【サムエル記上解説】神はご自分の民の指導者を選ばれる【9章〜12章】#4

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選ばれ,試みられる指導者  

どの時代においても,神はご自分の民のために忠実な指導者を選ばれます。彼らが成功するか失敗するかは,神の導きに喜んで従うか否かにかかっています。

神は王を選ばれる 神はイスラエルが王を持つことに同意されました。しかし,神は預言者サムエルを通して,その選択を導いておられました。聖書によれば,サウルが王になろうと望んだのでもなければ,民が彼を選んだのでもありません。神ご自身がベニヤミンの小部族から無名の一青年をお選びになったのでした。サウルは不意にサムエルによって油を注がれて,王となります。そのあと,サウルは最初の戦いに勝って,民の信頼を集めます。サムエルはイスラエル人にふたたび,もし彼らが神に忠実なら,神はつねに彼らを教え,導いてくださると約束します。

ここで覚えておきたいことは,たとえ神の民が神のみこころからそれたとしても,神はなお彼らのうちに働かれるということです。神は新しい指導者を選ぶことによって彼らの精神を生き返らせ,衰えた霊的力を強め,彼らを神の知恵と力のみなもとに導かれます。人間は失敗しても,神は決して失敗することがありません。神はいつでもご自分の教会を導き,あわれみをもって弱い信者を守り,愛をもって失われた人類を救うための無限の目的を遂行されます。

王として選ばれたサウル(サムエル記上9章1節〜27節)

サム上9:1~14に記されたサウルと彼の父のろばの物語を読み,次の点について考えてください。

サウルの背景(1節)
サウルの顔かたち(2節)
サウルの職業(3節)
サウルのしもべ(5~8節)

「将来の王の人間的特質は,王を求めた人々の誇りを満足させるものでなければならなかった。……背が高く,りっぱで気高い威厳を備えた壮年期の彼は,生まれながらの指導者のように思われた」(『人類のあけぼの」下巻272ページ)。

この細かな描写(サム上9:1~14)は,イスラエルが王を求めたことを述べるうえでどんな意味を持ちますか。

サウルは父のろばをさがしていました。ろばはイスラエルにおいて忠誠の象徴となります。サウルはろばを見つける代わりに,預言者に会います。神はイスラエルに王を与えることに同意しておられましたが,王を選択する権利は神の手中にありました。サウルには政治的な経験もなければ,指導者になるという野心もありませんでした。しかし,神は彼をイスラエルの望む王にふさわしい人物一強健な肉体的素質と魅力的な容姿一とごらんになりました。さらに,この頃のサウルは,神の教えと導きに従順でした。ペリシテ人は背が高く,強健な民でした。このことが指導者に対するイスラエル人の好みに影響を与えていたかもしれません(サム上9:16,17参照)。

  • サウルとサムエルの出会いをあなた自身の言葉で書き直してみてください(サム上9:18~10:1)。サムエルが初めてサウルを見たときに,神がサムエルに言われたことにとくに注意してください(サム上9:17)。
  • もしあなたがサムエルだとして,無名の,経験のない人に自分の指導権を譲らねばならなくなったとしたら,どう思いますか。
  • もしあなたがサウルだとして,何も知らないまま策略にたけたペリシテ人と戦わねばならなくなったとしたら,どうしますか。
  • 今日の教会のなかに,サムエルとサウルが経験したのと同じような状況がないでしょうか。

王となるサウル(サムエル記上10章1節〜6節)

サウルがひそかに油を注がれたことにはどういう意味がありましたか。

サム上10:1~8

「この段階においては,それは個人的で,秘密の行為であった。サムエルは他人に知られないように気を使い(9:27),サウルもそのことを近親者にすら教えなかった〔サム上10:16〕。……言い換えるなら,それは象徴的な行為であって,彼を神の前に王とするものではあっても,まだ国民の前ではそうするものではなかった(1 節で「君』と訳されている語は「王に指名された者』「将来の王』を意味すると考えられる)」(デービッド.F・ペイン「サムエル記上・下」50ページ)。

神がサウルをイスラエルの初代の王として召されたことについて,どんな証拠が与えられましたか。

サム上10:9~13

これら一連の出来事がサウルに与えた影響について考えてください。家畜を飼うことに慣れた,この野性的な人物が,一国の指導者という責任を担って,「預言者の子ら」と共に神を賛美しています(「預言する」と訳されているヘブル語は「神の代弁者として働く」ことを意味するかもしれません)。

神を賛美し礼拝するために用いられる音楽は,預言の賜物の一部とみなされていました。ダビデに仕えた音楽家たちは琴,立琴,シンバル,声をもって預言したと言われています(歴代上25:1~6 参照)。

霊的に変えられたサウル人々は全く変えられたサウルを見て驚いたことでしょう。「神は彼に新しい心を与えられた」(サム上10: 9)。神の御霊が従順で信じる者たちの上にくだるとき,彼らの生き方は変わります。彼らは感謝をもって応答し,喜んで神の導きに従います。このような霊的再生の経験は,日ごとに祈り,聖書を学び,主のみこころに従うことによって強められます。

キリストを初めて自分の救い主として受け入れたとき,あなたの生き方はどのように変わりましたか。現在の状態はどうですか。黙示2:4に言われているようなことはありませんか。もしそうだとすれば,どうしたらキリストとの初めの関係に戻ることができますか。

サウルの即位(サムエル記上10章17節~27節)

サウルがミヅパで即位したとき,民のあいだにどんな複雑な反応が見られましたか。サウルはどうしましたか。

サム上10:21 ~24,27

「人々は,一般に,サウルを王として認める用意はあったが,多数の反対派もあった。最大で最も強力なユダとエフライムの両部族を無視して,イスラエルの部族中最小のベニヤミンから王が選ばれることは,彼らのとうてい忍ぶことのできない侮辱であった。……王を最も熱烈に要求していた当人たちが,神によって選ばれた人を,感謝して受けることを拒否したのである。……サウルは,このような情勢下にあって王位につくことは,適当でないと思った」(「人類のあけぼの』下巻277,278ページ)。

新しい君主国が神の計画に従って運営されるために,サムエルはどうしましたか(サム上10:25)。この書に含まれていたと思われる指針をいくつか復習してください(申命17:14~20)。

「25節に示されているように,この君主国は初めから立憲的なものであって,王たちは権利と義務の両方を持つのであった。ここに言及された害は,いわば民のための権利の章典であって,聖所の中に保管された(「主の前に』というのはその意味である)。これは絶対的権力の発展に対する重要な歯止めとなった。厳密に言えば,へブル語の一語(ミシュパット)は権利と義務と訳される。この語は,たとえば8:11のように,ほかの文脈においては「ならわし』または「やり方』を意味する。このような文書は,単に王の陥りやすい行動を叙述したものではなく,法的なものであったはずである。 したがって,ミシュパットに最も近い語は『規定』(新国際訳)であろう」(デービッド・F・ペイン「サムエル記上・下』53ページ)。

ふさわしくないと思う人が教会のある地位についたとき,あなたはどうしますか。場合によっては,サウルに反対した人々のように,神の決定に反対しますか。

イスラエルの新しい王(サムエル記上11章1節~13節)

しばらくしてから,サウルがその指導力を発揮するどんな機会が訪れますか。

サム上11:1~11

ヨルダンの北にある小さな町,ヤベシ・ギレァデは突然,アンモン人によって包囲されました。ヤベシ・ギレアデの人々はより強い部族からの援助を求めようとしました。近くには,ペリシテ人の要塞の町,ベテシャンがありました。

サウルは直ちに行動を起こします。彼は王の命令をもって軍隊を召集し,アンモン人を攻撃し,彼らを敗走させました。

質問8神によってめざましい勝利を与えられたあとで,人々はサウルの悪口を言った者たちに報復しようとしました。これに対して,サウルはどうしましたか。このことは初期における彼の品性について何を教えていますか。サム上11:12,13

「サウルは,ここで,彼の品性が変化した証拠を示した。彼は,自分に栄誉を帰する代わりに,神に栄光を帰した。ふくしゅう心をあらわす代わりに,情けと許しの精神をあらわした。これが,彼の心の中に,神の恵みが宿った明らかな証拠であった」(「人類のあけぼの』下巻279ページ)。

サウルはこの戦いにおける勝利をだれの手柄にしましたか。

サム上11:13

もしサウルがこのときの寛大で,ゆるしに満ちた精神を持ち続けていたなら,また勝利が主から与えられることを忘れないでいたなら,イスラエルの初代の王の物語は全く異なったものとなっていたことでしょう。いいえ,イスラエルの歴史そのものが全く異なったものとなっていたかもしれません。

私たちの霊の敵との戦いにおいて,いつでも神に栄光を帰することはなぜ重要ですか。自分に栄光を帰すると,どうなりますか。(ロマ4:1~5,エペ2:8~10参照)。

確立された王国(サムエル記上11章14節~12章25節)

質問10 ギルガルはイスラエルの歴史において数々の記念すべき出来事の舞台となったところです。サムエルは今,イスラエルをこの場所に再召集します。この時期に王国を一新することは必要でしたか。サム上11:14,15,12:1,2

「何回も神の奇跡によって守られたことのあるこの場所に,サムエルは王国を一新するためにイスラエルの子らを召集した。彼はおそらくここで,過去における父なる神の愛にみちた守りと辛抱強い忍耐とを彼らに語って聞かせたのであろう。彼らが初めの神の統治計画に満足していたなら,はるかによかったことであろう。しかし,彼らが王を求めたために,神は士師たちに対してなされたように,新しい王にご自分の霊を注ぐことを約束された。彼らは神を拒んだが,なお神が彼らと共におられるという豊かな証拠を与えられていた。王位を世雲制とすることによって,イスラエルは士師のもとで経験したことのない多くの問題と危険を招くことになった。しかし,神はサムエルを通してご自分の変わることのない愛を注ぐと確約し過去においてなしたと同じようにしっかりと守ると約束された」( 「SDA聖書注解』第2巻501ページ)。

サムエルがイスラエルの指導者として行った告別説教の要点をまとめてください。

サム上12:1~13

イスラエルに対するサムエルの最後の勧告を,もう一人の神の民の偉大な指導者の勧告と比較してください。

サム上12:14,15,申命28:1,15

モーセは繰り返しイスラエルに,神に従って生きるように嘆願しました。不従順は悲劇的な結果につながります。神の民の歴史は,モーセの言葉が真実であることを証明していました。それでも,彼らはまだ学んでいませんでした。そして,彼らは王を求めることによってふたたび罪を犯します。サムエルは彼らに,主に仕え,主に従うときにのみ安全であることを教えました。国民として新たな出発をしようとしているときに,サムエルはイスラエルの民に契約を更新するように求めました。

イスラエルはどんな劇的な出来事を通して,自分たちが王を求めることによって罪を犯したことを悟りましたか。

サム上12:16~19

小麦の収穫期(5月末から6月初め)における雷と雨は,パレスチナではまず見られませんでした。サムエルの言った通りになったときの人々の驚きを想像してください。彼らはすぐに自分たちの罪を思い起こしました。彼らは,高慢のあまり神のみこころにそむいて王を求めたことを告白しました。そして,預言者にあわれみを請いました。この行為は,彼らの神についての理解がいかに不十分なものであったかを示しています。彼らは神の慈愛を理解していませんでした。

イスラエルの民に対するサムエルの勧告について学んでください。とくにその約束を新約聖書の約束と比較してみましょう。サム上12:22,23

・「主は……その民を捨てられないであろう」→ヘブ13:5,6と比較
・「主は,あなたがたを自分の民とする」→Iペテ・2:9,10と比較
・「わたしは,あなたがたのために祈ることをやめ」ない→コロ1 9~11,ロマ8:26と比較
・「わたしはまた良い,正しい道を,あなたがたに教える」→使徒20:20,27,ヨハ16:13と比較

民の罪を強く自覚させてはいますが,サムエルは希望と励ましの言葉をもってその説教を結んでいます。民のために祈ることを決してやめないというサムエルの約束は,彼らの王がいかなる道に歩もうとも,なお彼らに霊的導きを与え,彼らのために祈る預言者がいるということを思い起こさせるものでした(ダニ9:3~19比較)。

サムエルが強調したかったことは,神が何ものにもまして,真心から神に仕えることを彼らに望んでおられるということでした。サムエルは彼らのために新しい契約の約束を求めました。「すなわち,わたしの律法を彼らの思いの中に入れ,彼らの心に書きつけよう」(ヘブ8:10)。彼は最後に,「主がどんなに大きなことをあなたがたのためにされたかを」考えるように民に求めています(サム上12:24)。

神のなさったわざ 「私たちの過去の歴史をふりかえり,現在にいたるまでの過程を考えるとき,私は,神をほめたたえよ/と言うことができる。神がなさったわざを見るとき,私は驚きと,そして指導者としてのキリストに対する確信に満たされる。主が私たちを導いてくださった方法を忘れないかぎり,私たちは将来について恐れることは何もない」(「牧師へのあかし』31ページ)。

まとめ

神はご自分の民,イスラエルを愛されました。彼らが神にそむき,自らの道に歩んだときにも,神はなお彼らを愛し,彼らのために働かれました。彼らが誤った道に歩んだとき,神は警告と叱責を与えられましたが,そのようなときでさえ預言者を通して約束と導きのメッセージを与えられました。

*本記事は、1991年第1期安息日学校教課『危機、変化、挑戦ーサムエル記 上・下』からの抜粋です。

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