モルデカイの成功【エステル記8章15節〜9章16節、10章】

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8:15モルデカイは青と白の朝服を着、大きな金の冠をいただき、紫色の細布の上着をまとって王の前から出て行った。スサの町中、声をあげて喜んだ。 8:16ユダヤ人には光と喜びと楽しみと誉があった。 8:17いずれの州でも、いずれの町でも、すべて王の命令と詔の伝達された所では、ユダヤ人は喜び楽しみ、酒宴を開いてこの日を祝日とした。そしてこの国の民のうち多くの者がユダヤ人となった。これはユダヤ人を恐れる心が彼らのうちに起ったからである。

9:1十二月すなわちアダルの月の十三日、王の命令と詔の行われる時が近づいたとき、すなわちユダヤ人の敵が、ユダヤ人を打ち伏せようと望んでいたのに、かえってユダヤ人が自分たちを憎む者を打ち伏せることとなったその日に、 9:2ユダヤ人はアハシュエロス王の各州にある自分たちの町々に集まり、自分たちに害を加えようとする者を殺そうとしたが、だれもユダヤ人に逆らうことのできるものはなかった。すべての民がユダヤ人を恐れたからである。 9:3諸州の大臣、総督、知事および王の事をつかさどる者は皆ユダヤ人を助けた。彼らはモルデカイを恐れたからである。 9:4モルデカイは王の家で大いなる者となり、その名声は各州に聞えわたった。この人モルデカイがますます勢力ある者となったからである。 9:5そこでユダヤ人はつるぎをもってすべての敵を撃って殺し、滅ぼし、自分たちを憎む者に対し心のままに行った。 9:6ユダヤ人はまた首都スサにおいても五百人を殺し、滅ぼした。 9:7またパルシャンダタ、ダルポン、アスパタ、 9:8ポラタ、アダリヤ、アリダタ、 9:9パルマシタ、アリサイ、アリダイ、ワエザタ、 9:10すなわちハンメダタの子で、ユダヤ人の敵であるハマンの十人の子をも殺した。しかし、そのぶんどり物には手をかけなかった。

9:11その日、首都スサで殺された者の数が王に報告されると、 9:12王は王妃エステルに言った、「ユダヤ人は首都スサで五百人を殺し、またハマンの十人の子を殺した。王のその他の諸州ではどんなに彼らは殺したことであろう。さてあなたの求めることは何か。必ず聞かれる。更にあなたの願いは何か。必ず聞きとどけられる」。 9:13エステルは言った、「もし王がよしとされるならば、どうぞスサにいるユダヤ人にあすも、きょうの詔のように行うことをゆるしてください。かつハマンの十人の子を木に掛けさせてください」。 9:14王はそうせよと命じたので、スサにおいて詔が出て、ハマンの十人の子は木に掛けられた。 9:15アダルの月の十四日にまたスサにいるユダヤ人が集まり、スサで三百人を殺した。しかし、そのぶんどり物には手をかけなかった。 9:16王の諸州にいる他のユダヤ人もまた集まって、自分たちの生命を保護し、その敵に勝って平安を得、自分たちを憎む者七万五千人を殺した。しかし、そのぶんどり物には手をかけなかった。……10:1アハシュエロス王はその国および海に沿った国々にみつぎを課した。 10:2彼の権力と勢力によるすべての事業、および王がモルデカイを高い地位にのぼらせた事の詳しい話はメデアとペルシャの王たちの日誌の書にしるされているではないか。 10:3ユダヤ人モルデカイはアハシュエロス王に次ぐ者となり、ユダヤ人の中にあって大いなる者となり、その多くの兄弟に喜ばれた。彼はその民の幸福を求め、すべての国民に平和を述べたからである。(口語訳)

目次

大規模な改宗

8:15モルデカイは青と白の朝服を着、大きな金の冠をいただき、紫色の細布の上着をまとって王の前から出て行った。スサの町中、声をあげて喜んだ。 8:16ユダヤ人には光と喜びと楽しみと誉があった。 8:17いずれの州でも、いずれの町でも、すべて王の命令と詔の伝達された所では、ユダヤ人は喜び楽しみ、酒宴を開いてこの日を祝日とした。そしてこの国の民のうち多くの者がユダヤ人となった。これはユダヤ人を恐れる心が彼らのうちに起ったからである。エステル8:15―17(口語訳)

ここで多くの人々がユダヤ人へと改宗しています。

マタイ23の15などを見ると、ユダヤ人は周囲の人々に伝道しなかったように思われがちですが、実際はそうではなく、多くの人々が神の民に加わっています。ある推計によると、ローマ帝国の人口の十分の一がキリストの時代にはユダヤ人であったと言われています。これは大部分、改宗によるものでした[i]

旧約聖書に記録されている大規模な改宗の例では、出エジプト記の出来事が挙げられるでしょう。

パロの家来のうち、主の言葉をおそれる者は、そのしもべと家畜を家にのがれさせたが、出エジプト9:20(口語訳)
さて、イスラエルの人々はラメセスを出立してスコテに向かった。女と子供を除いて徒歩の男子は約六十万人であった。また多くの入り混じった群衆および羊、牛など非常に多くの家畜も彼らと共に上った。出エジプト12:37,38(口語訳)

上の二つの記事を見ると、明らかにユダヤ人ではない人々が出エジプトに加わったことがわかります。

この人々は単に災害から逃れようとして加わったのかもしれませんが、中には主を恐れて加わった人もいました。そのような主を恐れる外国人の代表がカレブです(民数記32:12)。

エステルの時代にも、同じように単に災いから逃れようとして改宗した人もいたかもしれませんが、主を恐れて加わった人も中にはいたのではないでしょうか。

出発したのは、「女と子供を除いて徒歩の男子は約60万人であった。また多くの入り混じった群衆および羊、牛など非常に多くの家畜も彼らと共に上った」(出エジプト 12:37、38)。この群衆の中には、イスラエルの神を信じる信仰によって行動した人々ばかりではなく、むしろそれ以上の多くの人々が、ただ災いをのがれることを望んで加わっていた。また、単なる興奮と好奇心にかられて、この移動する群衆のあとについて来た人々もいた。こういう種類の人々は、イスラエルにとっていつも妨害となり、わなとなった[ii]

モルデカイの出世

10:2彼の権力と勢力によるすべての事業、および王がモルデカイを高い地位にのぼらせた事の詳しい話はメデアとペルシャの王たちの日誌の書にしるされているではないか。 10:3ユダヤ人モルデカイはアハシュエロス王に次ぐ者となり、ユダヤ人の中にあって大いなる者となり、その多くの兄弟に喜ばれた。彼はその民の幸福を求め、すべての国民に平和を述べたからである。エステル10:2―3(口語訳)

モルデカイという名前、また著名で裕福なユダヤ人のことが、アルタクセルクセス1世およびダリヨス二世の時代の記録に見られますが、これはユダヤ人モルデカイの実際の成功と史実性を示すものと考えられます(S・H・ホーン『ビブリカル・リサーチ』9(1964年)、14、16ページにもとづく)[iii]

バビロンによって攻め滅ぼされ、バビロン捕囚の憂き目にあったイスラエルの民でしたが、興味深いことに神は必要に応じてユダヤ人を国の中枢へと導かれるのでした。

バビロン捕囚の初期の時代には、ダニエルがネブカドネザル王に仕え、バビロンが滅びる時にはベルシャザルがまたダニエルに地位を与えています。

ペルシャの時代になっても、ダニエルはダレイオスに気に入られ、エルサレムの再建が始まります。逆風が吹き荒れたクセルクセス王の時代にはモルデカイが登用され、再建計画の最後にはネヘミヤが高官に登用されています。

厳しい状況下においても、常に神が導かれていたのです。

まとめ

モルデカイは、以前ハマンが占めていた栄誉ある地位を与えられた。彼は「アハシュェロス王に次ぐ者となり、ユダヤ人の中にあって大いなる者となり、その多くの兄弟に喜ばれた」(エステル記10の3)。彼はイスラエルの幸福を増進させた。こうして神はもう一度、メド・ペルシャの宮廷において神の選民に恵みを得させ、彼らを故国に回復させようとする神のみこころを実行することを、可能にして下さったのである[iv]

参考文献

[i] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』127ページ

[ii] エレン・ホワイト『人類のあけぼの』25章エジプト脱出

[iii] ジェラルド・ウィーラー『平凡な人々、非凡な生涯』127ページ

[iv] エレン・ホワイト『国と指導者』下巻208ページ

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