祈りの預言者【エレミヤ書、哀歌―神の計画と私たちの役割】#5

目次

中心思想

神が私たちのすべてを知っておられるとすれば、なぜ祈る必要があるのでしょうか。他者のための祈りが神に受け入れられるのはなぜでしょうか。

アウトライン

  • 祈ることを教えてください(エレ3:22~25)
  • イスラエルの望み(エレ14:7~9)
  • 民のために祈るエレミヤ(エレ14:19~22)
  • 祈りの要素(エレ29:11~13)
  • 当惑の中で祈る(エレ32:16~25)

祈りは神の倉を開く鍵

国家は暗号を用いて自らの大使館、軍隊、その他の団体に指令を送ることによって、国の秘密を守ろうとします。国はまた暗号解読者を雇って、他の国が電波で流す暗号文を解読しようとします。

神は人類に対するメッセージを聖書の中で暗号化して与えておられます。聖書の「福音」は多くの人に隠されていますが(Iコリ2:14)、神が故意にそうしておられるのではありません(ヨハ7:17)。神のみ言葉を開く鍵は信仰を持ってささげる真心からの祈りです。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」(マタ7:7)。

「祈りは、全能の神の無限の資材が蓄えられてある天の倉を開く信仰の手に握られた鍵であります。それにもかかわらず、神の子らは、なぜ祈りをおろそかにするのでしょう」(『キリストヘの道』129ページ)。

祈ることを教えてください(エレ3:22~25)

声を出そうが出すまいが、公であれ個人的であれ、祈りは信者と神との会話です。エレミヤは「涙の預言者」と呼ばれることがありますが、それに劣らず「祈りの預言者」でもあります。

質問1

エレミヤが働きを始めるにあたって、神は彼に何と言われましたか(エレ3:12~14)。罪人はどのようにして主に近づきますか。主は悔い改めたユダヤ人たちに何と祈るように教えられましたか。エレ3:22~25

エレミヤ書3:12~14の宣言は(紀元前722年以来、捕囚になっていた)北の諸部族に対するものですが、ユダに対する神の勧告もこれとほほ同じものでした。主はご自分の愛と保護に立ち返る方法を易しい言葉で要約しておられますーあなたの罪を認めて、わたしに立ち返れ。

「主の祈り」はイエスが与えて下さった模範です(「だから、あなたがたはこう祈りなさい」マタ6:9)。親が子供に祈りを教えるように、主はエレミヤを通してご自分の民に祈りを教えられました。

キリストに行くことは厳しい精神的努力や苦痛を要求するものではない。それはただ、神がみ言葉の中で明示しておられる救いの条件を受け入れることである。……神の恵みにあずかるためには何か良いわざをしなければならないとか、キリストに行く前に自分自身をもっと良くしなければならないとか考えないで、ただ謙虚な心をもって行きなさい。……神の約束に頼って、次のように言いなさい。『主よ、私の罪をお赦しください。私はあなたの助けを必要としています。それが与えられなければ、私は滅びます。私は今、信じます』」(『セレクテッド・メッセージズ』第1巻333、334ページ)。

質問2

もし民が神から与えられた悔い改めの祈りをささげるなら、神は彼らをどうすると約束しておられますか。エレ4:1、2

その祈りがいかに短く、またぎこちないものであっても、神は心から悔い改めてゆるしを求める者たちをつねに喜んで受け入れ、ゆるしてくださいます(ルカ6:37、18:13、14)。イエスはまた私たちに語るべき言葉を教えてくださいます。それは子供のような単純な言葉かもしれませんが、どんな賢者も完全には理解できない深遠な言葉です。

イスラエルの望み(エレ14:7~9)

ユダがひどい日照りに襲われたときに、エレミヤは執り成しの祈りをささげています(エレ14:1~6)。この自然の災害は契約に背いたのろい・さばきの結果でした(エレ3:I~3、申命28:15、22~24)。

質問3

エレミヤは自分自身を民と同一視して、公に何を告白していますか。彼の要求は何でしたか。エレ14:7

エレミヤの告白は完全かつ率直で、自分を正当化するところが全くありません。彼は個人的に「われわれ」の罪と背信を認めています。それらの罪は神に対してなされたもので、数も多く、彼らの罪深さを公に証言しています。「あなたの名のために、事をなしてください」とは、神ご自身の品性のために「行動」(現代訳)してくださいという意味です。神の御名(品性)には、あわれみ、恵み、忍耐、ゆるしという特質が含まれています(出エ34:5~7)。エレミヤはその嘆願の中でこれらの特質にふれ、神に罪をゆるしてくださるように求めています。

質問4

エレミヤはどんな名称を用いて神に呼びかけていますか。それはどんな意味を持ちますか。彼が四つの比喩を用いているのはなぜですか。最後の嘆願が特に神のみ心に訴えるものがあったのはなぜですか。エレ14:8、9

聖書記者の中で神を「イスラエルの望み」と呼びかけているのはエレミヤだけです(エレ17:13参照)。唯一の真の神がおられなければ、ユダは滅びる運命にありました。エレミヤはユダのために執り成し、神が「悩みの時」にいつでもイスラエルの「救主」であられたと言っています(エレ14:8)。彼は明らかに、神が何度もご自分の民を試練や災害から救い出してくださったことを思い出していたことでしょう。過去におけるこれらの救いは明らかにイスラエルに対する神の強い愛を示していました。それなのに、なぜあなたは異邦人のように、あるいは旅人のように、あるいは人を救いえない勇士のように振る舞い、あなたの民の窮状を見過ごされるのか、と祈りの預言者は主張します。胸の張り裂けるような訴えです—われらの唯一の望みである主よ、われらにつけられたあなたの御名はわれらがあなたのものであることを示しています。あなた自身の民を見捨てないでください。

民のために祈るエレミヤ(エレ14:19~22)

エレミヤ書14章に記された二つの祈りは、共に日照りの時にささげられたものと考えられています。これらの祈りには自分の民に対するエレミヤの関心と彼らの救いのための熱心な執り成しの気持ちが込められています。

質問5

悲嘆にくれた預言者はどんな挑戦的で、苦痛に満ちた質問をしていますか(エレ14:19)。彼はここでもどれほど率直な告白をしていますか。エレ14:20

エレミヤも初期の使徒たちと同じくその時代の子でした。彼もまた、神がユダと神殿と都をバビロンの手に渡されるということを信じることができませんでした。神は本当にユダを拒絶されるのでしょうか。

エレミヤは他の何人かの預言者たちと同じく、様々なときに霊的な必要を感じている人々のために熱心に祈りました。これらの預言者とその祈りを思い出してください(創世18:23~32、出エ32:30~32、サム上7:7~12、ダニ9:3~19参照、またヨハネ17:6~26にある弟子たちと私たちのためのイエスの祈りに注目してください)。

質問6

エレミヤは神の品性、御座、契約に関する三つの短い嘆願をもってその祈りを結んでいます。彼はどんな論法を用いていますか(エレ14:21)。これに対する神の応答はどれほど辛らつですか(エレ15:1、6、7)。これを、記録されていない先の祈りに対する神の応答と比較してください。エレ7:16、11:14、14:11

エレミヤにとって真の神の名誉が傷つけられようとしていました。神はその愛のゆえにイスラエルをご自分の特別な民として選び(申命7:7、8)、彼らの神として厳粛な契約に入られました(申命7:9)。こうして、神は彼らの王となられました。異教の軍隊によって彼らが滅ぱされることは、神がその愛において移り気で、その支配において無力で、その契約に対して不忠実であるという印象を与えることになるのでした。

エレミヤは罪に凝り固まったユダの状態を十分に理解していませんでした。ユダはもはやヤーウェを愛さず、その王権を尊ばず、神を他国にあかししていませんでした。主が「あわれむことには飽きた」のはそのためでした(エレ15:6)。

エレミヤの経験は、聖霊の導きに従うと思われる人たちだけのために祈ることに関して何を教えていますか。

祈りの要素(エレ29:11~13)

エレミヤの個人的な祈りに例示されている祈りの要素に目を向けることによって、私たちはより豊かな祈りの生活のための知恵を学ぶことができます。

質問7

エレミヤはどんな態度をもって神に近づいていますか。エレ12:1、4:10、20:7

神は信じる者の友です(ヤコ2:23)。エレミヤはつねに神を尊んでいますが、その祈りは形式的ではありません。彼は自由に彼と語り、疑問について尋ね、時にはユダのために執り成しています。彼は神との絶えざる交わりの中で生きたように思われます(Iテサ5:17、ピリ4:6、7参照)。

質問8

神に祈りを聞いてほしいと望むなら私たちの側にどんな心構えが必要ですか。エレ29:11~13

「私どもは全身をささげて神に従わねばなりません。さもなければ、私どもを神のみかたちに回復する変化は起らないのであります。私どもは、生れながら神に遠ざかっています。……神は私どもをいやし、解放しようと望んでおいでになります。けれどもこれには全き改革、つまり私どもの性質を全く新しくしなければなりませんから、私どもはおのれを全く神にささげなければなりません」(『キリストヘの道』53、54ページ)。

質問9

エレミヤは効果的な祈りに欠かすことのできない信仰を何にたとえていますか。エレ17:5~8(ヘブ11:6比較)

旧約聖書において信仰はしばしば信頼と呼ばれています。キリストは唯一の救いの源です(使徒4:12)。キリストに対する信仰だけが永遠のいのちの源に至る道です。神を信じることによって、私たちは自分の罪を告白し(エレ3:13)、自分の力では自分自身を変えることができないことを認めることができます(エレ13:23、2:22)。

当惑の中で祈る(エレ32:16~25)

祈るにふさわしくない時や場所はありません。神に祈るにふさわしくない問題もありません。自分の悩みや問題を神の前に持ち出したためにエレミヤが神から拒絶されたということも全くありません。

質問10

アナトテにある親戚の土地を買うように神から命じられた時、エレミヤが当惑したのはなぜですか(エレ32:16~25)。バビロニア人の包囲攻撃を受けている時にさえ、神はこのことによってユダにどんな確信を与えようとされましたか。エレ32:42~44

神はすべての祈りに耳を傾けてくださいます。心さえ神に向けられているなら、祈る場所や姿勢はたいした問題ではありません。初期のクリスチャンはユダヤ人の神殿で祈りました(使徒3:1)。神はまた、水ぶねのそばのらくだのかたわらに立つエリエゼルの祈りを聞かれました。ネヘミヤはペルシヤの王と王妃の前に立って祈りました。ヨブは灰の中に座って祈りました。イエスはオリーブ園で永遠にかかわる問題と格闘されました。

質問11

エレミヤは捕囚という困難な境遇にある人々に、だれのために祈るように求めましたか。エレ29:4~7(Iテモ2:1~4比較)

「心をわずらわすことはなんでも神に申し上げましょう。神は諸世界をささえ、全宇宙のすべてを支配したもうのですから、神にとって大き過ぎてささえきれぬというものはないのであります。私どもの平和にかかわることであったならばどんなことでも、小さすぎてお気づきにならないということはありません。私どものどんなに暗い経験も、暗すぎてお読みになれないということはありません。またどんなに難問題でも、神には解釈できないということはありません。神の子らのいと小さき者にふりかかる災も、心を悩ます不安も喜びの声も、くちびるからほとばしる莫剣な祈りも、天の父はことごとく注意し、深い関心を払いたもうのであります」(『キリストヘの道』138ページ)。

預言者としての長期に及ぶエレミヤの働きの中で最後に記されている行為の一つは、他の人々のために祈ることでした(エレ42:1~4)。彼に祈りを求めてきたのは誠意のない非情な軍勢の長たちでしたが、彼らはエレミヤが祈りの人であって、日ごとに神と交わっていることを認めていました。

まとめ

「そもそも祈祷は、魂の呼吸であり、霊的能力の秘訣であります」(『福音宣伝者』英文254ページ)。エレミヤの個人的な祈りと書き物は、すべての信者が持つことのできる真の祈りの生活

について深い洞察を与えてくれます。神は預言者に対するように、私たちに直接的な啓示をお与えになることはありません。しかし、私たちは聖霊の助けによって聖書に与えられている神のメッセージを受け入れることができます。

*本記事は、安息日学校ガイド1994年2期『エレミヤ書、哀歌 神の計画と私たちの役割』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会新共同訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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