【詩篇解説】失望から栄光へ#5 〜逆境の日々〜

目次

神の導き

有名な賛美歌作者アイザック・ウォッツは非国教派の人でした。彼はイギリス国教会の信者ではありませんでした。 1710年3月1日の彼の日記によると、その日、非国教派の教会に暴徒たちが押し入り、腰掛けをひっくり返しましたが、夜中の1時か2時に護衛によって追い返されました。

1714年には、教会分離法が制定され、主教の許可のない国教会の儀式に従わない学校はすべて閉鎖されることになりました。この法案は6月25日に女王の承認を得て、8月1日から施行されることになっていました。ところが、アン女王は8月1日に亡くなりました。

そして、ジョージ1世がアンの後継者として即位しました。教会分離法が施行されなかったことで、非国教派の人々は最悪の事態を免れることができました。このとき、アイザック・ウォッツは詩篇90篇にもとづく賛美歌の一つを作りました。「過ぎにしむかしも、きたる代々も」という賛美歌(88番)などは、今日もさまざまな記念日に歌われています。

敵の攻撃(詩篇83篇)

質問1 異教の国々はイスラエルに対してどんなことをたくらみましたか。詩83:2〜8

詩篇作者はこの詩篇の書かれた年代を明示していませんが、内容から考え、アンモン人、モアブ人ら(歴代下20:1、10)の大軍がユダに「攻めて」きた(2節)ヨシャパテの時代であることは明らかです(歴代下20章)。これらの国々がイスラエル国家を滅ぼそうとした目的は歴代志下20:11に記されています。

『国と指導者』上巻164〜167ページには、歴代志下20:1〜13と詩篇83篇がほとんどそのまま引用されています。

ヨシャパテは、「どんな敵にも対応する準備が整っていた。しかし彼はこの危機において、肉の腕に頼らなかった。彼は訓練された軍隊や城壁をめぐらした町々ではなくて、イスラエルの神に対する生きた信仰によって諸国民の前で、ユダを辱めようとして力を誇示するこれらの異教徒に勝とうと望んだのである」(『国と指導者』上巻 164ページ)。

ユダは神の選民の残りの民であって、彼らに対する戦いはその保護者である神に対する戦いを意味しました(詩83:2、5、12)。このことはある程度、9〜15節の祈りの意味を説明してくれます。詩篇作者はここで、カナン人に対するバラクとデボラに勝利(士師4:2、22〜24)のこと、またミデアン人に対するギデオンの勝利(士師7:25、8:12、21)のことを回想しています。

質問2 ヨシャパテが敵に対して主のさばきを求めたのはどんな理由からでしたか。詩83:16〜18(歴代下20:29、30比較)

最終的な目的は神の御名があがめられ、罪人が回心することでした。結果的には、イスラエルの敵は同士討ちにおちいります(歴代下20:23)。イスラエルを滅ぼそうとするそのたくらみは彼ら自身の身にはね返ってきたのでした(箴26:27参照)。

迷いと束縛(詩篇107篇1節〜15節)

この詩篇の特徴は、助けを求める叫び(6、13、19、28節)、主の答え(7、14、20、29節)、救われた者の感謝 (8、15、21、31節)が繰り返されていることです。光景は荒野から牢獄へ、病気から難船へと変わっています。

質問3 神の恵みとあわれみは、イスラエルのどんな大変な経験のうちに示されていますか。詩107:1〜5、7

私たちは感謝の念をいだくだけではなく、それを表現するように勧められています。イスラエルの民は出エジプトのときに、水も食物もない荒野で苦難を経験しました。しかし、彼らの叫びは神にとどいていました。「その部族のうちに、ひとりの倒れる者もなかった」(詩 105:37—ネヘ9:21比較)。

苦難の中にあっても感謝する

「ご自身のみ心にわたしたちの関心をすべて結びつけられる神の大きな力について語ろう。キリストの比類のない力や栄光について話しなさい。全天はわたしたちの救いに興味をもっている。……つねに感謝し、行く手に困難がみえるときにも感謝にあふれるのが当然ではないだろうか」(『ミニストリー・オブ・ヒーリング』230ページ)。

「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」(Ⅰテサ5:18)。

質問4 暗黒と束縛にはどんな霊的意味がありますか。詩107:10〜14

昔の牢獄はふつう暗くて湿気の多い地下にあり、囚人は手かせと足かせでつながれていました(使徒12:4、6、詩105:18参照)。私たちの主の働きはおもに、囚人を解放し、打ちひしがれている者に自由を得させることにありました(ルカ4:18)。主がこの地上の働きにおいて監禁されている囚人の牢獄の扉を開かれたという記録はありませんが、罪人をその罪の鎖から解放された例はたくさんあります。

イスラエルは神に対する反逆のゆえに(詩107:11)、肉体的な束縛のもとにありました。したがって、彼らは肉体的、霊的に囚人でした。しかしながら、彼らが悔い改めたときに、主はその束縛を解き、彼らをやみから導き出されました(14節)。

病と嵐(詩107篇17節〜31節)

悪循環

肉体の病気はときに失望と疑いをもたらし、それがまた魂の病をもたらします。一方、魂の病は怠慢と不信仰をもたらし、それが精神と肉体の病気につながることもあります。これは悪循環となって続きます。

質問5 詩篇107:17のつぶやきと詩篇103:3のいやしとのあいだには、どんな関係がありますか。

医者のルカが記している中風の人についての記録は、大医師イエスが肉体と魂をどのようにしていやされるかを教えています(ルカ5:24〜26参照)。

「単純な信仰をもって、彼はイエスのみことばを新しいいのちの賜物として受け入れた。彼はもうこれ以上何も願わないで、うれしさのあまりことばもなくただ幸福な沈黙のうちに横たわっていた。天の光は彼の顔にかがやき、人々は畏敬の思いをもってその光景をながめた。……

肉体のいやしは、心を新たにした力の証拠であった」(『各時代の希望』上巻339、341ページ)。

質問6 動物のいけにえをささげないクリスチャンにとって、「感謝のいけにえ」(詩107:22)とは何を意味しますか。ヘブ13:15(ホセ14:2、詩119:108比較)

「歌をもって神をほめ、感謝をささげなさい。試練にあうとき自分の気分を口に出さないで、信仰によって神に感謝の歌をささげるべきである。……歌は失望するときにいつでも用いることのできる武器である。救い主より出る光に心をうち開くとき、健康と祝福を受ける」(『ミニストリー・オブ・ヒーリング』231、232ページ)。

質問7 この船乗りの悩み(詩107:25〜27)は新約聖書のどんな出来事を思い出させますか。マル6:45〜51

弟子たちはイエスが王になることを拒まれたことで失望していました(ヨハ6:15〜20参照)。しかし、彼らの失望感は嵐によって吹きとばされました。主は彼らの苦悩を通して、ご自身に心から信頼することを教えられたのでした(『各時代の希望』中巻 119、120ページ参照)。

主のいつくしみ(詩107篇32節〜43節)

質問8 主はどんな祝福を与えてくださいますか(詩107:35〜38、41)。主がときに祝福を取り去られることがあるのはなぜですか (33、34、39、40節)。

劇的な対照

川は荒野に、荒野は池に、泉はかわいた地に、かわいた地は泉に、肥えた地は荒地に変えられます。畑とぶどう畑は実を実らせます。貧しい者は高くされ、君たちは低くされます。喜ばしいことは主から直接、与えられる祝福であって、正しい者を喜ばせます。悲しむべきこともまた祝福であって、悪人を不義から立ち直らせます。知恵ある者はこれらの矛盾に満ちた出来事の中から、主のいつくしみについて学びます(43節)。

神は自然を用いられる

「私たちには理解できないかもしれないが、聖書によれば、神は自然界を用いてご自分の道徳的さばきを遂行される。たとえば、エリヤは悪しき王アハブにこう宣言している。『わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう』(列王上17:1)。このように、詩篇作者にとって、道徳的な生き方は個人の健康と物質的な繁栄に影響を及ぼすものなのである(17、18節参照)。教会の罪もまた不作、つまり力強い御霊の不在、いのちを与えるみことばのきよめの欠如をもたらす(ヨハ15:3参照)。

今日、罪を悔い改めて主に立ち返るとき、私たちは確実で成功する者とされる。……主の祝福を受けている教会は深いきよめにあずかっている教会である。ここから新たな霊的渇望が生じる。それは神だけが満たすことのできるものである。……

主の再臨以前においてさえ、私たちは神の民を圧迫する者たちが神のさばきを受け、神に信頼する貧しい者たちが高められることを期待することができる。福音が今日、第三世界の貧しい人たちのうちにまたたくまに広がっているとしても不思議ではない」(ドナルド・M・ウィリアムズ『コミュニケーターズ・コメンタリー、詩篇73〜150篇』285、286ページ)。

質問9 聖霊が注がれるとき、神の民にどんなことが起こりますか。ヨエ2:23〜27

主の守り(詩篇91篇)

悩みのとき

「現代は、すべての人間にとって、圧倒的な関心をそそられる時代である。統治者や政治家たち、責任と権威の地位を占めている人々、あらゆる階級の心ある男女、—すべての者は、周囲に起こりつつある事件に注意を集めている。彼らは国と国との間に存在する緊張した不穏な関係を見守っている。彼らは地上のあらゆる要素に緊張が加わりつつあるのをみて、そこに何か決定的な大事件がいまにも起ころうとしており、世界が途方もない危機の渕に臨んでいることを認めている。……あらしは迫り、いまにも地上に吹き荒れようとしている。神が、天使たちに風をひきとめている手をゆるめるようにお命じになるその時、そこには筆にも口にも表わし得ない戦乱の光景が展開するであろう」(『教育』212ページ)。

質問10 悩みに満ちた現代にあって、神の民を守ってくれるものは何ですか。詩91:1〜4、9、14〜16

「戒めを守る神の民は全能者の広い盾のもとに立つ」(『教会へのあかし』第8巻120ページ)。

この詩篇の最初の2節には、いと高き者、全能者、主、神という四つの称号が用いられています。私たちの主は最高の、力ある、永遠の、大いなるおかたです。これらの称号の二つが 9節でも繰り返し用いられています。このような最高の保護者が私たちのそばにおられるのです。私たちは将来について不安を感じたり、恐れたりする必要はありません。

質問11 ほかにどんな守りが約束されていますか。詩91:11〜13、34:7

サタンはこれらの聖句の一部を用いて、バプテスマ後のイエスを誘惑しようとしました(マタ4:6、マル1:13、ルカ4:10、11参照)。しかしイエスは、父なる神に信頼しているかぎり、神は自分を守ってくださるということを知っておられました。イエスは父なる神に完全に信頼していたので、サタンの誘惑に対しても完全に勝利することがおできになりました。私たちもこれと同じ勝利にあずかることができます。

質問12 キリスト再臨に先だつ悩みのときに、クリスチャンはどんな守りを約束されていますか。詩91:5〜8、14〜16(『各時代の大争闘』下巻410、411ページ参照)

まとめ

どんな困難、恐怖、災難(病気、迫害、失敗)に遭おうとも、私たちの天の父はすべてを知っておられます。神はその無限の知恵と力をもって、必要なときに私たちを支え、助けてくださいます。

*本記事は、C・レイモンド・ホームズ(英:C. Raymond Holmes)著、安息日学校ガイド1992年2期『詩篇73-150篇 失望から栄光へ』 からの抜粋です。

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