第7課 信仰

目次

キリスト教信仰とは

「鰯(いわし)の頭も信心から」という言葉があります。鰯の頭のようにつまらないものも、それを信仰する人には尊く思われるところから、信仰心が不思議な力をもつ例えとして用いられています。

信じることは、人間が生きていく上で、必要不可欠なことです。しかし、聖書は信仰心そのものが力をもつとは教えていません。何を、私たちが信じるかが問題なのです。

誰かと何かの約束をする時、私たちはその人を信じ、相手がその約束を守ってくれることを信じているのです。人を信じるとは、人の信実さ、誠実さを信じることです。その約束に伴うものが重大であればあるほど、私たちは、慎重にそれを検討して決断するでしょう。結婚にあたっては、相手の生涯を通じての誠実さを信じてその決断をするのではないでしょうか。

キリスト教では、信仰を重んじています。クリスチャンになるということは、キリストを信じるということです。キリストのお約束を信じて決断をするのです。その信じて決断をする行為を信仰と言います。信仰をもつということは、聖書に書かれている神の誠実さとそのお約束を信じること、聖書に啓示されている救い主キリストを信じて受け入れることを指します。キリストの救いを信じて受け入れるということを、ある人は「キリストから差し伸べられた救いの手に対して、それを握り返す行為」と表現しました。私たちは、キリストのお約束を信じて、その救いの手を握り返すだけでよいのです。するとキリストの手は、私たちの手をしっかり握りしめて、救いあげて下さいます。私たちは、そのキリストのお約束を信じて決断するのです。

信仰は、告白であると言うこともできます。私たちは、教会の礼拝、信徒の交わり、教会の宣教、教会の社会への具体的奉仕に参加することによって、また個人の生活の中で神の言葉に生きることによって、私たちは信仰を公に表明することができます。聖書は「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです」(ローマ10章9-10節)と教えています。

キリスト教では、「啓示」ということを重んじます。これは「本来隠れているものが明らかになること」という意味ですが、キリスト教では「本来人間に隠されていた神ご自身が、イエス・キリストを通して人間に現わされた」ということを意味しています。この啓示を福音といいます。聖書はこう言っています。「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。」(ガラテヤ1章11-12節)

ルターの宗教改革-「信仰による救い(義)」の発見

有名な宗教改革者マルティン・ルターは、修道士時代、神に喜ばれるようになりたいと思い、熱心に修行を積みました。彼は耐えられる限りの厳しい修行に励みました。長い不眠の行を守り、断食を重ね、世俗の事柄をできるだけ避けていました。しかし、どんなに一生懸命になって厳しい修行を積んでも、自分が神の前に立つことができるという確信は得られませんでした。心の奥底にある自分を吟味したとき、神のご命令を守ることのできない醜い罪人であることを認めざるをえませんでした。

1510年、彼はローマを訪問する機会を得ました。当時、教会を代表して「永遠の都」ローマを訪問することは破格の光栄でした。

当時、ローマには「ピラトの法廷の聖階段」というものがありました。この階段は、キリストが十字架につけられる際に降りられた階段で奇跡的にエルサレムからローマに移されたと伝えられていました。この階段をひざまずいて昇る者には罪の赦しが約束されていました。

ローマに来たルターは、罪の赦しを得るために、このピラトの階段を昇りました。一段ごとに階段に口づけし、主の祈りを唱えながら、敬虔な思いで昇りました。頂上に達し身を起した瞬間、彼は思いがけず不思議な疑念に駆られました。そして、思わず「はたしてこれは本当にそうなのか」とつぶやいてしまったのでした。

ローマから帰ったルターは、ドイツ東部ザクセンのウィッテンベルグの修道院に移り、さらにそこの大学の聖書学教授になりました。彼は聖書学講義の準備のために多くの時間を聖書研究に費やしました。

彼は、聖書を学びながら、パウロの「神の義」という表現につまずきました。彼は、「神の義」を「神が罪人を正しく罰すること」という意味に理解していました。彼にとって、神とは、「救い主なる神」ではなく「審判者なる神」でした。愛の神ではなく、怒りの神だったのです。彼はこう書いています。

「日夜、私は思索し、ついに私は『神の義』と『信仰による義人は生きる』という言葉との関連を発見しました。私は、神の義を『神が、恩恵と全くのあわれみから、信仰を通して、私たちを義としてくださるという正しさ』であるという理解に達しました。そこで、私は生まれ変わって、大きく開かれた門から天国に入ったように感じたのです。聖書全体が新しい意味をもつようになりました。以前は『神の義』が、私を恐怖で満たしていたのに、今では一層大きな愛のうちにあって言いようのない心地良いものとなりました。」

ここでルターが発見した真理は、人間が救われるのに必要な働きは、キリストの十字架の出来事によって完了しているのであって、人間はこのキリストの贖いの働きを信じて受け入れるだけでよい、ということでした。これは言いかえれば、人間は、神の律法を守ることはできず、自分の努力や行いによっては救いを得ることはできない、ただキリストを信じることによって救われる、ということです。

このような理解は、当時のローマ・カトリック教会の教えとは相反することでした。当時の教会は「人間は神の恵みによって清くなり、善行を積むことにより、神に義と認められる」と教えていました。この考えは、「行いによる義」と言われています。それに対して、ルターは聖書を根拠に「信仰による義」を主張したのでした。

1517年、ルターは、ついに95か条の抗議文を発表し、当時のカトリック教会に対して大胆に挑戦したのです。これが、宗教改革の始まりでした。これはやがて全世界を揺り動かす大きな流れとなっていきました。ルターは、決して大きな改革を起こそうと目論んでいた訳ではありませんでした。ただ、神から示された救いの真理を人々が正しく理解するように望んだだけでした。

彼の宗教改革の結果、当時のローマ・カトリック教会の誤った教義に抗議(プロテスト)するプロテスタント教会が生まれました。その基本的立場は「聖書のみ」そして「信仰のみ」だったのです。

パウロの「信仰による義」

ルターが発見した「信仰による義」の真理は、聖書のパウロの書簡を熱心に祈りのうちに研究した結果でした。すなわち、聖書の真理の再発見だったのです。

パウロは、クリスチャンになる前は、熱心なユダヤ教徒であり、キリスト教の迫害者でした。彼は、クリスチャン迫害の使命に燃えて、ダマスコへ向かいましたが、途中劇的な回心の経験をしてキリスト教に改宗しました。

彼は、ユダヤ教徒として律法を熱心に学び実践しようと努めました。彼は、律法を真剣に守ろうとすればするほど、それができない自分、罪の奴隷となっている自分を発見しました。いくら頑張っても律法が要求しているような善行は行い得ないことを知り、自分の行いによっては神の前に義(正しい)とされることはないことを発見しました。あくまでも、人間が神の前に正しいとされる(救われる)のは、自分の行いによるのではなく、神の一方的な恵みの提供によるのである、という真理に彼は導かれたのです。

パウロはこう断言します。「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。」(エペソ2章8-9節)

彼は、さらに「ローマの信徒への手紙」の中でこう書いています。

「なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。

なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。」(ローマ3章20-28節)

「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。それで、善をなそうと思う自分には、いつも悪が付きまとっているという法則に気づきます。「内なる人」としては神の律法を喜んでいますが、わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。

わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。」(ローマ7章15節~8章2節)

救われるためには、神の律法は人間にそれを完全に守ることを要求します。しかし、罪ある人間にはそれを守るのが不可能なのです。この意味で、神の律法は、私たちに罪の自覚と救い主の必要性を教えてくれます。

罪の結果は死でした。そこで、神は、キリストを送られ、キリストが十字架上で人間の身代わりとして死なれることにより、律法の要求に応えられたのです。人間が救われるためには、このキリストの身代りの死を信仰によって受け入れさえすれば良いのです。そうすれば、神は、キリストの義を私たちの義と認めてくださり、私たちを罪のない(律法の要求を満たした)者として受け入れてくださる(救われる)のです。これが聖書の教える救い(信仰による義)なのです。

義認から聖化へ(救いの体験から服従の体験へ)

人間が救われるのは、ただ「神の恵みのみ」によるのであり、人間の側では、その救いをただ「信仰のみ」によって受けるのです。救いの体験にあずかるということは、価値観の大変革を体験することです。「自分中心の生き方」から「キリスト中心の生き方」に変えられていくのです。それは、キリストの従う生き方となります。

聖書は、「聖霊の神」を世界と人間のうちに働かれる神として教えています。私たちがキリストを受け入れるのは聖霊の働きによるのですが、キリストに従う生活も、また聖霊によります。聖霊のお働きによって、私たちに代わって十字架上で死なれた「私たちのためのキリスト(Christforus)」が、「私たちの内なるキリスト(Christinus)」になっていくのです。信仰によって罪が赦され神から義と認められることを「義認」と言い、私たちのうちにキリストが形作られていくことを「聖化」と言います。私たちを救う神の恵みは、必然的に私たちを神に従う聖化の道へと導いていくのです。

「律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。

では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない。罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なおも罪の中に生きることができるでしょう。」(ローマ5章20節~6章2節)

私たちは、決して良い行いによって救われるのではありません。しかし、良い行いに向かって救われるのです。神学者カール・バルトはこう問いかけています。「私たちは、自らこう問う必要があります。もし、実際に罪を犯すことからの解放を伴わないとするならば、罪の赦しとはいったい何でしょうか。服従なしの信仰とはいったい何なのでしょう。」

終末の裁きにおいて、救われる者と救われない者に対して神様がどう対応されるかについて、キリストは次のように話されました。

「人の子(キリスト)は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。

そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』

すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』

そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』」(マタイ25章31-45節)

キリストは、私たちの日常生活の場において、最も小さい者の一人として訪ねてこられるのです。旅人として、貧者として、迫害される者として、病人として、いろいろな形で、私たちにお現われになります。私たちは、このキリストにいかに仕えたかが、最終的な裁きの場において問われるのです。

この天国に入る者(救われる者)と入れない者(滅びる者)に共通していることが一つだけあります。それは、両者とも気が付いていないという点です。救われる者は、善いことをしたことに気が付いていません。滅びる者も、善いことをしなかったことに気が付いていないのです。救われた者は、キリストの救いにあずかることによって、知らず知らずのうちに善いことをする者に変えられていました。キリスト信仰は、信ずる者をキリストのご性質に似る者と変える力をもっているのです。

キリスト信仰に生きる

神は、キリスト信仰に生きる者に対して、次のように教えられました。

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6章25-33節)

キリスト信仰は、全てのことにおいて神を第一に生きるように教えています。私たちが、このような信仰に生きる時、日常の色々なことに煩わされないようになります。全宇宙の創造主なる神が全てを支配し、私たちを支え導いておられることを知っているからです。

このキリスト信仰を文字通り信じて実行したのが、明治時代の石井十次という人物でした。彼こそは、日本の社会福祉事業のパイオニア(先駆者)でした。社会福祉の精神さえ知られていなかった時代にあって、彼は、キリスト教的博愛の精神を持って孤児たちに仕え、岡山に孤児院を設立し運営したのです。

彼が孤児に関わるきっかけとなったのは、彼がまだ医学生であった23歳の時、ある母親から頼まれ一人の子を引き取ったことからでした。やがて25歳の時には、16名の孤児を養うまでになっていました。

そのうちに彼は、医学の道と孤児院の道を両立させることができないことを発見します。彼は祈りのうちに2日間を過ごしました。その時、心に響いてきたのは「二人の主人に兼ね仕えることはできない」とのキリストの言葉でした。彼は、「医者になる人は多くいるが、この日本の中で孤児のために献身する人は自分以外にはない。これこそ神からの召命である」と確信しました。

彼は、6年間学んだ医学書や医学ノートなど全部庭に持ち出して石油を注いで焼いてしまいました。そして孤児のために献身することを神の前に固く誓ったのでした。それは、明治22年1月10日、彼が23才の時でした。彼は、日記にこう書いています。「この時、妻は泣き、友人は悲しみ、世人は発狂せりと評せしも、予は初めて心中云うべからざる福を感ぜり。」

当時、社会福祉の先駆者たる道は、実にいばらの道でした。彼は岡山孤児院の方針について「職業を学ばしめ、文字を知らしめ、神と人とを愛する人とならしむるにあり」と述べています。

明治40年4月20日、岡山孤児院は、創立20周年記念祝会を持ちました。この時、養護児は1200名、職員は115名になっており、大阪と東京に事務所を開設していました。翌日、ジャーナリスト徳富蘇峰は、国民新聞で次のように書きました。

「ただ世には取らんがために生活するものあり。与えんがために生活するものあり。取りかつ与えんがために生活するものあり。岡山孤児院の創立者のごときは、実に与えんがために生活したるものなり。与えんと欲する者、必ずしも有する者にあらず。有する者必ずしも与えんと欲する者にあらず。石井その人のごときは、何物をも有せずして、ほとんど全てのものを与えんと欲する者なり。しこうして、その一念、一心、一信仰より築きたてたるが、すなわちこれ岡山孤児院なり」。

石井十次はこう言います。「もし人為的なものなりせば、必ず風波のために早晩破壊せらるべし。もし神の企て給うものにして、キリストこれが基礎たらば、いかなる暴風怒涛といえども、決して破壊すべからず、かえってこれがために強固不抜のものとなるべし。」

彼は、全宇宙の創造主である神に信頼している限り、この社会福祉の働きは行き詰まることはないと確信していました。彼にとって「まず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」とのキリストのみ言葉は、現実の言葉だったのです。彼は、ただひたすら全能の神を信じる信仰によって、日本における社会福祉事業の偉大な先駆者となったのでした。

キリスト信仰は、単なる頭の中の非現実的な概念ではありません。それは現実の社会にあって、私たちを実際に生かし力づけてくれるものなのです。

パウル・ティリッヒという神学者は、キリスト教信仰は、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(マルコ12章30節)とのキリストの言葉に要約されていると述べました。キリスト教信仰とは、全身全霊をもって、神を愛するという全人格的行為なのです。私たちが神を愛するというキリスト教信仰に招き入れられるとき、私たちは神を愛し人を愛する者に変えられていくのです。

信仰による力

マルチン・ルーサー・キング牧師は、20世紀の米国の生んだ偉大な人物でした。米国の公民権運動・黒人解放運動を指導し、1964年のノーベル平和賞を受賞しました。

彼は、当時の米国社会にあった黒人差別に対して敢然と立ち、キリスト教信仰に基づく非暴力主義の人種差別撤廃運動を推進しました。しかし、この運動中、白人の側からの脅迫は、絶え間なく彼に襲いかかってきました。

ある夜のこと、寝ていると電話が鳴りました。電話の声は「黒んぼ(ニガー)、もし3日のうちにこの町から出て行かなければ、お前の頭をぶち抜き、お前の家を爆破するぞ」と脅しました。電話を切った後、恐怖が心の奥底から襲ってきて、彼は眠ることができなくなりました。彼は起き上がって台所に行き、両手で頭をかかえ込みこう祈ったのです。

「神様、私はここで、私が正しいと信ずることのために闘っています。しかし、私は恐れているのです。人々は私の指導を求めています。もし私が力も勇気もなく彼らの前に立つならば、彼らも勇気を失うでしょう。私の力は今まさに尽きようとしています。今私の中には何も残っていません。私はもう一人では到底立ち向かうことができないところに来てしまいました。」

その時、彼は神の前にあることを感じました。彼はこう述べています。

「その瞬間、私は内なる声を聞いたように思った。『マルティン・ルーサーよ、正義のために立て、真理のために立て。見よ、私は世の終わりまであなたと共にいる』。私は閃光の輝きを見た。雷鳴のとどろきを聞いた。罪の大波が私の魂を征服しようとして突進してくるのを感じた。しかし同時に、『闘いつづけよ』、と優しく語りかける主イエスの声をも聞いた。主イエスは私に、決してあなたを一人にしないと約束されたのだった。」

その3日後、彼の家が爆破されるという事件が起こりました。激昂した数百人の群集が集まり、すっかり手におえなくなろうとしていました。黒人の非暴力運動はまさに暴力に転じようとしていました。その場に駆けつけたキング牧師は、興奮している群集に向かってこう語りかけたのでした。

「私たちは、暴力による報復によってこの問題を解決することはできません。彼らが何をしようとも、私たちは白人の兄弟を愛さねばなりません。イエスは、今もなおこう語りかけておられます。『敵を愛し、迫害するもののために祈れ』と。私たちはこの言葉に基づいて生きなければなりません。私たちは愛をもって憎しみに応えなければならないのです。」

彼が話し終えた時、群集の中から「アーメン」という声があがり、ある者は「神よ、あなたを祝福したまえ」と叫びました。キング牧師は大群衆の中の多くの人々の顔に涙を認めたのでした。

数々の迫害と困難に立ち向かいながら、彼は迫害する者たちに向かってこう語りかけたのです。

「私たちは、あなた方の苦痛を加える力に、私たちの苦痛を耐える力をもって対抗しましょう。あなた方の身体的暴力に対して魂の力で対抗しましょう。私たちに対してあなた方の好きなことをおやりなさい。それでも私たちはあなた方を愛し続けるでしょう。私たちは良心に照らして、どうしてもあなた方の不正な法律に従うことはできないのです。私たちの家に爆弾を投げ、私たちの子供を脅迫し、頭巾をかぶった暴漢たちを私たちに送り込み、私たちを路傍の小路に引きずり込んで半殺しにしたまま置き去りにするならしなさい。それでも、なお私たちはあなた方を愛するでしょう。だが、承知していてほしいのです。私たちは苦痛に耐える力によってあなたたちに打ち勝つであろうということを。」

1968年、彼は、メンフィスで、ついに銃弾に倒れ、39歳の生涯を閉じました。常に死の恐怖にさらされながら、彼は、キリスト信仰に支えられながら、毅然として自分に与えられた歴史的課題に真っ向から立ち向かっていったのでした。死の直前、彼はこう述べています。「私は、死後いかなる富をも残そうとは思いません。ただ献げ尽くした人生を残していきたいのです」。

彼の没後15年の1983年、アメリカ議会は、圧倒的多数で彼の誕生日を国民の祝日として制定することを決議しました。個人の名前を冠した祝日としては、アメリカ大陸発見者コロンブスと初代大統領ワシントンについで3人目でした。かつての奴隷であった黒人の子孫が国民祝日の栄誉を受けるのは実に異例のことでした。1986年の第一回祝日に際して、当時のレーガン大統領は次のような声明を発表しました。

「キング博士はその短い生涯において、彼の説教と模範的行動と指導力によって、私たちを、アメリカ創立の理念に近づけました。キング博士の声は、敵意と偏見と無知と恐れの隔てを乗り超えてアメリカの良心に触れていった真の預言者の声でした。彼は、自由と平等と兄弟愛の国としてのアメリカの約束が真実なものとなるようにと、私たちに挑戦したのです。」

彼は、これらの歴史的課題を常に信仰の文脈の中から捉えていました。信仰とは、単なる理念上のものではありません。信仰とは、実際生活において私たちを生かし支えていくものなのです。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ12章24節)と仰せられたキリストの言葉通りに、キング牧師は一粒の麦となって多くの実を結んだのでした。

故にキルケゴールは「信仰は人間のうちにある最高の情熱である」(恐れとおののき)と述べています。真の信仰は、生きる者に神への情熱を与え、人を強くし愛と真実に生きる勇気を与えます。神を愛し神に服従する道は、真の愛に生きる道であり悪に抵抗する道でもあります。

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