第一のものを第一に!【ハガイ書—主を求めよ、そして生きよ!】

中心思想:ハガイ書のメッセージは単純明快です。つまり、私たちにとって最も重要なものは何か、優先順位にもとづいて行動すべきなのはなぜか、ということです。

目次

この記事のテーマ

聖書の中で最も短い書の一つであるハガイ書は、ユダの歴史における重大な時代に書かれました。捕囚になっていた民はほぼ20年前にバビロンから帰還していました。しかし、彼らは自分たちが帰還した理由を忘れてしまっていました。彼らは神の神殿を廃虚のままにしておきながら、自分の家を建てることに精力を注いでいました。

そこで、預言者は帰還した捕囚民に自分たちの置かれている状況についてよく考えるように勧告しました。彼のメッセージは単純にして論理的でした。民は懸命に働きましたが、十分な結果が伴っていませんでした。その理由は、彼らが優先順位を誤っていたからでした。彼らは自分のすべての行動において神を第一にする必要がありました。イエス御自身、次のように言われました。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタ6:33)。

今日も、私たちは生存競争に巻き込まれるあまり、私たちの最優先事項、つまり常に主の御心を行うことを忘れがちです。

多く蒔いても、取り入れは少ない

問1

ハガイ書1:1~11を読んでください。ここに、どんなことが起こっていますか。そのようなことが起こっていたのはなぜですか。同じようなことが今日の私たちにも起こっていないでしょうか。私たちはどうしたら同じ過ちを犯すことになりますか。

「1年以上にわたって神殿はなおざりにされ、ほとんど見捨てられてしまった。人々は自分たちの家に住んで、物質的に繁栄しようと努めたが、その状態は哀れなものであった。彼らはどんなに働いても、繁栄しなかったのである。自然の力そのものが、彼らに逆らっているかのように思われた。彼らが神殿を荒廃させていたために、主は彼らの財産に破滅的な干ばつをお送りになった。神の恵みのしるしとして、彼らに野や畑の産物、穀物、油、酒などをお与えになった。しかし、彼らがこれらの豊かな賜物を利己的に用いたために、祝福は取り去られたのである」(『希望への光』599ページ、『国と指導者』下巻179ページ)。

ハガイは民の現在の状況について彼らを叱責しました。労働が報われなかったのは、神の契約を破ったことによる呪いの一つでした(レビ26:16、20)。民がこの優先順位に心を向けない限り、繁栄することはありえなかったでしょう。

ハガイは主の神殿に対して並々ならぬ情熱を抱いていて、民が早急に神殿の再建を成し遂げるように望みました。彼の大望は、神殿よりも自分自身の安楽を求める民の、自己満足に満ちた思いとは対照的でした。ハガイの最大の関心は神殿にありましたが、民の最大の関心は自分の家を建てることにありました。

主はハガイを用いて、民の心を主の思いに向けさせようとされました。神の家を廃虚のままにしておきながら、神を正しく礼拝することはできません。エルサレムの神殿は堕落した人間と共におられる神の臨在を象徴するものでした。それは、絶対者としての主が天と地の神であることを目に見えるかたちで全世界に思い起こさせるものでした。そのような神(ヨハ2:19、マタ26:61参照)、また救いの計画全体の象徴そのものである神殿を廃虚のままにしておきながら、イスラエルの子らはどのようにして真の神を証しするというのでしょうか。多くの点で、神殿に対する彼らの態度はより深い霊的問題—主の残りの民に与えられた聖なる使命感の欠如—を明らかにしていました。このことはまた、私たちに与えられた警告ではないでしょうか。

神の最大の約束

問2

ハガイ書1:12~14を読んでください。ここに見られる一つの目的意識に注目してください。民が与えられた働きを成し遂げる上で、同じ目的意識を持つことが極めて重要であったのはなぜですか。

今回は、指導者と残りの民は直ちに呼びかけに従いました。彼らは準備を整え、材料を集め、3週間後には神殿建設の働きを再開します。それから1週間後、彼らは祭壇を築き、犠牲による礼拝を復活します(エズ3:1~6)。5年もしないうちに、神殿は完成しました。

神の王国を物的な建造物と同一視することはできませんが、ハガイ書によれば、神は建造物のような物的な要素を用いて霊的な目的を達成されることがあります。

もし預言者の言葉に直ちに従うことが預言者の成功の度合いを測る尺度であるとするなら、ハガイは最も成功した預言者の一人です。彼の説教は人々を行動へと動かしました。その月のうちに、主が助けてくださるという預言者の激励の言葉によって、神殿建設の働きは再開されました。

ハガイ書1:12~14には、ハガイのメッセージに対する指導者と民の応答が記されています。すべての者が主に従っています。なぜなら、主がハガイを遣わされたことを、彼らが認めたからです。彼らは「主を畏れ」ました(12節、新国際訳)。そして、主を礼拝し、主にふさわしい敬意を払うことによって、そのことを表しました。こうして、ハガイは主からの新たな言葉を伝えることができました。「わたしはあなたたちと共にいる」(13節)。民が主に従う決心をすると同時に、叱責の言葉は励ましの言葉に変わりました。神の臨在についての約束は、ほかのすべての祝福についての約束を彼らに与えました。「わたしはあなたたちと共にいる」という言葉は、神が族長とモーセの時代に与えられた契約の約束を思い出させます(創26:3、出3:12、民14:9)。

恐れてはならない!

ハガイ書2:1~5は神の民のうちに起きていた大いなる信仰復興の興味深い進展について描いています。神殿建設の働きが始まった約1か月後、十分な力もないままに預言者たちの指導に従って神の家の再建を決定した残りの民に、神はハガイを通して励ましの言葉をお与えになりました。神殿の現在の状態は捕囚以前の状態に比べてどうかと、ハガイは長老たちに尋ねました。明らかに、現状は以前の栄光の比ではありませんでした。かつて同じ場所に立っていたソロモンの神殿の壮麗さを再現する見込みがなかったので、人々は失望していたはずです。

預言者は民に向かって、神の霊が共におられるので働き続けるように力づけました。彼は残りの民の共同体の一人ひとりに、全能の神が共におられるので奮って働くように呼びかけました。指導者たちに対するハガイの言葉─「強くあれ!恐れてはならない!」─は、モーセの死後、主がヨシュアに語られた言葉を思い起こさせます(ヨシュ1:5~9)。イスラエル自身の力が小さく、弱ければ、それに比例して神に対する彼らの信仰の必要性は大きいのでした。主は終わりには新しい神殿の栄光を昔の神殿の栄光にまさるものとされると、預言者は宣言しています。しかしながら、このことが真実となったのは、神殿にまさる方が来られたからにほかなりませんでした(マタ12:6参照)。

聖霊の臨在は、神の王国がイスラエルにおいて存続することの確証となりました。モーセや長老たちを導き、霊感のメッセージを持った預言者たちを遣わされた神の霊は残りの民と共におられました。指導者と民の信仰に満ちた応答は、霊的な改革がなされたことを証ししていました。聖霊が彼らと共にいて、彼らを新たにし、彼らを神に近づけられました。聖霊の臨在はまた、豊かな祝福を保証しました。預言者は共同体の人々に、神の約束の実現を目指して働くように励ましました。

ハガイは人生の苛酷さや、実現しなかった望みから来る失意を知る民に対して神の言葉を語りました。彼は民の関心を神に向けさせました。神は忠実な方で、新しい共同体が神の王国の責任ある市民となり、たゆまず善を行い、人生に真の意味と目的を見いだすように期待されます。

諸国民の願い

問3

ハガイ書2:6~9を読んでください。ここに、どんなことが約束されていますか。この約束の実現をどのように理解したらよいですか。

神はハガイを通して、主の日に諸国の民をことごとく揺り動かすと宣言されました。そのとき、神殿は神の臨在によって満たされます。預言者は同時代の民に対して、現在の逆境と貧困を超えて、神殿が指し示している神の王国の将来の栄光に目を向けるように呼びかけました。

エルサレムの神殿に組み込まれた壮麗さは、神殿を神の臨在にふさわしいものとするためでした。しかし、聖句によれば、主は栄光とは無縁の家にも喜んで住み、それを光輝あるものとなさいます。民は神殿再建のために工面するお金について過度に心配する必要がありませんでした。すべての財宝はこの新しい神殿に住むと約束された神のものです。主御自身が神殿に輝きを与えられるのでした。

「民が彼らの分をしようと努力して、心と生活に神の恵みが新たに与えられることを願い求めたときに、ハガイとゼカリヤを通じて言葉が次々と与えられた。そしてそれとともに、彼らの信仰は豊かに報われ、彼らが再建している神殿の将来の栄光に関する神の言葉は、必ず成就するという確証も与えられた。時が満ちたときに、この建物そのものの中に、万国の願うところの方が人類の教師、救い主として出現なさるのであった〔ハガイ書2:7、文語訳参照〕」(『希望への光』601ページ、『国と指導者』下巻183ページ、一部改訳)。

新しい神殿の輝きは昔の神殿の栄光にまさるものとなると、神は約束されました。それは異なった種類の栄光となるのでした。なぜなら、この神殿は人となられたイエスの臨在によって高められるからです。実際に、キリストの臨在は新しい神殿の栄光をソロモンの神殿の栄光にまさるものとしたのでした。

主の印章

「『その日には、と万軍の主は言われる。わが僕、シェアルティエルの子ゼルバベルよわたしはあなたを迎え入れる、と主は言われる。わたしはあなたをわたしの印章とする。わたしがあなたを選んだからだ』と万軍の主は言われる」(ハガ2:23)。

主からハガイに与えられた最後のメッセージは先のメッセージと同じ日に与えられました。先のものを補完するためです(ハガ2:22、23参照)。神の裁きの日に、もろもろの王国と国々は滅ぼされると、主は警告されました。しかし、その同じ日に、主の僕は神の定められた救いの業を完成すると、預言者は言っています。これは再臨において、またそれに続くすべての出来事の間に、最終的かつ完全なかたちで実現すると、私たちは理解しています。

ここで、イスラエルの政治的指導者は、彼自身の祖先であるイスラエルの王ダビデの輝かしい統治と関連づけられています。ゼルバベルはヨアキン王の孫で、バビロン捕囚後、ダビデの王位に就く正当な後継者でした。彼はペルシア王ダレイオス大王のもとでユダの総督として仕え、エルサレム神殿の再建を指導した人物でした。ヨシュアは神殿の再建を助けた大祭司でした。

ゼルバベルは主の印章、つまり王の権威と所有権の証拠を与えるものであると、預言者は言っています。王が指輪をもって法的な文書に署名するように、主は御自分の僕の働きを通して全世界に強く印象づけられます。神殿再建におけるゼルバベルの中心的な役割は決して低く評価すべきではありませんが、彼はハガイを通して神から与えられたすべての約束を実現したわけではありません。霊感を受けた福音書の記者たちは、ダビデとゼルバベルの子孫であるイエス・キリストの人格と働きこそ、聖書に見られるメシアについてのすべての約束の最終的な実現であると述べています。

さらなる研究

「しかし、この暗黒の時においてさえ、神に信頼する者にとって、希望がなかったわけではなかった。預言者ハガイとゼカリヤは、この危機に当面するために立てられた。これらの任命を受けた使命者たちは、人心を揺り動かす証言によって、人々に彼らの苦難の原因を明らかにした。物質的繁栄がなかったことは、まず神を彼らの第一の関心事にすることを怠った結果であると、預言者たちは宣言した。もしイスラエルの人々が、神の家を建てることを彼らの第一の仕事として、神を崇め、神に対する敬意と礼儀を示したならば、彼らは神の臨在と祝福を受けたことであろう」(『希望への光』599ページ、『国と指導者』下巻180ページ)。

「第二の神殿は、主の栄光の雲ではなくて、肉体をとって現れた神ご自身、満ちみちているいっさいの神の徳が宿っているかたの生きた臨在によって、あがめられるのであった。ナザレの人イエスが神殿の庭で、教え、いやされたとき、『万国民の財宝(万国の願うところのもの/文語訳)』が、ほんとうに彼の神殿に来られたのである。キリストが来られたこと、ただそのことだけで第二の神殿は、第一の神殿の栄光をしのいだ」(『希望への光』1598、1599ページ、『各時代の大争闘』上巻10、11ページ)。

*本記事は、安息日学校ガイド2013年2期『主を求めよ、そして生きよ!』からの抜粋です。

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