第16課 安息日

目次

初めからある2つの制度

聖書の初めの2章は、この世界と人間の創造の記録です。神が理想的におつくりになったこの世界の初めに、2つの制度が定められました。これは人間が罪を犯す前に与えられたもので、人間が本当に幸福な生活を続けるためでした。その一つは結婚の制度です。男女が完全に、人格的に結合する喜びの経験であるこの制度の意味と正しい考え方が示されました。もう一つの制度は、安息日という特別な日が定められたことです。

週制度

私たちはいろいろな時の区切りを用いています。1日、1週、1年などです。これらの時の区切りは、たいてい天体の現象を元として定めたもので、地球の自転の周期から1日、公転(地球が太陽のまわりを1回転する動き)の周期から1年が定められています。しかし1週、すなわち7日間という時の区切りはどこからきたものでしょうか。7日という周期を持った現象は自然界には見当たりませんが、週制度は非常に古くから用いられています。大英百科事典のカレンダーの項を見ると、7日という時の単位は、太古の時代からほとんどすべての東洋諸国において用いられ、東洋から西洋に広がっていったと書いてあります。

人類の発祥地と考えられているチグリス川、ユーフラテス川流域のメソポタミヤ地域に、人類の最も古い文化と制度が見いだされますが、その中にすでに週制度が存在しています。この時代の東洋民族はほとんど滅び去ってしまいましたが、はっきり残っているのはユダヤ民族です。この民族を、この時代と現代をつなぐ鎖とみなすことができます。

ことに便利なのはユダヤ民族は、古代民族のうちで、他と比較にならないほど、正確な歴史的記録を持っていることです。それは旧約聖書です。考古学の発達に伴い、旧約聖書の歴史性が正確であることは、今日では一般に認められるようになりました。

この旧約聖書の中に7日という時の単位及び週という言葉が出ています。旧約聖書はヘブル語で書かれていますが、ヘブル語の週という言葉は7を意味する語根からきたものです。このことからも、週と7との関係がうかがわれます。

創世記2章1、2節には、「こうして天と地と、その万象とが完成した。神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた」と書かれています。すなわち7日という周期は、天地創造の期間にその基礎を置くものです。

ユダヤの学識深いラビたちも、このことを証言しています。また、先に引用した大英百科事典のカレンダーの項には次のように述べられています。「週とは7日間の周期を指し、それに不変の一様性を与えるような天体の運動はない。……それは太古の時代から、ほとんどすべての東洋の諸国において用いられた。これは1年または1か月の何分の一というようなところからきたものではないから、デランバーも指摘しているように、もしモーセの物語(旧約聖書の創造の記事)を認めない者はその起源について確からしく思われる説明をすることに困難を感じるであろう」

このようにして始まった週制度の第7日は聖書によれば特別な日でした。「神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである」(創世記2章3節)。

「聖別する」というのは「それが聖なることと宣言し、聖なる目的のために用いるようにとっておく」という意味です。すなわち神は1週の第7日を、創造のわざを記念して聖別されたのです。この考えは十戒の中にさらに明瞭に示されています。「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」(出エジプト記20章8~11節)。

もし人間が創造のとき以来、第7日をおぼえて、これを聖別していたら、この世界には、無神論者は1人もいなかったでしょう。神をおぼえることが現代のすべての問題に解決を与えるとするならば、このような信仰のない唯物的な時代に、安息日は特に注目される必要のある重要な制度なのです。

週制度の継続

この週制度が創世以来、今日まで続いてきたことについて、イタリアの天文学者ジー・スキアパレッリは、『旧約の天文学』という著書の中で、「安息日の間隔は中断されることなく連続的に行われたことは疑うことができない」と言っています。

またキリストはすべてのことにおいて私たちの模範ですから、イエスが当時守られた安息日は、創世以来の変わらない循環を保ってきた第7日であったと信じることができます。したがって週制度の継続を確かめるには、キリストの時代から、現在に至るまでの変遷を調べればよいわけです。

まず日の勘定が飛んだり、重複したりしたとは考えられません。少数の人々には思い違いがあるかもしれませんが、全人類がそのような誤りに陥ることは考えられません。また天文学者という、日時の勘定を専門の仕事としている人もいます。

もう一つの懸念は、暦の改訂にあたって、週日に変化はなかったかということです。キリスト以後、暦の改訂が行われたのは、1582年の1回だけです。この改訂の前の暦は、ユリウス暦で、改訂後の暦は、この改訂を指導したローマ法王グレゴリウス13世の名をとってグレゴリオ暦と呼ばれています。これが今日私たちが用いている暦です。

ユリウス暦においては、1年を365日と4分の1と考えていましたが、実際には約11分14秒ほどの誤差がありました。このために16世紀後半のグレゴリウスの時代には、季節より暦日が10日ずれてきて、太陽が春分点を通過する(春分日)のが3月21日ではなく、3月11日になってしまったのです。この不都合を解消するために、改暦が必要となりました。

改暦の要点は、暦日を季節にあわせることと、将来このようなことが起こらないように閏を入れる規則を定めることでした。このとき、さまざまな改訂案が出ましたが、カトリック百科事典9巻251ページによると、週制度を廃するという考えは全く出なかったのです。

この百科事典の8巻740ページにこのときの改訂方法について記載されています。「キリスト教時代においては、1週の日の順序が決して途切れていないことは、注目すべきことである。グレゴリウス13世が1582年に改暦を行ったときは、10月4日木曜日の次を10月15日金曜日としたのである。英国においては、1752年に、9月2日水曜日の次を9月14日木曜日とした」

法王グレゴリウス13世の布告によって、スペイン、ポルトガル、イタリアでは直ちに改暦が行われましたが、主として宗教的軋轢のために、他の国々は、直ちにこれに従いませんでした。英国では1752年までユリウス暦を使用しました。開始時期は異なりますが、他の国々でもグレゴリオ暦を採用するようになりました。したがって週制度は創世以来、今日に至るまで変わることなく続いてきたことは明らかです。

第七日は土曜日

さて、聖書の中で言われている第7日が、土曜日にあたることはどうしてわかるでしょうか。

イエスの復活が、日曜日であったことについては異論がありません。そこで、イエスの復活についての聖書の記録を調べてみると、ルカによる福音書23章の終わりに、イエスが十字架にかかられたあと、そのからだをアリマタヤのヨセフの助力で、まだだれも葬ったことのない墓におさめた記事があります。54節から56節に、「この日は準備の日であって、安息日が始まりかけていた。イエスと一緒にガリラヤからきた女たちは、あとについてきて、その墓を見、またイエスのからだが納められる様子を見とどけた。そして帰って、香料と香油とを用意した。それからおきてに従って安息日を休んだ」とあり、それにつづいて24章1節から3節に、「週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。ところが、石が墓からころがしてあるので、中にはいってみると、主イエスのからだが見当らなかった」という復活の記事があります。

復活の日は現在の日曜日にあたるのですから、イエスの時代に、「おきてに従った安息日」というのは「週の初めの日」の前の日、すなわち、週の終わりの日、第7日の安息日で、これが現在の土曜日にあたることは明らかです。

次に聖書以外の歴史的な証拠を少し調べてみましょう。聖書では日に特別な名前はなく、第1、第2……と数で呼んでいて第6日は準備の日、第7日は安息日と呼んでいました。日月火水木金土という名前は、古代バビロンの占星術から起こったものと思われます。その当時、太陽系の惑星の中でよく知られていたのは、土星、木星、火星、太陽、金星、水星、月で、これらは世界を支配する神々であると考えられていました。1日24時間、1時間ごとに順番に支配し、その日の第1時間を支配する神は、その日の主であると考えられました。そして、その惑星の名前をその日の名前としたのです。一般的な順序は、土星が最高位で、土木火日金水月の順序でした。

そこで、今、土星が一日の第1時間にあたっている日を考えると、この日の24時間は、(1)土、(2)木、(3)火、(4)日、(5)金……(23)木、(24)火となり、その次の日の第1時間は太陽(日)の支配する時間となり、その日は太陽の日となります。これを繰り返していくと、土日月火水木金という週の曜日の順序が出てきます。

聖書の第7日が、この占星術からきた土曜日にあたることは、いろいろな歴史的文献が示しています。その二、三を挙げてみましょう。

1世紀から2世紀にかけての歴史家タキトウス(55頃〜120頃)は、ユダヤ民族の起源を土星の神と結びつけ、そのために土星の日に休むと言っています。このユダヤ人の起源の考えは、伝説的なものです。安息日を土星の日と結びつけているのは、ユダヤ人が守っていた聖書の第7日の安息日が週の土星の日、すなわち、土曜日にあたっていることを示しています。

アレキサンドリヤのクレメンス(150頃〜215頃)は、その当時盛んであったグノーシス派の人々について、「彼らは第4日と準備の日の意味を知っていた。前者は水星の神、後者は金星の神より名づけられた日であった」と言っています。これは聖書の週の第4日が水曜日に、また6日の準備の日が金曜日にあたっていたことを示しますから、第7日は土曜日にあたっていたことになります。

ラバヌス・マウルス(776〜856)はドイツのマインツの大僧正で、その時代の最も教養の深い人と考えられています。彼は次のように言いました。「彼(法王シルベステル1世)は昔からの習慣に従って第1日を主の日と呼んだ。その日は初めに光が送られた日であり、またキリストの復活が祝われた日であった」

これは聖書の週の第1日が日曜日にあたることを示しています。このほかユダヤ人の伝えた週の第7日が、週の土曜日にあたることを示す文献はいろいろあります。

安息日の宗教的意義

十戒は神が人間にお与えになった生活の原則です。その中の4つは、神に対する人間の義務を定めています。第1条において人間の礼拝の対象、第2条において礼拝の真の様式、第3条は礼拝にのぞむ適当な態度、第4条は礼拝のための特別な時を示しています。

信仰経験の中核をなすのは、神との交わりです。神は礼拝のため、また神との交わりのために特別な日を設けてくださいました。もちろんいつでも私たちは神と交わることができますが、安息日は特別な意味で、神が人間に交わりを与えてくださる日です。

また安息日は神のため、人のために奉仕をする日です。そして安息日を守ることは、神の民のしるしであると教えられています。

「しかしキリスト教の礼拝日は日曜ではありませんか」と言われる方がおられるかもしれません。事実、現在では多くのクリスチャンは日曜日を守っています。日曜日を特別な日とするさまざまな神学的理由が挙げられていますが、聖書的な根拠はありません。

カトリック教会の機関紙のひとつ、『カトリック・ミラー』1893年9月23日号には、「カトリック教会はプロテスタントが存在する1000年も前に、安息日を土曜日から日曜日に変更した」と書かれていますが、教会歴史を調べればそれが事実であることがわかります。またカトリック教会の教理問答は、聖書の安息日が土曜日であることを認めた上で、カトリック教会が教会の権威によってこれを変更し、日曜日にしたことを述べています。

聖書は「人間に従うよりは、神に従うべきである」(使徒行伝5章29節)と教えています。神が選んだ安息日と人間が選んだ日曜日、私たちはどちらを守るべきでしょうか。最終の時代において、これは神の民に対する忠誠の試金石となります。

安息日の過ごし方

聖書によれば1日は日没から始まります。週の最初の日は、土曜日の夜から始まります。安息日は、金曜日の日没から始まり、土曜日の日没に終わります。1週間の歩みは、この安息日に向けて整えられると言っても過言ではありません。安息日は、私たちが神様と集中的に交わることができるように聖別されているのです。

私たちの日常生活の中心に神を礼拝する安息日はすえられています。1週間の生活が、この安息日の祝福に向かってすべて整えられていることを自覚しながら毎日を送りましょう。

聖書によると、安息日は、金曜日の日没に始まります。聖書を信じる多くのクリスチャンは、その時を賛美と祈りのうちに聖書を読みながら迎えます。土曜日の朝は、教会の集まりに出席します。そこでクリスチャンの仲間と共に聖書を学び、礼拝説教を通して神のみ声に耳を傾けます。

午後は、日常の活動を離れて信徒の同胞と共に、神のみ言葉を学んだり、隣人への奉仕に生きながら、神のみ言葉とみ業を集中的に体験します。そして、土曜日の夕方には、感謝と祈りのうちに日没を迎え、新しい1週間へと歩み始めるのです。

私たちが、自らの日常の働きを中止して、安息日の休みを手にするようにとの神の招きに応えて創造主であり贖い主である神に1日24時間を捧げるとき、私たちは、神こそが私たちの救いの完成者であるとの信仰を、自ら告白し実践しているのです。

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