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「箴言」は、父親に関する教えで始まり(箴1:1、8、4:1)、母親に関する教えで終わっています(同31:1)。「レムエル」という名前は、ソロモンを指しているのかも知れません。もしそうであれば、レムエルの母親はソロモンの母親であり、その彼女が自分の息子に、王にとっての二つの深刻な脅威(酒と女)を警告していることになります。
酒と女が結びつけられているのは意図的です。有能な統治者であるために、王は、自分が受ける影響に対して注意深くあらねばなりません。そして、これら二つの要素は、強い影響を及ぼします。心正しい女は益をもたらすでしょうが、酒がもたらすのは問題だけです。
父親の諭しが記されている序論は、霊的な知恵の獲得に関係していました。そして、母親の諭しが記されているこの結論部分は、知恵を実生活に適用することに関係しています。父親によって教えられた霊的原則は、もしそのあとに母親によって与えられる実際的な助言が続かなければ、意味を成さないからです。
「命」に乾杯
多くの文化において、酒を飲むことは命と関連づけられています。人々は乾杯の際に互いの長寿を祈りますが、皮肉なことに、どの杯も命を破壊するように働きます。すてきなデザインの瓶、詩的で愉快な酒宴の歌、巧妙な宣伝広告、さらには「科学的な」研究成果さえもが、酒は体に良い、と考える酒飲みたちを元気づけています。しかし「箴言」は、この致命的な欺きをすでに警告していました(箴23:30~35)。この主題が再度ここで取り上げられ、飲酒がもたらすさらなる害が示されています。
問1
箴言31:4、5、8、9を読んでください。これらの聖句は、どのようなことを述べていますか。そのメッセージは、王に限らず、主に従うすべての者に、いかに適用したらよいのでしょうか。
同じような言い回しで、ヨブは自分について、「わたしは見えない人の目とな
り/歩けない人の足となった」(ヨブ29:15)と記しています。同様に、王や裕福な人は、貧しい人たちや困っている人たち—だれも訴えを聞いてくれないので、発言力のない「ものを言えない人たち」—を助ける必要があります。
酒の破壊的な影響は、人の判断をたやすくゆがめてしまうことの中にも見られます。酒は一般人にとっても良くありませんが、王や権力者の場合には、悲惨な状況を生み出すことがあります。酒飲みの王は「おきてを忘れ」(箴31:5、口語訳)、何が正しいかわからないばかりか、その結果としてゆがんだ裁きを下すからです。つまり、有罪の者が無罪とされ、無罪の者が有罪とされてしまうということです。
ここで危機的状況にあるのは、善と悪、正と邪を見分ける能力です。飲酒の禁止は基本的な知恵と関係しており、そのような知恵として、すべての人に適用されるでしょう。また、「聖と俗……を区別する」(レビ10:10)祭司の飲酒が特に禁じられている理由がまさにこのような懸念であることは、注目に値します。
「死」に乾杯
問2
箴言31:6、7を読んでください。私たちはこれらの聖句を、どのように理解すべきですか。
これらの聖句をざっと読むと、レムエルの母親は、死にかかっている者(6節、口語訳)や鬱病で苦しむ者(7節)が酒を飲むことを認めているかのような印象を受けます。しかし、そのような読み方は直近の文脈(レムエルの母親が王に飲酒を警告していること)と矛盾するだけなく、飲酒を意図的に強く禁じている「箴言」全体の文脈とも矛盾します。
加えて、滅びようとしている者に彼らの健康や幸福を損なうしかないものを与えるというのは、つじつまが合いません。それに、鬱状態の人に酒を与えるというのは、すでに脱水状態の人に塩を与えるようなものです。知ってのとおり、もし神が私たちの体や健康を気にかけておられるのなら、これらの聖句が酒の使用を勧めていると理解するのは、特に文脈からして、筋が通りません。
さらに重要なことに、「箴言」において「滅びようとしている者」(口語訳)という表現の使われ方を分析してみると、この動詞が「神に逆らう者(悪しき者)」にいつも結びつけられていることがわかります(箴10:28、11:7、10、21:28、28:28)。レムエルの母親は「滅びようとしている者」という表現によって、実のところ、「神に逆らう者」を指しています。「苦い思いを抱く者」(同31:6)という表現に関してはどうかというと、これは、神に逆らう者たちのように無感覚になり、貧しさを「忘れ(る)」(同31:7)鬱状態の人を指しています。
「サタンは堕落した天使たちを集め、人類に最も悪影響を及ぼす方法を考案した。次々に提案がなされ、最終的にサタン自身が一つの計画を思いついた。彼は、神が食物としてお与えになったぶどうの実や麦などを使って、それらを、人間の肉体的、精神的、道徳的力を失わせ、サタンが完全に支配すべき感覚を無力にする毒に変えることにしたのである。酒の影響によって、人はあらゆる種類の犯罪を行うようになり、ゆがんだ食欲によって世界は堕落するだろう。酒を飲むように人間を仕向けることで、サタンは、彼らがますます堕ちて行くようにするのである」(『節制』12ページ、英文)。
有能な女
「有能な妻を見いだすのは誰か。真珠よりはるかに貴い妻を」(箴31:10)。
この聖句の「有能な妻」とは、どのような人のことでしょうか。いくつかの手がかりからすると、著者は、信心深い女や理想的な女以上のものを考えているようです。「箴言」の中の多くの聖句に従えば(箴1:20~30、3:13~20、4:5~9、8章)、「有能な妻」が知恵を意味していると考えるのに十分な理由が得られます。知恵が女として擬人化されているという理解は、「知恵」に相当するヘブライ語「ホフマー」が女性名詞であるという理由だけでなく、このヘブライ人の著者がそれ(知恵)から、私たちの日常生活のためのさまざまな具体的教訓を引き出していることからも裏づけられます。知恵は、高貴で手の届かない理想の女としてではなく、極めて日常的で親しみやすい女として描かれています。知恵に関するこの最後の教えは、哀歌や多くの詩編と同様、各行の初めの文字がヘブライ語のアルファベット順になっています。
問3
箴言8章と「有能な妻」に関するこの箇所を、比較してみてください。「有能な妻」のどんな特徴が、「箴言」における知恵を思い起こさせますか。
①彼女は貴重で、探し出すだけの価値がある(箴31:10、8:35)。
②彼女の価値は真珠や金にまさる(同31:10、8:10、11、18、19)。
③彼女は食べ物を提供する(同31:14、8:19)。
④彼女は強い(同31:17、25、8:14)。
⑤彼女は賢い(同31:26、8:1)。
⑥彼女は称賛される(同31:28、8:34)。
私たちは、いわゆる「情報化時代」に生きており、これまでの世代よりも多くの知識を持っていますが、私たちの世代のほうが彼らよりも賢いことを示すものは、ほとんどありません。まさに、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが、「ミサイルは正しく誘導され、人間は誤った方向に誘導されてきた」と言ったとおりです。
彼女は働く
箴言31章の有能な妻は、怠惰ではありません。彼女はよく働き、とても行動的です。「箴言」は、愚かな者とは対照的に(箴6:6、24:33、34)賢い者を特徴づけるこの資質を強調しています(同31:27)。有能な妻の活動の舞台は幅広く、しかも具体的です。霊的であるというのは、極めて重要な宗教的問題に関わっているので、「ごく小さなこと」に対処する時間などないといったもっともらしい理屈の下(ルカ16:10参照)、私たちが怠惰でいることを意味しません。この妻は、「手ずから望みどおりのものに仕立て」(箴31:13)ます。興味深いことに、この極めて霊的な女性は、祈っているところや瞑想しているところを描かれていません。彼女は、福音書に出てくるマルタのように(ルカ10:38~40)、手際が良く、生産的な女性として描かれています。
問4
箴言31:12、15、18を読んでください。この妻はなぜ、常に働いているのですか。
この妻は「生涯の日々」、夜間でさえも働きます。彼女が油断なく、行動的でいることは、常に効果的です。彼女が絶えず気を配る理由は、それが彼女の責任だからです。
問5
箴言31:20、25を読んでください。この妻の働きは、どれくらいの時間的範囲に及んでいますか。
私たちはここで、私たちの働きや努力に関する重要な点に触れます。私たちの働きや努力は時間によって試されるでしょう。未来だけが、私たちの行動の質を証明するでしょう。賢く働くというのは、未来を念頭に置いて働くことであり、目先の報いのためだけに働くことではありません。
同じことを扱っているわけではありませんが、黙示録の次の聖句の中にある原則は、とても大切です—「『書き記せ。「今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである」と。』“霊”も言う。『然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである』」(黙14:13)。
彼女は心を配る
問6
箴言31:26~31を読んでください。この妻には、ほかにどのような特徴が見られますか。それらの特徴は、私たちが何者であるかにかかわらず、私たちにとってなぜ重要なのですか。
このシリーズずっと見てきたように、ここでも言葉(私たちが口にする言葉)が重視されています。この妻は、その知恵と親切で知られています。両者は関連があります。結局のところ、親切というのは知恵が形を変えたものだ、と言えるのではないでしょうか。とりわけ私たちが、知恵というのは単に私たちの知っていることではなく、私たちが言ったり、行ったりすることだと理解するときに、そう言えます。
「慈しみの教え」(箴31:26)という言葉にも注目してください。つまり親切とは、時折彼女の口から漏れるはかないものではありません。それは教えであり、彼女が存在するうえでの原則です。もし「慈しみの教え」が私たちの口から漏れるあらゆる言葉を導くなら、それはどれほど効果を発揮することでしょうか。
問7
箴言31:30を読んでください。重要であるにもかかわらず、しばしば忘れ去られているどのような点が、ここで示されていますか。
あまりにもしばしば、女性たちは外見だけで評価されています。外見は、薄っぺらで表面的な指標にすぎません。聖書は、そのような態度が最終的にどれほど「空しい」かを指摘しています。この妻の真の美しさは、彼女の品性の中や、またその品性のあらわれ方の中に見られます。美しさは消え去りますが、品性は永遠に持続します。「人々の間における偉大な名声は、砂の上に書かれた文字のようなものだが、汚れなき品性は、永遠にわたって持続する」(『神の驚くべき恵み』81ページ、英文)。
さらなる研究
「酒に対する欲求を満たし、その興奮性の刺激を受けて理性は曇り、彼ら[ナダブとアビフ]は聖なるものと普通のものの区別ができなかった。神の明瞭な指示に反して、彼らは聖なる火の代わりに普通の火をささげることで神を侮辱した。神は彼らに怒りをもたらし、御前から出た火でふたりを滅ぼされた」(『教会へのあかし』第3巻295ページ、英文)。
「少年少女たちは、神が日々の勤労者の働きをどんなにとうとんでおいでになるかを、聖書から学ぶ必要がある。……『箴言』の中に描かれている賢い婦人すなわち『羊の毛や亜麻を求めて、手ずから望みのように、それを仕上げ』『家の者の食べ物を備え、その女たちに日用の分を与え』『ぶどう畑をつくり、……その腕を強く』し、『手を貧しい者に開き、乏しい人に手をさしのべ』『家の事をよくかえりみ、怠りのかてを食べることをしない』婦人について書かれていることを読んでいただきたい」(『教育』257、258ページ)。
*本記事は、安息日学校ガイド2015年1期『箴言』からの抜粋です。