この記事のテーマ
親は、自分の(とりわけ、成長して自分たちの手を離れた)子どもが自らを傷つけるであろう選択をするのを見ることがいかにつらいかを知っています。もちろん、このような心痛は親と子にだけ当てはまるものではありません。友人や親戚が、彼らにとって有害だとあなたにはわかっていた選択をするのを見たことがありませんか。これが自由意志を持つことの不幸な側面です。自由意志、特に道徳的な自由意志は、私たちが誤った選択をする自由を持っていなければ、何の意味もありません。正しいことしか選択できない「自由」な存在は、真の意味で自由でもなければ、真に道徳的でもありません。
それゆえ聖書の大半は、誤った選択をすることについて御自分の民に警告しておられる神の物語です。エレミヤ書の大半も同様のことに関してであり、自由意志と自由な選択を尊重される神から御自分が選ばれた民への訴えです。
残念なことに、物語の大部分は良いものではありませんが、今回、私たちはかすかな望みを目にする機会があるでしょう。というのは、自由意志を用いて、「主の目にかなう正しい」ことをした数少ない王たちを見るからです。
マナセとアモンの治世
物事をあるがままに見ることに関して、私たちは自分が客観的であると思いたがります。しかし、人間である私たちはどうしようもなく主観的です。私たちはこの世界をありのままに見るのではなく、むしろ自分たちのあるがままに見ています。しかも私たちは罪深く、堕落しているので、それが周囲の世界に対する私たちの感じ方や解釈に影響を及ぼします。例えば、ユダのマナセ王(在位:紀元前686~643年頃)のような人物を、とりわけ彼のひどい背教の初期を、ほかにどうやって説明できるでしょうか。ユダにはびこらせた恐ろしい忌むべきことを、いかに彼が心の中で正当化したかは、私たちの想像を絶しています。
歴代誌下33章を読んでください。マナセ王がどれほど堕落していたかということについて、この物語は述べています。さらに重要なことに、この物語は、赦したいという神のお気持ちについて、私たちに教えています。
疑いもなく、鉤で捕らえられ、青銅の足枷につながれてバビロンへ引かれて行ったことは、1人の男に人生を考え直させました。歴代誌下33章は、マナセが心から自分の生き方を悔い、王位に復したとき、彼がかつて与えてしまったダメージを回復しようとした、とはっきり記しています。しかし残念なことに、そのダメージは彼が想像していた以上に大きなものでした。
「しかし、この悔い改めは著しいものであったにもかかわらず、長年にわたる偶像礼拝の腐敗的影響から国家を救うには時すでに遅すぎたのである。多くの者はつまずき倒れ、2度と立ち上がらなかったのである」(『希望への光』532ページ、『国と指導者』下巻3ページ)。しかもさらに不幸なことに、マナセの背教によってひどく影響を受けた者たちの中に、彼の息子アモンがいました。父親の死後、アモンは王位に就き、「父マナセが行ったように主の目に悪とされることを行い、父マナセが造ったすべての彫像にいけにえをささげ、それに仕えた」(代下33:22)のです。父親と違って、アモンは自分の生き方を悔いることがありませんでした。
新しい王
かつて、ある説教者がこう言いました。「よく考えてから祈り求めなさい。それは手に入るかもしれないのだから……」。イスラエルは周辺諸国と同じように、王を祈り求め、待望しました。彼らは求めたものを手に入れましたが、士師の時代以降、イスラエル人の歴史の大半は、それらの王が王位に就いていかに身を持ち崩し、その結果、民もまたいかに堕落したかという物語でした。
それにもかかわらず、例えばヨシヤ王のような例外は常にあるもので、彼は紀元前639年に王位に就き、608年まで治めました。
問1
この新しい王が王位に就いた背景は、どのようなものでしたか(代下33:25参照)。
民主主義とは民による統治のこととされています。しかし、ヨシヤの場合に機能したように、民主主義が機能しているとは、一般的には考えられていませんでした。それにもかかわらず、民は自分たちの意志を表明し、それを実行しました。この若い王は、政府の最高レベルにおいてさえ、ひどい混乱と背教と暴力があったときに即位しました。現状を見て、この国の多くの忠実な者たちは、昔のイスラエルに与えられた神の約束が果たされるのだろうか、と疑問に思っていました。「人間的見地からするならば、選民に対する神のみこころはほとんど達成が不可能のように思われた」(『希望への光』533ページ、『国と指導者』下巻4ページ)。
これらの忠実な者たちの心配は、ハバクク1:2~4の中に表現されています。残念なことに、悪行、暴力、争い、無法状態といった問題に対する回答は、北から、神が御自分のわがままな民に裁きを下すために用いられるバビロンから与えられます。これまでずっと見てきたように、そのようになる必要はありませんでした。しかし、悔い改めを拒否したために、彼らは自分たちの罪が身に招いた罰を受けました。
王位に就いたヨシヤ
問2
「ヨシヤは八歳で王となり、三十一年間エルサレムで王位にあった。その母は名をエディダといい、ボツカト出身のアダヤの娘であった。彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのまま歩み、右にも左にもそれなかった」(王下22:1、2)。彼が王位に就いた背景について考えるとき、これらの聖句に関して注目すべきことは何ですか。
聖書はこの注目すべき青年について何も説明していません。状況を考えるなら、彼は先の王である父親のように堕落し、邪悪になっても仕方ありませんでした。ところが、そうなりませんでした。何らかの理由で、彼は異なる道を選び、それは(結局のところ限定的でしたが)良い影響を民に与えました。
列王記下22章は、神殿に関してヨシヤが行ったことを記しています。ソロモンによる神殿の奉献からヨシヤの改革(紀元前622年)までの間に、何世紀も過ぎ去っていました。王たちは神殿をまったく管理してきませんでした。時間は、かつて美しかったその建物を浸食していました。この若い王は、長年放置してきたために、神殿がもはや礼拝にふさわしくないと思ったのです。
問3
ヨシヤは、神殿がこれほど荒れ果てているのを知って、どうしましたか(王下22:3~7)。
今日的に言うなら、王は財務大臣を大祭司のところへ派遣し、神殿を改修する計画を立て、それに必要な物資や労働者を監督するように求めました。彼らは委託されたお金の支出報告をする必要がありませんでした。彼らが忠実に役割を果たしていたからです。理由はともかく、ヨシヤは彼らに対する信頼をあらわし、記録が示す限り、その信頼は応えられました。
律法の書
イスラエルの人々の礼拝の中心であった聖所の改修は重要でしたが、必要とされていたのは、建物の改修だけではありませんでした。極めて美しく精巧な構造物は、主の力と偉大さを礼拝者に感じさせるように設計されていましたが、民の間に敬虔さを呼び起こすには十分ではありませんでした。歴史は、どこかの美しい教会で1分前には「礼拝していた」のに、1分後には残虐な行為をしているような人々の悲しい物語であふれています。ひょっとすると、その行為は美しい建物の中で学んだことによって引き起こされたのかもしれないのです。
問4
神殿の改修をしている最中に、どのようなことが起きましたか。そのことに対するヨシヤの反応は、なぜとても重要なのですか(王下22:8~11)。
律法の書が見つかりました。一部なのか、それとも全部なのか、聖書は記していません。たぶん、神殿のどこかの壁の中に埋められていたものが見つかったのでしょう。
列王記下22:12~20を読んでください。フルダは、エレミヤがすでに何回も預言していたのと同じメッセージを伝えました。神に背を向けた人々は自分の行為によってすでに自分自身の墓穴を掘っており、彼らはその結果を刈り取ろうとしていました。ヨシヤはその災いを見ることなく、安らかに亡くなるのです。
「主はホルダによって、エルサレムの滅亡は避けることができないことという言葉をヨシヤに送られた。人々が今神の前にへりくだったとしても、彼らは刑罰を避けることはできないのであった。彼らの感覚は邪悪な行為のためにあまりにも長く麻痺していたので、もし刑罰が彼らに下らないならば、すぐにまたもとと同じ罪深い行いにもどるのであった。
女預言者は言った。『あなたがたをわたしにつかわした人に言いなさい。主はこう言われます、見よ、わたしはユダの王が読んだあの書物のすべての言葉にしたがって、災いをこの所と、ここに住んでいる民に下そうとしている。彼らがわたしを捨てて他の神々に香をたき、自分たちの手で作ったもろもろの物をもって、わたしを怒らせたからである。それゆえ、わたしはこの所にむかって怒りの火を発する。これは消えることがないであろう』(列王紀下22:15~17)」(『希望への光』538、539ページ、『国と指導者』下巻23、24ページ)。
ヨシヤの改革
運命をあらかじめ宣告されたにもかかわらず、ヨシヤは「主の目にかなう正しいこと」をしようと、なおも固く心に決めていました。おそらく大惨事は避けられないでしょう。「しかし主は天の神の刑罰を宣言なさったが、悔い改めと改革の機会を取り去られたのではなかった。そしてヨシヤはここに、神が憐れみをもって刑罰を和らげようとしておられることを認めて、決定的改革を起こそうと全力をつくす決心をした」(『希望への光』539ページ、『国と指導者』下巻24ページ)。
問5
列王記下23:1~28を読んでください。忠実な王が堕落した民にもたらそうとした改革の中心的な部分は、何でしたか。
ヨシヤはすべての人をエルサレムに集め、神との契約を結び直しました。最近見つかった律法の書が読まれ、彼らはイスラエルの神に従う誓いを立てました。
王はこの働きを自分だけで実行するのでなく、必要なことを行うよう、霊的責任を持つ者たちに依頼しました。例えば、何世紀にもわたって、さまざまな物(イスラエルに異国の礼拝を広めた偶像や象徴など)が神殿の中に集められていました。ときとして、それらは講和条件の一部であり、この国に押しつけられたものでした。王たちは敵国との平和を維持するために、降伏のしるしとしてそれらを展示してきたのです。しかし理由がどうであれ、それらは本来そこにあるべきものではなかったので、ヨシヤは、それらを運び出して破壊するよう、彼らに命じました。
また、ヨシヤの改革の間、過越祭はかつての習わしのように親族世帯の中だけで祝うのではなく、今や民全体でそれを共に祝いました。民に対するその象徴的なメッセージは、古い時代が過去のものとなり、今や新しい時代に入ったというものでした。彼らはその新しい時代に入って、彼らをエジプトから導き出し、約束どおりにこの部族のために故郷を与え、日々の生活の中で一緒におられる真の神に仕えることを誓いました。
さらなる研究
今回の研究で述べたように、イスラエルに生じた堕落の深さは、ヨシヤが取り組まなければならなかった改革の内容の中に見られます。しかし、この民はいかにしてこれほど堕落してしまったのでしょうか。ある意味で、その答えは簡単です。人間性がそれほど堕落しているからです。人間性がどれほど堕落しているかは、1960年代にイェール大学で行われた有名な実験[ミルグラム実験]によって明らかにされました。
参加者は新聞広告によって任意に集められ、別室にいる、椅子に縛られた人に電気ショックを与えなければならない、と告げられました。ショックを与えるスイッチには、「わずかなショック」から「危険:激しいショック」まで、いろいろな表示が書かれており、さらにはもっと不吉な「XXX」と記されたスイッチも含まれていました。参加者たちは、この実験を指揮している科学者の命令に従ってショックを与えるように言われました。彼らはそうしながら、別室にいる人たちの悲鳴や、「やめてくれ!」という声を聞くのです。実際には、別室の人たちはふりをしているだけで、彼らはまったくショックを受けていませんでした。
この研究の要点は、これら「普通の」参加者たちが、命令されたという理由だけで、見知らぬ人にどれくらいまで苦痛を与えるのかを見ることでした。結果は恐ろしいものでした。多くの参加者が心配し、動揺し、怒りさえしましたが、なんと65パーセントもの人が、別室の人を本当に痛めつけていると信じつつも最強の「ショック」を与えたのです。この実験を行った科学者は、次のように書いています。「普通の人々が、淡々と自分の仕事をこなし、際立った敵意を自分たちに抱くこともなく、極めて破壊的な一連の行為において代行者になれるのである」。歴史を通じて、また今日においてさえ、どれほど多くの「普通の」人たちがひどいことをしてきたことでしょうか。多すぎるほどの人が、確かにそうしてきたのです。なぜでしょうか。クリスチャンはその答えを知っています。単純明快に、私たちが罪人だからです。
*本記事は、安息日学校ガイド2015年4期『エレミヤ書』からの抜粋です。