【レビ記】最後のさばき【16章、23章解説】#6

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最後のさばきがあなたの救いを決定する

贖罪の日が予表していた最後のさばきは、罪の問顕に決着をつけるものです。このさばきはサタンの不当な非難から神の品性を擁護し、清い世界の忠誠を証明します。それはまた真に悔い改めた者たちに永遠の救いを保証し、サタン、悪霊、そしてサタンに従った人間に滅びを宣告します。このように、最後のさばきは宇宙に道徳的調和を回復します。

贖罪の日は最後のさばきを予表していた

レビ記の聖所は聖書のなかで、比喩、さな也、影と定義されています。この独特の比喩・予型は福音の持つ三つの主要な真理を強調していました。それらは、(1)キリストの身代わりの、あがないの死、(2)キリストの祭司としての執り成し、(3)最後のさばき、です。

聖所の儀式と象徴は、イスラエルに福音を理解させることを目的としていました(ヘブル4:1、2)。さばきを含む救いの計画は、神に情報を与えるためのものではありません。神はすべてのことをご存知です。宇宙の住民に罪と義についての神の考え方を認めさせるために、救いの計画は立てられ、徐々に啓示されてきたのです。人間と同様、天の住民もこの問題に関心を抱いています(ペテロ第I 1:10~12、エペソ3:8~11参照)。終わりの時になると、地からあがなわれた者たちは声を合わせて歌うことでしょう。「全能者にして主なる神よ。あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります」(黙示録15:3)。

レビ記16章と23章は私たちの心を、贖罪の日の儀式とその意義とに向けさせてくれます。これらの儀式は最後のさばきを予表していました。聖所における日ごとの儀式は個人の罪からのゆるしと清めを、また年ごとの儀式は民の最終的な清めと共に、聖所の清めを意味していました。

贖罪の日の儀式はカルバリーの十字架を示すものですが、同時にそれは個人の救いを越えて、罪の最終的な滅びを表していました。贖罪の日は、罪、罪人、サタン、悪霊が宇宙から最終的に根絶されることを象徴的に示していました。この意味で、それは最後のさばきを予表するものでした。

予型としての贖罪の日(レビ記16:1~34、23:26~32)

贖罪の日に関する規定(レビ記16章)は、レビ記の中間に位置しています。このことは、イスラエルの礼拝におけるこの年ごとの儀式の重要性を強調するものです。

贖罪の日はレビ記の中心・頂点

「贖罪の日がレビ記の中心にあることは、その文学的形式によっても明らかである。……レビ記16章はその犠牲制度のクライマックスである。この章はまたレビ記の文学的構成の中心であり頂点でもある。これら二つの要素は互いに調和し、相互に強調し合っている」(ウィリアム・H・シェイ「レビ記における文学的形式と神学的機能」『70週、レビ記、預言の性質』第3巻151ページ)。

質問1

年ごとの儀式は何と呼ばれましたか。それはいつでしたか。人々はこの日をどのように過こしましたか。レビ記23:27、28、32

質問2

「身を悩ます」という表現にはどんな意味が含まれていましたか。レビ記23:27、16:29(イザヤ書58:3、6、使徒行伝27:9比較)

今日、ヨム・キプールと呼ばれている贖罪の日は、聖所礼拝における最も厳粛な宗教日でした。それは断食の日でした。神の民は日常の仕事を休み、自分の心をさぐり、罪を告白し、神の前にへりくだりました。

質問3

この特別な贖罪の日は何のためにありましたか。レビ記16:15、16、20、21、30、33

贖罪の日になされる清めの儀式は、人々の霊的清めと同時に、聖所の清めを目的としていました。聖所は悔い改めた人々によって告白された一年間の罪によって汚れていました。

ゆるされた罪の清め

「レビ記16:16には、贖罪の日の儀式が『イスラエルの人々の汚れ』と『彼らのもろもろの罪』から聖所を清めることを目的としていたと書かれている。『罪』と『汚れ』は、レビ記の最初の15章で扱われている主要な問題である。罪は1~7章において、汚れは11~15章において扱われている。

贖罪の日の儀式は関係のある犠牲を扱ったこれらの章の絶頂であるが、その位置は両者との密接な関係を示している。この密接な関係は、贖罪の日が罪と汚れから聖所を清めるためのものであったことを暗示している。これらの罪と汚れはレビ記1~15章に示された方法によってゆるされ、一年を通じて聖所に移されたものであった」(ウィリアム・H・シェイ「レビ記における文学的形式と神学的機能」『70週、レビ記、預言の性質』第3巻152、153ページ)。

質問4

二頭のやきを使った贖罪の日の儀式を説明してください。くじで何を決めましたか。大祭司は主のやぎの血をとこに注きましたか。これは何を意味しましたか。身代わりのやぎ(アザゼル)は何を負いましたか。それはどこに連れて行かれましたか。二頭のやきはだれを象徴していましたか。レビ記16:7~9、15、16、18~22

主とサタン 

「一頭のやぎが人格的存在者である主のためのものであるなら〔レビ記16:8〕、もう一頭のやぎもまた人格的存在者のためのものでなければならない。しかも、それらは明らかに対照的なものであるから、アザゼルは主に対抗する者、すなわちサタンと考えるのが最も矛盾のない見方である」(『SDA聖書注解』第1巻775ページ)。

聖所の清め 

一年のあいだ、悔い改めたイスラエル人の告白された罪が聖所に移されました。象徴的に、ゆるされた罪の記録は聖所に保管され、罪人はゆるされました。罪人のささげる罪祭の血は、彼の心を来るべきあがない主の功績に向けさせました。彼はその罪過がゆるされ、神のあわれみにあずかることができました。

身代わりのやぎ(アザゼル)は最終的に罪の責任を負って、宿営から追放されました。この儀式は、罪の創始者であるサタンに最終的な責任を負わせることを予表していました。

質問5

贖罪の日に自分の罪を告白せず、罪深い生活を続け、悔い改めなかったイスラエル人はとうなりましたか。祭司であれ一般人であれ、真に悔い改めた者には何が与えられましたか。レビ記16:30、33、34

贖罪の日は、神の契約の民を自認する二種類のイスラエル人に焦点を合わせていました。ゆるされた罪の記録が聖所から取り除かれるとき、神は忠実なイスラエル人に多大な祝福を与えられました。彼らは霊的に清められました。しかし、悔い改めないイスラエル人は自分の罪の責任を負って、会衆から断たれました。

質問6

贖罪の日の儀式が完了したとき、聖所、信じる会衆、宿営はどんな状態になりましたか。レビ記16:30、33、34

予表された最後のさばき

宗教暦の第7月における贖罪の日は、日ごとの罪祭の血や肉によって悔い改めた罪人から聖所に象徴的に移された罪が取り除かれるときでした(レビ記16:15~22)。聖所、会衆、宿営は儀式的に清められました。この儀式は最後のさばきを予表していました。人類を救う神の計画のなかで、最後のさばきは最終的に罪を根絶するものです。悪魔とその罪の結果はすべて消し去られます。

贖罪の日はキリストの功績の最終的な適用を予表していました。その結果、罪は根絶され、全宇宙は神の統治に復帰します。最後のさばきは神の永遠の目的を成就するものです。「それは、時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。それによって、神は天にあるもの地にあるものを、ことごとく、キリストにあって一つに帰せしめようとされたのである」(エペソ1:10)。

すべての罪はサタンの責任

「サタンは、罪の創始者であり、神のみ子の死を招いたあらゆる罪の直接の扇動者であるから、正義は、サタンが最後の刑罰を受けることを要求する。人間を贖い、宇宙を罪からきよめるキリストのみわざは、天の聖所から罪を取り除いて、これらの罪をサタンの上に置き、サタンが最後の刑罰を負うことによって閉じられる。そのように、象徴的奉仕においても、一年間の務めは聖所のきよめと、アザゼルのやぎの頭の上に罪を言いあらわす告白をもって閉じられた」(『人顆のあけぼの』上巻423ページ)。

最後のさばきの調査段階(ダニエル書7~9、12章)

最後のさばきには三つの段階があります。ダニエル書の預言は、最後のさぱきにおける再臨前の、調査の段階を描写しています。黙示録の預言は、千年期における再調査の段階と、神が悪人に関する天の法廷の判決にもとづいて行動される執行の段階を描写しています。かしの木がどんぐりの中に包含されているように、最後のさばきの全容が予型としての贖罪の日に包含されていました。

質問7

国々の興亡ののちに、天でどんなことが起こると言われていますか。そののち、どんなことが起こりますか。ダニエル書7:9、10、13、14、21、22、26、27

ダニエル書7章は天における大いなるさばきの召集を、小さい角の活動する1260年間が終わるある時点の出来事として描いています。したがって、このさばきは1798年以後に始まることになります(ダニエル書7:25、黙示録12:6、14参照)。ダニエル書8:14、9:24~27の預言はこのさばきの開始を1844年に位置づけています。ダニエル書7:9、10、13、14はこの再臨前のさばきの始まりと終わりにとくに注意を促しています。天でのこのさばきの終わりに、キリストは勝利した聖徒たちが住む永遠の御国を受けられます(ダニエル書7:13、14)。この幻は、キリストが信じる民を迎えるために再臨される前に行われる最後のさばきの一面を描写しています。

質問8

この再臨前のさばきで、天使たちの前に何が開かれていますか。その目的は何ですか。ダニエル書7:10、12:1

再臨前のさばきでキリストは永遠の御国を受け、小さい角はさばかれます。神とサタンとのあいだのすべての争闘はこのとき終わります。神の完全な正義が立証されます。

本物と偽物が分けられるキリストの恵みを全く受け入れない公然たる悪人はこのさばきにおいてさばかれません。彼らの運命は明白です。問題は、だれが真の信者で、だれが偽りの信者であるかです。どちらもいのちの書にその名が記されています。福音の網には善人も悪人も入っています(マタイ13:24~30、22:10)。再臨前の調査審判は、本物と偽物をふるい分け、真の信者を天の法廷の前で再確認するために必要です。

これがキリストの第二の部屋における働きです(ダニエル書7:21、22、黙示録3:5、6:10、11、19:7、8比較)。真の信者のゆるされた罪の記録は、この再確認のさばきで除去されます。

調査の働き

「古代において、民の罪が、信仰によって罪祭の上におかれ、そしてその血によって、象徴的に地上の聖所に移されたように、新しい契約においては、悔い改めた者の罪は、信仰によってキリストの上におかれ、そして実際に天の聖所に移されるのである。そして、地上の聖所の型としての清めが、それを汚してきた罪を取り除くことによって成し遂げられたように、天の聖所の実際の清めも、そこに記録されている罪を取り除くことによって、すなわち消し去ることによって、成し遂げられねばならない。しかし、これを完成するためには、だれが罪の悔い改めとキリストを信じる信仰によって、贖いの恵みを受ける資格があるかを決定するために、記録の書の調査がなされねばならない。したがって、聖所の清めには、調査の働き、すなわち審判の働きが含まれるのである。この働きは、キリストがご自分の民を贖うために来られる前に行なわれねばならない。なぜなら、彼が来られる時には、彼はすべての者に、それぞれの行為に応じて報いを与えられるからである(黙示録22:12参照)」(『各時代の大争闘』下巻136、137ページ)。

最後のさばきにおける千年期の再調査段階(黙示録20:4)

身代わりのやぎは荒野に放逐されました。これは、サタンがイエスの再臨後、1000年間(千年期)、この地上に束縛されることを象徴していました。あがなわれた者たちは天でキリストと共に支配します。

質問9

最後のさばきの千年期の段階において、だれがだれをさばきますか。このさばきの目的は何ですか。失われた者たちにもういちど機会が与えられますか。黙示録20:1~6、コリント第I 6:1~3

千年期におけるさばきは、なぜ人々が失われたのかを再調査するためのものです。これによってゆるしを受ける者はひとりもいません。恩恵期間はイエスの再臨前に閉じています。堕落天使の反逆や失われた人類の記録について調べるとき、多くの疑いが解けることでしょう。あがなわれた者たちは神の豊かなあわれみと神のみこころに対する人々のかたくなな反抗を認めることでしょう。彼らは神が公平なおかたであることを確信します。神は人類家族を救うために、また宇宙に調和を回復するために、あらゆる可能なことをされたのです。

天の法廷のさばき

「彼ら〔あがなわれた者たち〕はキリストと共に悪人を審き、その行為を法規の書すなわち聖書と照らし合わせ、それぞれがなしたわざに従って、すべての者に判決を下す。その時、悪人は、それぞれのわざに応じて、受けねばならない苦しみが定められる。そして、それが、死の書の彼らの名のところに記録される」(『各時代の大争闘』下巻444ページ)。

最後のさばきの執行段階(黙示録20:11~15)

質問10

最後のさばきの執行はいつ、とこでなされますか。このさばきにおいてどんなことがなされますか。黙示録20:11~15

質問11

救われている者たちには今、どんな報いが正式に与えられますか。キリストを信じる信仰は彼らの品性にどんな影響を与えていますか。かたくなな者たちには今、どんな宣告が正式に下されますか。マタイ25:31~46

歴史の教訓が明らかになる     

「長年にわたって争われてきた真理と誤謬のすべての問顛が、今明らかにされた。反逆の結果、すなわち神の律法を廃することの結果が、すべての知的被造物の目の前で明らかになった。神の統治と対照的なサタンの支配が行なわれた結果が、全宇宙の前に公開された。サタン自身の行為が、彼を罪に定めたのである。神の知恵と正義といつくしみとが、完全に擁護される。……罪の歴史は、神が創造されたすべての者の幸福が神の律法の存在と結びついていることを、永遠にわたってあかしする。大争闘のいっさいの事実が明らかになると、全宇宙は、忠誠な者も反逆者も、異同音に、『万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります。』と言明する」(『各時代の大争闘』下巻457ページ)。

まとめ

イスラエルの聖所において年ごとになされた贖罪の日の儀式は、さばきと擁護の働きでした。それは、再臨前の、調査審判、千年期の審判、執行審判の出来事を予表していました。

*本記事は、安息日学校ガイド1989年1期『レビ記と生活』からの抜粋です。

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