中心思想
契約を守ることは社会の安定にとってどれほど重要でしょうか。霊的領域において神が私たちの約束を重要視されるのはなぜでしょうか。
アウトライン
- 破られた約束(エレ22:8、9)
- 従って生きる(エレ11:1~11)
- 放浪する妻(エレ2:2、3:1、20)
- 神の約束―条件つきか無条件か(エレ18:7~10)
- 契約の更新(エレ31:31~34、ヘブ8:6~13)
神との契約を重視しているか
「兄弟、私の仲間のために聖書を1冊いただけませんか」。部屋の後方でその信徒の説教を聴いていた人たちの中から、一人の女性が歩み出て、おどおどした様子で言いました。
彼女は聖書を手に入れて手書きの写しを作るために、1万キロも旅をしてきたのでした。その信徒は喜んで、驚いている女性の手に10冊の聖書を渡しました。彼女のほほに喜びの涙が流れました。
苦難と迫害の中にある人たちにとって、神のみ言葉はこの上なく貴重なものです。彼らは神との契約を生命よりも尊びます。
これとは対照的に、昔のユダの民は創造主との関係を軽視しました。彼らは故意に契約を破棄し、約束を破りました。ユダの行為はその霊的な夫である神に対しては、「私はもうあなたを愛していない。自分の好きなようにさせてくれ」と言っているようなものでした。
破られた約束(エレ22:8、9)
アダムが神に背いたことによって、創造主が人類家族と結ばれた関係が絶たれました。このような罪の状況の中にあって、神は恵みの契約という方法を用いて同じ愛の関係を回復して下さいます。聖書の契約は神と信者との献身的な関係です(結婚関係のような)。それはまた人間を創造主との完全な一致に回復することです。
質問1
イスラエルの神がなぜエルサレムの減亡を許されたのかと尋ねるとき、異邦人にどんな説明が与えられますか。エレ22:8
聖書の契約には三つの基本的な条項が含まれています。
(1)神の誓いによって確認された契約の約束(エペ2:12、ガラ3:16、17、ヘブ6:13、17)
(2)契約の義務—十戒の道徳律に示された神のみ旨に従うこと(申命4:13)、
(3)義務や条件を満たすための契約の手段、すなわちキリストによる救いの計画(イザ42:I、6、7、ヘブ8:10~12)。
質問2
イスラエルはいつ神との契約関係に入りましたか。この契約はすでにだれに対して結ばれていましたか(出エ19:4~6、24:3~8、創世17:1、2、7、8)。ユダが完全に異教の偶像崇拝に陥ったとき、この特別な契約関係はどうなりましたか。エレ1:16、22:9
アブラハムの子孫であるイスラエルの民はすでに、神によってエジプトから導き出されたときに神との契約関係に入っていました。シナイにおいて、神は組織された国民としてのイスラエルと契約を更新されました。「わたしは……あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となるであろう」(レビ26:12)。イスラエルは自発的にこれに同意しました。
悔い改めなかった3000人の人々はシナイにおける背信に影響を与えました(出エ32:28)。しかし、契約を結んでから900年たった今、ユダの契約違反と道徳的堕落はずっと深刻でした(エレ3:3、6:15)。しかし、契約関係を破棄する代わりに、忍耐に富む神は捕囚の経験によって契約の民を訓練しようとしておられました。
従って生きる(エレ11:1~11)
協定や契約には、それに署名する者に与えられる特権が記されていますが、同時に規定を破るときに与えられる罰則も明記されています。神がシナイでイスラエルと結ばれた契約には、(従った場合に与えられる)祝福と(従わなかった場合に与えられる)のろい・さばきが明記されていました。ヨシヤを行動に促したのは神の契約に見られるこの特徴でした(列王下22:8~13、申命28章参照)。
発見された「書」が申命記の巻物であると言う聖書学者もいれば、ヨセフスのように、それがモーセの五書全体の写しであると考える人たちもいます。
質問3
ユダに対する神の目的は何でしたか。彼らを減ぼすことでしたがそれとも彼らを契約に従わせることでしたか(エレ11:1~5)。エレミヤは神の勧告をどうしようとしましたか。エレ11:6、8
「エレミヤは繰り返し、国民の注意を申命記に与えられている勧告に向けた。彼は他のどの預言者よりもモーセの律法の教えを強調し、これらがどのように国家とすべての人の心に最高の霊的祝福をもたらすかを示した。『あなたがたば…••いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ』」(『国と指導者』下巻32、33ページ)。
質問4
エレミヤは悔い改めと契約への再献身を訴え続けました(エレ7:3、26:13)。しかし、神は最後にユダの応答に関してエレミヤに何と告げられましたか(エレ11:9~12)。(マル1:5、ルカ13:3~5におけるイエスの訴えに注目してください)
「現代は多くの者が自らの言葉を軽んじる時代である。……契約は破棄され、協定は破られ、誓いは忘れられている。背信は普通で、無責任はほとんどどこにでも見られる。キリストご自身、再臨の日に地上に信仰が見られるであろうかと言われた」(M・L・アンドリアセン『聖所の儀式』121ページ)。
放浪する妻(エレ2:2、3:1、20)
質問5
神は契約関係をどんな美しいたとえによって描写しておられますか。エレ2:2(エゼ16:8、IIコリ11:2比較)
主は「契約を守」られる「真実の神」であって(申命7:9)、ご自分の民にも「契約を守る」ように望まれます。昔のイスラエル人にとって、また現代の私たちにとって、契約関係は結婚関係と同じく契約による一致です。実際のところ、神は次のように言っておられるのです。「わたしはあなたの夫となり、あなたはわたしの花嫁となる。わたしは霊的、肉体的にあなたのすべての必要を満たす」。信者はこれに対して答えます。「あなたは私を救ってくださった。それゆえ、私はあなたを愛し、真心からあなたに仕えます」。このように、神は契約関係において人類と救いの関係を確立されます。
質問6
ユダが偶像崇拝にかかわり、ついにはそれを受け入れてしまったとき、神はその行為をどのようにみなされましたか。エレ3:1、20、2:20、11:15
「多くの恋人—ユダは神との厳粛な契約関係に入っていたので、他の神々を追い求める行為は霊的姦淫とみなされた。ユダは単に不信仰の罪だけでなく、絶えず繰り返し多くの神々を追い求めるという罪を犯した」(『SDA聖書注解』第4巻365ページ)。
質問7
新約聖書によれば、契約関係に背く罪はどれほど重大でしたか。ヤコ4:4~6
「罪とは天の恋人である神を裏切ることである。それは個人的な関係から発生する。それは私たちに対する神の愛を追い払うことである。それは不貞行為である。それは自分に頼って自分を神とする絶望的で、不合理で、自滅的で、不自然で、向こう見ずな態度である」(デービッド・デイ『エレミヤ書』33ページ)。
幸福な結婚生活を送るためには時間と努力が必要です。私たちのキリストとの関係は結婚生活とどこが似ているでしょうか。神との「結婚生活」がうまくいくようにするためにはどんなことが必要ですか。
神の約束—条件つきか無条件か(エレ18:7~10)
エレミヤと背信したユダは神学的に考えが食い違っていました。ユダの人々は、契約の成就が信仰によるイスラエルの服従を条件としているというエレミヤの主張を受け入れませんでした。
質問8
ヒゼキヤ王の時代に、神はエルサレムとユダをアッシリアの軍隊から守ることに関してどんな約束を与えられましたか。イザ37:33~36(列王下18:1~7比較)
ユダの民は、神殿が神のものなので、神は神殿とご自分の民を守られると主張しました(エレ7:4参照、マタ23:38、24:1、2比較)。
「神殿とその儀式に頼ってもなんの役にも立たない。儀式や礼典は罪をあがなうことはできない。神の選民であるといっても、長く続いた罪の当然の結果から彼らを救うのは、ただ心と実際の生活における改革だけなのである。……
神の律法の保管者であると主張している者は、自分たちが外面的に戒めを尊重しているからといって、神の正義が行われるときに彼らが守られると考えてはならない。……罪を憎まれる神は、神の律法を守ると主張する人々が、すべての悪から離れるように呼びかけておられる。悔い改めと心からの服従を怠ることは、昔のイスラエルの人々に下ったのと同様の恐るべき結果を、今日の男や女の上にもたらすのである」(『国と指導者』下巻35、37、38ページ)。
質問9
神の約束の成就か、あるいは神ののろいとさばきの宣告かを決定するのはどんな明らかな原則ですか。エレ18:7~10
神の祝福が約束であるのと同じくらい、神ののろいもまた約束です。神の祝福は神のみ言葉に信頼する人たちに救いをもたらします。神のみ言葉を受け入れると言う一方で、自分自身に信頼する人たちは、祝福と同じくらい確実にのろいを受けます。神がそのみ言葉を成就されるという事実は無条件であって、変わりません。しかし、神のみ言葉がどの方向に成就するかは条件つきであって、信仰によって従うか否か、によって決まります。ユダがエレミヤの時代に、またその後の捕囚によって学んだのはこのことでした。
契約の更新(エレ3I:31~34、ヘブ8:6~13)
道徳的に破綻したユダヤ人は外国に追放の身となります。しかし、主は彼らにメシヤの出現とそれに続く支配とを待ち望むように励まされました(エレ29:10~14、23:5、6)。
質問10
来るべきメシヤに対する信仰のゆえに、主は彼らとどんな契約を結ぶと約束されましたか(エレ31:31~34)。この「新しい契約」はどんな点において「新しい」と言えますか。
神の新しい契約の約束には本質的に新しいものは何もありません(エレ31:33、34)。契約の当事者は同じく神とイスラエルです。十戒も同じであって、神はいつでも心にそれを書き記そうとされました(イザ51:7、詩37:3I)。(罪祭の実体であるキリストが来ようとしておられたので)罪のゆるしをもたらす恵みはいつでも聖所の儀式を通して与えられていました(ヘブ9:1)。
この契約の「新しい」ところはその焦点にありました。「古い」契約において、イスラエル人は「自分たちの心のはなはだしい罪深さ」を、また「キリストの助けがなくては神の律法を守ることができないこと」を悟ることができませんでした(『人類のあけぼの』上巻440~442ページ参照)。彼らは自分自身の力で神のみこころに従うことができるという誤った考えに基づいてこの契約に入ったのです(出エ19:8、24:3、4)。しかし、新しい契約はキリストによる救いについての神の約束という、「さらにまさった約束に基いて立てられ」ています(ヘブ8:6)。「私たちの罪をゆるし、ご自分の律法を私たちの心に書き記すことによって、イエスはその成就についての『保証』(ヘブ7:22)となられた」(アーノルド・Vワーレンカンフ『救いは主から来る」89ページ)。
質問11
契約更新についてのエレミヤの預言はいつ成就しましたか。マタ26:26~30可Iコリ11:25
メシヤはイスラエル民族と契約を更新することがおできになりませんでした。彼らがイエスを受け入れようとしなかったからです
(ヨハI:11)。ユダヤ人は捕囚後に異教の偶像崇拝を捨てますが、キリストがピラトの前で裁判を受けられた朝、その契約を立てられたイエスご自身を拒んでしまいました(ヨハ19:15)。キリストは聖餐式を制定することによって、イスラエルのわずかな「残された者たち」、つまり弟子たちと契約を更新されました。このようにして、彼はエレミヤによって預言されていたように、新しい、つまり更新された契約の仲保者となられたのです(ヘブ8:6~13)。
まとめ
聖書の宗教は神と信者との愛の契約によって成り立っています。結婚関係が夫と妻を義務によって結びつけるように、神との関係も両者の間に忠誠を要求します。ユダのように神との契約を破棄することは霊的姦淫の罪を犯すことです。しかし、恵みの契約に従って生きる者たちは創造主との救いの関係を楽しむことができます。
*本記事は、安息日学校ガイド1994年2期『エレミヤ書、哀歌 神の計画と私たちの役割』からの抜粋です。