荒海から天の雲へ【ダニエル―主イエス・キリストの愛と品性の啓示】#8

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私たちの今回の主題であるダニエル7章の幻は、ダニエル2章の夢と似ています。しかしダニエル7章は、2章で明らかにされたことをさらに発展させているのです。第一に、幻は夜見せられ、四方からの風で波立つ海を描いています。闇と水は天地創造を連想させますが、ここでは創造がどことなくゆがんでおり、攻撃にさらされています。第二に、幻の中の動物たちは汚れた合成体で、それは創造された秩序の侵害をあらわしています。第三に、この動物たちは支配力を行使しているように描かれており、それゆえ、神がエデンの園でアダムにお与えになった支配権がこれらの勢力によって奪われたかのように見えます。第四に、人の子の到来によって、神の支配権が、もともとそれを持っていた者たちに戻されます。アダムが園で失ったものを、人の子が天の裁きの中で回復するのです。

上記の描写は、極めて象徴的なこの幻の背景となっている聖書の比喩的表現を示しています。幸いなことに、幻の重要な細部のいくつかは天使が説明しているため、私たちはこの驚くべき預言の大まかな輪郭をつかむことができます。

4頭の獣

問1

ダニエル7章を読んでください。ダニエルに示された幻の中で、最も重要な部分は何ですか。この幻は何に関するものですか。

ダニエルに示されたそれぞれの獣は、ネブカドネツァルに示された像の各部に相当しますが、それぞれの王国に関してもっと詳しく説明されています。異教の国々を象徴する生き物がみな汚れた獣であるというのは、なんと興味深いことでしょう。また、第四の獣を除いて、ダニエルはそれらの獣が既知の生き物に似ていると述べています。ですからこの獣たちは、それぞれがあらわす王国のいくつかの特徴を持っていたり、いくつかの側面を示したりしているので、恣意的な象徴ではありません。

獅子:獅子はバビロンをあらわすのに最もふさわしいものです。翼を持った獅子が、王宮の壁やそのほかのバビロンの芸術品を飾っていました。幻の中で描かれた獅子は、最終的にその翼を引き抜かれ、人間のように立たされ、人間の心を与えられます。この過程は、バビロニア帝国がのちの王たちの下で衰退することを象徴しているのです。

熊:熊はメディアとペルシアの帝国をあらわしています。それが横ざまに寝ているという事実は、ペルシアがメディアよりも優位であることを示しています。口にくわえられた3本の肋骨は、メディアとペルシアの三つの主要な占領地(リディア、バビロン、エジプト)をあらわしているのです。

豹:俊敏な豹は、アレクサンダー大王が樹立したギリシア帝国をあらわしています。四つの翼はこの獣を一層俊敏にしており、それは、既知の世界を数年にして支配下に置いたアレクサンダーの適切な描写です。

ものすごく、恐ろしい獣:これまでの存在は、言及された動物に似ていますが、この獣はそのものです。つまり、最初の三つの獣は、「獅子のよう」「熊のよう」「豹のよう」と描かれていますが、これは何かに似ていると描かれていません。たくさんの角を持つこの獣は、先に登場した獣たちよりも残酷で、強欲にも見えます。従ってそれは、鉄の足でこの世を征服し、支配し、踏みにじった異教ローマを適切にあらわしています。

人類史のこの数千年は、預言されたとおりに過ぎ去って行きました。あらゆる騒々しさ、動揺、混乱を超えて神が支配しておられると知ることから、あなたはどれほど多くの慰めを得ることができますか。このことは、聖書の信頼性について、何を教えていますか。

小さな角

問2

ダニエル7:7、8、19~25を読んでください。第四の獣から直接生まれ、その一部であり続ける小さな角の勢力とは、だれのことですか。

私たちはきのう、10本の角を持ち、非情な残酷さでこの世を支配する恐ろしい獣が異教ローマをあらわしていると学びました。今度は、小さな角とそれがあらわす勢力について考えねばなりません。幻の中で描かれているように、第四の獣は10本の角を持っていますが、そのうちの3本は、小さな角のために引き抜かれました。この角は人間の目を持ち、「尊大なこと」(ダニ7:8)を語ります。この小さな角が、(異教ローマである)恐ろしい獣によってあらわされる存在から生じることは明らかです。ある意味において、この角は異教ローマのいくつかの特徴を拡張、あるいは継続しています。それは、同じ勢力の後期の段階にすぎません。

ダニエルは、この角が聖者らと戦うのを見ます。天使は彼に、この角は三つの違法な行いをする王である、と説明しました。①いと高き方に尊大なことを語り、②いと高き方の聖者らを迫害し、③時と法を変えようとする、と。そして結果的に、聖者らは彼の手に渡されるのです。次に天使は、小さな角が活動する時間枠:ひと時、ふた時、半時(口語訳)を示します。このような預言的言語の場合、「時」という言葉は「年」を意味します。それゆえ、これは預言的3年半の期間であり、「1日=1年の原則」に従えば、1260年の期間を指し示しているのです。この間に、小さな角は神に対して攻撃を始め、聖者らを迫害し、神の律法を変えようと試みるでしょう。

問3

Ⅱテサロニケ2:1~12を読んでください。不法の者と小さな角の間には、どのような類似点がありますか。これはどんな勢力について述べていると、私たちは信じていますか。それはなぜですか。異教ローマから生まれ、ローマの一部として残る唯一の勢力、異教ローマの時代からこの世の終わりまで拡張する(つまり、今日も存在する)勢力とは何ですか。

裁判が開かれる

4頭の獣と小さな角の活動に関する幻のあと、預言者ダニエルは天における裁判の光景を見ます(ダニ7:9、10、13、14)。裁判が開かれると、王座が据えられ、日の老いたる者がそこに座りました。天の光景が示すように、多くの天使が日の老いたる者の御前に仕え、裁き主が席に着き、巻物が広げられました。

この裁判に関して注目すべき重要なことは、それが小さな角の1260年の活動期間(西暦538~1798年)のあと、神の最終的な王国の樹立の前になされているという点です。実際、幻の中で次のような連続が三回見られます。

小さな角の段階(538~1798)

天の裁き

神の永遠の王国

問4

ダニエル7:13、14、21、22、26、27を読んでください。この裁きは、どのように神の民の益になりますか。

旧約聖書は、幕屋や神殿からの裁きの行為について何度か記していますが、ここで言及されている裁きは異なります。これは、小さな角だけでなく、いと高き方の聖者ら(最終的に王権を受け継ぐ者たち)にも影響する宇宙規模の裁きです。

ダニエル7章は、その裁きを説明したり、裁きの最初や最後の詳細を伝えたりしていません。しかし、その裁きが神と神の民に対する小さな角の攻撃の結果として開かれていることを示唆しています。従って、ここで重要なのは、宇宙規模の裁きの開始を強調することです。ダニエル8、9章から(来週の研究を参照)、裁きの開始時間や、この裁きが天の贖罪日における天の聖所の清めに関係しているという事実を学ぶでしょう。

ここでの教訓は、神の民にとって益となる再臨前審判が確実にあるということです(ダニ7:22)。

人の子の到来

問5

ダニエル7:13を読んでください。ここでの人の子とはだれのことですか。あなたはどうやって彼を特定しますか(マコ13:26、マタ8:20、9:6、ルカ9:26、12:8も参照)。

裁きが進むにつれ、最も重要な人物が場面に登場します。人の子です。彼はだれでしょうか。第一に、人の子は独特な天上の人物としてあらわれます。しかし、その称号が意味するように、彼には人間の特徴も見られます。言い換えれば、彼は裁きにおいて積極的な役割を果たすために来る神的・人的存在なのです。第二に、天の雲に乗って来る人の子は、新約聖書における再臨の一般的なイメージです。しかしダニエル7:13では特に、人の子が天から地に来るようには描かれておらず、日の老いたる者の前に来るために、天の一つの場所から別の場所へ水平方向に移動しているように描かれています。第三に、人の子が天の雲に乗って来るという描写は、主が目に見える形で顕現なさることを示唆します。しかし、この比喩的表現はまた、聖所の清めを行うため、香の煙に取り巻かれながら贖罪日に至聖所へ入る大祭司も連想させます。

人の子はまた、王家の人物です。彼は、「権威、威光、王権」(ダニ7:14)を受け、「諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え」(同)ます。「仕える」に相当する動詞は、「拝む」と訳すこともできます。この動詞は、1章から7章までに9回登場しており(ダニ3:12、14、17、18、28、6:17、21〔口語訳6:16、20〕、7:14、27)、神に敬意を表するという概念を伝えています。従って、神の律法を変えようとする試みの結果として、小さな角があらわす宗教制度は、神にささげられるべき礼拝を堕落させるのです。ここで描かれている裁きは、真の礼拝が最終的に回復されることを示しています。教皇制によって作り上げられた礼拝制度は、数あるほかの要素の中でも特に、堕落した人間を神と人類の間の仲保者に任命しました。ダニエル書は、神の御前で人類を代表することのできる唯一の仲保者は人の子であることを示しています。聖書が言うように、「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです」(Ⅰテモ2:5)。

いと高き者の聖徒ら

問6

以下の聖句によると(ダニ7:18、21、22、25、27)、神の民にはどのようなことが起きますか。

「いと高き者の聖徒ら」(口語訳)とは、神の民の称号です。彼らは小さな角によってあらわされる勢力によって攻撃されます。彼らは、神の言葉に忠実であり続けることを主張するので、教皇が支配する時代に迫害されます。クリスチャンは(第四の獣であった)異教ローマ時代にも迫害されましたが、ダニエル7:25で言及されている迫害は、小さな角による聖徒らへの迫害です。この角は、ローマの異教段階が終わったあとに初めて生じます。

しかし神の民は、この世の勢力による抑圧にずっとさらされるわけではありません。神の国がこの世の国に置き換わるからです。興味深いことに、実際の幻の中では、人の子が「権威、威光、王権を受け」(ダニ7:14)ていますが、天使の説明によれば、王権を受けるのは「聖徒ら」(同7:18、口語訳)です。ここには矛盾がありません。なぜなら、人の子は神と人類とに関係しているので、彼の勝利は、彼が代表する者たちの勝利だからです。

大祭司がイエスに、「お前は……メシアなのか」(マコ14:61)と尋ねたとき、イエスは詩編110:1とダニエル7:13、14を指し示して、「そうです。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」(マコ14:62)と言われました。それゆえ、イエスは天の法廷において私たちを代表されるお方です。彼はすでに闇の力を打ち破り、その勝利を御もとに近づく者たちと分かち合っておられます。ですから、恐れる理由は何もありません。使徒パウロが適切に述べているとおりです―─「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」(ロマ8:37~39)。

ダニエルの幻が何千年も前に、歴史をどれほど正確に描写しているか、考えてみてください。このことは、未来に対する神のすべての約束を私たちが信じるうえで、いかなる助けとなるべきですか。

さらなる研究

歴史をざっと見るだけで、北方からのゲルマン人による攻撃で生じたローマ帝国の滅亡後、ローマ司教が三つのゲルマン部族の崩壊を巧みに利用して、西暦538年以降、自分をローマにおける唯一の権力として確立したことがわかります。彼はこの過程の中で、ローマ皇帝の制度的、政治的機能をいくつか採用しました。そこから教皇制が登場し、1798年にナポレオンによって退位させられるまで、世俗的、宗教的権力を与えられたのです。ナポレオンによる退位はローマを終わらせたのではなく、ローマによる迫害の特定の段階を終わらせたにすぎませんでした。教皇は、キリストの代理人であると主張しただけでなく、聖書に反する教理や宗教的習慣をいくつも導入しました。煉獄、改悛、秘密告解、日曜日への安息日の掟の変更などは、教皇制によって導入されたさまざまな「時と法」の変更の一部です。

「人間は自分だけの力では、敵の告発に対処することができない。彼は罪に汚れた衣をまとって、罪を告白しながら、神の前に立っているのである。しかし、彼らの助け主であられるイエスが、悔い改めと信仰によってその魂を彼に委ねたすべての者のために、力ある嘆願をして下さる。イエスは彼らの訴えを述べ、カルバリーでの大いなるいさおしによって、告発者を打ち破られるのである。神の律法に対するイエスの完全な服従が、天においても地においても、いっさいの権威を彼に与えた。そして彼は、罪深い人間のために憐れみと和解を、天の父にお求めになる。彼は神の民を責める者に向かって言われる。『サタンよ、主はあなたを責めるのだ。この人々は、わたしの血によって買い取った、火の中から取り出した燃えさしである』。そして信仰をもってイエスに信頼する者に、彼は『見よ、わたしはあなたの罪を取り除いた。あなたに祭服を着せよう』という確証をお与えになるのである(ゼカリヤ3:4)」(『希望への光』604、605ページ、『国と指導者』下巻192ページ)。

*本記事は、安息日学校ガイド2020年1期『ダニエル書 主イエス・キリストの愛と品性の啓示』からの抜粋です。

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そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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