受け入れられる条件
神は喜んで私たちのところに帰り、ご自身の義をもって私たちをおおい、ご自身の霊をもって私たちを満たしてくださいます。私たちは喜んで神を受け入れ、罪を捨て、霊的な実を結ぶようにしているでしょうか。キリストは裁くために来られます。私たちは有罪となるでしょうか、それとも無罪となるでしょうか。
ゼカリヤ書におけるさばきと擁護
今回の課は、ゼカリヤ書の最後の三つの幻を扱っています。これらの幻はさばきと擁護について述べています。神のさばきは個人、イスラエル(教会)、そして世界に及ぶもので、さばきまたは擁護をもたらします。
神のあわれみの結果としての擁護
神は人々の心から、また全世界から罪を取り除きたいと望んでおられます。神がこの目的を達成されるときがきます。今回の課はこれまでの研究を補足するものです。すでに学んだように、神は私たちのもとに帰り、私たちのうちに住み、私たちをご自分の義でおおい、ご自身の霊をもって私たちを力づけようと望んでおられます。ほかにどんなことがおできになるというのでしょうか。神におできにならないことがひとつあります。それは私たちに選択を強要すること、あるいは私たちに代わって選択することです。
ヨシュアは神のあわれみによって擁護されました。たとえそうであっても、ヨシュアの悔い改めは不可欠のものでした。ある意味で、法廷の光景がここでも続いています。私たちはキリストのなされたわざを心から受け入れているでしょうか。私たちはキリストの霊を生活に活用しているでしょうか。キリストと一体となっているでしょうか。キリストは私たちの心、また私たちのうちに生きておられるでしょうか。
神の愛は弱さではない
「義人はたえず義に従う。なぜなら、心に住まれるキリストは義であり真理であるからです。彼らは純粋で熱心な愛、神の愛によって生まれた愛を吹きこまれる。彼らのとがはゆるされ、彼らの罪はゆるされる。神は喜びをもって彼らをごらんになる。
キリストはご自分の教会を愛される。キリストのような品性を発達させるための力を求める者たちに対して、キリストは必要なあらゆる助けを与えられる。しかし、神の愛は弱さではない。彼らが間違った行動を取り続けるうちは、キリストは彼らの罪を処理することも、彼らに繁栄を与えることもなさらない。真心からの悔い改めによってのみ、彼らの罪はゆるされる。なぜなら、神はご自分の義の衣をもって悪をおおうことがないからである」(エレン・G・ホワイト『サインズ・オブ・ザ・タイムズ』第4巻、1901年11月13日、208 ページ)。
終末時代に対する適用
今回の課研究を通して、贖罪の日、調査審判、恩恵期間の終了、悪人の滅び、罪の根絶等の終末時代の特別な教えについて学びます。
飛んでいる巻物一第6の幻(ゼカリヤ書5章1節~4節)
質問1 ゼカリヤは第6の幻のなかで何を見ましたか。ゼカリヤ書5:1、2
聖書時代に物を書くために用いられた巻物は、よく皮で作られていました。その巻物には、ときとしてのろいやさばきが書かれていました(申命記29:20、歴代志下34:24参照)。
すべての人が読むことができた
「預言者ゼカリヤがいま見ている巻物は、箱に入れられて、祭司や律法学者が使用するために保管所に積まれた巻物ではなく、すべての人が読むことのできるように旗のように開かれた、飛んでいる巻物である」(ボールドウィン『ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書』126ページ)。
「現在の寸法にすると、この巻物は5m×10mくらいのものであった。これらの寸法がソロモンの神殿の廊の寸法(列王紀上6:3)と一致することから、『飛んでいる巻物』と聖所との関連を主張する人たちがいる。しかしながら、……寸法が似ていることから両者の関連を証明することはできない。……寸法は……おそらくのろいの大きさを示すためのものだろう」(『SDA聖書注解』第4巻1096ページ)。
質問2 巻物には何が書かれていましたか。神はどんな目的のためにそれをゼカリヤに示されたのでしょうか。ゼカリヤ書5:3
この飛んでいる非常に大きな巻物は、全地の上を飛びながら積極的にその働きを遂行しているのろいと説明されています。この巻物はさばきを意味しています。それはまた、神の律法が、不従順で、律法を犯すすべての人々に有罪を宣告することを意味しています(ローマ7:7~14参照)。「祭服」、つまりキリストの義の衣を拒む人々は、神の律法によって有罪とされます。
質問3 律法ののろいを免れるためにはどうすればよいですか。ガラテヤ3:13、14、ローマ8:1~4
義とみなされ、義とされる
「私どもは……神のおきての要求に応じうる義を持ちあわせていません。けれどもキリストは、私どものために逃れる道を備えてくださいました。キリストは、この地上で私どもが会わねばならない試練と誘惑のまっただ中で生活し、罪なき生涯をお送りになりました。そして、私どものために死に、今や私どもの罪を取り除いて、おのれの義を与えようとしておいでになります。もし自分をキリストにささげ、キリストを自分の救い主として受け入れるならば、その生涯はこれまでいかに罪深きものであっても、かれのゆえに義とみなされるのであります。キリストの品性があなたの品性の代りとなり、神の前に全然罪を犯したことのないものとして受け入れられるのであります。
こればかりでなく、キリストは私どもの心までも変えてくださいます。信仰によって、キリストは心のうちに住みたまいます。こうして、信仰と、たえずキリストに自らの意志を従わせることによって、キリストとの関係を持続するのであります。このようにするかぎり、キリストはあなたのうちに働いて、み旨に従って志をたて、行うことができるようにしてくださいます」(『キリストへの道』77、78ページ)。
質問4 飛んでいる巻物はどんな特別な働きをしますか。ゼカリヤ書5:3、4
神は愛の神ですが、同時に聖なるおかたであって、罪を非常に重大視されます。神は罪人を愛し、罪を憎まれます。そして、ご自分の民から罪を取り除きたいと強く望んでおられます。この幻によれば、神は「『祭服』を拒否し(ゼカリヤ書3:4)、神の霊の導きに反抗する(同4:6)イスラエル人を処分される」のです(『SDA聖書注解』第4巻1096ページ)。
質問5 ゼカリヤが非難している二つの罪を、十戒の第8条および第9条と比較してください。これらの二つの罪がとくに非難されているのはなぜだと思いますか。出エジプト記20:15、16
「『すべて盗む者』(ゼカリヤ書5:3)は、何らかの点において隣人を傷つける者を象徴し、『すべて偽り誓う者』は神を汚すすべての者を指す」(エリザベス・アクテメイア『ナホム書からマラキ書—釈義、教えと説教のための聖書注解』127ページ)。
神から隠れることはできない
「罪は、父母や妻子、そして同僚たちからは、隠し、否定し、秘密にしておくことができるかもしれない。罪を犯した者たち以外は、だれもその罪悪を疑ったりなどしないかもしれない。しかし、天の知的存在者たちの前には、それはあらわにされている……神は、信心深い様子に欺かれることはない。……人間は、心の汚れた人々に欺かれるかもしれないが、神は、すべての見せかけを見破り、内的生活を読みとられる」(『各時代の大争闘』下巻219ページ)。
質問6 罪に執着する者はどうなりますか。ゼカリヤ書5:3、4
大いなる贖罪の日には、すべての人がゆるしと清めを受けるために身を悩まし、神のみまえにへりくだらなければなりませんでした(レビ記16章)。その日に神が意図された霊的経験に入ることによって、悔い改めた者はイスラエルの会衆から断たれることを免れるのでした。
罪を捨てないかきり罪過は残る
「悔い改めず棄て去っていない罪は、許されず、記録の書からぬぐい去られない。それは、神の大いなる日に、罪人に不利な証言をする。その悪行は、昼の明るみで行なわれたものかもしれないし、あるいは夜の暗やみの中で行なわれたものかもしれない。しかし、いずれにしてもそれらは、われわれが申し開きをしなければならない神の前には、そのままはっきりとあらわれていた」(『各時代の大争闘』下巻219ページ)。
質問7 自分の罪に執着する者たちは最後にはどうなりますか。マラキ書4:1
すべての人がさばかれる
「ひとりびとりの魂は、救われるか、滅びるか、そのどちらかなのである。各自は、今、神に裁かれようとしている。各自は大いなる審判者と顔を合わせなければならない。……準備は、一人一人がしなければならない。われわれは、団体として救われるのではない。一人の者の純潔と献身は、これらの資格を欠く他の人の埋め合わせにはならない。すべての国民が神の前で審判を受けるのであるが、しかし神は、あたかもこの地上にその人一人しかいないかのように、厳密に一人一人を審査されるのである」(『各時代の大争闘』下巻222、224ページ)。
エパ枡の中の女—第7の幻(ゼカリヤ書5章5節〜11節)
質問8 ゼカリヤは第7 の幻の前半において何を見ましたか。その象徴にはどんな意味がありましたか。ゼカリヤ書5:5~8
この幻の前半には、三つの主要な象徴が用いられています。それらは、「エパ枡」、「鉛のふた」、「女」です。
エパ枡
「エパ枡とは穀物を量るための大きなたるであった(ルツ記2:17、サムエル記上1:24などを参照)。つまり、それは5 ガロン〔1斗〕ほどの容量をもった、一般的な家庭用計量器であった」(ボールドウィン『ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書』128ページ)。
鉛のふたは文字通り、エパ枡の口にかぶせる鉛の円盤です。鉛でできたふたは、エパ枡の中の女がのがれられないようにするためのものです。イスラエルの「罪悪」を封じ込めることが、主の計画でした、
女は、たえず外に出たがる、背信したイスラエルの罪悪を象徴しています。罪悪を意味するヘブル語(ゼカリヤ書5:8)は、法廷において有罪を宣告された者をさしています(エゼキエル書18:20参照)。
質問9 ヨハネの幻においては、不純な女は何を表していましたか。黙示録2:20、17:3~7
ヨハネの用いたイゼベルは、中世の教会の堕落した霊的状態を例示しています。中世の「イゼベル」は終末時代の「バビロン」の先がけであり、また偽りの諸宗教の連合を象徴する悪女です。この連合は、法王権、背信した新教、心霊術によって構成されます(黙示録16:13、14参照、同13章比較)。
純潔な女
もちろん、「女」という言葉は聖書の中で積極的な象徴としても用いられています。純潔な女は、キリストの義の衣を着せられ、神のみことばに堅く立った、神の忠実な教会を象徴しています(黙示録12:1、5、6、13~17参照、同19:7、8、21:2 比較)。この教会は歴史を通じて迫害され、世の終わりにかけて激しい攻撃を受けます。しかし、教会はあらゆる悪から守られ、助けられ、天の花婿に会う備えをします(エペソ5:25~27参照)。
質問10 女をエパ枡に投げ込んで、その上に鉛の重しをかぶせるという荒々しい行為は何を意味しますか。ゼカリヤ書5:8(黙示録17:15~18比較)
神は罪を重大視される
象徴的に、神は蓄積された悪を容器の中に集め、鉛のふたをもってそれを封印されます。罪悪がそこから出て、伝染病のように、また神の民を汚染することがないようにするためです。イスラエルに帰還した捕囚民がバビロンに残った人たちの罪によってたえず悩まされることを、主はお望みになりませんでした(ホセア書2:4、12~14、3:1~5参照)。同じように、世の終わりにおいて、淫婦「バビロン」はついに滅ぼされます。
質問11 罪悪で満ちたエパ枡はどうなりましたか。ゼカリヤ書5:9~11
罪悪はこの幻の中で象徴的に「シナルの地」に移されています。シナルはニムロデによって建てられた町で(創世記10:8~10、11:2参照)、それはバビロンをさす言葉でした。バベルの塔はシナルに建てられました(創世記11:2~9参照)。イスラエルの罪悪はそのもとの場所であるバビロンに送り返されるのでした。
質問12 贖罪の日におけるアザゼルのやぎの運命とエパ枡の中の女の運命とのあいだには、どんな関係がありますか。レビ記16:20~22
質問13 実際の贖罪の日が終わると、罪悪はどこに閉じ込められますか。黙示録14:8、18:1~5、19:19~21、20:1~3(『各時代の大争闘』下巻211、218、219、224~226、441、442ページも参照)
4両の戦車—第8の幻(ゼカリヤ書6章1節~8節)
質問14 ゼカリヤの幻の中の馬と戦車をヨハネの幻の中の馬と比較してください。ゼカリヤ書6:1~8、黙示録6:2、4、5、8
ゼカリヤの見た馬はヨハネの見た馬と同じ色をしています。ゼカリヤの幻においては、馬と戦車が神によって地のいろいろな場所に送られています。一方、ヨハネの幻においては、馬とその乗り手に対する地に行けとの命令(ギリシア語では「行け」あるいは「きたれ」)が、神の御座から命令を受ける生き物、ケルビムによって与えられています。ゼカリヤ書の馬と戦車は神によって送られたメッセージを表しています。それらは地のそれぞれの場所にふさわしいものです(ゼカリヤ書6:8参照)。ゼカリヤ書6章を黙示録6章の背景として考えるとき、ヨハネの4頭の馬は地に送られたメッセージを表すと考えることができます。それらは各時代のさまざまな人々の霊的状態にとくにあてはまります。
質問15 「北の国」は何をさしますか。神の御霊はそこで何をされますか。ゼカリヤ書6:6、8
神の支配と導き
「バビロンからの侵入路は北からパレスチナに入っていたため、バビロンは以前には北の国と呼ばれていた(エレミヤ書1:14、15参照)。この言葉はまさしくバビロンの地域を支配したペルシャ人にもあてはまる。『全地の主の前に現れて後、天の四方に出て行く』戦車(ゼカリヤ書6:5)は、『黙々と忍耐づよくご自身の目的を達成するために働いている』(『教育』205ページ)全地に活動する神の代表者たちを表している。北の国に代表が派遣されるということはおそらく、神のみわざを推進するためにペルシャ帝国の支配者たちに働きかける影響力を象徴するものである。この時は、『ユダヤ人に与えられた再建の許可が、今にも撤回されるのではないか』と思われていた時期であった(『国と指導者』下巻185ページ)。この幻は失望していた建設者たちに大いなる励ましをもたらしたことであろう。なぜなら、それは彼らに北の国への使命が成功するという確信を与えたからである。『北の国をさして行く者どもは、北の国でわたしの心を静ませてくれた』(8節)。ダリヨス王はまもなく新しい勅令を発して、働きの推進を許し、公の資金をもって事業を奨励し、反対する者たちをおびやかした(エズラ記6:7~12)」(『SDA聖書注解』第4巻1098ページ)。
質問16 神の霊的神殿を再建するために、天の御使いたちは終末時代にあってどんな働きをしますか。黙示録7:1~3
まとめ
神は私たちを救うために最大限のことをしておられます。神はゼカリヤの時代においてイスラエルのためになされたように、私たちの心から、また教会から罪を除去しようとしておられます。私たちは喜んで神の導きに従っているでしょうか。
*本記事は、フィリップ・G・サマーン(英:Philip G. Samaan)著、安息日学校ガイド1989年4期『勝利の幻 ゼカリヤ書』 からの抜粋です。