【ミカ書】指導者の責任【3章解説】

目次

中心思想

どんな分野であれ教会の指導者として召されている人たちは、一般信徒の模範になるという特別な責任が与えられています。教会の霊的状態はほとんど、その指導者の霊的生き方によって決まります。

アウトライン

  • 神はお答えにならない(ミカ3:1―4)
  • 正義を愛する(ミカ3:5―8)
  • 神からの使者(ミカ3:6―8)
  • 滅ぼされた都(ミカ3:9―12)
  • 今日の指導者

指導者は支配者ではない

教会の指導者に任命されている人たちは、自分がこの世の指導者と同じ役割を与えられていると考えるべきではありません。教会のかしらはイエス・キリストだけです(エペ4:15、コロ1:18、2:19参照)。初めから終わりまでを見通されるこのような全能の指導者を持った教会は、この世のいかなる組織よりもすぐれたものです。教会指導者はキリストの意思と指導に服従すべきです。

「教会を霊的に監督する人たちは、あらゆる手段を用いて、すべての信徒に神の働きにおいて何らかの役割を果たす機会を提供しなければならない。・・・…すべての人の能力が積極的な奉仕において用いられるよう、計画がはっきりと示され十分に遂行されていない。

そのためにどれだけ多くのものが失われているかを理解している人は少ない。……計画を立てる場合には、信徒が友人・隣人のためになすことのできる働きについて特別な研究がなされなければならない」(『教会へのあかし」第9巻116、117ページ)。

神はお答えにならない(ミカ3:1~4)

質問1

イスラエルの指導者はどんな無知のゆえに、民を虐待(ぎゃくたい)する結果になりましたか。ミカ3:1

「公義」と訳されているヘブル語は「さばきの行為」、「正義」をも意味します。イスラエルの指導者は正義の心を欠いていたために、正しいさばきを下すことができませんでした。彼らは政治的、経済的動機によって人をさばきました。

質問2

イスラエルの指導者の民に対する態度を、ミカはどのように描いていますか。ミカ3:2、3

イスラエルの指導者とにせ預言者たちは、いわば民の心を引き裂いたのです。彼らは民を、動物の肉を切りきざんで煮えたぎるなべに入れるように扱いました。指導者たちのよこしまな行いが及ぼす大変な情緒的、霊的、経済的影響について想像してください。

質問3

神が祈りに答えるのを拒まれることがありますか。ミカ3:4、詩66:18

「わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べたが、顧みる者はなく、かえって、あなたがたはわたしのすべての勧めを捨て、わたしの戒めを受けなかったので、わたしもまた、あなたがたが災にあう時に、笑い、あなたがたが恐慌にあう時、あざけるであろう。……その時、彼らはわたしを呼ぶであろう、しかし、わたしは答えない。ひたすら、わたしを求めるであろう、しかし、わたしに会えない。彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、……自分の行いの実を食らい、自分の計りごとに飽きる」(箴言1:24~31)。

罪は聖霊の声を沈黙させる

「神のご要求の一つを踏みにじっていながら、神のゆるしと祝福が得られるという信念で自分をごまかしてはなりません。知っている罪を故意に犯すことによって、聖霊のあかしの声は沈黙させられ、魂は神からひきはなされます。どんなに信仰的感情の、陶酔境(とうすいきょう)にあろうとも、神の律法を無視する人の心の内にイエスは住むことができません」(「青年への使命』107、108ページ)。

正義を愛する(ミカ3:5~8)

質問4

選ばれた指導者によって運営される、組織された教会を持つことはなぜ重要ですか。使徒時代の教会の状況から考えてみてください。テト1:5(使徒6:1~7、14:23比較)

「神は無秩序の神ではなく、平和の神である。聖徒たちのすべての教会で行われているように……」(コリント第1 14:33)。神は昔と同じように今日も、教会の事柄を行うのに秩序と組織とを要求される。神はみわざに承認の印をおすことができるように、それが完壁に正確に進められることを望んでおられる。クリスチャンはクリスチャンと、教会は教会と一致し、人間の力が神の力と協力し、すべての働きが聖霊に従属し、神の恵みのよいおとずれを世に知らせるために、すべてのものが結合しなければならない」(「患難から栄光へ」上巻99ページ)。

質問5

ミカ3:5に記されている堕落した行いをあなた自身の言葉で要約してください。

にせ預言者

「ミカは、彼の動機が人間的な意味における個人的な憎しみや異なった考えにもとづくものではないことを明らかにしている。彼は、自らの権威が自分自身をこえたものにあることを強調している。また、自分が神の目的の真の代表者、神ご自身の代弁者であって、ただ自分が受けたメッセージを伝えているにすぎないと主張している。彼はこの預言者の武器を、預言者を自認する者たちに向けている。神のみこころの実行者が神の真の目的に反する者と呼ばれることは、何という告発であろうか。ミカは同じ調子で続ける。預言者が当然すべきであるように、神と自らの社会について真理を宣べ伝えるどころか、彼らは民を誤った道に導き、人々のための神の真のメッセージを誤って伝えるのである。人々は神のみことばを知る以前よりも神から離れてしまう」(レスリー.C・アレン「旧約聖書新国際注解、ミカ書』310、311ページ)。

神からの使者(ミカ3:6~8)

質問6

暗やみにいながら、光を持っていると主張する人たちはどうなりますか。ミカ3:6、7

終わりの時代になると、にせ預言者たちが起こって、「選民をも惑わそうとするであろう」と、イエスは警告されました(マタ24:24)。

「神からの自称教師たちが、神からのメッセージを持っていると言って私たちのもとに来るときには、本当にそれが真理であるか否かを注意深く調べる必要がある。……私たちは欺かれるには及ばない。なぜなら、神のみことばは私たちに何が真理であるかを知るテストを与えてくれているからである。預言者は言っている。「ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない』(イザ8:20)」(「セレクテッド・メッセージズ』第2巻99ページ)。

質問7

にせ預言者たちは「自分の霊」に従いました(ヱゼ13:3)。

これとは対照的に、ミカは何によって導かれましたか。ミカ3:8これらの特徴がエレン・ホワイトに与えられた預言の賜物にもあてはまることに注目してみましょう。

●聖霊によって与えられた力「人々に語るとき、私は前もって考えていないことを多く語る。主の御霊がたびたび私に与えられる。私は自分自身を脱却し、離れているように思われる」(「教会へのあかし」第5巻20ページ)。

●公義「私は自分のあかしにおいて、主から与えられたことをあなたがたに伝えているのである。……それらは神が幻によって私の前に示されたもの、すなわち神の御座から輝く尊い光である」(「セレクテッド・メッセージズ」第1巻27ページ)。

●罪を叱責(しっせき)する勇気「神は私をご自分の民の叱責者とされた。……私が自分からこの不愉快な務めを選んだのではない。……あがない主の御名と力によって、私は自分にできることをするのである。……私の務めは自分を喜ばすことではなく、私の働きをお与えになった天の父なる神のみこころを行うことである」(「教会へのあかし』第5巻679、680ページ)。

滅ぼされた都(ミカ3:9―12)

質問8

神は祭司に対してどんな非難をしていますか。ミカ3:11

「金に狂った祭司たちは普通の援助以上のものを受け取り(民数18:20~24)、気前のいい人たちに有利な教えを述べたようである。こうして、これらの背教した祭司たちはその聖なる務めを利得の手段とすることによって、それを汚したのである」(「SDA聖書注解』第4巻1021ページ)。

質問9

指導者の堕落のゆえに、エルサレムはどうなりますか。ミカ3:12

「エレミヤ書26:17~19によれば、この預言が与えられたのはヒゼキヤの時代であった。この預言は紀元前586年に文字通り成就した」(「SDA聖書注解』第4巻1021ページ)。ユダの指導者たちに宣告された刑罰はその罪にふさわしいものでした。彼らが詐欺行為によって土地を奪ったがゆえに、神は彼らから土地を取り上げられるのでした。

指導者たちは、自分たちが神の子らなので、どんなことをしても悪がふりかかることはないと考えました。この態度は神の愛と正義に対する彼らの無知を示していました。これと同じ態度が今日も、ひとたび神に献身したなら、あとは何をしようとも神は必ず救ってくださる、と考えている人々のうちにも見られます。

質問10

捕囚から帰還したあとでさえ、祭司たちは同じように堕落しました。彼らの霊的欠陥がどのように示されていますか。マラ1:7~10

マラキは祭司たちの行っていた悪を列挙しています。

1:7……汚れた食物をささげた。

1:8……盲目の、足のなえた、病める犠牲をささげた。

1:10……宮の戸を閉めたり、祭壇の火をともすといったささいな奉仕に対しても支払いを要求した。

1:12…・・主の台は汚れている、ささげ物は卑しむべき物であると言った。

1:13……主の奉仕は煩わしく、あきあきすると言った。

1:14……傷のあるものをささげた。

2:8……道を離れ、多くの人を律法につまずかせ、レビの契約を破った。

2:9……律法を教えるに当たり、人にかたよった。

今日の指導者

質問11

パウロによれば、牧師は自分の教える真理について良い模範を示す責任があります。次の聖句はこの責任についてどんなことを教えていますか。2コリント4:1,2、2コリント6:3,4、1テモテ3:2―7、1テモテ4:12、テト2:7,8

新国際訳聖書はテトス2:7、8を次のように訳しています。「すべてのことにおいて、良いことをすることによって彼らに模範を示しなさい。教える場合には、誠実で、厳粛で、非難を受けない健全な言葉を用いなさい。そうすれば、あなたに反対する者たちも、私たちについて何の悪口も言えなくなり、恥じ入ることになるでしょう」。

キリストに献身するとき、私たちは世にキリストを代表する者となるのです。

影響力

「純粋な、真のクリスチャンの静かな、矛盾のない生活の中には言葉よりもさらに有力な雄弁がある。人物そのものがその話す言葉よりも、もっと力のあるものである。……

他人に及ぼす影響を決定するのは自分の品性と体験である。キリストの恵みの力をほかの人に信じさせるためには自分の心と生活の中にあるその力を知っていなければならない。……キリストを自分個人の救い主とし、生きた信仰を持つのでなければ、懐疑的な社会に感化を及ぼすことは不可能である。……

クリスチャンの徽章(きしょう)は表面につけるしるしではなく、十字架や冠をつけたりすることでもない。それは神と人間との結合を示すものである。変えられた品性の中に表わされている神の恵みの力を見て、社会は神がそのみ子をあがない主としてつかわされたことを納得させられるのである。人の心をとりまく影響の中で無我の生活の感化ほど力のあるものはない。福音に対して好感をいだかせる最も強いあかしは、愛し愛されるクリスチャンである」(『ミニストリー・オブ・ヒーリング』453、454ページ)。

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