聖なるテーマ
ソロモンとシュラムの女の結婚の思い出は,雅歌の中心的なテーマになっています。雅歌3:6〜11には,公の儀式としての結婚式が描かれています。それに続く聖句(雅4:1〜5:1)に記された微妙なたとえの中に,男女の結婚生活に見られる非常に感動的で崇高な情景が描かれています。それは献身した夫婦だけが味わうことのできる喜びです。
私たちは今週の聖句の中に聖なる結婚の姿を見ることができます。これらの情景は明らかな意図をもって書かれています。聖霊はそれらを通して私たち自身について,私たちの結婚愛について,そして結婚を制定された神ご自身について教えようとしておられるのです。
燃えるしばの前に立つモーセのように,私たちもこの聖なる場所でくつを脱がなければなりません。無我の愛が結婚生活の基本となるように,神は意図されました。このような愛をもって,私たちは自分の考えを支配している誤った伝統,慣習,哲学を打破していかなければなりません。
Ⅰ. 曲げられた神の理想
「天から追放されると,彼〔サタン〕は神の作品を傷つけることによって報復しようと決心した。……人間が創造されるとすぐに,サタンは人間のうちから神のかたちを消し去り,神の印の代わりに自分の印を押そうと決心した」( 「S D A 聖書注解』第6 巻1 1 1 9 ページ,エレン.G ・ホワイト注) 。
「サタンは人々をだまし,誤った道に導こうと待ち構えている。彼はあらゆる魅力的な方法を用いて,人々を不従順の広い道に誘い込む。彼は誤った感情によって感覚を混乱させようと働いている。そして,神が正しい道を示すために立てられた道標に自分の偽りの文字を書くことによって,その標識を取り除こうとする。……だれも生まれながらの悪への傾向のゆえに失望する必要はない。しかし,神の御霊が罪を自覚させてくださるとき,悪を行っている者は罪を悔い改め,告白し,捨てなければならない。忠実な見張り番たちは魂を正しい道に導くために警戒している」(「S DA聖書注解』第6 巻1120ページ,エレン.G・ホワイト注)。
偽りの,あるいは調和を欠いた考えは神についての不完全で,ゆがんだ理解をもたらします。それらはクリスチャンの正しい成長を阻害し,神を拒絶させることになります。麦と毒麦のたとえ(マタ13:24〜30)の中の敵のように,サタンは真理に偽りをまぜることによって混乱を生み出しています。
人間関係と結婚生活についての誤った考えも,聖書の教理についての誤った解釈と同じく,情緒的,霊的成長を妨げます。
◆ 人生に成功と幸福を望むなら,人間関係にどんな注意を払うべきですか。あなたの経験について話してください。
Ⅱ. 誤用された神の理想
結婚と起源を同じくするもうひとつの制度は何ですか(創世2:1〜3)。それは現代の私たちにとってどれほど重要ですか(マタ24 : 20)。
「イエスは創造において制定されたものとして,結婚の制度に彼らの注意を向けられました。……イエスは,すべてのものが『はなはだよかった』と神が仰せられ, 祝福されたエデンの園の時代に彼らを注目させられました。神の栄光と人間の幸福のための二つの制度, すなわち結婚と安息日の起源がここにありました」(『思いわずらってはいけません』82, 83ページ)。
◆ 安息日と結婚の目的について,またそれらが罪によってどのように変化したかについて考えてみましょう。
安息日 | 結婚 | |
特別な祝福を受けた | 創世2:3 | 創世5:2 |
象徴的な目的を持つ | 出エ20:8〜11 | イザ54:5, 6 |
喜ばしい経験である | イザ58:13, 14 | 箴5:18, 19 |
神聖さが失われる | エゼ22:8 | エゼ22:9〜11 |
宗教論争の争点となる | マル2:23, 24 | マル10:1〜16 |
異教の慣習と哲学の影響を受けた | 順守方法が礼拝者に合うように変えられた | 肉的は精神に劣るというギリシア思想の影響を受けた |
誤用された神の理想 安息日の冒とくは結婚の冒とくと密接な関係があります。もし安息日が正しく守られるなら,クリスチャンの結婚生活と家庭生活もより幸福なものとなります。
女性の軽視 異教の社会,また神の民のあいだでさえ,女性はしばしば所有物とみなされています。男性による安易な離婚,一夫多妻,女性べっ視は神の計画を無にするものです。
結婚契約を侵害するもの 姦いん(サム下11:2, 4), 近親相姦(エゼ22:9〜11),強姦(サム下13:14),獣姦(レピ18:23),同性愛(ロマ1:26,27),売春(士師16:1),重婚(サム下5:13),離婚,暴力,虐待(マラ2:16,マタ19: 8)。
性的否定と性的自由 中世の国教会を支配していた考えの中に, 独身と処女性は結婚関係よりも聖であるという考えがありました。この考えは聖書に反するものですが,現在でもなお続いています( ヘブ1 3 : 4 ) 。これとは対照的に,今日,性的な楽しみが結婚生活内における真の愛から切り離されてしまっています。
Ⅲ. 愛し合う夫婦から学ぶ
すでに学んだように,雅歌4:16,5:1は雅歌の中心に位置しています。へブル語聖書では,雅歌4:16までに111行,また5:1以降も111行あります。これらの微妙なことばで書かれた聖句は,数々の象徴でおおわれていますが,ソロモンとシュラムの女の結婚関係の極致,床入りを表現しています。雅歌4:1〜15も同じように,ふたりの私的な時間について述べています。結婚式の公の部分(雅3:11)は終了し,ふたりは互いに楽しいひとときを過ごします。
雅歌4:1〜7の言葉は花嫁に対するソロモンの愛をどのように伝えていますか。それらは結婚愛についてどんなことを教えていますか。
これらの賞賛の言葉の中にはその意味のわかりにくいものもありますが,花婿は自分たちによくわかる,めでたい事物をたとえとして用いています。雅歌は, 結婚愛の内の親密な肉体関係の側面を, ほかの被造物の場合と同様, 喜びのみなもとであるとしています(箴5:18, 19, 創世26:8参照)。聖書は異教のように人間を肉的な性質と霊的な性質とに区別していません。また, 一部の教父たちの著書にあるように, 結婚愛の喜びを禁止してもいません。
雅歌4:7にあるソロモンの最上級の賛辞はどんな意味で真の愛についてのあかしであると言えますか。
初めの愛情に隠されていた欠点があらわになったときにもなお,「あなたは……少しのきずもない」と言える夫婦はさいわいです(雅4:7)。聖霊によって与えられる無我の愛という神の賜物(ロマ5:5)がふたりの愛と友情を支えてくれます。「あなたは……少しのきずもない」という言葉は,当の愛される人がどんな人であるか,また当の愛する人がどんな人であるかをあかしするものです。真の愛は欠点をおおい隠し,その人の価値を認めます。神もこのような愛をもってご自分の忠実な花嫁〔教会〕をごらんになります。
「キリストご自身が新郎で,花嫁は教会であり,キリストが選ばれたものとして『わが愛する者よ,あなたはことごとく美しく,少しのきずもない』と仰せになっている(雅歌4:7)。……(エペソ5:25〜28)」(『ミニストリー・オブ・ヒーリング」329ページ)。
◆ 配偶者,親戚,友人の長所に目を向けるべきなのはなぜでしょうか。人間関係を傷つける恐れのある状況にあって,なお愛をもって行動するためにはどうしたらよいでしょうか。
Ⅳ. 聖書の教える愛
「レバノンからわたしと一緒にきなさい」という招き(雅4:8),またレバノンへの言及(4:11,15)から,どんなことがわかりますか。
ソロモンはレバノンの恩恵に浴しました。彼は広くレバノンの材木を利用し(列王上4:33,5:6),その地に数々の建物を建てました(同9 : 1 9 ) 。これらの聖句は,ソロモンがレバノンでシュラムの女を見つけたことを暗示しています。レバノンの雄大な光景(雅4:8),その香り高い植物と森林(11節),清らかな流れ(15 節)は彼女の魅力を描写しています。「レバノンからわたしと一緒にきなさい」という言葉はソロモンの求愛の言葉を思わせます。
雅歌の中に示されているソロモンとシュラムの女の態度は次の聖句に教えられている福音の原則をどのように反映していますか。
Iコリ7:1〜5
ピリ2 : 3 , 4 ( I テサ4 : 3 〜5 参照)
ソロモンは「わたしと一緒にきなさい」と言って,妻を招いています(雅4:8)。彼女は「わが愛する者がその園にはいってきて(くれる)ように」と言って,夫の招きに応答しています(雅4 : 1 6 )。彼はこれに応答しています(雅5:1)。この招きと応答のパターンは真の愛の性格を説明しています。そこには矯正や操作は見られません。シュラムの女の応答は, ふたりの愛が自発的なものであることの何よりの証拠です。彼女は自発的に,喜んで,この関係に入っています。「私の庭」は「彼の庭」です(雅4:16,英語欽定訳)。
「夫も妻も,結婚関係における親密な特権を,相手に与えることを拒絶する権利を持たない。……双方は夫婦としての権利を求めることができる。しかしながら,それはいつでも万事において神をあがめるという神聖な条件にかなったものでなければならない」(「S DA聖書注解』第6巻706, 707ページ)。
愛の精神 「おのおの, 自分のことばかりでなく,他人のことも考えなさい」(ピリ2:4)。各自はこの原則に従って,他人の慰め, 喜び, 満足を増進するように努めるべきです。夫も妻も肉体的,感情酌,精神的に相手を不快にするようなことを教養してはなりません。鈷婚した夫婦が「相互の幸福を増進するように研究」するろに,「相互の愛と忍耐」が生まれます(『ミニストリー・オブ・ヒーリング」333ページ)。「真の愛を持っている人の態度には神の恩恵があらわれる」(『アドベンチスト・ホーム』46ページ)。
Ⅴ. 神との愛の関係
「聖書においては, 知るという言葉が私たちの神との関係を説明するものとして用いられている。それはまた,夫と妻との親密な和合を表す言葉としても用いられている」(エド・ホイート『楽しみを与えるために』22ページ)。この「知る」という言葉の中に,夫婦が互いに与え合う非常に神秘的で奥深い感情が込められています。二つの肉体, 二つの思い, 二つの心, 二つの魂が「一体」となるのです。洞察力のあるクリスチャンはこのような独特の優しい知識によって,キリストと教会との一致という最も聖なる奥義を理解することができるようになります。
次の聖句は父なる神,御子,聖霊について知る特権に関して何と述べていますか。
エレ9:24
ホセ6:3
ヨハ16:13〜15
ヨハ17:3
Ⅱペテ1:2
「すべての真の知識と真の発達の源は,神を知ることの中にある。物質界でも精神界でも霊界でも,罪の弊害を除けば,そこに見られるすべてのものに,この知識が表わされている。どういう方面の研究に従事しようと,真理に到達しようとの純粋な目的をもっているかぎり,われわれは,万物の中に働き,また万物を通して働いておられる目に見えない大能の神に触れるようになるのである。人間の思いは,神のみこころに交わり有限な人間が無限の神と交わるようになるのである。こうした交わりが,人の知,徳,体に及ぼす影響には,測り知れない価値がある」(『教育」3ページ)。
◆ 聖書が夫と妻との肉体的,精神的,霊的関係をクリスチャンと神との関係の例証として用いているのはなぜだと思いますか。これら二つの関係のどんな点が似ていますか。
まとめ
神は結婚関係を, 人間の生活を豊かにするものとして尊ばれます。夫と妻との肉体的,知的,霊的関係はクリスチャンのキリストとの関係を表しています。
*本記事は、1992年第4期安息日学校教課『雅歌 愛の歌』からの抜粋です。