主の兄弟ヤコブ【ヤコブの手紙】#1

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今日、私たちは時間的にも文化的にも、キリスト教会の草分け時代から遠く隔たっています。ですから、始まったばかりのキリスト教運動に参加するというのがどのようなことであったのか、ほとんどわかりません。当時は、多くの教会員が家庭で集会を持ち、ほとんどの信者が同胞に迫害されているユダヤ人でした。ヤコブの手紙は、「ユダヤ人とクリスチャンの紛争」の霧の中に消える前のユダヤ人キリスト教徒の様子や、2世紀以降の、異邦人が多数派を占める教会によってユダヤ人が追いやられる前の教会の様子を、私たちに垣間見せてくれる最も初期のものの一つです。

新約聖書の中の多くの手紙とは異なり、この手紙は一地方教会における何らかの危機や緊急の必要のために書かざるをえなかったものではないようです。むしろこの手紙は、「離散している」(ヤコ1:1)、より広いクリスチャン共同体に向けて書かれています。

しかし、この手紙にすぐさま入る前に、私たちは今回、著者についてできる限り多くのことを学びたいと思います。私たちが取り上げる質問は、「ヤコブとはだれだったのか。彼にはどのような背景があったのか。彼とイエスとの関係は、どのようなものだったのか。教会において、彼はどのような地位を占めていたのか」といったものです。

イエスの兄弟ヤコブ

この手紙の著者は、「神と主イエス・キリストの僕であるヤコブが、離散している十二部族の人たちに挨拶いたします」(ヤコ1:1)という言葉以外、著者がだれなのかに関する具体的な情報がこの手紙の中にはないので、教会の中でよく知られていた人でなければなりません。

従って、私たちは彼の正体についての選択肢をすぐに絞り込むことができます。ヤコブという名前の人は、新約聖書の中に4人います。十二弟子の中の2人(マコ3:17、18)、ユダ(イスカリオテのユダではないほうの十二弟子の1人)の父親(ルカ6:16)、そしてイエスの兄弟の中の1人(マコ6:3)。これら4人の中で、イエスの兄弟だけが長生きし、また、このような手紙を書いたとしてもおかしくないほど教会の中で有名でした。それゆえ、新約聖書のこの書の著者は、イエスの兄弟ヤコブであったと、私たちは考えます。

大工の息子(マタ13:55)であったヤコブは、一般的な農民よりは教育を受ける機会があったことでしょう。彼の手紙は、新約聖書の中で最も優れたギリシア語の文章の一つです。その語彙の豊かさ、修辞的巧みさ、旧約聖書を自在に用いる力をしのいでいるのは、ヘブライ人への手紙だけです。ヤコブの名前がイエスの兄弟の最初に出てくることからして、彼は長男だったのでしょう。しかし、イエスが母マリアの世話を愛する弟子ヨハネに託したという事実は(ヨハ19:26、27)、主の兄弟たちがマリアの実の子どもたちではなく、先妻との間にできたヨセフの息子たちであったことを示唆しています。

問1

イエスの働きを念頭に置いて、次の聖句を読んでください。「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである」(マコ3:21、ヨハ7:2~5も参照)。これらの聖句は、イエスが御自分の家族からどう思われていたかについて、どのようなことを教えていますか。もし私たち自身が時折愛する人たちによって誤解されるとしたら、私たちはイエスの家族から、どんな教訓を得ることができるでしょうか。

「イエスの兄弟たちが、仮庵の祭りの時に、イエスが民の前に公然と名乗り出られるようにとすすめたのは、彼らがメシヤの働きについてまちがった考えを持ち、イエスの神としての性格に対する信仰が欠けていたからであった」(『希望への光』926ページ、『各時代の希望』中巻284ページ)。

信者のヤコブ

問2

Iコリント15:5~7、使徒言行録1:14を読んでください。ヤコブに起こった変化について、これらの聖句はどのようなことを教えていますか。

イエスは復活されたあと、ペトロや(イスカリオテのユダを除く)十二弟子を含む多くの人の前に現れ、やがて、一度に500人以上の人の前に姿をお見せになりました。どうやらヤコブは、この500人との出会いの場にいなかったようです。イエスは別の機会にヤコブに姿を現されますが、それは特別なものであったに違いありません。なぜなら、そのことが特に記されているからです。その出会いにおいてどのようなことが起こったにしろ、聖書は何も述べていません。しかし、ヤコブが忠実なイエスの弟子、教会における影響力の強い指導者になったことからして、その出会いは大きな影響を彼に及ぼしたに違いありません。

問3

ヤコブについて、私たちはほかにどのようなことがわかりますか(使徒12:16、17、15:13、14、19、21:17~19、ガラ1:18、19、2:9)。

エルサレム教会において、ヤコブはたちまち中心人物になりました。ペトロは天使によって牢獄から救出されたあと(西暦44年)、自分の身に起こったことをヤコブに知らせたいと願っています(使徒12:17)。5年後、ヤコブはエルサレム会議の議長を務め、決定を発表しました。パウロは、エルサレムの「柱と目されるおもだった人たち」(ガラ2:9)の中で、ペトロやヨハネを差し置いて、ヤコブの名前を最初に挙げています。この出来事から数年後(西暦58年)、エルサレムの貧しい信者たちのために、パウロがさまざまな教会から集めた献金を持って来たとき、それぞれの教会の代表者は、ヤコブの足もとにその献金を順々に置きました(エレン・G・ホワイト『パウロ略伝』208、209ページ、英文参照)。

使徒たちの死後、ヤコブは何十年にもわたってとても尊敬されていたようです。実際、「義人ヤコブ」として記憶されているように、彼の信心深さに関する多くの言い伝えが生まれました。このように、最初は大いにイエスを疑っていたものの、ヤコブは最終的に初代教会における霊的巨人になりました。

ヤコブと福音

残念なことに、恐らくはルターの影響のために、多くのクリスチャンがヤコブの手紙に含まれる重要なメッセージにこれまで目を向けてきませんでした。ルターが当時の教会になした貢献を過小評価することなく、私たちは次のことを心にとどめていなければなりません。「宗教改革は……ルターで終わったのではない。それはこの世の歴史の終わりまで続けられなければならないものである」(エレン・G・ホワイト『贖いの物語』353ページ、英文)。なぜなら、宗教改革者たちによって「大きな誤り」が受け継がれ、依然として、明らかにされるべき重要な真理がたくさん残っていたからです。

それゆえに、ジョナサン・エドワーズ、ジョージ・ホイットフィールド、そしてメソジスト運動を起こし、クリスチャン生活における聖さの重要な役割を強調したウェスレー兄弟らによる「大覚醒」が必要とされました。改革の働きは「第二次大覚醒」に引き継がれ、神はその中から、「三天使の使命」を宣べ伝えるセブンスデー・アドベンチストを起こされました。この世界規模の宣布は、「神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける」(黙14:12)民の、霊に満ちた証しによって終わります。

問4

ヤコブ1:3、2:5、22、23、5:15を読んでください。これらの聖句の中で、信仰はどのように機能していますか。これらの聖句は、信仰によって生きるとはどういうことかについて、何を教えていますか。またこれらの聖句は、信仰がさまざまな命題的真理に対する、単なる知的同意ではないことを、いかに示していますか。

ヤコブがこの短い手紙の中で、「信仰」や「信じること」に19回も言及していることは、ある人にとって驚きかもしれません。これは、「行い」や「義認」への言及の合計数よりも多いです。実際、信仰の重要性は、試練(3節)と知恵を求めること(6節)との関連において、まさに1章の初めで強調されています。このことは、ヤコブが単に信者に手紙を書いているのではなく、彼らに強い信仰を持つように期待していることを示しています。いずれわかるように、信じるという行為は、それ自体ではほとんど役に立ちませんが、真の信仰は目に見える証拠となるものをもたらします。つまり、真の信仰は、信者の生活と品性の中に現れます。

離散している十二部族の人たちに

ヤコブ1:1を読んでください。すでに触れたように、ヤコブが手紙を書き送った相手は信者たちでした。最初、福音の働きはエルサレムを中心になされていましたが(ルカ24:47)、ステファノの石打ちの刑のあとに激しくなった迫害の結果、信者たちは離散し、福音の種はローマ帝国の都市や周辺地域の至る所に蒔かれました。

使徒言行録11章によれば、福音はアンティオキアを皮切りに、ごく早い時期に異邦人へ広まったので、「十二部族」とは、たぶんクリスチャン全体を指しているのでしょう。民族別のさまざまな教会があったようには思えません。というのも、信仰を持っている異邦人がクリスチャンになるために、まず割礼を受けてユダヤ人になるべきか否かを、エルサレム会議がほどなく決定しなければならなかったからです(使徒15:1~6)。

問5

使徒言行録15:13~21を読んでください。初代教会が格闘していた問題を、ヤコブはどのように述べていますか。

聖書に基づく解決策が、教会の一致を保ちました。ヤコブは、イスラエルの回復と究極的な発展には異邦人も含まれるであろう、というアモスの預言を引用します。それは、寄留する者たちのためのモーセの律法に基づく命令(レビ18~20章)でした。ヤコブは、手紙の読み手たちへ、アブラハムになされた約束の相続人であることを思い出させるために、彼らを「十二部族」と呼んでいます。ペトロも同じような考えを心に抱きつつ、クリスチャンを「聖なる国民」(Iペト2:9、出19:5、6と比較)と表現しており、その彼らを外国に「離散して……いる」(Iペト1:1)人たちと呼んでいます。いずれの聖句におけるギリシア語も「ディアスポラ」で、それは通常、イスラエルの地理的境界線の外側に住むユダヤ人を指していました(ヨハ7:35参照)。

ヤコブとイエス

ヤコブには、少年時代のイエス、青年時代のイエス、そして成人してからのイエスを見守る機会がありました。その後、ある時点において、彼はイエスをメシアとして信じただけでなく、エルサレムのクリスチャンの指導者になりました。しかし、ヤコブは自分自身のことをイエスの兄弟とは呼ばず、イエスの「僕」(ヤコ1:1)と呼んでいます。明らかに彼は、謙遜と真の知恵を身につけていました。彼の手紙の中でこれらが重要なテーマになっているのはもっともなことです(ヤコ1:9~11、21、3:13~18、4:6~10参照)。

問6

次の聖句を比較し、共通点を要約してください。ヤコブ1:22とマタイ7:24~27、ヤコブ3:12とマタイ7:16、ヤコブ4:12とマタイ7:1

イエスの教え、とりわけ山上の説教とヤコブの手紙との間に類似性があることは、広く認められています。「ヤコブのあらゆる教えの根底には、広範囲にわたってイエスの影響がある」(ピーター・H・デイビス『ヤコブの手紙』50ページ、英文)。

ヤコブの手紙と四福音書を詳しく比較すると、この手紙はどの福音書にも頼っていないように見えます。むしろヤコブは、いつも聞き手に信仰を生じさせ、それを働かせるように挑戦なさったイエスの教えを詳しく、個人的に知っており、それに基づいて書いています。

このシリーズ、ヤコブの手紙を研究していくにつれ、私たちは非常によく似た方法を見いだすことでしょう。ヤコブは、弱く、実りなく、ぐらつく信仰に満足しません。来週の研究で見るように、この手紙の最初の部分では信仰が最も重要な主題であり、ヤコブは、欠かすことのできない信仰の質がキリストとの生きた関係をいかに強くするかを示しています。

さらなる研究

「イエスの兄弟たちは、年月を経てすり切れて古くさくなったパリサイ人の哲学をよく持ち出して、すべての真理を理解し、すべての奥義に通じておられるお方を教えることができるとせんえつにも考えた。彼らは自分たちの理解できないものは勝手に非難した。彼らの非難はイエスの急所を刺したので、イエスの魂は疲れ、悩まされた。彼らは神への信仰を告白し、神を擁護しているのだと考えていたが、実は神が肉体をとって彼らの中におられ、しかも彼らはそのお方を知らないのだった。

こうしたことのために、イエスの歩まれる道はいばらの道だった。キリストはご自分の家庭での誤解に非常に心を痛められたので、そうした誤解のないところへ行かれることがイエスにとっては救いだった」(『希望への光』836ページ、『各時代の希望』中巻44、45ページ)。

*本記事は、安息日学校ガイド2014年4期『ヤコブの手紙』からの抜粋です。

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