼ばれる福音書です。これには、処女降誕、奇跡的いやし、死人の復活、キリストの神性、復活、昇天などが含まれていません。ジェファーソンによれば、これらのことはありえないことでした。なぜでしょうか。常識と理性に反すると考えたからです。

次の聖句はジェファーソンの問題、ひいては現代の多くの批評家の問題を理解する上でどんな助けになりますか。それらは今日の世界に広く見られる懐疑主義から私たちをどのように守ってくれますか。ヨブ11:7、Ⅰコリ1:21、2:14、3:19、ヘブ10:38   

まとめ

列王記下14:23~25を読んでください。これらの聖句から、ヨナがイスラエルの王、ヤロブアム2世(前782~753)に神の御言葉を宣べ伝えたことがわかります。この王の前任者たちの時代に、ダマスコによって率いられたアラム人の国々がイスラエルを侵略し、民を大いに苦しめていました(列王記下13:3~5、アモス書1:3)。しかし、ヨアシュ王はイスラエルの町々を取り返します(列王記下13:25)。ヨナは、ヤロブアム王がイスラエルの国境をダビデの時代の領域にまで回復すると預言します。

預言は実現し(列王記下14:25~27)、イスラエルは再び繁栄します。しかし、長くは続きませんでした。ホセアとアモスはすでにヤロブアムの時代から北王国を厳しく叱責しました(ホセア書1:1、アモ1:1)。アモスはベツレヘムに近いテコア出身の南王国の人でしたが、ヨナは北王国の人でした。彼の家族がシリアの侵略によって苦しめられていたとしても不思議ではありません。ヨナがアッシリアのニネベに対して激しい敵意を抱いていたのはそのせいかもしれません。アッシリアはシリアよりも残酷な国でした。

ミニガイド

著者・年代について

ヨナ書1:1に「アミタイの子ヨナに」とありますが、ヨナ自身がこの書を書いたものか、彼の経験を他の人が記したのかははっきりしません。

「ヨナ」とは『鳩』の意、父の「アミタイ」とは『真実』という意味を持ちます。先々期に学んだ列王記下14章25節に、イスラエルの王ヤロブアムⅡ世がシリヤに奪われた領土をいくらか取り返した記事がありますが、そのことをこのヨナが預言していたとあります。ヤロブアムの治世は紀元前793年2月~753年ですから、ヨナは、この時代に預言者として活躍していたのでしょう。その頃、ホセアやアモス、そしてあの大預言者エリシャも同時代に活動していたことになります。

彼の出身地はガテ・へフェルとありますが、そこは、ガリラヤ地方の中央部にあり、イエスの住んでおられたナザレ村の北東3~5キロの地点です。キリストも、ゼブルンにあるこの地を幾度となく訪れられたでしょうし、福音書の記事からも明らかなように、ヨナ書に精通しておられ、その内容を歴史的事実に基づく確かなものとみなしておられました。

背景について

アッシリアの歴史は古く、創世記10章8節に出てくるニムロデに由来します。それまではアッシュールが首都でしたが、シャルマネセルがニネベに宮殿を造営してから、徐々にニネベがアッシリアの首都になっていきました。この町は、チグリス川とコスル川の合流する地点の東岸にありました。ヨナが預言した当時は3章3節に「ニネベは大きな都で……」とありますが、ニネベは、ハトラ、コルサバード、ニムロドなどの町々を含む広い範囲を指し、合計すると住民の人口は17万5千人はいたと推測されています。

この頃、アッシリアは北部で、ウラルトゥ(アルメニアの山岳地帯にあった古代王国で、ヘブル語ではアララテといった)との間で紛争が起こっていました。その勢力が増して、次第に敵が南進し、ニネベに危機が迫っていたのです。

ヨナの託宣の中に「40日すれば、ニネベの都は滅びる」とありますが、これは、何の根拠もなく唐突に預言したのではなく、そのように差し迫った事情があったのです。ですから、ヨナの預言は現実味を帯びていたのです。アッシリア人の残忍性はつとに周囲の国々に知られていましたが、ウラルトゥ人はそれに勝る残忍さをもって迫っていたのでした。

*本記事は、安息日学校ガイド2003年4期『ヨナ書』からの抜粋です。

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