イエス・キリストとは?
キリスト教の中心は文字通りイエス・キリストを救い主として信じる宗教です。イエスは歴史的人物の名前で、ヨシュアという名をギリシャ語にしたのがイエスです。このヨシュアは救いを意味します。キリストというのは、ヘブライ語のメシヤのギリシャ語訳で「油を注がれたもの」という意味の言葉です。ユダヤでは、頭に油を注がれて王や大祭司になりましたので、本来、キリストとは、王や大祭司を意味していました。ところがキリストの時代には、メシヤは、自分を救ってくださる王、あるいは救ってくださるお方を意味するようになりました。そういうわけで、イエス・キリストという名は「メシヤ」、すなわち「救い主」を意味するものでした。
イエス・キリストは、今から約2000年前、ユダヤのベツレヘムの地に父ヨセフと母マリアの子として、生を受けられました。イエス・キリストのご誕生のいきさつについては、クリスマス物語としてよく知られているものです。聖書は「マリアは、聖霊によって身ごもった」(マタイ1章18節)と表現しています。イエス・キリストは、聖霊の力によって、すなわち人間の意志や力を超えた超自然的な神の導きによって、この世に誕生されたのでした。
誕生直後、時の王ヘロデによる幼児虐殺を逃れるために、イエスは両親と共にエジプトに移住されます。ヘロデの死後、家族と共に帰国し、ガリラヤ地方のナザレという村にて青少年時代を過ごされました。父ヨセフは大工で、イエスは大工の子として育てられました。
イエスが、指導者として社会での活動を始められたのは30歳の頃でした。以降、十字架刑に処せられるまでの3年余りの期間をイエスの公生涯と言っています。
イエスは、まずガリラヤで伝道を始められ、神の福音(良い知らせ)を宣べ伝えられました。聖書は「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」(マルコ1章14-15節)と記しています。
イエスの公生涯の活動は「神の国の到来を告げ知らせること」でした。神の国の到来とは、神の救い(福音)がイエスのご生涯によって、人々の現実となったということでした。この公生涯の間、イエスは、自らの言葉と愛の実践をもって福音を伝えられました。福音書は「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた」(マタイ9章35節)と報告しています。
イエスの教えは、当時の人々にとっては、非常に画期的な内容でした。有名な山上の説教の中で、イエスはこう仰せられました。
「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。
あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(マタイ5章38-48節)
キリストは、一般に考えられていたこととは、全く違うことを教えられたのです。聖書は「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」(マタイ7章28-29節)と報告しています。
当時のユダヤ人社会では、律法学者やファリサイ派の人たちが指導者として尊敬されていました。しかし、イエスは、当時社会から軽蔑され罪人と言われた人々、すなわち、徴税人や重い皮膚病の人、姦淫の女性、サマリヤ人などと共におられました。当時の社会にあって、イエスの生き方は、革命的と言ってもよいものでした。
「イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、『なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか』と言った。イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。』」(マタイ9章11-13節)
当時のユダヤ社会では、一緒に食事をするということは、神様からいただくお恵みを共に感謝するという宗教的な意味も含まれていました。ファリサイ派の人たちは、罪人と共に食事をするということは、神様に対する冒涜であると考えたのでした。
イエスは、ファリサイ派の人たちよりも、律法を徹底されました。イエスは、罪の問題を表面的な行為ではなく、人間の根源的な心の問題とされました。罪という点においては、所詮、人間はすべて神のみ前においては五十歩百歩なのです。イエスの目には、むしろ自分の罪深さを理解していないファリサイ派の人たちの方が、問題でした。彼らは、自分の罪深さを理解していないために、イエスによる救いの必要も理解できなかったのです。
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。・・・・
言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。・・・・
あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」(マタイ5章17-19、20-22、27-28節)
キリストの教えられたことは、当時の一般に考えられている生き方とは全く異なるものでした。イエスは、律法の要求を、表面的な行為の問題ではなく根源的な心の問題として徹底的に推し進められました。その故に、イエスの説かれた意味において、誰も律法の要求に応えることができませんでした。イエスの標準からは、ファリサイ人の律法は、決して厳し過ぎるものではありませんでした。むしろ厳しさが徹底していないために、安易な律法主義に陥ってしまっていたのでした。
ファリサイ派の律法主義は、人に対して取り繕うことができるかもしれませんが、心の中を知っておられる神を欺くことはできませんでした。生まれながらに罪をもっている人間は、律法を守ることができません。それが故に、人間はみな等しく神の前に罪人であり、神の救いを必要とする者であることをイエスは教えられたのでした。この罪人を救うために、神はイエスをこの世に遣わされたのでした。
当時の指導者たちの偽善的生き方こそが、真の宗教とは全く異なるものでした。イエスは彼らを厳しく譴責されました。
「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。」マタイ(23章27-28節)
しかし、このイエスの愛の教え(福音)は、当時のユダヤ人指導者には、決して受け入れられるものではありませんでした。人々にも誤解され、やがては危険人物として告発され、ついに十字架刑に処せらてしまったのです。十字架は、極悪犯に対する最も恐ろしい死刑の手段でした。手足に釘が打ち込まれて十字架に張り付けにされ、そのままただ死に至るのを待つだけの刑罰です。肉が裂かれ血が流され、全身の痛みに耐えながら動くこともできず、ただ耐えるだけの残酷な処刑でした。
そのような極度の苦しみの中にあっても、イエスはご自分を迫害する者たちへの愛を示されました。イエスは「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)と、自分を迫害する者たちのために祈られました。
このイエスの十字架の死は、終わりを意味しませんでした。イエスは死から復活されたからです。この復活の事実により、キリスト教はユダヤの一民族宗教から世界宗教へと劇的な展開を見せていくことになったのです。絶望のどん底にあった弟子たちは、復活のキリストに出会って、新しい真理に目覚め、その福音を全世界に伝えようとして出て行ったのでした。この復活の故に、悲惨で残酷な十字架が、神の愛と栄光を象徴する十字架になったのです。それは、人間に救いをもたらす十字架でもあります。
十字架の死に至るイエスのご生涯は、一般常識からは、到底理解しがたいものでした。しかし、このようなイエスのご生涯は、すでに旧約聖書においてイザヤによって、次のように預言されていたものでした。
「わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のようにこの人は主の前に育った。
見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、
わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、
彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」(イザヤ53章1-5節)
イエス・キリストによる救い
キリスト教と言えば、すぐに十字架が連想されるように、キリスト教と十字架は深く結びついています。聖書は、私たち人類に救いをもたらすために(人類の罪を贖うために)十字架上で死なれたと述べています。
罪とは、神と人との正しい関係が崩壊している状態のことを意味しています。人が、神を無視して、自らを世界の中心とし、自らを神として絶対化してしまったことが、根本的問題でした。人は、全ての生命の根源であられる神から離反して罪を犯し、滅びるべき存在、すなわち死ぬべき存在となりました。聖書は「罪が支払う報酬は死です」(ローマ6章23節)と明言しています。神の義と裁きは罪人の死を要求します。
しかし、キリストが私たち罪人の身代わりとして十字架上で死なれたこと(贖罪)により、私たちの罪が赦され(義と認められ)て、救いの道が開かれたのです。
「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。・・・罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」(ローマ5章8節、6章23節)
キリスト教はこのイエス・キリストを救い主として信じる宗教です。キリストの十字架によって救いが完成されたことを信じるのです。聖書はこう述べています。
「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。」(ローマ3章23-25節)
神学者H・リチャード・ニーバーは、愛の本質について「愛とは、愛する者が存在しているということに対する喜びである。愛は、他者が他者であることを望み、他者が存在しなくなるよりも、むしろ自分自身が滅ぼされることを喜びとする」と述べています。
愛なる神は、人間が神にそむき自ら滅びの道を歩み始めたとき、人間が滅びることよりも、むしろそのみ子イエス・キリストを十字架の死に渡し、その死によって人間が救われる道を、敢えて選ばれたのでした。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3章16-17節)
救いは、キリストによる十字架の贖いを信じるすべての者に無条件で与えられるものなのです。信じるだけで良いのです。そしてこのキリストこそが唯一の救いの道です。聖書はキリストについて次のように述べています。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使徒言行録4章12節)
キリストに出会った人生
近代日本の生んだ指導者の一人に賀川豊彦という人物がいます。1909年、当時神学校の学生であった彼は、神戸葺合の貧民窟に引っ越していきました。以後50年間一貫して彼は、牧師として宣教に従事しながら、貧民、労働者、農民の地位向上のために献身したのでした。彼は、「日本の賀川」「世界の賀川」と称され、2度もノーベル平和賞の候補に上がりました。評論家大宅壮一氏は賀川豊彦を評してこう言っています。
「明治、大正、昭和の三代を通じて、日本民族に最も大きな影響を与えた人物ベスト・テンを選んだ場合、その中に必ず入るのは賀川豊彦である。ベスト・スリーに入るかもしれない。賀川豊彦は、その出発点である宗教の面は言うまでもなく、現代文化のあらゆる分野にその影響力が及んでいる。大衆の生活に即した新しい政治運動、社会運動、組合運動、農民運動、共同組合活動など、およそ運動と名のつくものの大部分は、賀川豊彦に源を発していると言っても言い過ぎではない。近代日本を代表する人物として、自信と誇りをもって世界に推挙しうる一人を挙げようということになれば、私は少しもためらうことなく、賀川豊彦の名をあげるであろう。」
彼は、日本の労働運動の先駆的指導者でしたが、彼にとって労働運動は単なる防貧運動、経済・賃金改善運動ではありませんでした。彼にとっては、労働運動は、あくまでも労働者の人間解放運動だったのです。彼は民主的な方法を重んじ、非暴力に徹しました。当時、力を得てきた無政府主義的傾向の活動家の批判の的になりましたが、彼はキリスト者として自分の信じる道に確固たる信念を持って歩んでいきました。
彼は、社会運動家であるばかりではなく、詩人でもあり小説家でもあり、多彩な活動家でした。しかし、何にもまして、彼はクリスチャンであり伝道者でした。彼は活動の全期間を通じて牧師でした。彼は、全力を投入して「神の国運動」を全国に展開しました。この神の国運動は、明治以来の日本の伝道活動史上最も成功した運動と評価されています。この運動の中心人物が賀川豊彦でした。
彼は自分の生き方を次のような歌に託しています。
一枚の最後に残ったこの衣神のためにはなお脱がんとぞ思う
神の国一寸だにも拡げばや千々に砕くる我が身なりとも
聖書はキリストのご生涯の歩みについてこう述べています。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2章6-8節)
賀川豊彦氏は若き日にキリストに出会い、キリストにとらえられてしまった人でした。彼は、このキリストに従い、自ら貧民窟に入っていったのでした。彼は、「神が自らの位を捨てて、ナザレの労働者イエスとして、人間生活に入り込んだと言うならば、われわれが貧民窟に入って生活する位は何でもないことである」と述べて、「私は引きずられて行こう。ただもう贖罪者イエスの十字架を負わされて、世界の嘲罵と怒号の中を、沈黙のまま、静かにカルヴァリーまで歩もう」との決意を語っています。
マザーテレサはこう言っています。
「まことのキリスト者であるとは、キリストを本当に受け入れること。そして次々にもう一人のキリストにされていくこと。私たちが愛されたように、十字架上からキリストが私たちを愛して下さっているように愛すること。私たちはお互いに愛し合い、人々を愛さなくてはなりません。……
神は愛であり、愛は神から来るのですから、愛には限界がありません。ですから神の愛のうちに本当に身を置きさえすれば、神の愛はつきることがありません。でも肝心なのは、愛すること、傷つくまで与え尽くすこと。どれだけのことをしたかではなく、あなたの愛にどれだけ愛を込めたかなのです。」
長年にわたって問題児のカウンセリング一筋に生きられた伊藤重平氏は「赦す愛の奇跡」という言葉を使っています。彼について、愛の川カウンセリングセンターの磯部陽子さんが、新聞に次のように書いていました。
「先生のカウンセリングは、聖書を基盤として子供中心でした。苦悩で疲れ果てた親たちに生き生きと愛を創造し、親が子供を愛することにより家庭で子供が立ち直っていくようにされました。暗く冷たく無表情な顔で人目を避け、先生の所にやってきても、カウンセリングを受けた後、明るく安らいだ顔で喜び、感謝あふれて飛ぶように家に帰って行くのを、私はそばで拝見し、イエス様から罪を赦されて喜んで帰っていく人と同じ世界があると驚きました。」
伊藤重平氏は、「神は愛なり。愛は寛容であり親切です。大切なみ言葉です。赦せないことを赦してやるのが寛容です。ただカウンセリングで、ゆるす言い方が難しいのです。一番大切なのは、十字架で自分も赦されたという事実です。この事実に立って赦すと、自然に言葉が出てきます」と言っています。これが彼の言う「赦す愛の奇跡」なのです。
レオン・モリスは言います。「愛は愛を生む。神の愛が私たちに達するとき、それは私たちを変革する。キリストが私たちのために死んで下さったことを真の意味で理解すること、また、その愛に真の意味で応答することは、それまでとは違った人間になることを意味する。・・・神の愛によって変革されたキリスト者は、神の愛に応答するにつれて、愛の人となっていくのである。」
キリストの愛に出会った人は、愛の人に変えられていくのです。イエス・キリストのご生涯は、過去2000年のキリスト教会の歴史を通じて、キリストを信じるものたちに受け継がれてきているのです。神学者ボンヘッファーは「イエス・キリストのご生涯は、この地上ではまだ終わっていない。キリストはそのご生涯を、キリストに従う者たちの生活の中でさらに生きたもうのである」と表現しています。
キリストへの決断
イエス・キリストは、ある時、弟子たちに尋ねて、こう言われました。「『人々は人の子をだれと言っているか』。彼らは言った、『ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります』。そこでイエスは彼らに言れた、『それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか』。シモン・ペテロが答えて言った、『あなたこそ、生ける神の子キリストです』」。(マタイ16章13-16節)
アフリカの密林の聖者と言われたあのシュヴァイツアー博士はこう言っています。
「イエスに出会った人々は、彼が誰であるかを理解しなかった。それと同じように、キリストは私たちの所に、見知らぬ人、名もない人として現れ給うのである。イエスは私たちに『我に従え』(マルコ1章17節)と同じ言葉を語りかけられ、私たちに、私たち自身がこの時代に解決しなければならない課題を示されるのである。」
キリストは、2000年前この世界に来られ、人々に出会われました。当時、ある人々は彼を神の子、救い主と呼び、ある者は預言者、他の人は神を汚す者と言いました。今日、キリストは、人々を通して、聖書を通して、また教会を通して私たちに出会われます。現代に生きる私たち自身もまた、このキリストとどう関わるかの決断を迫られているのです。
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