この記事はこんな人におすすめ!
・死後の世界があるのかを知りたい!
・死んだらどうなるのか考えたい
・聖書の死生観を知りたい
この記事は約5分で読むことができます。
「死後の世界はあるのか」や「死んだらどうなるのか」といった疑問は、だれしも一度は考えたことがあるテーマではないでしょうか。
この記事では、聖書が語る死後の世界について衝撃の事実とキリスト教の死生観をわかりやすく解説します。
人は死んだらどうなるのか?|よくある6つの死生観
現代日本の死生観
ある調査によって現代日本においては、宗教も死後も世界も信じない人と、宗教は信じないが死後の世界を信じる人に、大きく分かれていることが明らかになりました。
また他の調査によって、全体では「死んだら終わり」だと信じる人が約6割、「死後の世界」を信じる人が約2割であることがわかりました(遠藤薫「日本社会における死生観とその変化」)。
しかし、大学生に限った調査になると約6割近い人が「魂や霊魂、前世、生まれ変わり」を信じていると回答したのです(香山リカ『スピリチュアルにハマる人』)。
さまざまな死生観を大きく分けると、以下の6つになります。
- 他の人間や動物に生まれ変わる
- 別の世界で永遠に生き続ける
- すぐそばで子孫を見守る
- 子孫の命の中に生き続ける
- 自然の中に還る
- 完全に消滅する
伊佐敷隆弘『死んだらどうなるのか?』
そのうちの死後の世界を信じている輪廻転生は1のパターン、キリスト教は2のパターン、お盆の価値観は3のパターン、儒教は4のパターンになります。
この記事では、特に2の聖書が伝えるキリスト教の死生観を見ていきます!
聖書が教える死後の世界についての衝撃の真実!
死後の世界はある?それとも、死んだら終わり?
キリストは、はっきりと死後の世界があることを言われています。
イエスは言われた。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
ヨハネによる福音書11章26節
死んだらどうなるの?自分の意識や魂はどこへ行くの?
「死は眠り」のようなものである、と聖書には書いてあります。
人が復活を待っている間の一時的な無意識状態が死であり、聖書は繰り返し、この状態を「眠り」と表現しています。
「私たちの友ラザロが眠っている。しかし、私は彼を起こしに行く。」弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。
ヨハネによる福音書11章12節
天国はあるの?いつ天国に行くの?
キリストがもう一度来られる時(再臨)に、人々は復活して天国へ入る、と聖書には書いてあります。
合図の号令と、大天使の声と、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストにあって死んだ人たちがまず復活し、続いて生き残っている私たちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に出会います。こうして、私たちはいつまでも主と共にいることになります。
テサロニケの信徒への手紙一4章17節
死者の復活はあるの?イエス・キリストの復活は事実なの?
キリストの実在、十字架での死の記録、空になった墓。これらから浮かび上がるのは、復活の可能性です。
キリストの実在と十字架での死の記録
古代ローマの有名な歴史家コルネリウス・タキトゥスは『年代記』の中で、キリストがピラトに処刑されたことを記録しています(タキトゥス『年代記』)。
キリストの死から約25年後、『コリントの信徒への手紙一』の中で使徒パウロは次のように書いています。
キリストが……死んだこと、葬られたこと、また聖書に書いてあるとおり三日目に復活し……その後、五百人以上のきょうだいたちに同時に現れました。
コリント人への第一の手紙15章3―6節
さらに多くの聖書学者たちがこの部分は、キリストの死後3―8年後にすで存在していた口伝の信条をパウロが書いたものと主張しています。
空になった墓
ユダヤの指導者たちはイエスを否定し、弟子たちが死体を盗んだと吹聴しました(マタイによる福音書28章12―15節)。
これは後世のラビ文献にも記されているものですが、興味深いことに「空の墓が事実である」ことを前提に話が進んでいるのです。
当時、弟子たちが死体を持ち出さないように、墓は警備されており、警備の失敗は死につながりました。一説には100名が配備されたとされています。
墓荒らしも重罪で死刑になる可能性もあったため、命がけでした。キリストの死後、失意の中にいた弟子たちが行動を本当に起こせたのでしょうか。
紀元111年秋頃に小プリニウスは、ローマ皇帝に送った公的な書簡の中で、クリスチャンがイエスを神として扱っていることを記載し、その教えを「常軌を逸した俗信」としました。(プリニウス『プリニウス書簡集』)。
ローマ帝国内における迫害も強まる中、身の危険まで犯して、嘘を吹聴するでしょうか。
キリストの実在、十字架での死の記録、空になった墓の事実。これらから浮かび上がるのは、復活の可能性です。
天国があるなら、永遠の地獄での苦しみもあるの?
聖書は悪が滅びることは明言していますが、実は悪人を苦しめ続ける炎がある永遠の地獄の存在は聖書には書かれていません。
その日が来るかまどのように燃える日が。
マラキ書3章19節
傲慢な者、悪を行う者はすべてわらになる。
到来するその日は彼らを焼き尽くし根も枝も残さない――万軍の主は言われる。
キリスト教の死生観|教派ごとの違いをわかりやすく解説!
カトリックの死生観
カトリック教会では、多くの人は死んで「煉獄」で完全に罪を清めてから、天国へ行くと考えられています。
煉獄は地獄とは異なり、永遠の救いが約束された人が向かう場所で、永遠の罰を受けるための場所ではありません。
中世に入ると、この煉獄の期間を短縮する「贖宥」が強調され、十字軍に従軍したものにこれが与えられることになりました。
その後、ついに献金によって購入される贖宥状が発行されることになります。これにルターが問題を提起したため、宗教改革が始まったのでした。
プロテスタントの死生観
ルターとカルヴァンの死生観の違い
マルティン・ルターは、煉獄を否定し、「死は眠りである」ことを主張しました。
一方、カルヴァンは、煉獄は否定しましたが、「死は眠りであること」は認めませんでした。
そのため、カルヴァンとカトリックの死生観は、煉獄の有無以外は大きく異なるところはありません。
永遠の地獄についての意見の違い
プロテスタントの中でも、「地獄」の存在は意見が分かれ、存在を認める教派と否定する教派があります。
地獄を否定する意見としては、主に3つあります。
- 最終的にすべての人が救われると信じる立場
- 地獄を神話的また象徴的に捉える立場
- 地獄の永続性を否定し、悪人は完全に滅ぼされ、存在そのものが消滅すると信じる立場
永遠の地獄を否定する理由としては、以下のような理由があります。
- 永遠の命は、神を信じるものに与えられる
-
聖書には永遠の命は神を信じるものに与えられ、神から離れて罪を犯すものには死が与えられるとあります。
罪の支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠の命なのです。
ローマの信徒への手紙6章23節 - 最終的に悪が滅ぼされることが神の計画
-
神の計画は完全に悪を滅ぼすことであると、聖書には書かれています。
その日が来るかまどのように燃える日が。
マラキ書3章19節
傲慢な者、悪を行う者はすべてわらになる。
到来するその日は彼らを焼き尽くし根も枝も残さない――万軍の主は言われる。 - 永遠に苦しみを与えるのは愛ではない
-
聖書は明確に「神は愛」であるとし、クリスチャンはその模範に従うようにとしています(ヨハネの手紙一4章8節)。
永遠に苦しんでいる人がいることを知りながら、愛のある優しい人たちが天国で穏やかに過ごしている光景は考えられるでしょうか?
天国には、死もなく、悲しみも嘆きもないと聖書には書かれています。
目から涙をことごとく拭い去ってくださる。もはや死もなく、悲しみも嘆きも痛みもない。最初のものが過ぎ去ったからである。
ヨハネの黙示録21章4節
まとめ
聖書には、キリストが再び来られる時(再臨)に、キリストを信じた人々は復活し、天国へ行くと書かれています。それまでの間、死んだ人は意識のない一時的な状態にあり、この状態を聖書では繰り返し「眠り」と表現しています。
また神の計画は悪を完全に滅ぼすことで、永遠の地獄は存在せず、天国には悲しみも嘆きもないと聖書には書かれています。
参考文献
現代の死生観について
伊佐敷隆弘. 死んだらどうなるのか?――死生観をめぐる6つの哲学 . 亜紀書房. Kindle 版.
堀江宗正『日本人の死生観をどうとらえるか——量的調査を踏まえて』臨床死生学倫理学研究会
遠藤薫「日本社会における文化基層としての死生観とその変化──2015年/2022年意識調査結果から──」『学習院大学法学会雑誌』,学習院大学法学会,58巻1号
香山リカ『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』幻冬舎新書、23ページ
イエス・キリストの復活について
Nichol, F. D. (Ed.). (1980). The Seventh-day Adventist Bible Commentary (Vol. 5―6). Review and Herald Publishing Association.
Habermas, G. R. (1996). The historical Jesus: ancient evidence for the life of Christ. Joplin, MO: College Press Publishing Company.
ロン・E・Mクルーゼ(ミラー・ジョエル訳)『神学博士が伝えたい神のことば。』福音社
プリニウス(國原吉之助訳)『プリニウス書簡集』講談社
エレン・ホワイト『各時代の希望 下巻』「第80章 ヨセフの墓の中に」福音社
ピーター・W・ストナー(池田光男訳)『科学は語る』いのちのことば社
ネロは、この風評をもみけそうとして、身代りの被告をこしらえ、これに大変手のこんだ罰を加える。それは、……『クリストゥス信奉者』と呼ばれていた者たちである。この一派の呼び名の起因となったクリストゥスなる者は、ティベリウスの治世下に、元首属吏ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。
タキトゥス(国原吉之助訳)『年代記(下)』岩波書店、269―270ページ
懐疑的な歴史学者でさえ、原始キリスト教にとって、……イエスの死からの復活は、歴史上の現実の出来事であり、信仰のまさに基礎であって、信者の創造的な空想から生じた神話めいた考えではないことに同意しています。
Braaten, History, p. 78, cited in Habermas, G. R. (1996). The historical Jesus: ancient evidence for the life of Christ (p. 164). Joplin, MO: College Press Publishing Company.
煉獄の教えについて
1030 神の恵みと交わりの中で死ぬが、まだ完全には清められていないすべての人々でも、確実に永遠の救いが保証されています。しかし死後、天国の喜びに入るために必要な聖さを達成するべく、彼らは罪からの清めの試練に耐えます。
1031 教会は、この選ばれた者たちの最終的な罪からの清めを「煉獄」と呼びますが、これは地獄に落とされた人々の罰とは本質的に完全に異なるものです。
バチカン公式サイトのカトリック教会のカテキズムより、「III. The Final Purification, or Purgatory」
カトリックの教理によれば,煉獄とは、罪のつぐないを果すまで,霊魂が苦しみを受け,それによって浄化される所である。……アウグスティヌス,トマス・アクィナスなど,中世の神学者たちはいずれもこれを支持し,主張した。……宗教改革者たちは,煉獄の教義には強く反対した。ソラ・フィデの原理,キリストによる義認の恵に対する正しい理解に反すると考えたからである。その後,プロテスタント教会は,煉獄は全く非聖書的なものとして拒否しているが,聖公会では,中間状態の成長過程としてこれを認めている。
『キリスト教大事典 改訂新版』教文館
マルティン・ルターの「死後の状態に対する理解」
死人はそこで,日も年も数えることなく眠り,死人が目覚める時は,ほんの一分間ほどしか眠っていなかったかのように思うだろう。
Martin Luther, An Exposition of Solomon’s Booke, called Ecclesiastes or the Preacher, 1573, folio 151v. 引用元:三育学院短期大学『セブンスデー・アドベンチスト 教理の研究』534ページ
死が眠りだと言い得るのなら,われわれは死に留まるのではなく,再び目を覚まし,生きるのだということ,また,眠っている期間といってもたった今眠りに落ちたばかりだという位にしか感じられないだろうということを,われわれは知っている。
Martin Luther, A compend of Luther’s Theology<ルター神学大要>, edited by Hugh Thomson Ker, Jr., p.242,引用元:三育学院短期大学『セブンスデー・アドベンチスト 教理の研究』536ページ
ジャン・カルヴァンの「死後の状態に対する理解」
ゲッチンゲン大学の総長J. L.モスハイム(Johann L. Von Mosheim)は,その著書Institutes of Ecclesiastical History < 教会史概説>の中で,「一般パプテスト派はイングランドの多くの州に会員を増し,広がっていった」と記録している(Murdak tr., bk. IV, cent. XVI, sec. III, pt. 2, ch. III, par. 23) 。そして信仰箇条のーつとして彼らは, 「魂は,死と最後の日のよみがえりの聞は,楽しみも苦しみも持たず,無感覚の状態にある」(前掲書)と信じている。
一方,いろいろな地方にとの教えが広がっていくのに深い動揺を受けたJ. カルヴァン(Jean Calvin) は, 1534年に闘争的な小冊子Psycholoannychia< 魂の眠り>を著わした。これは「魂は死ぬ,あるいは眠る」という教理を論駁するために出版されたもので,その中で彼は, この考えは「すでに幾千の人々に受けいれられている」と述べている。
J- プリーストリ(Dr. Joseph Priestly) は,初期の改革者たちの多くが「魂の眠り」を固く信じていたことを看取し,次のように述べている。
その著書で, (魂の眠りの)教えを否定する考えを強く主張したカルヴァンの権威がなかったとしたら,
有意識的中間状態) (intermediate conscious state) の教理は,おそらく練獄の教理そのものと同じように,適確に論駁されていたことだろう。 (Corruptions of Christianity, in Warks, 1818, vol. 5, p. 229)
三育学院短期大学『セブンスデー・アドベンチスト 教理の研究』540ページ
カルヴァンの中間状態に関する教えが北アフリカ出身の教父であるアウグスティヌスから由来したことを彼の他の著書において認めている。そして、このような思想は古代エジプトの霊魂不滅の思想の中心地であった北アフリカのアレクサンドリアを中心に活動した教父たちによってカトリック教会の煉獄に関する教理に発展した……
死後霊魂が浄化される可能性を排除したこと以外には、カルヴァンが「金持ちのラザロ」のたとえを根拠に主張した中間状態とローマ・カトリック教会が考案した煉獄は大きく異なることはない。
辛啓勲(李根完・訳)『闇は光に勝たなかった』218ページ
地獄について
確信をもっていえる一つのことは,永遠の苦痛という考え方を棄てなければならないということである。もし人間の霊魂の不滅性というギリシャ的な,非聖書的な考えを受け入れていないなら,そしてまた素直な心を持って新約聖書を読むならば,永遠の苦しみではなく,全滅ということに確信をもつことであろう。永遠とよばれているのは火であって,その中に投げ込まれる生命ではない。
“Christian Faith and Life“1931,p.82,1931年、引用元、三育学院短期大学『セブンスデー・アドベンチスト 教理の研究』472ページ
霊魂が不滅であり、決して死なないものであるのか1700回〔1658回〕聖書に聞いてみよ。一貫して明快な答えは一度もないことが分かるだろう。数百回も使われながら、たった一度も、そしてどの場所でも、魂は本質的に死なないとか霊が不滅であると語ったところはない。
J.A.Wylie,”The History of prorestantism“,vol.Ⅰ,p.16.引用元、辛啓勲(李根完・訳)『闇は光に勝たなかった』184ページ
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