【雅歌】心の願望【1章解説】#5

目次

個人の価値を認める

雅歌は,自分の夫である王との宮殿における初期の結婚生活についてのシュラムの女の短い回想をもって始まっています。彼女が冒頭に述べている愛と関心に対する願望が,この詩の基調になっています。しかし,それは彼女の心からの願望の一部にすぎません。彼女が求めているのは,心から受け入れられること,親密な関係に入ることでした。この願望は,時代や場所に関係なくすべての人が抱いているものです。夫や従者との彼女の対話は,すべての人が関心を持っている個人の価値という問題に目を向ける機会を与えてくれます。

この人間の基本的な問題は私たちの幸福感に影響を与え,人間関係を大きく左右します。この心の願望について理解することは同時に,神をより深く理解することです。それはまた,私たちがなぜ神を必要とし,親密な交わりを必要とするのかを理解する助けになります。

Ⅰ. 心の望み

シュラムの女は夫にどんな切実な訴えをしていますか(雅1:2)。この聖句が雅歌全体の基調をなしているのはなぜですか。

雅歌はシュラムの女の,愛を求める率直な言葉をもって始まっています。夫と妻による異常なほどの打ち明け話を含むこの独特の書は,まず初めに愛を要求しています。象徴的な言葉をもって語られてはいますが,その終わりにも同じような要求が述べられています(雅8:14)。雅歌1:2の「愛」という言葉は,抽象的な概念としての愛というよりも,むしろ肉体的な性交や対人関係を連想させます(蔵7:18,エゼ16:8,23:17参照)。雅歌1:2, 4, 4:10, 7:12における「愛」という言葉は複数形になっていて,「性交行為」を暗示するものです。

興味深い詩の形式 雅歌では,三人称と二人称がしばしば入れ替わっているのが見られます。「あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。あなたの愛はぶどう酒よりも快く」(雅1:2,新改訳)。その意味は,「どうか,あなたの口の口づけをもって,わたしに口づけしてください」となります。このような変化はヘブル詩では一般的に見られるものです。

ほかにだれが,香水の香りにひかれるように,自分の夫にひかれているのを,妻は知っていましたか。

雅1:3,4

花嫁はほかの女たちもソロモンにひかれていることを知っていました。雅歌の中で花嫁と語り合い,花嫁に親しく仕えていたと思われる若い女たちは,王が王妃と共にその部屋に入るのを見てはやしたてています。「わたしたちは,あなたによって喜び楽しみ,ぶどう酒にまさって,あなた〔ソロモン〕の愛をほめたたえます」(雅1 : 4 ) 。

シュラムの女はこうした宮廷の感情を知らなかったわけではありません。彼女はすでに,「おとめたちはあなたを愛するのです」と認めています(雅1:3)。そして今,「おとめたちは真心をもってあなたを愛します」と言っています(1 : 4)。彼女はなぜ二度も, ソロモンに対するほかの女たちの愛に言及しているのでしょうか。彼女の言葉は寛大さに満ちていますoしかし,この部分は全体(1:2〜8)の調子から考えると,彼女の言葉にはいくらか不満が感じられます。彼女はソロモンの応答を求めているように思われます。

◆あなたはシュラムの女の声に何かを求める気持ち・不満を感じますか。彼女は夫にどんな応答を求めているのでしょうか。ソロモンはどのように応答すべきでしょうか。

Ⅱ. 献身した妻

シュラムの女がエルサレムの娘たちにこのように語っているのはなぜですか。

雅1:5,6

宮廷で訓練された色白の女たちに比べて,自分が育ちも卑しく,容姿も劣り,宮廷の生活にもなれていないことを,彼女は気にしています(雅1:5, 6)。彼女は家のぶどう園で働いていたので,真っ黒に日焼けしていました。

「自分のぶどう園」は何を意味していますか。

雅1:6

雅歌における重要な象徴 シュラムの女は自分のぶどう園を持っていたかもしれません。しかし,ここにはそれ以上のことが意図されています。自分が日焼けしているということは「自分のぶどう園」が守られなかったということと直接,対比されています。つまり,ぶどう園は彼女自身をさすのです。この象徴はのちに,香りのよい木々,めずらしい果物,美しい泉のある楽園に変わっています(雅4:12〜5: 1)。

最も大切な問題 「魂」(1:7)は霊的,感情的,心理的,肉体的に人間の全存在をさします。この妻は夫に自分の全存在を含む生涯の愛を約束しています。結婚は生涯にわたる全的な献身です。同じように,主イエスに対する私たちの献身も不変です。

ソロモンに対する妻の質問は彼女のどんな関心を示していますか。

雅1:7

この質問は文字通り訳せば, 「あなたはどこで草を食べるのですか。あなたは昼にどこで休むのですか」となります。彼女は政治に忙しいソロモンに対して,自分と一緒に時を過ごすように招いています。

つづく応答は彼女の従者たちから出た…ようです。従者たちは彼女を新参者として扱っています。彼女がソロモンを捜し求めることはふさわしいことです(「群れの足跡に従っていって」8節)。彼女はここで女羊飼いにたとえられていますが(「羊飼たちの天幕のかたわらで,あなたの子やぎを飼いなさい」),これは,彼女がイスラエルの「羊飼い」(王)の伴侶として果たすべき大切な役割を負っていることを暗示しています。

◆シュラムの女の心理と状況は今日の夫婦や友人同士にもあてはまりますか。

Ⅲ. 人間の価値を求めて

人間の基本的な必要 シュラムの女の思いはすべての人に共通したものです。人はだれでも心の中で自分自身の価値を認められたいと思っています。この思いは,自分が試験されたり,だれかから愛されたいと思うときにより強くあらわれます。

人の内面の思いはその人の言葉と行為に大きな影響を与えるということについて,聖書は何と教えていますか。

蔵4:23,マタ12:34,35(ロマ12:3,ガラ6:3比較)

シュラムの女は夫にどんな切実な訴えをしていますか(雅1:2)。この聖句が雅歌全体の基調をなしているのはなぜですか。人の価値はしばしばどんな世的な価値観によって評価されますか。

・サム下14:25,箴31:30
・イザ5 : 2 1 , Ⅰコリ1 : 20
・エレ9:23,ルカ12:15

偽りの価値観 堕落した世界にみられる典型的な価値観は,容姿の美しさ, 頭の良さ,物質的な豊かさと財産,それに成績や業績を重視しがちです。文化, 社会, あるいは家族によって,これらの基準に対する考え方は異なりますが,基準そのものは普遍的であるようです。自分の住んでいる社会の期待にこたえる程度に応じて,社会もその人の価値を認めてくれます。

次の人々の価値観が当時の文化によって左右されていたことについて何と書かれていますか。

・ハンナ(サム上1:2,6〜11)
・エサウ(創世27:1,2,32〜41)
・ヨナ(ヨナ4:1〜4)
・イエスの弟子たち(マタ20: 20〜24,マル9 : 33, 34)

人間の価値に対するこの世の評価は正当なものではありません。

・それは内面の必要よりも外面の必要を重視します。
・それは自分自身の力で自分を向上させることを強調します。
・それは一時的なものにしか目を向けないので,永続的な希望を与えることができません。

Ⅳ. 神の価値観

イザヤ書43:1〜7には,神のどんな大いなる二つのわざが述べられていますか。その中で,神は人間の価値をどのように認めておられますか。

創造は人間の価値を宣言する 愛に満ちた天の創造主は最初の人間をこの地球上に出現させ,彼らにご自分のかたちを与え,はなはだ良いと宣言されました(創世1:27,31)。新しい生命の誕生を迎えるたびに,私たちは創造の不思議をあらためて感じます。人間は偶然的な進化の産物ではなく、愛とあわれみに富んだ神の御手のわざなのです(ヘブ2:6, 7, エレ1:5参照)。

たとえ堕落した状態にあったとしても,私たちはなお神にとって大いなる価値を持った存在です。私たちはみな,ある程度,神のかたちを備えているのです。ヤコブ3:9は,人々を神のかたちに造られた者として扱うように教えています。

私たちのためになされた神の第二のわざは,人間の魂に対する神の価値観をどのように表していますか。

Iペテ1:18,19

イエスは天の宮廷を離れ,人性を身に負い,貧しい生活を送り,堕落した人間のために働き,十字架上で私たちの罪を負い,そして私たちに新しいいのちを与えるためによみがえられました。神が私たちに無限の価値を認めておられることについて,これ以上の証拠があるでしょうか。

「いったい,だれが一人の魂の価値を評価できるであろうか。もしその価値を知りたいと思うならば,ケッセマネヘ行って,血の大きなしずくのような汗を流して苦しまれたキリストと苦悩を共にするとよい。そして,十字架にかけられた救い主を見ることである。『わが神,わが神,どうしてわたしをお見捨てになったのですか」というあの絶望の叫びを聞き,傷ついた頭,刺された脇さかれた足を見なければならない。そして,キリストは,ここですべてのものを失う危険を冒しておられたことを忘れてはならない。わたしたちの犢罪のために,天そのものが危機におちいったのである。十字架の下に立って,キリストはただ一人の罪人のためでさえ,その命をおすてになったのだということを考えるとき,初めて一人の魂の価値を正しく評価することができる」(『キリストの実物教訓』176, 177ページ)。

◆「サタンの働きは魂を失望させることであるoキリストの働きは心に信仰と希望を吹き込むことである」(『心,品性,個性』第1巻32ページ)。サタンはどんな方法を用いて,私たちに価値がないと思わせますか。自分の価値を認めるとき,私たちの価値はどのように変わりますかo自分の価値についての確信がいちばん必要なのはどんなときですか。

V. 品性を築く

神は人間の価値を知っておられます。それゆえ,私たちが罪意識に苦しむときや,失望の中でサタンの誘惑に会うときにも,神は私たちを励まし,力づけるために多くの道を備えておられます。それには次のものが含まれます。

・私たちの価値についての聖書の真理(マタ10 : 30, 31)。
・私たちのためのキリストの天における働き(ヘブ2 : 17, 18)。
・キリストが聖霊の臨在を通して私たちと共にいてくださること(ヨハ15:26,16:7〜13,17:23〜2 。6)
・祈りの力と「全能の神の無限の資財」(『キリストへの道』129 ページ,ヨハ15: 7)。
・肉体的,精神的,霊的健康についての教え(Ⅲヨハ2)。
・家庭と教会におけるあたたかい愛の交わり(Iヨハ2 : 10)。

互いに励まし合うことについて,聖書は何と教えていますか。

Iテサ5:11,ロマ14:19

イザヤはイエスの働きについて何と預言していますか(イザ42:3-マタ12:20比較)。この預言はイエスの人間観と働きにおいてどのように成就していますか。

「主は私たちに対してつねに,人間の魂の価値を理解していない人たちにその価値を説くように望んでおられる」(『伝道』461ページ)。イエスはそのあがないの働きにおいて人々と優しく接しられました。彼は真理を語られましたが,その言葉はいつでも思いやりと同情で満ちていました。

聖霊の導きによって個人の価値を認めることは健康的な生活と良い人間関係に欠かすことができません。家族のひとりひとりが自分の価値を正しく認識するとき,またその認識が深められるとき,家族同士のきずなはいっそう強いものになります。シュラムの女にとって,夫の応答は非常に重要なものだったでしょう。男はなかなか自分の感情を表現しませんが,彼女は夫の応答を必要としていました。同じように,ソロモンも妻の応答を必要としていました。なぜなら,彼もまた妻の愛と励ましを求めていたからです。

◆イエスはどんな実際的な行動のゆえに人々から愛されましたか。私たちも自分の友人,配偶者,子供から愛されるためにはどんなことに留意したらよいでしょうか。

まとめ

ソロモンの雅歌は,自分が本当に愛されているのか, 本当に受け入れられているのかというシュラムの女の疑いをもって始まっています。不安と確信のなさは受容と保証を求めます。天の花婿イエスの愛のゆえに自分自身の価値を認めるとき,私たちは一緒に住み, 一緒に働いている人たちの思いを,また普通なら魅力を感じない人々の気持ちを理解することができるようになります。

*本記事は、1992年第4期安息日学校教課『雅歌 愛の歌』からの抜粋です。

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