勝利する羊飼い、キリスト
良い、真の羊飼いイエス・キリストは、ご自分の群れのすべての羊をみちびき、守り、養いたいと強く望んでおられます。悪い、偽りの羊飼いは、多くの羊を迷わせ、虐待し、完全な滅びに至らせます。しかし、良い、真の羊飼いは、群れの忠実な残りの者たちを回復し、強くしてくださいます。
良い羊飼いの関心
ゼカリヤ書10章は9章の終わりに約束された祝福の理由についての説明をもって始まっています。前の雨と後の雨は、神の民の生命と成長のみなもととして神から送られます。これらの雨は物質的・霊的な神の守りと祝福を象徴しています。良い羊飼いは群れの守りに深い関心をよせています。彼は必要な雨を送り、羊に欠かせない草を生長させます。私たちの良い羊飼いは、聖霊の前と後の雨を送り、ご自分の民の霊的生命が輝かしい収穫に備えて発芽し、成長し、成熟するようにしてくださいます。
注意してあなたの羊飼いを選びなさい
ゼカリヤ書11章は、良い羊飼いを拒み、悪い指導者に従う群れを描写しています。残念なことに、人々はしばしば良い羊飼いに従おうとしながら、結局は悪い羊飼いの手中におちいり、苦しめられ、滅ぼされています。私たちの主はただひとりの良い羊飼いです。雲、雨、食物、生命を与えてくださるのは主だけです。彼は、虐待し、売り、殺す偽りの羊飼いの手からその羊を守ってくださいます。
神は後の雨を与えられる(ゼカリヤ書10章1節)
質問1 「春の雨」とは何ですか。それは群れの成長・成熟とどんな関係がありますか。ゼカリヤ書10:1(ヨエル書2:23、ホセア書6:3、10:12、エレミヤ書5:24比較)
神はご自分の民に豊かな繁栄を約束しておられます(ゼカリヤ書9:17)。神は今、彼らに神の祝福を求めるように招いておられます。パレスチナ地方では、前の雨は種まきと種の発芽・生長に必要な秋の雨期の始まりでした。春に降る後の雨は、収穫に備えて穀物を成熟させました。前の雨はペンテコステのときに弟子たちに下った聖霊を象徴しています。この力は、神の民が自らキリスト再臨の備えをし、また人々を備えさせるときに、ふたたび彼らの上に注がれます。
質問2 主はだれに「後の雨」の祝福を注がれますか。ゼカリヤ書10:1
質問3 「前の雨」が信者のうえに下ったとき、どんなことが起こりましたか。使徒行伝2:1~4
神の御霊が私たちを備えさせてくださる
「その働きは、ペンテコステの日の働きに似ている。福音の開始にあたって、貴重な種を発芽させるために、聖霊が注がれて『前の雨』が与えられたように、その終わりにおいて、収穫を実らせるために、『後の雨』が与えられるのである」(『各時代の大争闘』下巻382ページ)。
「主はこれらの自然界の作用を用いて聖霊の働きを表される。まず種を発芽させ、つぎに収穫に備えて実らせるために露と雨が与えられるように、聖霊は一つの段階からもう一つの段階へと霊的成長を促すために与えられる。穀物の成熟は魂における神の恵みの働きの完成を表している。……
地の収穫物を実らせる後の雨は、教会を人の子イエスの来臨に備えさせる霊的恵みを表している。しかし、前の雨が降っていなければ、生命はないし、緑の葉も出ない。前の雨がその働きをしていないなら、後の雨は種を成熟させることができない」(『牧師へのあかし』506ページ)。
「積極的なクリスチャンの美徳を日ごとに実践していないなら、後の雨における聖霊の現れを認めることができない。至る所の人人に注がれていても、私たちはそれを識別することも受けることもできないであろう」(同507ページ)。
質問4 「前の雨」における聖霊の注ぎを目撃した者たちのなかには、どんな態度をとる者たちがいましたか。使徒行伝2:13
聖霊に満たされた者たちが狂信者と呼ばれる
「天の知力が私たちに与えられ、人々は神の聖霊に動かされて語るであろう。しかし、ペンテコステの日、またそれ以降におけるように、主が人々に働かれるなら、いま真理を信じていると言っている多くの人々は、聖霊の働きについてほとんど知らないために、『狂信に気をつけろ』と叫ぶであろう。彼らは御霊に満たされた者たちについて、『あの人たちは新しい酒で酔っているのだ』と言うであろう。……
しかし、人間的な興奮におちいらないように注意するかぎり、神の御霊の働きに関して質問したり、疑いを抱いたりするようなことはないだろう。神の御霊が人々を支配されるとき、疑ったり批判したりする人々がいる。それは、彼ら自身の心が無感動で、冷淡で、鈍感だからである」(『セレクテッド・メッセージズ』第2巻57ページ)。
質問5 「後の雨」において聖霊が注がれるとき、どんな結果が見られますか。ヨエル書2:28、29、使徒行伝1:8、黙示録18:1
力は賜物をともなう
「これは力を受ける手段なのだから、御霊の賜物を飢え渇くように求めようではないか。それについて語り、そのために祈り、それについて説教しようではないか」(『教会へのあかし』第8巻22ページ)。
「地上に神の最後のさばきが下るに先だって、主の民の間に、使徒時代以来かつて見られなかったような初代の敬度のリバイバルが起きる。神の霊と力が神の子供たちの上に注がれる」(『各時代の大争闘』下巻190ページ)。(同376ページ参照)。
偶像のむなしさ(ゼカリヤ書10章2節)
質問6 偽りの羊飼い、偶像、占い師、夢見る者に従うと、どんな結果になりますか。ゼカリヤ書10:2
神は悪い羊飼いを罰せられる(ゼカリヤ書10章3節)
質問7 ゼカリヤ書10:3に述べられている「牧者」はだれをさしますか。この牧者をエゼキエル書34:5~11のそれと比較してください。
「前後関係から考えると、これらの偽りの牧者はイスラエルの背信的な指導者、つかさ、祭司、預言者をさしていると思われる。神はバビロン捕囚に関連してイスラエルに下ったすべての災いのおもな責任を彼らに求められる(イザヤ書3:12、9:16—エレミヤ書2:8、エゼキエル書22:23~31などを比較)」(『SDA聖書注解』第4巻1108ページ)。
キリストの時代の偽りの牧者
「〔パリサイ人は〕真の羊飼の働きを果していなかった。祭司たちや役人たち、律法学者たちやパリサイ人たちは、生きた牧草地をだめにし、生命の水のみなもとをけがした」(『各時代の希望』中巻274、275ページ)。
神はご自分の群れを顧みられる(ゼカリヤ書10章3節、4節)
質問8 神はなぜ、ご自分の群れを「みごとな軍馬」にたとえられるのでしょうか。ゼカリヤ書10:3
これは奇跡的な変化を表すものです。もし私たちが神の約束を信じ、それに従って生きるなら、神は私たちの人生をこのように変えてくださいます。神は私たちを用いて霊的勝利を与えられます。私たちは苦しんでいる、失われた、弱々しい、牧者のいない民から、力強い、無敵の、キリストのしもべに変えられます。
質問9 ユダから、どんな四つのものが出ますか。それらは何を表しますか。ゼカリヤ書10:4
ユダヤ人はゼカリヤ書10:4を、メシヤが来られることの預言であると考えました。
| ユダから何が出るか(ゼカリヤ書10:4) |
| 隅石 つかさ、支配者の象徴。メシヤのこと。イエスはユダ族の出身。隅石という言葉をキリストについて用いている聖句は他にもある(イザヤ書28:16、エペソ2:20、ペテロ第Ⅰ・2:6参照) |
| 天幕の杭 指導者の象徴。杭が天幕をしっかりと支えるように、キリストも私たちの人生を支え、確かなものとしてくださる(イザヤ書22:23参照)。 |
| いくさ弓 戦士の象徴。聖書はしばしばキリストを「万軍の主」と呼んでいる。彼はご自分の民を守る堅固で信頼できる要塞。 |
| 支配者 このヘブル語は「統治者」、「強要者」、「主人」を意味する。 |
神はご自分の民と共におられる(ゼカリヤ書10章5節〜12節)
質問10 神がご自分の民と共におられるとき、どんな霊的勝利がもたらされますか。ゼカリヤ書10:5、ローマ8:35~39
質問11 神と神の民との密接な関係によって何がもたらされますか。ゼカリヤ書10:6~8、12
神がご自分の民と共におられるなら、彼らのための神の目的は必ず成就します。希望、機会、勝利の扉は広く開かれています。聖書には、神がご自分の民と共にいてくださると約束されています。神は羊と共にいて、番をしてくださる忠実な羊飼いです。これとは反対に、偽りの羊飼いは不在で、羊を全く顧みず、彼らを虐待し、屠殺者に売り渡します。
クリスチャンの同情
キリストの宗教は頭の宗教であるだけでなく、心の宗教でもあります。キリスト教があわれみ、同情、親切心に富んだ宗教であることを知らない人がたくさんいます。キリスト教はイエスの愛と同情の力を実感させる非常に実践的な宗教です。クリスチャンはみな、こうした特性をあらわすべきです。この世はしばしば厳格で、無関心で、冷淡です。彼らの心にはキリストの同情を受け入れる余地がほとんどありません。必要なのはキリストのように感じることのできる心です。私たちの最大の罪は何でしょうか。「人間同士の不人情は最大の罪である」(『ミニストリー・オブ・ヒーリング』137ページ)。
質問12 「わたしに捨てられたことのないように」という言葉は悔い改めとゆるしについてどんなことを教えてくれますか。ゼカリヤ書10:6
神は過去を忘れられる
人間は自分のいやな過去や他人のいやな過去をなかなか忘れることができませんし、また忘れようとしません。しかし、神はちがいます。私たちさえ望むなら、神は私たちの悪いことを忘れ、良いことだけを覚えてくださいます。
良い牧者を拒んだイスラエル(ゼカリヤ書11章1節〜17節)
ゼカリヤ書11章は、唯一の希望であるキリストを拒んだイスラエルを描写しています。多くのクリスチャンは良い羊飼いの代わりに悪い羊飼いに従い、悲劇的な結果におちいっています。
質問13 あくまでも偽りの牧者に従う者たちはどうなりますか。ゼカリヤ書11:4~6
悪い牧者は利己的な利益のために羊を屠殺者に売り渡します。神はそのような行為を祝福されません。彼らの良心はまひしています。群れを虐待していることに何のとがめも感じないからです。
質問14 良い牧者はどんな2本のつえを持っておられますか。それらは何を表しますか。ゼカリヤ書11:7
ゼカリヤは良い牧者のわざをするように神から命じられました。メシヤはご自分が救うために来られた者たちから虐待され、拒絶されましたが、ゼカリヤはこのメシヤの型となりました。ゼカリヤの行為はご自分のわがままな民を救おうとする神の最終的な試みを象徴していました。
最初のつえの名は、「親切」、「友情」、「丁重」を意味するヘブル語から来ています。2番目のつえの名は、「綱」、「縄」を意味するヘブル語から来ています。綱や縄が複数形になっているのは一致を象徴しているからです。
詩篇23:4の羊飼いは、むちとつえを持っています。むちは羊を敵から守るためのものであり、つえは群れを導くためのものです。鍵となる二つの言葉は守りと導きです。恵みを表すむちは、イスラエルを敵から守る神の力・慈愛と解釈することができます。つえ、または帯は、神の民を一致に導く神の働きと考えることができます。
質問15 2本のつえを折ることは何を象徴していましたか。ゼカリヤ書11:10、14
イスラエル民族を拒絶するまえに、神は三人の悪い牧者を「滅ぼ」されました(ゼカリヤ書11:8)。それは、神の民に自らの絶望的な状態を見せるためでした。三人の牧者とは、三種類の指導者—祭司、預言者、王—をさすものと思われます。彼らの多くが神にそむいたからです。
つえを折ることは神の恵み深い守りと導きを取り去ることを示しています。人間は神との契約を守りませんでした。
無情で利己的、そして人々を迷わせる現代の政治的・宗教的指導者たちを、神はどのように見ておられるでしょうか。
質問16 2本のつえを折るあいだに、どんな重要な出来事が起こりましたか。ゼカリヤ書11:12、13、マタイ27:3~10
ユダヤ民族がメシヤを拒絶し、裏切る行為は、ゼカリヤが受け取った賃金——銀30シケル——によって象徴されています。
質問17 愚かな牧者は群れをどうしますか。彼の目的は何ですか。ゼカリヤ書11:16、17(黙示録19:20、21比較)
まとめ
神はあらゆる手をつくしてご自分の民を回復されます。そのためにご自分の御子さえおつかわしになりました。契約の2本のつえはイスラエルの選択によって折られました。しかし、その絶望的な状況にあってさえ、神の御霊は、神のみわざに感謝し、神に仕え、神をあかしする忠実な残りの民と共におられます。
*本記事は、フィリップ・G・サマーン(英:Philip G. Samaan)著、安息日学校ガイド1989年4期『勝利の幻 ゼカリヤ書』 からの抜粋です。