第6課 傷を宝に変える人々

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なぜこれほどの不幸が

人はみな心身ともに健康に暮らせる幸せな毎日を願っているのに、なぜ、これほど多くの苦しみや不幸が人を苦しめるのでしょうか。思いもかけない病や障害、親子や夫婦といった人間関係の破綻、まったく本人の責任でない事故や事件、そして災害、数えあげればきりがありません。

キリストの弟子たちにとっても、人間の不幸の問題は大きな問題であったらしく、ヨハネによる福音書9章には一つの興味深い問答が記されています。

エルサレムの街で生まれつき目の不自由な人を見かけた弟子たちが、「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか、それとも両親ですか」とキリストに尋ねています。2千年前のユダヤ人も、現代の日本人と同じような因果応報的な考え方をしていたことがわかります。キリストは、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない」と答えられました。業や因果、あるいは先祖のたたりがその原因だと説明されたからといって、その人が救われるわけではありません。キリストの答えは、うしろむきな原因の詮索ではなく、「神のわざがこの人に現れるためである」という、これからの生き方を指し示すものでした。キリストと出会うとき、不幸としか思えなかった出来事が、本人を生かし、他に祝福を与える「神のわざ」に変えられていくのです。

傷を共に負ってくださる方

人に全身を動かすことの喜びを伝える体育教師として、自分が一瞬にして四肢がまひした体になることほど不幸なことはないでしょう。

国立大学の保健体育学科を卒業、郷里の中学校に奉職してわずか2か月、クラブ活動の指導中頚髄を損傷、彼は首から下がまったく動かない体になってしまいました。器械体操が得意だった星野富弘さんです。

星野さんに死を思いとどまらせたのは、13年間もほとんどベッドで上を向いたまま病と闘ったことのある作家三浦綾子氏の著作の中にあった「生きるというのは権利ではなく義務です。生きているのではなく、生かされているのです」という言葉と、そこに引用されていた聖書の言葉でした。それは使徒パウロがローマの信徒への手紙に記した「そればかりではなく、苦難をも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す」というものでした。星野さんは、「今のこの苦しみは、苦しみだけに終わることなく、豊かな人間性や希望につながっているというのである。わたしにはこの言葉自体が希望だった」とその時の体験を記しています。

9年間の病院生活の後、星野さんは豊かな自然に囲まれた故郷の群馬県東村に帰り、口に絵筆をくわえさせてもらって草花の絵を描き始めます。体の中でただ一つ動かすことのできる首を使って描く草花の水彩画と、そこに添えられた詩が人々に大きな感動を与えるようになります。あの体育館での事故から数十年を経過しましたが、星野さんの手足は今もまひしたままです。その間、家族の献身的な介護のほかに、星野さんを支え続けた大きな存在がありました。

人間を苦しめるさまざまな不幸、病。それは本来創造主が計画され、つくられた世界に存在するはずのものではなかったのです(1課参照)。人の心に最も深い悲しみをもたらす死も、痛みをもたらす罪も病も、聖書によれば、人間の神へのそむきの結果、この世界に入ってきた侵入者であって、神の計画ではなかったのです。聖書の神の最大の特徴の一つは、人間のあやまちに対して、たたりや天罰で報いる神ではなく、むしろ人間のあやまちや痛みを、ともに担おうとされる神なのです。有名なイザヤ53章のメシア(救い主)の預言はその姿を次のように描いています。

「彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼が苦しんでいるのだ、と。……彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」。

星野さんを支えたのは、このお方との出会いでした。星野さんはその思いを、その著『かぎりなくやさしい花々』の中にこう記しています。

「天井をむいて寝ていると、どうしようもないさびしさが、おそってきます。そんなとき片腕でも動いたら、そして、手のひらで顔をおおうことができたら、どんなに楽になれるだろうか、と思いました。うれしいときに感謝し、苦しいときに名をよぶ人がいたら、どんなに心づよいことでしょう。聖書のなかに書いてあるイエス・キリストという人が、わたしをだきあげて、わたしのいうことを、やさしくきいてくれるような気がしました」。

運命を使命に

2000年9月。東村立富弘美術館で星野さんは、米国からの一人の女性が到着するのを待っていました。ジョニー・エレクソンさんです。彼女は高校生の時、大西洋の浅瀬に飛び込み、海底に頭を打って首を骨折、生涯四肢まひの体になってしまったのです。一時は自分の生命を断つために指先の力が戻ることを願った彼女でしたが、キリストとの出会いを経験し、このような境遇の自分だからこそできる使命があると考え、口に鉛筆をくわえ、動物の絵を描くようになります。彼女もその個展や著作や講演を通して、多くの人々に今も生きる喜びと勇気を与え続けています。

星野さんとジョニーさんはお互いの作品を交換した後、並んで美しい自然を電動車椅子で散策することにしました。苛酷な運命を使命に変え、傷を宝に変えて生きるこの2人によって、まさに神のわざがあらわされているのではないでしょうか。

祈りの言葉
神さま、なぜ不幸なことや苦しいことが起こるのでしょう。つらくて、あなたのお姿が見えなくなることもあります。でも、あなたはそのような私をお見捨てになることなく、苦しみや痛みをともに担ってくださることを感謝します。たとえこの苦しみはなくならなくても、ともに担ってくださるあなたの助けによって希望を持って生きる勇気と力をお与えください。
イエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン。

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