第15課 セブンスデー・アドベンチスト教会

目次

教会の背教と残りの教会

キリスト教会の特質は、その時代に生きる教会として、その置かれた歴史的な状況においてその信仰を言い表してきたことです。教会は、宗教改革によって一度だけ改革するのではなく、時代時代に応じて、常に「聖書」によって自己吟味し自己刷新をしてきました。

キリスト教会は、キリストの弟子(使徒)たちによって始まりましたが、それは迫害と苦難の歴史でした。当時のローマ帝国の激しいキリスト教迫害により、初代教会の指導者であったペテロ、パウロなどは殉教の死を遂げました。

しかし、迫害によってキリスト教会を撲滅させようとしたローマ帝国の意図は失敗しました。ローマ帝国はキリスト教を公認し、さらにキリスト教を国教とすることで、キリスト教との妥協が成立しました。やがて、政治権力と妥協したキリスト教会(ローマ教会)は、本来の聖書的立場を離れていきました。妥協し堕落した教会はローマ教会の司祭(教皇・法王)が地上におけるキリストの代理者であると主張して、教会は無謬であり教会のみが唯一絶対の聖書解釈者であると主張しました。その結果、聖書ではなく教会が最高の権威となってしまったのです。

キリストの救いの仲保者としての働きは、司祭による仲保に変わり(万人祭司の否定)、善きわざによって救いの功徳が得られると主張され(信仰による救いの否定)、さらにローマ教会の権威によって、聖書的安息日は土曜日から日曜日に変更されてしまったのです(十戒の変更)。

こうして福音は次第にゆがめられていきました。しかし、これはすでに聖書に預言されていたものでした。

「なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します」(2テサロニケ2章3-4節、新改訳聖書)

このような背教にもかかわらず、つねに神に忠実なクリスチャンが存在していました。特に歴史的に重要な役割を果たしたのが、聖書のみが最高権威であると主張して立ち上がった宗教改革者(プロテスタント)たちでした。この中で、最も影響力を持ったのは、マルティン・ルターやカルヴァンなどでした。ルターは、聖書を唯一の権威として当時のカトリック教会の非聖書的な伝統や教えを否定し、忘れ去られていた福音の大真理である「人間は信仰によってのみ救われる」(信仰による義)を明らかにしました。宗教改革者たちは「聖書のみ」と「キリストのみ」を主張しました。また信徒一人一人がキリストを通して神と直接的に関わることができるということから、すべてのクリスチャンは「キリストの祭司」であるという、万人祭司(全信徒が祭司)の理解を説きました。

しかし、宗教改革は、それで終わりではありませんでした。キリスト教会には、日曜礼拝の問題(安息日)、ギリシャ的霊魂不滅の思想、滴礼による洗礼など聖書的基盤を持たない思想や習慣が、まだいくつも残っていたのです。それらを解決するためには、さらに聖書の教えに忠実な教会の出現が必要でした。

清教徒たちがオランダを去ってアメリカに移住したのは「信教の自由」のためでした。その出発に当たって、同行できなかった彼らの指導者ジョン・ロビンソンは、その告別説教の中で次のように述べました。

「わたしとしては、宗教的に行き詰まった改革派教会の状態を、嘆かないではおられない。教会は現在、改革運動を起こした器たちから一歩も進んではいない。ルーテル教会は、ルターが認識したこと以上に出ていない。……そしてカルバン派の人々は、神の偉大な人物ではあったがすべてを認識していたとは言えない人の残したことを、堅く守っている。これは非常に悲しむべきことである。彼らは、その時代においては、燃え輝く光ではあったが、神の教えをすべて知りつくしたのではなかった。彼らは、もし生きていたならば、彼らが初めに受けた光と同様に、それ以上の光をも喜んで受けることであろう。」

神は、聖書を通して、あらかじめ終末時代には「残りの教会」が忠実な神の民として召しだされることを預言しておられました。ヨハネの黙示録14章では、残りの民は「神の律法を守りイエスを信じる信仰」を持ち続ける民と記されています。神の律法を守るということは、神の十戒、すなわち第4条の「安息日」を含めた十戒全体を真剣に受け止めることを意味しています。

先の「安息日」の章で学びましたように、ローマ・カトリック教会が「教会の権威」に基づいて(聖書に基いてではなく)安息日を土曜日から日曜日に変更しました。1977年版の「改宗者のためのカトリック教理問答」の中でこう述べています。

「問い:安息日はいつですか?
答え:土曜日が安息日です。
問い:どうして土曜日の代わりに日曜日を守るのですか?
答え:私たちが、土曜日の代わりに日曜日を守るのは、カトリック教会が土曜日から日曜日に移したからです。」

先の課で学んだ通り、安息日の真理は、本質的な意味において「イエスを信じる信仰」を表しています。真の残りの教会は、教会の権威や伝統よりも、聖書の教えを重要視するはずです。

終わりの時代には、「神の戒めを守り、イエスの信仰を持ち続ける民」として、残りの教会が召しだされるはずでした。さらにこの残りの教会は、背教の時代を通してゆがめられていた他の教理、すなわちギリシャ的霊魂不滅の思想、滴礼による洗礼など聖書的基盤を持たない思想や習慣を、聖書の正しい教えに基づいて復興する使命を持っていました。

また残りの教会は、キリストの再臨という人類歴史の最終場面においてユニークな役割を果たすように召されています。キリストの究極的な救いの働きは、単に個人的救いや人類の救済のみに関わるものだけではなく、全宇宙における神とサタンとの闘争という壮大な視野から、全宇宙的救済とその究極的完成という救済観と歴史観を持っているのです。

セブンスデー・アドベンチスト教会

セブンスデー・アドベンチスト教会(英語でSeventh-day Adventists:略してSDA)は、聖書をその信仰と実践の基準とする聖書主義に立つプロテスタント教会です。宗教改革以来プロテスタント教会の基本理念は、「聖書のみ」と「信仰による救い」ということでした。これはセブンスデー・アドベンチスト教会の基本姿勢でもあります。

セブンスデー・アドベンチスト教会は、その他の基本的教理において聖書主義に立つプロテスタント教会と共通しています。三位一体の神、キリトの神性、十戒の永続性、処女降誕、十字架のキリストの購い、キリストの復活など多くの点で一致しています。

セブンスデー・アドベンチスト教会を特徴づけている教理は、その名の通り「センブンスデー・アドベンチスト」という点です。セブンスデーとは英語で「第7日」の意味です。これは週の第7日である聖書の安息日を聖日とする教会を意味します。アドベンチストとは聖書の重要な教えである「キリストの再臨(アドベント)を待望する人」を意味します。この名称は、基本的な聖書を土台とする信仰では他のプロテンスタント教会と共通していると同時に、第7日(土曜日)の安息日と再臨を強調するセブンスデー・アドベンチスト教会の特徴を表しています。

セブンスデー・アドベンチスト教会は、宗教改革者ルター以来のプロテスタント教会の流れをくむものですが、直接的には、19世紀前半に米国を中心に起こった再臨運動にその源泉を求めることができます。これらの再臨運動に参加した人たちを中心にして、セブンスデー・アドベンチスト教会は、1863年にミシガンで3500人の信徒をもって正式に組織されました。1874年、J・N・アンドリューズ牧師がSDA教会の最初の宣教師としてヨーロッパに派遣されました。その後、世界各地にセブンスデー・アドベンチスト宣教師が派遣され、セブンスデー・アドベンチスト教会の宣教活動は中に世界中に拡がっていきました。

日本のセブンスデー・アドベンチスト教会の歴史は、1896年(明治29年)、米国カルフォルニアのヒルズバーグ大学の学長であったグレンジャー教授が宣教師として大河平輝彦氏と共に来日した時より始まります。時は、ちょうど日清戦争の終わった翌年で、日本国中はその勝利に沸き、軍国的国家主義の高揚の中にありました。そのような時勢の中にあって、米国人がキリスト教を宣べ伝えることは至難の業でした。

彼らは伝道拠点として東京を選び、麻布に英語聖書研究会を開設しました。これは、やがて芝公園の「芝和英聖書学校」に発展し、ここにおいて、1899年(明治32年)6月、日本における最初のセブンスデー・アドベンチスト教会である東京教会が13名をもって組織されました。ほぼ同時に教会の出版社(末世之福音社、現在の福音社)が創立されました。

同年10月、グレンジャー教授は、慣れない生活と過労からついに病に倒れ、その生涯を閉じました。来日して3年目のことでした。日本人を愛してやまなかった彼は、日本人の後継者に「あなたは同胞を愛するか」と問いかけてその厳粛な責務を託しました。そして「天国でまた会いましょう」との約束を残して、この世を去っていったのでした。彼の亡き骸は青山の外人墓地に埋葬されました。「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」(ヨハネ12章24節)とのキリストの言葉のごとく、彼は日本伝道の「一粒の麦」となったのでした。

その後、1926年に伝道者養成学校(日本三育学院)が、1929年には病院(東京衛生病院)がそれぞれ開設され、セブンスデー・アドベンチスト教会の働きは、多方面において進められていきました。

しかし、だんだん日本の政治・社会情勢はキリスト教会にとって次第に困難な時代となっていきました。1931年満州事変以後急速に台頭した軍部は、次第にファッシズム的傾向を強め、国際連盟の脱退(1933年)、日中戦争を経て、ついに1941年の太平洋戦争へと突入して行きました。

戦時下、日本のほとんどのキリスト教会は、政府の圧力に屈し戦争への全面的協力をしていきました。そのような情勢下にあって、セブンスデー・アドベンチスト教団は、聖書の主張を真剣に受け入れ天皇を神とすることを拒否した故に、教団解散を余儀なくされ、牧師たちは治安維持法違反(国体否定と戦争非協力)という罪名のもとに逮捕されました。セブンスデー・アドベンチスト牧師・信徒は困難な中にもその信仰を曲げることはせず、立派に守り抜きました。当時の特高警察の資料は彼らについて「基督者特有の無抵抗主義に依る旧信の固執を図りつつありて、転向指導の至難なるを痛感せらるる実情なり」と述べています。

戦時中、神への純粋な信仰によって困難な時期を乗り越えたセブンスデー・アドベンチスト教団は、戦後、信教の自由が保障された中にあって、全国的にその教会活動を再び展開していきました。さらに、幼稚園から短期大学にいたる教育機関、さらに医療機関、高齢者や障害者の福祉施設、出版社、食品工場などを各地に創設し、「ゆりかごから墓場まで」あらゆる年齢層の多様なニーズに応える教会としての働きを進めています。

現在では、セブンスデー・アドベンチスト教会は全世界にまたがる教会となりました。特に歴史的なベルリンの壁の崩壊以後、東欧とロシアにおいてのセブンスデー・アドベンチスト教会の成長には目覚ましいものがあり、また、中国大陸におけるセブンスデー・アドベンチスト教会も着実に進んでいます。

現在、セブンスデー・アドベンチスト教会は、全世界に4万7千の教会を有するだけではなく、プロテスタント教会では最大かつ広範囲な世界的教育システム(95の大学を含めて5千8百余の教育機関)を構築しています。さらに世界的医療ネットワーク(166の病院と371の診療所)により、先進的医療技術の開発ばかりではなく、開発途上国への医療援助や技術指導、難民や飢餓民の診療などにも当たっています。その他、30の養護施設・孤児院や120の高齢者施設など、福祉関係施設を運営しています。また、アドラ(アドベンチスト国際援助機構)は、国際的な民族紛争や難民対策、災害救援、開発途上国の開発事業などを行うNGOとして世界180カ国以上に拠点を持ち、国連、国際赤十字などと密接に連携ながら活動し、高い評価を得ています。

1998年には、信徒数は1000万人を突破し、世界人口の約583人に1人がSDA信徒となりました。セブンスデー・アドベンチスト教会は、国連に認められた230か国中205か国で働きを進め、725の言語と1000の方言を用いて伝道しています。全世界で38秒に1人の割合でセブンスデー・アドベンチストになり、毎日平均して2250人がSDAに加わりつつあります。世界人口は30年で2倍になっていますが、セブンスデー・アドベンチスト教会員は10年で2倍になっています。このままでいきますと、2010年には2000万人を突破すると予想されています。

現在ではセブンスデー・アドベンチスト教会は、キリスト教会で最も成長している三大教派の一つに数えられており、この著しい成長ぶりは、現代の多くのキリスト教会の驚異と関心の的になっているのです。

セブンスデー・アドベンチスト教会の理念:全人的回復

セブンスデー・アドベンチスト教会の理念として、セブンスデー・アドベンチスト教会の「信仰の大要」には、「教会は、イエス・キリストを主としまた救い主として信じ告白するものの共同体である。旧約時代の神の民と同じように、われわれは世から召し出されている。われわれは共に、礼拝し、交わり、神の言葉を教え、主の晩餐を記念し、全人類に仕え、世界的な福音宣教に参与する」と表現しています。

キリストの模範に従って、セブンスデー・アドベンチスト教会は「福音による全人的回復」をめざして、人間の全領域における「宣教と教育と医療」のわざに携わっています。

聖書は、キリストのお働きについて「諸会堂で教え、み国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」(マタイ4章23節)と述べています。キリストは、諸会堂で教えられる教師であると同時に、み国の福音を宣べ伝える宣教者(牧師)であり、人々の病気を癒された医者でもあられました。キリストのお働きは、「知的・霊的・身体的(知・徳・体)」存在である人間の全領域に関わるものでありました。

パウロもまた、私たちが福音にあずかる時、神ご自身が私たちを「霊も魂も体も何一つ欠けたところのないもの」(1テサロニケ5章23節)として下さることを述べて、救いは、「福音による人間の全人的回復」であるとしています。聖書に示されている福音は、人間の罪からの解放と全人的な回復をもたらします。

そのキリストの模範に従って、セブンスデー・アドベンチスト教会は「福音による全人的回復」をめざして、人間の全領域における「宣教と教育と医療」のわざに携わっています。その目的のために、SDA教会は、単に教会を組織しているだけではなく、多くの学校や病院を運営しています。教会による福音宣教と、学校による全人教育(知育・徳育・体育の三育教育)、病院や健康教育施設・健康食品事業などによるトータルな健康の回復と増進、社会福祉施設による社会への奉仕という多角的活動によって、福音が人々を「霊的・知的・身体的」に豊かにするものであるという信仰を実践してきました。

健康的ライフスタイル

人間は「霊的・知的・身体的」存在であり、それらは人格において統合され分かち難く結び付いています。「福音による全人的回復」の視点から、セブンスデー・アドベンチスト教会は身体的健康にも関心を注いできました。聖書は、私たちの身体は「聖霊が宿ってくださる神殿である」として、次のように述べています。

「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(1コリント6章19-20節)

聖書に教えられている健康原則を実行することは、人々に多くの祝福をもたらしてきました。創造当初、神は、「種を持つ草と種を持つ実をつける木を、全てあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物になる」と言われ、人間の主たる食物として植物性食品をお与えになりました。SDA教会は、この神様の勧告を実践することによって多くの祝福にあずかってきました。

現代医学は、がんや心臓病など生活習慣病の予防に、緑黄色野菜を中心とする食生活がいかに有効であるかを実証してきました。また、逆に喫煙や肉類を中心とする食生活がいかに健康に害をもたらすものであるかが、ますます明らかになってきました。

米国がん研究財団は「食物・栄養・ガン予防:世界的視野から」(1997)と題した膨大な報告書を作成しました。この中で「喫煙と肉類を避け、多くの野菜と果実を中心にした植物性のバラエティーに富んだ食事をすること」を勧告し「これによりがんのリスクを60-70%減らせる」と報告しました。

国立がんセンターの平山雄元疫学部長は、日本における健康調査の結果から、最も健康的な日本人はセブンスデー・アドベンチストのライフスタイルを実行している人たちであると結論しました。彼は、健康増進のために「SDA型ライフスタイル」を提唱し、「禁煙・菜食・がん予防」という標語を作り出しました。

セブンスデー・アドベンチスト信仰の特徴の一つは、「真剣に生活の中に生きる信仰」なのです。この世で「より良きキリストへの奉仕」に携わるために、より良い心身の健康を増進するために、神様から与えられた健康原則に従いながら、キリストの業にあずかっていくのです。

私たちは、神様から与えられた「霊的・知的・身体的」健康をできるだけ良い状態に保つことによって「神の栄光を現すこと」を期待されているのです。ゆえに使徒ヨハネは「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています」(3ヨハネ2節)と書いているのです。

終末的生き方

再臨信仰から出発しているセブンスデー・アドベンチスト教会は、「(キリスト再臨の)時は迫っている」という終末信仰に生きています。パウロは、このような終末的生き方について、次のように勧めています。

「兄弟たち、わたしはこう言いたい。定められた時は迫っています。今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。」(1コリント7章29-31節)

この世の旅路において私たちは色々な所に留まることでしょう。しかし、いつも旅立ちの準備をしながら留まるのです。終末信仰は、私たちに、この世に属するすべてのものを、いつも永遠の観点から見ることを教えてくれます。

終末的に生きるといっても、私たちは生きている限り、決してこの世と無関係に生きることはできません。それどころか聖書は、むしろ私たちが神の証人として、積極的にこの世や他者に関わっていくことを教えているのです。私たちは、キリストの再臨を望みつつ、かつ「地の塩」としての務めを果たしていくのです。

しかし私たちは、「この世の有様は過ぎ去る」ことを知る者として、この世とかかわっていくのです。この世にいる限り、生活するために私たちは色々な物を購入し所有しなければなりません。しかし私たちは、それらをやがて捨て去るべきものとして「持たない者のように」所有するのです。この世では、私たちはあくまでも旅人であり、寄留者なのです。この世の旅路において私たちは色々な所に留まることでしょう。しかし、いつも旅立ちの準備をしながら留まるのです。終末信仰は、私たちに、この世に属するすべてのものを、いつも永遠の観点から見ることを教えてくれるのです。

終末信仰に生きるということは、日々の生活において「祝福に満ちた望みである」主の来臨を心から待ち望みつつ、かつ積極的にこの世における責務を果たしていくことなのです。ウィンソープ・ハドソンは「アメリカの宗教」という本の中で、終末信仰に生きるSDAの姿を次のように紹介しています。

「世界の終末が切迫しているという彼らの堅い信仰を考えるなら、彼らが、出版所、病院、老人ホーム、そして教育施設に莫大な投資をしているのは実に驚くべきことである。彼らは単に多くの高校、大学、大学院、神学校、医学部、歯学部を維持しているのみならず、広く行き渡った小学校のネットワークを創り上げている。彼らの多くの良い働きを見て、一人の人は次のように言った。『神の国の到来を期待しつつ、地上でこのように勤勉に働いているグループはほかにいない。』」

セブンスデー・アドベンチストの教会生活

セブンスデー・アドベンチスト教会は、聖書の教えに従って、土曜日を安息日として教会に集まります。土曜日の教会生活は国や地方によって多少相違はありますが、典型的な例をご紹介しましょう。

土曜日の午前のプログラムは大きく分けて9時半からの安息日学校と11時からの礼拝からなっています。

安息日学校は文字通り教会の学校です。そこで信徒は神のみ言葉である聖書を学ぶのです。まず安息日学校は朝9時半から始まりますが、その前に10分から15分の賛美歌礼拝があるのが普通です。これは皆で賛美歌を歌いながら、心を神に向け聖書の学びに備えるのです。そして信徒の信仰生活の証しを聞いたり、世界あるいは日本各地での教会の働きの報告を聞きます。

その後、教課研究といって聖書の学びの時間があります。信徒は三ヶ月ごとに全世界共通の新しい聖書研究用の教科書が与えられ、それを家庭において毎日学びます。教会ではその一週間の学びを共にするのです。教会では、多くの場合、幼児から青年、そして大人までいくつかのグループに分かれて聖書の深い学びをします。

11時から礼拝が始まります。礼拝は信徒が共に集い祈りと賛美をし、牧師を通して語られる神のみ言葉に耳を傾けるのです。私たちの礼拝は、神によって初めて生かされている存在であり、自分の全存在は神によっていることを告白する行為なのです。礼拝という行為の中で、人は神との出会いを体験するのです。

礼拝の中心は神のみ言葉が語られる説教です。説教者の語る聖書のみ言葉は「人の言葉」でありながら「神の言葉」になるのです。聖書はこう述べています。「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。」(1テサロニケ2章13節)。

聖書の語っているものは、単に過去の出来事ではありません。私たちの救いのために「今」「この場所」に起こっている現実のキリストの救いのわざを語っているのです。そのときに私たちは神の救いを体験するのです。ここにおいては、聖書の言葉は、聖霊によって神の生けるみ言葉となるという奇跡が生ずるのです。それが、真の礼拝なのです。

礼拝においては、献金があります。それは自分の財産・収入など全ては神からの委託であるという基本的認識があります。そして、神からのお恵みの一部をお返しするのが献金なのです。献金は、礼拝への参加費でも会費でも入場料でもありません。また、自分の幸せを願う「おさい銭」でもありません。私たちは、余ったものを捧げるのではありません。献金は、私たちの全生活がすべて神への捧げものであることを告白していることの具体的な証しとして捧げるのです。献金は、神様からの恵みに対する応答なのです。ですから「神様から頂きましたお恵みの一部をお返し致します」という祈りがそこで捧げられます。「つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」(2コリント9章6-7節)

礼拝のあとは、みんなが参加する楽しい昼食会を持ち、午後は、教会での色々な活動・交わりの時に用いられます。礼拝に共にあずかった者たちが、礼拝後共に交わりの時を持つのです。神との垂直的な交わりに続き、信じる者たちの水平の交わりの時なのです。喜びや悲しみも共に分かち合う信徒の交わりによって、私たちはさらに信仰について深く理解し、具体的な信仰生活のあり方についてお互いに学ぶのです。

また、午後は伝道の時でもあります。神から祝福を受けた者は、その祝福を知らない人々と分かち合うために教会から地域社会に出て行くのです。

このようにして、教会員は、土曜日の安息日毎に教会に集まり、共に神のみ言葉に与り、お互いの信仰の交わりをし、共に伝道をするのです。そして再び一週間のそれぞれの社会生活の歩みに出て行くのです。また週の半ばの水曜日の夜には祈祷会があります。この世に生きる教会員は、週の半ばに、教会に集い共に信仰について語りあい、そして祈り励まし合いながらお互いの信仰を高めていくのです。

セブンスデー・アドベンチストキリスト教会は日本においても、全国的に活動を展開しています、電話帳などを探せば、皆様の住んでおられる住所の近くに「SDA○○キリスト教会」と書かれているのを発見することが出来るでしょう。

ぜひ、近くのセブンスデー・アドベンチストキリスト教会を尋ねられて、その素晴らしい教会生活の体験にあずかっていただきたいと願っております。

全国のセブンスデー・アドベンチスト教会の所在地

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