中心思想
エレミヤ書はしばしば十戒に言及しています。とりわけ安息日の神聖さが強調されています。安息日を守ることが信者の神との契約関係にとって重要なのはなぜでしょうか。
アウトライン
- 労働時間――聖なる時間(エレ17:19~27)
- 創造者のしるし(出エ31:16、17)
- 聖別者のしるし(出エ31:13、14)
- 安全のしるし(出エ31:16)
- 解放のしるし(申命5:12~15)
安息日の有用性
上手な泳ぎには一定の休息期間があります。腕のかき、足のけりも大切ですが、それ以上に、もし腕と足を定期的に休ませなければ、泳ぎ手はすぐに疲れてしまいます。同じように、私たちの霊性、知性、からだも定期的な休みを必要とします。さもないと、私たちの能力は失われてしまいます。
このように、神は日ごとの休みと同様に、週ごとの休みも計画されました。安息日はエデンで与えられました。安息日を正しく守ることは創造主をたえず覚えさせ、偶像崇拝に陥ることを予防し、神との救いの関係を強めてくれます。ユダヤ人によって曲げられ、多くのキリスト教会によって他の日に変えられてしまったとはいえ、安息日はなお霊とまこととをもって神を礼拝する者たちにとって祝福となり続けます。
労働時間—聖なる時間(エレ17:19~27)
質問1
イエスと同じく(ルカ6:1~9)エレミヤも真の安息日改革者でした。エレミヤは門から門をめぐり、王と民に何と訴えましたか(エレ17:19~22)。もしユダが安息日を霊的な喜びと賛美の日として忠実に守るなら、どんな祝福を受けると、神は約束されましたか。エレ17:24~26
ユダは万物の創造者である真の神を礼拝すると告白していたので(エレ10:10、12)、安息日は重要な礼拝の日でした。エレミヤは安息日の守り方に関して特別なメッセージを与えられました。
肉体的なものであれ知的なものであれ、労働は個人の幸福に欠かせないものです。しかし、人間はまた霊的な必要を持った存在です(Iテサ5:23)。神はエデンにおいて、ご自分との特別な交わりの時として週の7日目を聖別されました。しかし、ユダは金銭的な利得のために自らの霊的生命を犠牲にする道を選びました。
「安息日を守ることの中には大きな祝福が含まれているのであって、神は、安息日が、われわれにとって喜びの日であるように望んでおられる。……われわれの天の父は、安息日を守ることによって、人類の間に、彼ご自身に関する知識を保存したいと望んでおられるのである。彼は、安息日がわれわれの思いを、真実な生ける神である彼に向け、彼を知ることによって、われわれが生命と平安を得るように願っておられる」(『教会への勧告』上巻85ページ)。
質問2
イスラエルの歴史において、どんな罪が繰り返されてきましたか。アモス書8:4~7(前8世紀)をネヘミヤ記13:15~18(前5世紀)と比較してください。霊的健康を損なうこの罪への衝動を打ち消してくれるものは何ですか。マタ6:24~33、Iテモ6:6~10
悲しいことですが、聖日に神を礼拝することをしぶることは、一般的によく見られる罪です。多くの人々は安息日に世的な利益を求めています。聖日を単なる休日、自己中心的な楽しみを追求する日にしている人々もいます。これらはみな、神との満たされた関係をクリスチャンから奪うものです。真の満足、信頼、心の平安を犠牲にすることは必然的に霊的な破たんをもたらします。
創造者のしるし(出エ31:16、17)
質問3
神は安息日を何と呼んでおられますか。それはどんな重要な出来事と関連づけられていますか。出エ31:16、17
「わたしがあなたがたの先祖に命じたように安息日を聖別して守りなさい」(エレ17:22)。この「先祖」という言葉は人々の心をモーセの書に向けさせました。
7日目安息日の順守は人を区別する役目をします。それは古代イスラエルを異教の隣国と区別しました。そして今日も、神の十戒のすべてを守る人々を、それらを否定するかその一部しか認めない人々と区別し続けます。
質問4
7日目安息日の順守はいつ、どのようにして定められましたか。創世2:1~3
「『創造の記念としての安息日の重要さは、われわれがなぜ神を礼拝すべきであるかという真の理由を常に考えさせるところにある』。すなわち、神は創造主であって、われわれは神に造られたものだからである。『それゆえに、安息日は、礼拝の根底そのものである』。……神がわれわれの創造主であるという事実が、神を礼拝する理由として存続するかぎり、安息日は、そのしるし、また記念として、存続するのである」(『各時代の大争闘』下巻156、157ページ)。
質問5
万物を創造し、7日目安息日を制定されたのは三位一体の神の、特にどなたですか(ヨハ1:1~3、10、ヘブ1:1~3、コロ1:3、16、17、ルカ6:5)。安息日はだれのために制定されましたか。マル2:27
神の存在に関しては三つの基本的な立場しかありません。第1は一神論(唯一の神がいる)、第2は無神論(神はいない)、第3は汎神論(神はすべての物の中にいる)です。大部分の人々はこれまで何らかの形の汎神論を信じてきました。現代の多くの世俗的人本主義者は「ニュー・エイジ」汎神論を受け入れています。また、現代の世界には多くの無神論者がいます。
安息日順守者は、人格を備えた神、聖書の永遠の神を信じています。この神は6日で世界を創造し、私の人生に計画と目的を持っておられます。
聖別者のしるし(出エ31:13、14)
質問6
ここで学んでいる出エジプト記の聖句の中で、モーセは安息日をまずあがないと、次に創造と結びつけています。彼は初めに安息日を何と呼んでいますか。出エ31:13、14
安息日と結婚はエデンで始まりました。罪の侵入以後、安息日は新しい意味を持つようになりました。それは救いの象徴となったのです(出エ31:13)。
イスラエルが神によって直接、統治される神権政体であった頃、安息日を汚すことを含め、道徳律の重大な侵犯は死をもって罰せられました(民数15:32~36)。
「聖別する」あるいは「神聖視する」という動詞表現の基本的な意味は、「分離する」あるいは「聖なる目的のために分ける」ということです。罪人がその人生を神の権威にゆだねるとき、主は彼を罪の生活から分離されます。イスラエル人は完全に神に属する「聖なる」民となるべきでした(レビ19:2参照)。神とイスラエルの契約関係は罪のゆるしと共に改革の力を与えました。聖書によれば、罪は純潔でないこと、神聖でないことです(詩51:2、10参照)。安息日は純潔、神聖、罪からのきよめのしるしです。
「神が創造主であることのしるしとして、この世界に与えられた安息日は、また彼が聖別する神であるとのしるしでもある。万物を創造された力は、人を彼ご自身に似せて再創造する力である。安息日を清く守る人々にとって、それは清めのしるしである。真の清めは神との調和であり、彼と同じ品性になることである」(『教会への勧告』上巻86、87ページ)。
質問7
安息日の真理はどんな意味において、周辺諸国に対するイスラエルの伝道活動の一部となるはずでしたか。イザ56:6、7
クリスチャンの安息日順守者は、キリストにある霊的安息を見いだしたことを証します。私たちはキリストの功績に信頼することによってわざによる義から解放され、無償で彼の義を与えられます
(ヘブ4:1~11)。安息日順守はキリストを信じる信仰による救いのしるしです。それはまた、私たちの信仰が聖日にキリストと交わることによって強められる手段です。安息日の休みと礼拝はキリストにある霊的休みを深めてくれます。
安全のしるし(出エ31:16)
十戒の一部である安息日の規定は、神と神の民との契約の中で重要な位置を占めています。
質問8
創造とあがないのしるしに加えて、神は安息日をどんな真理と結びつけておられますか。出エ31:16
「割礼の契約」(使徒7:8)は、実はアブラハムに対する契約の「しるし」でした(創世17:11)。安息日の「永遠の契約」はシナイにおける契約のしるしでした。神はこの契約が永遠の契約の更新となるように意図されました(創世17:7、9、19を出エ19:5、詩105:8~10と比較)。割礼は「肉」のしるしであり、安息日の真の順守は心のしるしでした。割礼は一時的な儀式でしたが、十戒に含まれる安息日は永遠のものでした。
「イスラエル人に対するように、安息日は、われわれに対して『永遠の契約として』与えられた。神の聖日を尊ぶ人々にとって、安息日は、神が彼らを、彼の選民として認めておられるという、しるしである。それは、神が彼の契約を、彼らに対して守られるという保証である。神の統治権のしるしを受け入れる者はすべて、自分を神聖な永遠の契約下に置く。その人は服従という黄金の鎖に自分を結び付けるが、その鎖の一つ一つの輪が約束なのである」(『教会への勧告』上巻87ページ)。
質問9
神の永遠の契約はすべて、どんな思想がその中心にありますか。創世17:7、8(アブラハムに対する契約)、レビ26:9、12、エレ11:3、4(シナイ山における契約)、エレ31:33(新しい契約)
妻に対する忠実な夫の約束と同じく、ご自分の民に対する神の約束は安全を意味します。「わたしはあなたがたの神となる」。神は信じる者の保護者、供給者、支持者、慰安者です。神のすべての富が契約関係にある信者の幸福のために約束されています。安息日を守ることは神の子らの心を定期的に、愛とあわれみに満ちた天の父に向けさせてくれます。
「安息日は神と神の民とを結ぶ黄金の留めがねである」(『教会へのあかし』第6巻351ページ)。
解放のしるし(申命5:12~15)
神はイスラエルを世界に対するご自分の証人としてお選びになりましたが、そのとき彼らに聖書(ロマ3:1、2)と救いに関するすべての真理(ロマ9:4、5)をおゆだねになりました。イスラエル国民の経験は古代の安息日にもう一つの意味を付加しました。
質問10
イスラエルが安息日を守ることには、ほかにどんな理由がありましたか。申命5:12~15
「エジプトびとはイスラエルの人々をきびしく使い、つらい務をもってその生活を苦しめた」(出エ1:13、14)。奴隷状態からの奇跡的な救出は決して忘れてはならない救いでした(出エ6:6、7)。肉体的、霊的休息の記念としての安息日は必然的に、この目覚ましい救出の記念となるのでした。
「安息日は、私たちが天の父なる神をより深く知る幸いな特権を与えられている日である」(『SDA聖書注解』第1巻972ページ)。
質問11
イスラエルは安息日のためにどんな備えをするように教えられていましたか。出エ16:4~30(ルカ23:54~56比較)
イスラエル人は「備え」の日(金曜日)によってすべての必要を整え、安息日を礼拝と瞑想と交わりのために用いることができました。備えの原則は今も有効です。
「安息日の準備は、金曜日に完成するようにしなさい。すべての衣服が準備され、料理も全部終わるように取り計らいなさい。靴はみがき、おふろはすませなさい。そうすることは可能である。それを習慣にすれば、できるのである。安息日は衣服の修繕をしたり、食物の煮たきをしたり、快楽を求めたり、あるいは、その他どんな世的な事のためにも使ってはならない。日没前に、すべて世俗的な仕事はやめ、通俗の読み物は見えない所に片付けてしまいなさい。両親よ、あなたがたのすることとその目的を、子供たちに説明し、安息日を戒めに従って守るための準備に彼らを参加させなさい」(『教会への勧告』上巻90ページ)。
まとめ
ユダは偶像崇拝に陥ったため、もはや神の安息日を守る必要性を認めませんでした。神は安息日順守が区別のためのしるしとなるように意図されました。安息日を守る者たちはそれによって創造者、救い主、保護者としての神に彼らの愛と忠誠を示すのでした。安息日はキリストと教会のきずなを強め、肉体的、霊的必要を感じている人々のために働く特別な時です。
*本記事は、安息日学校ガイド1994年2期『エレミヤ書、哀歌 神の計画と私たちの役割』からの抜粋です。