【レビ記】法廷の友【解説】#5

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私のための弁護人

堕落した人間が神の愛を理解し、罪人がそのさばき主と和解することができるように、神は祭司として仕える人を召されました。祭司には、罪のない生活とあがないの死によって世を神に和解させられた大いなる大祭司、仲保者イエスを代表する恵みが与えられていました。天の聖所におけるキリストの働きは、私たちが救いを求めて神に近づくことを可能としてくれます。

神への橋

イスラエルの聖所礼拝は族長の礼拝から発展したものでした。中央の聖所が建設されるにともなって、父親の祭司としての役割は変わりました。新たに公的な祭司制度が確立されることになります。あがないの計画についての新しい考えが象徴と儀式によって示されることになりました。

族長の宗教においてもイスラエル人の宗教においても、血を流すことはあがないとゆるしについて「語って」いました。しかし、和解のためのもう一つの面が祭司の役割において強調されていました。それは神と人とのあいだの仲保の働きということでした。

祭司職の必要性は罪の重大さについて、罪が神と人とにもたらした厳しい分裂について、そして創造主と被造物とのあいだの恐るべき断絶について明らかにしています。罪人は、「近づきがたい光の中に住」んでおられる聖なる神にどのようにして近づくことができるのでしょうか(テモテ第I 6:l)。

聖所の制度において、神と人とを隔てていた深淵は祭司によって象徴的に埋められました。祭司は神によって選ばれ、神と人とのあいだを取り持ちました。「わたしの祭司」として、彼らは人々に神を代表しました(出エジプト記28:3、新共同訳)。「イスラエルの人々のうちから」選ばれた者として、彼らはまた神に対して国民を代表しました(出エジプト記28:1)。イスラエルは祭司の働きを通して、悔い改めと賛美と礼拝によって聖なる神に近づき、神から全的に受け入れられることを確信することができました。イスラエルの祭司の務めは天の聖所におけるキリストの祭司としての働きを予表していました。

祭司の仲保(テモテ第1 2:5、6)

質問1

仲保者とは何ですか。彼にはどんな資格が必要ですか。仲たがいしているのはだれですか。仲保者がひとりしか任命されていないのはなぜですか。それはだれですか。祭司制度の仲保者は一般のそれととこが異なりますか。テモテ第1 2:5、6

「執り成す」という動詞は辞書によれば、「双方に同等の友として、とくに和解をもたらすために、二者のあいだに入ること」と定義されています。仲保者は仲たがいした二者のあいだを取り持ちます。地球上の生物は罪のもとで生きていますが、人が神と仲たがいしたのは神のせいではありません。

一般の仲保者はふつう、仲たがいした二者を説得して一定の同意に導くことによって、和解を引き出そうとします。しかし、神と人との仲を取り持つ仲保の働きはこれと異なります。天と地とを隔てている障壁は罪の反逆という状況であって、これは聖なる神と罪人が互いに歩み寄ることのできる問題ではありません。しかし、祭司制度の仲保者は犠牲の血を用いて、この罪の障壁を象徴的に取り除くことができました。このように、レビ人の祭司はキリストの祭司としての働きを予表していました。キリストはご自分の罪のない生活とあがないの死という功績によって、罪の障壁を取り除かれます。彼は神との和解を望むすべての悔い改めた罪人のために執り成してくださいます。

「われわれの先祖が罪を犯して以来、神と人間の間には直接の交わりはなかった。父なる神は、この世界をキリストの手におゆだねになった。そして、神は、キリストの仲保の働きによって、人間を救い、神の律法の権威と神聖さを擁護なさるのである。堕落した人間と天との交わりは、すべてキリストを通じて行なわれた」(『人類のあけぼの』上巻434ページ)。

質問2

神と人とのあいだに仲保者が必要なのは、どんな根本的理由のためですか。

人間の状態(ローマ5:6~10) 

神の状態(テモテ第I 6:16、詩篇71:19)

人間の必要(ヘブル7:25、ヨハネ第I 2:1)

愛は愛によって目覚める

「神を曲解したために、この地上は暗くなった。暗黒の影を照らし、世の人々を神に呼びもどすためには、サタンの欺隔的な力をうち破らねばならなかった。このことは、暴力によってなすことはできないのであった。暴力の行使は神の統治の原則に反する。神は愛の奉仕だけを望まれる。愛を命令することはできない。暴力や権威によって愛を手に入れることはできない。愛は愛によってのみめざめさせられる。神を知れば神を愛するようになる。神のご品性がサタンの品性と対照的に示されねばならない。この働きは全宇宙でただひとりのおかただけができた。神の愛の高さと深さとを知っておられるおかただけが、その愛を知らせることがおできになった。世の暗い夜に、義の太陽キリストが『翼には、いやす力をそなえて』昇らねばならない(マラキ書4:2)」(『各時代の希望』上巻4、5ページ)。

神はキリストによって救いの橋をかけてくださいました。キリストの完全な愛、完全な品性を通してのみ、私たちは父なる神に近づくことができます。そのような救いの橋を私にかけてくださったキリストの深い愛について考えたことがあるでしょうか。

祭司職への任命(レビ記8、9、21、22章)

レビ記は犠牲に関連した祭司の務めについて記しています。それは聖なる務めのための祭司の資格について定め、アロンとその息子たちの祭司職への任命について述べています。まず初めに肉体的・霊的適性と、それらが今日の私たちに教えている意味について見てみましょう。

質問3

大祭司も一般の祭司も肉体的に完全で、傷のない者でなければなりませんでした。なぜですか。レビ記21:17~23

レビ記では、「神聖さ」と「完全さ」は密接な関係にあります。肉体的な欠点や不完全さは神に近づく祭司の神聖さを汚すものでした。そのような者は神を怒らせることになるのでした。聖所の制度全体は、一般的な意味で救いの計画を、また特別な意味で救い主の人格と働きを象徴する、いわば比喩的儀式であることを忘れてはなりません。したがって、来るべき救い主の完全さ・道徳的優越性を示している犠牲と祭司は欠陥のないものでなければなりません。

キリスト教の牧師は、祭司のように、儀式的・象徴的な役割を果たすわけではありませんが、その肉体的健全さ、体力、外観、幸福は働きの適性を大きく左右します。

質問4

祭司は、神が聖であられるゆえに、彼も聖でなければなりませんでした(レビ記21:8)。祭司は次の点においてどんな標準を満たしていなければなりませんでしたか。

品性(レビ記11:44、45)      

妻(レビ記21:7、13~15)     

子供(レビ記22:12、13、申命記6:6、7)    

食物(レビ記11:1~8)

居住地(民数記18:20、ヨシュア記21:1~3)

道徳性(レビ記21:4~7)

報酬(民数記18:21~24)       

習慣(マラキ書2:1~9)         

身体(レビ記21:17~23、22:4、5)

祭司に任命されるまでの手順をあげてください(レビ記8:1~13)。それらをキリストの召し、また私たちの召しと比較してください。

質問5

祭司職への神の召しと政治的工作によって祭司職を手に入れようとしたコラ、ダタン、アビラムの試みとのあいだにはどんな相違がありますか。民数記16:1、3、17、18

質問6

アロンとその4人の息子を洗い清め、彼らに祭司の服を着せたあとで、モーセは任職の雄羊の血と聖なる油とをとのように用いましたか。この特別な手順にはどんな意味がありましたか。レビ記8:22~24、30(出エジプト記29:19~21比較)

アロンとその息子たちの任職のために与えられた7日ののちに(レビ記8:33)、アロンは祭司と民のために罪祭と燔祭と酬恩祭をささげました(レビ記9:1~21)。

質問7

それからアロンはどうしましたか。アロンの祝福にはどんな意味がありましたか。レビ記9:22、民数記6:23~27

質問8

そのとき神は何をなさいましたか。これにはどんな意味がありましたか。レビ記9:24

主のもとから下った火は燔祭を焼き尽くし、聖所を清めました。それは、神がすべてを受け入れられたことを示していました。

祭司職に対する神の要求は罪について、キリストの使命について、私と神との関係について、どんなことを教えていますか。

キリストの祭司職(ヘブル8:1~5、9:1~7)

ヘブル人への手紙は古い契約と新しい契約にふれ、それぞれに聖所がある、と述べています(ヘブル8:1~9:1)。地上の聖所(幕屋、またのちの神殿)は最初の、つまりシナイの契約に属し、天の聖所は新しい契約に属しました。

質問9

ヘブル人への手紙によれば、地上の聖所と天の聖所のあいだにはどんな関係がありましたか。ヘブル8:4、5、9:23、24

これらの聖所はある意味で、神の住まいと考えることができます。神の住まいである天の聖所と地上の聖所の関係がヘブル人への手紙にはっきりと述べられています。地上の聖所は、「天にあるもののひな型」また「ほんとうのものの模型」として描かれています(ヘブル9:23、24)。両者は、実物に対する模型、実体に対する影の関係にあります。地上の祭司は、「天にある聖所のひな型と影」に仕えました(ヘブル8:5)。

イスラエルは聖所を、天にある神の住まいに対応するものと考えました(列王紀上8:27、30、32比較)。ヨハネは、天にある「あかしの幕屋の聖所」を見たと証言しています(黙示録15:5)。この聖句は、天の聖所が天幕、あるいはフェニキヤの神殿のようなものである、と述べているのではありません。それは、地上の聖所が天の聖所を表しているという意味にすぎません。天の聖所は人間の理解力をはるかに越えたものです。そこで、神はモーセに理解できる建築用語を用いて聖所の建て方を指示されました。

「地上の聖所の比類のない壮麗さは、われわれのさきがけであられるキリストが神のみ座の前で仕えておられる天の宮の栄光を、人間の目に映すものであった。王の王の住居において、彼に仕える者は千々、彼の前にはべる者は万々(ダニエル書7:10参照)。輝く守護セラビムが、崇敬のうちに顔を覆うところの、永遠のみ座の栄光に輝く宮に比べるならば、人間の手で造られた建造物は、たとえどんなにりっぱであっても、その壮大さと栄光のかすかな反映にすぎない。しかし、そうはいっても、天の聖所に関する重大な真理と、人間の贖罪のために行なわれた偉大な働きとは、地上の聖所とその奉仕によって教えられたのであった」(『各時代の大争闘』下巻126、127ページ)。

質問10

地上の聖所における犠牲と祭司の務めには、どんな意味がありましたか。地上の聖所とそれを規定するレビ記の律法とが「影」と呼ばれているのはなぜですか。ヘブル8:4、5、10:1(ヘブル8:1、2比較)

犠牲と祭司の務めを含む犠牲制度全体を規定していたレビ記の律法は、「きたるべき良いことの影」と呼ばれています。「影」とは預言のようなものです。地上の聖所とその儀式は、来るべきメシヤの死と悔い改めた罪人のためのキリストの祭司としての務めを予表していました。このように、この予型と象徴の制度は、キリスト初臨前の人々に福音、つまり救いの計画についての大いなる真理を予示し、教えていました。

「キリストは宮の土台であり、いのちであった。宮の儀式は神のみ子の犠牲を象徴していた。祭司職は、キリストの仲保者としての性格と働きをあらわすために設けられていた。いけにえをささげる礼拝の制度全体は、世の人々をあがなわれる救い主の死を予表していた」(『各時代の希望』上巻192、193ページ)。

質問11

地上の聖所におけるどんな特別な儀式が天の聖所においてなされるキリストの働きを予表していましたか。ヘブル9:1~7

私たちの主の天における働きは、それを予表していたイスラエルの聖所について研究することによってだいたいわかります(ヘブル8:4、5)。レビ人の祭司は、日ごとの務めと年ごとの務めという二種類の働きに携わりました。これらの務めはそれぞれ、特有な儀式を持っていました。日ごとの務めは聖所で、年ごとの務めは至聖所でなされました。地上と天上での日ごとの務めは、ゆるし、和解、回復の働きであり、地上と天上での年ごとの務めは、さばきと擁護の働きと考えることができます。これらの明白な二つの区分のゆえに、セブンスデー・アドベンチストは、天でのキリストの祭司としての働きが二つの段階からなると信じています。第一の段階はキリストの昇天のとき始まり、第二の段階は、ダニエル書7~9章、黙示録14:6、7の預言に示されているように、1844年に始まりました。ゆるしが贖罪の日における祭司の執り成しによってなお可能であったように(レビ記16章)、キリストは1844年以後もなお罪の執り成しをしておられます。この執り成しは、再臨前のさばきが完了するときに終了します。

質問12

レビ記の祭司職と聖所によって救いを教えられた神は、いま私たちの信仰をどこに向けようとしておられますか。ヘブル4:14~16、8:1、2

まとめ

クリスチャンにとって、キリストの祭司としての執り成しの働きを理解することは重要なことです。なぜなら、それは十字架と同じくらい救いに欠かすことのできないものだからです。キリストのあがないの死と祭司としての働きとは、共に神の救いの計画の一部です。それらは献身したレビ人の祭司とその務めにおいて予表されていました。

*本記事は、安息日学校ガイド1989年1期『レビ記と生活』からの抜粋です。

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