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ヨナ書1章4ー6節
1:4時に、主は大風を海の上に起されたので、船が破れるほどの激しい暴風が海の上にあった。 1:5それで水夫たちは恐れて、めいめい自分の神を呼び求め、また船を軽くするため、その中の積み荷を海に投げ捨てた。しかし、ヨナは船の奥に下り、伏して熟睡していた。 1:6そこで船長は来て、彼に言った、「あなたはどうして眠っているのか。起きて、あなたの神に呼ばわりなさい。神があるいは、われわれを顧みて、助けてくださるだろう」。
ヨナに働きかける神
時に、主は大風を海の上に起されたので、船が破れるほどの激しい暴風が海の上にあった。
ヨナ書1章4節
自分の使命から逃れたヨナに神はすぐに働かれます。ヨナ書では自然を通してヨナに働かれる神の姿が出てきます。風(ヨナ書1章4節)、大きな魚(ヨナ書1章17節)、とうごま(ヨナ書4章6節)、虫(ヨナ書4章7節)、風と太陽(ヨナ書4章8節)など、さまざまな方法で神はヨナに語りかけられるのです。
この嵐は偶然の産物ではありません。主語である主を文頭に置き、通常のヘブライ語の語順である動詞→主語とは逆にすることで、その神によるものであることを強調しているのです[1]。
Wiseman, D. J., Alexander, T. D., & Waltke, B. K. (1988). Obadiah, Jonah and Micah: an introduction and commentary (Vol. 26, p. 113). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.
ヨナに限らず、自然を通して神はすべての人々に語りかけられます(ローマ人への手紙1章20節)。
「恐れ」から「畏れ」へ
それで水夫たちは恐れて、めいめい自分の神を呼び求め、また船を軽くするため、その中の積み荷を海に投げ捨てた。
ヨナ書1章5節
おそらく船には多くの荷物があり、中には高価な財宝などもあったと考えられます(エゼキエル書27章25節)。さらに積み荷は原語のヘブライ語で、「積み荷」や「船の装備」を指します[2]。つまり、乗組員たちは生きるために自分たちの生活や旅路を物質的に支えていたものを捨てていくのです。しかし、海は荒れます。
物質的な支えを失った今、さまざまな地域の出身であった乗組員たちは、おのおの精神的な支えである自分の神に助けを求めていきます。しかし、海は荒れます。
この人間的な努力はヨナを海に投げ込む直前まで行われました。「しかし人々は船を陸にこぎもどそうとつとめたが、成功しなかった」のです(ヨナ書1章13節)。
そこで彼らはヨナの言葉通り、ヨナを海に投げ込むことを決意します。そしてヨナを投げ込み、海がおだやかになったとき、彼らに大きな変化がおとずれるのです。
1:15そして彼らはヨナを取って海に投げ入れた。すると海の荒れるのがやんだ。 1:16そこで人々は大いに主を恐れ、犠牲を主にささげて、誓願を立てた。
ヨナ書1章15ー16節
ヨナ書1章5節、10節、16節には「恐れ」というキーワードが登場します。人々は嵐を恐れ、ヨナのしたことを恐れましたが、16節では「主を恐れ」ていきます。恐怖から畏怖へと、怯えから尊敬と崇拝の念へと変えられていくのです。
4節から16節までの中心的な構造において、「恐れ」というテーマが際立っています。5節、10節、16節の冒頭の言葉を直訳すると、これらの間に存在する密接な関連性だけではなく、より重要なのは、船員たちが嵐を恐れることから主を恐れることへと進む過程で生じる成長が強調されることです[3]。
Wiseman, D. J., Alexander, T. D., & Waltke, B. K. (1988). Obadiah, Jonah and Micah: an introduction and commentary (Vol. 26, p. 113). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.
うつ状態のヨナ
しかし、ヨナは船の奥に下り、伏して熟睡していた。
ヨナ書1章5節
あわてふためく人々とは対照的にヨナは「熟睡」していたと記されています。ヨナの熟睡の原因は明確には記されてはいません[4]。
ただ興味深いことに「熟睡」と訳される言葉は「深く眠ること」の他に「呆然とすること 」という意味があるのです。[5]
ヨナの深い眠りは彼が無頓着もしくは無責任であったという証拠にはなりえず、むしろ物語の他の部分が明らかにしているように、彼は「気絶」していました。このような状態をもたらすのは何でしょうか。最も可能性が高いのはうつ病ですが、この物語の描写からヨナの問題を判断するのに十分な情報を得るのは難しいでしょう。茫然自失、無気力、眠気(時にはナルコレプシーに近い)は、生理学的なうつ病の症状として極めて一般的なものです。預言者が自分の仕事を終え、故郷や国から遠く離れた場所に身を置くという決断をしたときに、うつ病が生じたとしても驚くべきことではありません[6]。
Stuart, D. (1987). Hosea–Jonah (Vol. 31, p. 458). Dallas: Word, Incorporated.
ヨナはこのとき、あまりの疲労に気絶するように熟睡していて、嵐にも気づかないほどだったのかもしれません(ルカによる福音書よ8章23ー24節)。もしくはヨナはさまざまな葛藤の中で力尽きて、うつ状態にあったのかもしれません。いずれにしても、ヨナは心身ともに弱り果てていたのです。
「起きて呼ばわれ」
そこで船長は来て、彼に言った、「あなたはどうして眠っているのか。起きて、あなたの神に呼ばわりなさい。神があるいは、われわれを顧みて、助けてくださるだろう」。
ヨナ書1章6節
荷物を海に投げ捨てるために船の奥に下った船員が弱り果てたヨナを見つけます。そこで船長が来て「起きて呼ばわれ」とヨナに声をかけるのです。
船長の言葉として最初に記されている「קום קרא 起きて呼ばわれ」 という言葉は、2節でヨナがニネベに対して宣教するように召集された時に神が使われた2つの動詞を含んでいます。「ヨナは悪夢を見ているような気がしたに違いありません。この言葉は、数日前に神が彼の快適な生活を乱した言葉そのものだったのです」(アレン、208)[7]。
Stuart, D. (1987). Hosea–Jonah (Vol. 31, p. 458). Dallas: Word, Incorporated.
神から離れていったヨナに皮肉にも、船長は神と同じ呼びかけを持って話しかけます。そして、「あなたはどうして眠っているのか」と責めていくのです。
ヨナにとってこれほど苦しいことはなかったはずです。逃げ出したにもかかわらず、背を向けたにもかかわらず、「起きて呼ばわれ」という声をもう一度聞かなければなりませんでした。
ヨナはその声を聞いて形だけでもしようと、おそらく逃げ出してから初めて神に祈ります。しかし、その祈りは聞かれませんでした。
義務の道から離れ去った人の祈りは、助けをもたらさなかった[8]。
エレン・ホワイト『明日への希望』「国と指導者 22章」福音社、491ページ
まとめ
ここには2つのもがき苦しむ人々の姿が出てきます。
1つ目は船員たちで、彼らは物質的な支えを失い、偽りの精神的な支えを失っていきました。出航したときには豊かに満たされることが約束されていたはずでしたが、その豊かさを生み出すものは自らの手で海に投げ出さなければならなくなりました。そして、豊穣と守りのために礼拝していた神々の姿も、嵐の中で彼らの心から投げ出されていったのです。物質的な支えも精神的な支えも失った彼らは恐れていくしかありませんでした。
2つ目はヨナです。出航したときには、自分の義務から逃れ、遠い地に行くことで良心の声が静められるのではないかと思われましたが[9]、皮肉なことに異教徒の船長に「あなたはどうして眠っているのか。起きて、あなたの神に呼ばわりなさい」(ヨナ1:6)と言われてしまうのです。
どちらの人々も神に頼らず、すがりつけませんでした。その結果、彼らの心を支配したのは「恐怖」や「呆然」といった状態だったのです。
物質的な支えを失い、精神的なよりどこを失い、アイデンティティを失い、神から離れた彼らをサタンは支配していくのです。その中でヨナが「呆然」として「眠る」ように体を横たえていたとしても、不思議ではありません。もしかしたら、彼にとって生きていること自体が苦痛になっていたのかもしれません。
そのようなヨナに神は船長を通して「あなたはどうして眠っているのか。起きて、あなたの神に呼ばわりなさい」(ヨナ1:6)と言われるのです。
祈ることさえできなくなりつつあったヨナに、「起きなさい」と神は言われました。それは祈れなくなったとしても、すべての回復が可能なのは神以外におられないからでした。
もがき苦しみ、ときに祈ることさえできなくなる私たちに「起きなさい」と神は言われます。
[1]Wiseman, D. J., Alexander, T. D., & Waltke, B. K. (1988). Obadiah, Jonah and Micah: an introduction and commentary (Vol. 26, p. 113). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.
[2]Wiseman, D. J., Alexander, T. D., & Waltke, B. K. (1988). Obadiah, Jonah and Micah: an introduction and commentary (Vol. 26, p. 114). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.
[3]Wiseman, D. J., Alexander, T. D., & Waltke, B. K. (1988). Obadiah, Jonah and Micah: an introduction and commentary (Vol. 26, p. 113). Downers Grove, IL: InterVarsity Press.
[4]Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 4, p. 999). Review and Herald Publishing Association.
[5]Koehler, L., Baumgartner, W., Richardson, M. E. J., & Stamm, J. J. (1994–2000). The Hebrew and Aramaic lexicon of the Old Testament (electronic ed., p. 1191). Leiden: E.J. Brill.
[6]Stuart, D. (1987). Hosea–Jonah (Vol. 31, p. 458). Dallas: Word, Incorporated.
[7]Stuart, D. (1987). Hosea–Jonah (Vol. 31, p. 458). Dallas: Word, Incorporated.
[8]エレン・ホワイト『明日への希望』「国と指導者 22章」福音社、491ページ
[9]Nichol, F. D. (Ed.). (1977). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 4, p. 998). Review and Herald Publishing Association.