【ミカ書】希望に満ちた約束【4章、5章解説】

目次

中心思想

災いと危機に満ちた終わりの時にも、神はご自分の教会をお見捨てになることはありません。このような神の忠誠に対して、私たちはどのように応答したらよいのでしょうか。

アウトライン

  • エルサレムに中心を置く神の王国(ミカ41~5)
  • 捕囚後の回復(ミカ4:6~11)AⅢ大いなる可能性(ミカ4:11~13)
  • メシヤの初臨と再臨(ミカ5:1~15)
  • 神の新しい世界(ミカ5:3~15)

キリスト教会のための約束された回復

ミカ害3:12はエルサレムの滅亡を次のように予告していました。「それゆえ、シオンはあなたがたのゆえに田畑となって耕され、エルサレムは石塚となり、宮の山は木のおい茂る高い所となる」。この滅亡は、バビロニヤ軍がパレスチナに侵入したときに現実のものとなりました(前586年)。もしイスラエルの民が神との契約関係を守っていたなら、ミカ害4、5章に述べられている輝かしい回復の約束は、彼らの上に成就していたことでしょう。エルサレムは世界の中心となり、救い主はそこで統治しておられたことでしょう。

しかし、これらの預言は、イスラエルが神の計画に協力し、メシヤを受け入れることを条件としていました。したがって、彼らがキリストを拒んだために、この預言は最終的にイスラエルに成就することがありませんでした。しかしながら、これらの預言の中の、まだ成就していない部分は、キリストの再臨に備えている神の残りの民の上に成就することになります。

エルサレムに中心を置く神の王国(ミカ4:1―5)

質問1

「末の日になって」、神はどんな特別な恵みをエルサレムに施そうとしておられましたか。ミカ4:1、2

「ダビデが神の箱を新しい首都に移したとき、シオンはとくに神の住まれる場所の名となった。ソロモンがそこに神殿を建て、箱をそこに移してからは、シオンという名は北東の山をさすようになった(イザ2:3、8:18など)。しかしながら、シオンという名は都全体(イザ33:20、60:14)、さらにはイスラエル全体(イザ40:9、ゼカ9:13)をさすこともあった」(「SDA聖書辞典』「シオン」の項)。

もしイスラエルが救い主に従ってその預言的役割を果たしていたなら、それは世界の指導的国家となっていたことでしょう。イザヤ書2:1~4に記されているイザヤの預言も同じことを述べています。

質問2

イスラエルの失敗によって、ミカの預言は終わりの時のどんな出来事によって成就することになりますか。黙示14:1、15:2~4、21:1~4

「シオンの山」は新約聖書において「天にあるエルサレム」と同一視されています(ヘブ12:22)。そこに、新しく生まれたクリスチャンの名前が登録されています(23節)。私たちの大祭司イエスはそこで、ご自分の犠牲によって私たちのために執り成しておられます(24節)。イエスが再び来られるとき、彼のあがなわれた民はシオンの山に移され、忠実な者たちに与えられる永遠の報酬を受けます。

質問3

シオンが終わりの時に高められるとき、神の民は社会的、政治的、経済的、霊的にどんな状態になりますか。ミカ4:3~5

新エルサレムは、神の普遍的な律法による神の統治の中心となります。この律法は永遠にわたって神の民のための義の標準となります。

捕囚後の回復(ミカ4:6―11)

質問4

神の民が回復されるときに特別な祝福にあずかるのはどんな人たちですか。ミカ4:6~8

ミカ書4:6、7の「足のなえた者」とは、ためらいがちに主に従ったイスラエル人をさします。彼らはしっかりと、元気よく、果敢に主の道に従わなかったので、主は彼らが捕囚となるのを許されました。彼らは「追いやられた者」(6節)、「遠く追いやられた者」(7節)となりました。彼らは自分の国から追放され、国家の独立を奪われました。しかし、神の民が回復されるとき、神は悔い改めた者たちを約束の地に連れ戻されるのです。

ミカ書4:8に述べられている最終的な回復は、文字通りのイスラエルに成就するものではありません。なぜなら、バビロン捕囚からの帰還後、彼らは神の道に歩み続けなかったからです。「以前の主権」は、ダビデとソロモンの統治下における輝かしい王国をさすと考えることができます。しかし、最終的な意味においては、以前の主権とは、アダムとエバが罪を犯したときに失われた主権をさします(詩8:6参照)。この主権は、地球が千年期の後に新しくされるときに回復されます(黙示21、22章参照)。

神の初めの計画が実現する

「炎の剣によってアダムとエバがエデンからしめ出されて以来、聖徒たちが待ちこがれていたところの、「神につける者が全くあがなわれ』る時がきた(エペソ1:14)○もともと人にその王国として与えられたのに、サタンの手に売り渡され、長い間強力な敵に占領されてきた地が、大いなる蹟いの計画によって再びもどされたのである。罪によって失われたいっさいのものは回復された。……地上が晴われた者たちの永遠のすみかとなる時、地を創造された時の神の最初の目的が達成される。「正しい者は国を継ぎ、とこしえにその中に住むことができる」(詩篇37:29)」(「各時代の大争闘』下巻462、463ページ)。

質問5

救いが訪れる前に、ユダにどんなことが起こりますか(ミカ4:9~11)。ユダの王たちはどうなりますか—エホヤキン(列王下24:12、15)、ゼデキヤ(列王下25:2~7)

大いなる可能性(ミカ4:11―13)

質問6

もし神に忠実であったなら、イスラエルは諸国民のうちでどんな地位を占めていましたか。ミカ4:11~13

バビロン捕囚からの解放はミカ書4章の約束の成就だったのか

「この預言は、紀元前536年にクロスのもとで(エズ1:1~4、エレ29:10参照)、そしてその後、アルタシャスタのもとで部分的に成就した。しかしながら、捕囚から帰った者たちは、捕囚による懲罰と預言者の教えを通して霊的に更生していたわけではなかった。したがって、ミカ害4:1~8に描かれた輝かしい光景は、バビン捕囚後、ユダの地に帰った者たちの上に成就しなかったわけである」(「SDA聖書注解」第4巻1023ページ)。

ミカ書4:11~13は、もし帰還した捕囚民が神のみこころに従っていたなら実現していたであろう状況について述べています。周辺の諸国民は打ち負かされ、その富は世界に神の真理とみわざを広めるために用いられていたことでしょう。

現代への適用

「現代はすべての人間にとって、圧倒的に興味深い時である。統治者や政治家たち、信頼と権威の座を占める人々、各階層の識者たちは、われわれの周りに起こっている出来事に注意を集中している。彼らは国家間の関係を見守っている。彼らは地上の勢力が緊張度を増しているのを観察する。そして彼らは、重大で決定的な何事かが起ころうとしており、今や世界は、驚くべき危機の瀬戸際に立っているのを認めるのである。こうした事柄については、聖書、そして聖書だけが、その正しい見解を示しているのである。ここにわれわれの世界の歴史の、大いなる最後の光景が示されている。その出来事はすでにその影を投げ、接近する音は地を震わせ、人の心を恐怖におののかせている。……〔ミカ4:10~12引用〕神はご自分の教会を、その最大の危機の時にお捨てになることはない。神は救いを約束された。……その時、神のみこころは成しとげられる。神の国の原則は、日の下のすべての者によって崇められるのである(「国と指導者』下巻144、147ページ)。

メシアの初臨と再臨(ミカ5:1~15)

質問7

ミカ書5:1、2はどんな意味において来たるべきメシヤについて預言していますか。ミカ5:1をマタ26:67、68と比較

新国際訳聖書はミカ書5:1を次のように訳しています。「軍隊の町よ、あなたの軍隊を整列させよ。私たちに対する包囲攻撃が始まったからである。彼らはつえをもってイスラエルのつかさのほおを打つであろう」。エルサレムの敵は都を包囲し、その王をはずかしめるのでした(ヨブ16:10比較)。

イスラエルのつかさに対する最大のはずかしめは、キリストの裁判において彼に与えられたはずかしめでした。ミカ5:2に照らして考えるなら、1節の後半もメシヤについての預言になります。ローマはユダヤとエルサレムを支配していたので、世の救い主に与えられたはずかしめに対してある程度、責任があります。

質問8

ヘロデが東から来た博士たちから救い主の生まれる場所をたずねられたとき、正しい答えを与えることができたのはどうしてですか。マタ2:5、6、ミカ5:2

「ここで焦点となるのが「ベツレヘムエフラタ」である。エフラタとはベツレヘム周辺に住んでいた氏族の名である。エリメレクとナオミの家族は「ベツレヘムのエフラテぴと』と呼ばれている(ルツ1:2、サム上17:12参照)。二重の名前が必要なのは、この町をゼブルンのベツレヘムと区別するためである(ヨシ19:15)。新約聖書においては、当時のベツレヘムが「村』と呼ばれている(ヨハ7:42)……しかしながら、ベツレヘムはダビデの父、エッサイの

郷里として、またイスラエルの最大の王、ダビデの出生地として有名であった(サム上17:12)。来るべき支配者はベツレヘムから出るのである。つまり、その支配者は新しいダビデとなるのである。同じ思想がイザヤ書11:1にも表されている」(ジェームズ・リンバーグ『ホセア害~ミカ書注解」186ページ)。

キリストの永遠の先在性

ミカ書5:2の最後の句は文字通り訳すと、「永遠の昔から」となります。イスラエルの霊的指導者たちは、メシヤがベツレヘムでお生まれになることを知っていました。イエスの誕生の次第を調べていたなら、彼がそのメシヤであることがわかっていたはずです。イエスご自身、自らの神性と永遠の先在性を主張しておられました(ヨハ5:17、18、8:58、59参照)。

神の新しい世界(ミカ5:3~15)

質問9

ミカ書5:3~5のどの言葉が来るべきメシヤの生涯と働きにあてはまりますか。

アッシリヤは何を表すか「ミカの預言の時代において、アッシリヤはイスラエルの最大の敵、その存在に対する絶えざる脅威であった(列王下18、19章)。ここではメシヤの時代について語られているので、アッシリヤは明らかに回復されたイスラエルの成長する国家に敵対する諸国民を表している」(「SDA聖書注解』第4巻1025ページ)。

今日、アッシリヤは福音使命の進展を妨害する人々を表します。

質問10

もしイスラエルが来るべきメシヤを受け入れていたなら、彼らはどうなっていたでしょうか。ミカ5:7~15

彼らの繁栄は無敵の救い主に従うことからくる霊的な力によってもたらされるのでした。過去における数々の敗北にもかかわらず、神の民は将来に確かな希望を抱くことができるのです。馬や戦車は戦争のときに用いられたものです。神が旧約聖書のほかのところで、これらの力の象徴について何と言っておられるか見てください(申命17:16、20:1~4、イザ2:7、ゼカ9:9、10参照)。人々が地上の権力を確立し、他国を征服するために用いてきた要塞支配と権力、偽りの神々、異教の偶像などはすべて、神の新しい世界においては無意味なものとなります。「神のために真の犠牲を払うように要求されることは決してない。神は当然ささぐべきものを数多く要求されるが、それを実行することによって、わたしたちは天にゆく途上の妨害となるものを捨てているにすぎない。よいものを手離すことを要求されたときさえも、それはわたしたちのために、さらに益になることをなさっておられるのだと確信してよい。この地上でわたしたちを悩まし、失望させた不思議な出来事も、きたるべき国では明らかとなり、答えられそうにもないと思った祈りや、また実現しなかった希望も、わたしたちに最大の祝福であったことがわかる」(「ミニストリー・オブ・ヒーリング」458ページ)。

まとめ

ミカ書4章は古代イスラエルだけでなく霊的イスラエルにもあてはまる回復の約束について教えています。ミカ書5章はメシヤの来臨について、またもしユダヤ人がキリストを受け入れるなら実現する悪人の滅びと世界の平和について預言しています。ユダヤ国民はキリストを拒みましたが、これらの章に述べられた約束はユダヤ人と異邦人を含むすべてのクリスチャンに与えられています。まもなくこの世界が新しくされるというすばらしい希望を、私たちは与えられています。

*本記事は、安息日学校ガイド1992年1期『今は備えの時である』からの抜粋です。

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