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ダニエル書5章は、1000人の来客が集う盛大な宴会をもって始まります。「1000人」は決して誇張ではありません。古代の王たちは盛大な宴会を好むことで知られていました。エステル記の冒頭には、クセルクセス王が貴族や家臣のために180日にわたって酒宴を催したと書かれています
(エス1:3、4)。歴史家クテシアスによれば、ペルシアの王は毎日、1万5000人を自分の食卓によって養い、アレクサンドロス大王の婚宴には、「1万人の客が集った」といわれています(J・A・モンゴメリー『インターナショナル・クリティカル聖書注解――ダニエル書』250ページ、1927年)。
ダニエル書5章を通じて、ネブカドネツァルはベルシャツァルの父であるといわれています(ダニ5:2、11、13、18、22)。これは、ベルシャツァルの母ニトクリスがたぶんネブカドネツァルの娘であることを意味しています。セム語の「父」という言葉は、必ずしも直系の父をさすとは限らず、先祖または前任者一般をさすこともありました。メフィボシェトはサウルの子と呼ばれていますが(サム下19:24、口語訳)、実際にはヨナタンの子でした(同9:6)。キリストはダビデの子と呼ばれていますが(マタ9:27)、これはダビデがキリストの父であったからではなく、キリストがダビデの家系に属しておられたからです(ルカ2:4)。
これらのことを念頭において、「大宴会」の出来事を見てみましょう。
壁に字を書く指(ダニ5:1~9)
紀元前539年に、ペルシアの王キュロスがバビロンに進攻したとき、バビロンの王ナボニドスはキュロスを阻止するためにチグリス川沿いのオピスでこれを迎え撃ちます。しかし、バビロニア軍は大敗し、ペルシア軍はすぐにユーフラテス川沿いのシッパルにまで攻め入ります。キュロスは紀元前539年10月、一戦も交えることなくシッパルを占領します。バビロニアの年代記によれば、ナボニドスは南に逃れます。息子ベルシャツァルはシッパルの南56キロのところにあるバビロンに留まります。バビロンが強力な要塞であると信じたからです。
問1
敵に包囲されながらも、ベルシャツァルがこのような宴会を催し、神の神殿の祭具を持って来させたのはなぜですか。ダニ5:1~4
ペルシア軍を侮辱するため、あるいはバビロンの強力な城壁に対する信頼を誇示するためだったのでしょうか。それとも、たまたま宴会がこの日に重なっただけのことでしょうか。いずれにせよ、神の家の祭具を持って来るようにという命令は、ベルシャツァルの高慢と無謀さを表しています。
王と来客たちは酔っ払っていましたが、「人の手の指」が壁に文字を書くのを見たとたん、顔色が変わります。突然、ばか騒ぎはやみ、宴会場は恐ろしい沈黙に包まれます。
問2
落ち着きを取り戻した王が最初にしたことは何でしたか。ダニ5:7
ベルシャツァルは解釈をさせようとしますが、祖父の場合と同様、バビロンの知者はだれひとり王を助けることができませんでした。壁に書かれた文字はアラム語でした。それはヘブライ語と同様、子音だけで書かれていて短く、個々の文字は読めても、全体の意味を理解することはできませんでした。
王妃の勧告(ダニエル5:10―12)
ベルシャツァルと高官たちの混乱はしばらく続いたに違いありません。事件の知らせは宮殿中に伝えられ、宴会場にいなかった「王妃」の耳にも届きました。この王妃がだれであるのかは不明です。ベルシャツァルの妻の一人でなかったことは確かです。というのは、王の妻たちと妾たちはすでに宴会場にいたからです(3節)。この「王妃」がベルシャツァルの母であるのか、それとも祖母、つまりネブカドネツァルの妻であるのかについては、学者の間でも意見が分かれています。
皇太后の重要性は古代近東の文書で広く認められているところです。現君主の母はしばしば、宮廷においては王自身の妻よりも重要な地位を占めていました。ハランから出土した碑文には、ベルシャツァルの母が息子の生涯に及ぼした影響について記されています。また、ギリシアの歴史家ヘロドトスは、ネブカドネツァルの母がその知恵のゆえに有名であったと述べています。バビロンの防衛を強化したのも彼女の助言によるものであったと述べています。
皇太后は宴会場に入り、おろおろしている王を落ち着かせます。ダニエルがこれまでに二度、ネブカドネツァルの夢を解き明かしたこと、今回の謎を解くことができるのもダニエルだけであることを、彼女は説明します。ダニエルはこのとき引退していましたが、バビロンに住んでいたようです。神はふさわしい時に、ふさわしい人を用意しておられました。
問3
ダニエルなら壁の文字を解読することができると、王妃が確信をもって述べたのはどんな理由からでしたか。ダニ5:11、12
皇太后は、息子にダニエルを呼ぶように言う前に、年老いた預言者をほめたたえます。彼女の言葉はダニエル書4章にあるネブカドネツァルの告白を思い起こさせます。皇太后が2度、ダニエルの名に言及していることから、彼女がダニエルをよく知っていたことがわかります。もし彼女がネブカドネツァルの未亡人であったとするなら、彼女も夫と同様、ダニエルの神に対して確信を抱いていたかもしれません。
弁解の余地なし(ダニ5:13~24)
ダニエルに対するベルシャツァルの挨拶の仕方から考えると、ベルシャツァルはダニエルを個人的に知らなかったか、あるいは長年、ダニエルに会っていなかったように思われます。ネブカドネツァルが20年以上前に亡くなったとき、ダニエルも公職から退いていたのかもしれません。しかしながら、ダニエルが老齢になってからペルシアの王たちに仕えている事実は(ダニ6:1~3)、彼が病気や老齢のためにバビロンの政界から引退したのでないことを暗示します。ダニエルが公衆の面前でベルシャツァルを非難したことが(ダニ5:22、23)、ダレイオスがダニエルを召し抱える動機の一つとなっていたかもしれません。
問4
なぜダニエルが与えられたのは第3の位でしたか。ダニ5:16
正式には、ベルシャツァルの父のナボニドスがまだバビロンの王でした。ベルシャツァルは共同摂政として第2の位にあったので、彼は壁の文字を解読できるダニエルに第3の位しか与えることができませんでした。
ダニエルは難なく文字を解読することができました。しかし、その前に、彼は王が悲劇に遭わねばならない理由を説明しています。ダニエルはネブカドネツァルの歴史を振り返ることによって、いと高き神がネブカドネツァルに、そしてベルシャツァルにバビロンの支配権を与えられたことを王に思い起こさせています(ダニ5:18、23)。ダニエルはまた、正気に戻ったネブカドネツァルが、「いと高き神こそが人間の王国を支配し、その御旨のままに王を立てられる」(21節)ことを悟ったと述べています。
問5
ベルシャツァルは神の前にどんな大きな罪を犯しましたか。ダニ5:22、23
ベルシャツァルは祖父ネブカドネツァルの身の上に起こったことを知っていましたが、彼の経験から学んでいませんでした。彼の祖父は高慢でしたが、悔い改めて、神の子となりました。しかし、ベルシャツァルは神の律法と権威を侮り、へりくだることを拒みました。それゆえに、彼の罪は大きく、裁きは迅速でした。
量目不足(ダニエル5:25―29)
問6
壁に書かれた文字は何を意味していましたか。ダニ5:26~28
アラム語で書かれたこれらの文字は4つの語群からなっていました。アラム語は、ヘブライ語と同じく、子音だけで書かれ、その読み方はどんな母音を補うかによって異なってきます。バビロンの知者にとって“MNMNTQLPRSN”という文字は意味不明でした。彼らのうちのある者は、それらを重さの単位にとり、「1ミナ、1ミナ、1シェケル、半シェケル」と解釈したかもしれません。しかし、それを現在の重さに直して、「1ポンド、1ポンド、1オンス、半オンス」としても、無意味です。ダニエルはこれを、“メネ、メネ、テケル、そして、パルシン”と読み、「数えられた、数えられた、計られた、分割された」と解釈しました。最初の言葉が繰り返されているのは強調のためです。イエスが「よくよく言っておく」と繰り返しを用いておられるのと同じです(ヨハ3:11、5:24)。
“メネ”は「数えられた」を意味します。ベルシャツァルの統治の日数が数えられ、神が終止符を打つ決定を下されたからです。“テケル”は「計られた」を意味します。たとえて言えば、ベルシャツァルの生涯と行いが秤の一方に置かれ、神の律法がもう一方に置かれたのです。不幸なことに、ベルシャツァルの方は量目が足りませんでした。“パルシン”は「分割された」を意味します。ベルシャツァルの王国は分割され、メディアとペルシアに与えられることになっていました。ここに、一種の言葉遊びが見られます。「分割された」を意味する“パルシン”と「ペルシア」を意味する“パラス”には、同じ子音が用いられているからです。
したがって、メッセージの意味ははっきりしています。神は王の罪を数え、勘定を終えて不足を宣告されたのです。バビロンの政治的絶頂期は終わりに近づいていました。ネブカドネツァルの夢と燃え盛る炉からの3人のヘブライ人の救出に加えて、壁に書かれた不思議な文字は、神が人間の行いに介入されることのもう一つの実例でした。
バビロンの滅亡(ダニ5:30、31)
神は人々に悔い改める機会を与えるために裁きを遅らせることもありますが(ヨナ1章)、ベルシャツァルの場合は恩恵期間が閉ざされていました。ペルシア軍はどのようにして難攻不落に見えたバビロンの防衛線を突破したのでしょうか。ギリシアの歴史家ヘロドトスは事件の約80年後にその理由について説明しています。彼によれば、キュロスはユーフラテス川の流れを変えることによって、バビロンの城壁の下を通っていた川の水位を下げたのでした。水位が人間の太ももまで下がったとき、ペルシアの兵士たちは川床を伝ってバビロンに侵入しました。町が難攻不落だと信じていたバビロン軍は全くの無防備でした。このようにして、ペルシア軍は彼らの不意をつき、町を攻略したのでした(ヘロドトス『歴史』90、91ページ、ペンギン・ブックス、1954年)。
バビロニアの年代記によれば、バビロンが陥落したのはティシュリの16日、現在の暦では紀元前539年の10月12日でした。ベルシャツァルは殺されましたが、父のナボニドスは南に逃れます。しかし、最後には降伏し、キュロスの憐れみにすがります。言い伝えによると、キュロスは彼を助け、ペルシア湾の北岸沿いにあるカルマニア州に住まいを与えました。
問7
紀元前539年のバビロンの滅びと黙示録の霊的バビロンの滅びにはどんな共通点がありますか。エレ51:13⇔黙17:1、エレ51:8⇔黙14:8、エレ51:45⇔黙18:4、エレ51:60~64⇔黙18:21~24
バビロンが勢力の絶頂期にあった紀元前597年頃に、エレミヤはバビロンについて預言し、次のように言いました。「バビロンは、瓦礫の山ジャッカルの住みかとなり恐怖と嘲りの的となり住む者はひとりもいなくなる」(エレ51:37)。バビロンはペルシアに攻略された後も、重要な都市でした。アレクサンドロス大王はバビロンを自分の帝国の首都にしようとしましたが、若くして死にました。彼の将軍のひとりであったセレウコス・ニカトルは北のオピスを首都とし、自分の名にちなんでセレウシアと名づけました。彼はバビロンから運んだ大量のレンガを用いて自分の首都を建設しました。こうして、バビロンは次第に忘れられ、紀元200年頃には完全に荒廃してしまいます。砂漠の砂に埋もれて、失われた都となっていたバビロンが考古学者によって発掘されたのは19世紀になってからのことです。
まとめ
「ベルシャツァルは神の御心を知り、行う多くの機会を与えられていた。彼は祖父のネブカドネツァルが人間社会から消えるのを見ていた。彼は、高慢な王の誇りであった知性がそれを与えられたお方によって取り去られるのを見ていた。彼は、王が自らの王国を離れ、野の獣を仲間とするのを見ていた。しかし、享楽と高慢に対する欲望が、決して忘れてはならない教訓を消し去った。彼はネブカドネツァルに注目すべき裁きをもたらしたのと同じ罪を犯した。彼は恵みによって与えられた機会を浪費し、真理を知るために与えられていた機会を無視した。この偉大であるが愚かな王は、無頓着にも、『救われるためにはどうすべきでしょうか』という質問を見過ごしてしまった」(エレン・G・ホワイト『バイブル・エコー』1898年4月25日)。
イザヤ書44、45章には、ベルテシャツァル王のバビロンを前539年10月に滅ぼし、神の民を解放し、エルサレム帰還を可能にした救世主、キュロスのことが預言されています。ダニエル5章はその預言がまさにその通りに実現したことを証ししています。いったいそのキュロスとは何者でしょうか?彼は主イエスの型として描かれており、その名の意味は「太陽」、彼は神によって「わたしの牧者」(イザヤ44:28)とも呼ばれており、彼は東方からやって来てバビロン捕囚のイスラエルを救済しました。それが歴史上で起こった事実です。同様に、その本体であるイエス・キリストは、終末時代のいつの日か、不敬な人々が飲み食いし、めとり嫁ぎ、平和だ無事だと言っている丁度その矢先に、突然東の空から再臨され、待ち望んでいる神の民は救出されることになるという聖書の預言です。繰り返し警告された天よりのメッセージを無頓着に無視した者たちは滅びることとなり、そして神の御民はついに天のエルサレムへの帰還となるという教えです。
預言者エレミヤによる70年の預言がほとんど終わることを覚え、真摯に祈りつつ救済の時を待ったダニエルたちのように、私たちも今、十字架の主の御再臨による解放の時を、真摯に祈りつつ待ち望みたいものです。
*本記事は、安息日学校ガイド2004年1期『ダニエル書 ダニエルに学ぶゆるぎない祈り、忍耐、愛』からの抜粋です。