安息日【アドベンチストの信仰#20】

*この記事では特にことわりのない場合は、口語訳聖書が使用されています。

恵み深い創造主は、6日にわたる創造のわざを終えて7日目に休まれ、創造の記念としてすべての人のために安息日を制定された。神の不変の律法の第4条は、この第7日目安息日を休息と礼拝と奉仕の日として守るように求めている。それは、安息日の主であるイエスが教え、実践されたことと調和する。安息日は神と人との喜びにあふれた交わりの日である。安息日はキリストにおける贖いの象徴であるとともに、われわれにおける聖化と忠誠のしるしであり、神の国における永遠の世界の先取りでもある。安息日は神と民との間における永遠の契約の変わらぬしるしである。この聖なる時間を夕べから夕べまで、すなわち日没から日没まで喜びにあふれて守ることは、神の創造と贖いのみわざを祝うことである。(信仰の大要20)

目次

聖書全体を通しての安息日

安息日は神礼拝の中心です。創造の記念として、それは神が創造主であり、わたしたちはその被造物であるという礼拝の根拠を示します。「ゆえに、安息日は、神礼拝の基礎そのものをなしている。というのは、安息日はこの真理を他の方法にはないもっとも印象的なかたちで教えているからである。神礼拝の真の根拠は、単に七日目であるということではなく、創造主と被造物という区別に見いだされる。この重大な事実は、決してすたれても、また忘れ去られてもならない。」[1]人類の前に、この真理を保持するために、神は安息日を制定されたのです。

創造における安息日

安息日は、罪のない世界にその由来を持っています。これは人類が地上において、天国の現実を経験できる神の特別な賜物です。神の三つのきわだった行為により安息日は確立されました。

1. 神は安息日に休まれた

七日目に神は、「休み、かつ、いこわれた」(出エジプト31:17)のですが、それは休みが必要であったからではありません(イザヤ40:28)。動詞の「休む」すなわち、シャバットは、字義通りには仕事または活動の「休止」を意味します(創世記8:22参照)。「神の休みは、疲労や消耗のためではなく、それまでの働きの休止の結果である。」[2]
神が休まれたのは、人間が休むのを期待されたからです。神は人類が従うべき模範を与えられたのです(出エジプト20:11)。

もし神が六日目に(創世記2:1)創造を終えられたのであれば、聖書に七日目に「そのすべての作業を終って」(創世記2:2)とあるのは、どのような意味なのでしょうか。神は六日のうちに天と地の創造を終えられましたが、神はさらに安息日をもお造りになりました。安息日に休まれることにより、神は安息日をお造りになりました。安息日は、最後の仕上げであり、神のわざを完成させるものでした。

2. 神は安息日を祝福された

神は安息日をお造りになったばかりでなく、それを祝福されました。「七日目を祝福するとは、この日が神の特別な恩恵の対象として、また被造物に祝福をもたらす日として宣言されていることを意味している。」[3]

3. 神は安息日を聖とされた

何かを聖とするということは、それを清くする、神聖なものとする、あるいは、それを聖なるものとして、聖なる用途のために分つ、聖別するということです。人々、場所(聖所、神殿、教会など)、時間(聖日)は聖とされることができます。神が七日目を聖とされたという事実は、この日が聖なる日であり、神と人との関係を豊かにするという高い目的のために、これを神が分たれたことを意味します。

神は七日目安息日を祝福し聖とされました。それは、神がすべてのわざを休まれたからです。神がこれを祝し聖とされたのは、ご自身のためではなく人間のためでした。安息日に神の祝福と清めをもたらすのは、神の親しい臨在です。

シナイにおける安息日

イスラエルの出エジプト以後の出来事は、彼らが全体として安息日を見失っていたことを示しています。厳しい奴隷生活は、安息日遵守を大変困難にしていたように思われます。イスラエルが自由を獲得した直後に、神はマナの奇跡と十戒の布告をとおして七日目安息日遵守の義務を彼らに強く示されました。

1. 安息日とマナ

神はシナイから律法を宣布される一ヵ月前に、彼らが「その戒めに耳を傾け、すべての定めを守る」(出エジプト15:26、創世記26:5参照)ことに心用いるなら、病から守ると約束されました。この約束の直後、神はイスラエルに安息日の神聖さを覚えさせられました。マナの奇跡をとおし、神は七日目に休むことをどんなに重んじておられるかを実際的な事柄で彼らにお教えになりました。

通常は、神はその日一日の必要をみたすに充分なマナを彼らにお与えになりました。彼らは、次の日までマナを蓄えておくべきではありませんでした。というのは、たとえそうしてもそれは腐ってしまったからです(出エジプト16:4,16-19)。六日目には、その日と安息日の必要を満たすために、彼らはいつもの二倍集めることになっていました。これは備えの日となるべきであり、安息日はいかに守られるべきであるかを教えました。神は「あすは休みの日であり、主の聖なる安息日である。ゆえに、焼こうとするものを焼き、煮ようとするものを煮なさい。残ったものは、朝まで保存しなさい」(出エジプト16:23、NIV)と語られました。ただ七日目だけは、マナを腐らせずに保存できました(出エジプト16:24)。モーセは、第四条の戒めと似た言葉で、「六日の間はそれを集めなければならない。七日目は安息日であるから、その日には無いであろう」(出エジプト16:26)と言いました。

荒野での四十年間、二千回以上の週毎の安息日において見せられたマナの奇跡は、イスラエル人に六日の間働き、七日目を休むというパターンを教えました。

2. 安息日と律法

神は安息日の戒めを十戒の中心に置かれました。そこには次のように書かれています。「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた(出エジプト20:8-11)。

十戒のすべての戒めは、どれも重要であり一つとしてないがしろにされてはなりません(ヤコブ2:10)。しかしながら、神は安息日の戒めを他のすべての戒めと区別されました。安息日に関して、神は「覚えよ」と命じられ、その大切さを忘れることの危険を警告しておられます。

「安息日を覚えて、これを聖とせよ」というこの戒めを始めている言葉は、安息日がシナイで初めて制定されたものでないことを示しています。これらの言葉は、安息日が以前から定めれていたことを表しています。実際、この戒めの後半が明らかにしているように、それは創造のときに与えられたものでした。神はわたしたちが安息日を創造の記念として守るように意図されました。これは休みと礼拝の時を明らかにし、わたしたちを神とそのわざを思い見るよう導きます。

創造の記念として、安息日は、偶像礼拝を防ぎます。安息日は、神が天と地とをお造りになったことを思い起こさせ、神を他の偽りの神々から区別します。したがって、安息日遵守は、真の神に対するわたしたちの忠誠のしるし、すなわち、わたしたちが、創造主、また王としての神の主権を認めるしるしとなります。

安息日の戒めは、神の律法の印として機能しています[4]。一般に印は、三つの要素からなっています。すなわち、印の持ち主の名、その称号、そしてその権限です。公式の印は、重要文書の批准に使われます。その文書は、押された印の持ち主の権威を帯びるようになります。印は、役職にある者自身がその文書を承認し、またその役職の持つすべての権威がその背後にあることを示しています。

十戒の中で、印の持つ重要な諸要素を含んでいるのは安息日の戒めだけです。その名は「あなたの神、主」、その称号は創造者、その支配の及ぶところは「天と地」であるとして、真の神を明らかにしているのは十の戒めのうちただ一つだけです(出エジプト20:10,11)。ただ第四の戒めだけが、だれの権威によって十戒が与えられたのかを明らかにしています。それゆえに第四条は、「神の印を内に持っている」のであり、その真正性と拘束性の証拠として神の律法に入れられているのです[5]

実際に神は安息日を、「罪と反逆とによって汚されていない世界におけるご自身の力と権威を思い起こさせるもの、あるいはそのしるしとなるようにと制定された。これは『安息日を覚えて、これを聖とせよ』(出エジプト20:8)との勧告によって与えられた、ひとりひとりの永遠の努めとなるべきものであった。」[6]

この戒めは、週を二つに区分しています。神は人間に六日間をお与えになり、そのあいだ「働いてあなたのすべてのわざをせよ」、しかし、七日目は「なんのわざをもしてはならない」(出エジプト20:9,10)と言われました。「この戒めによれば、『六日のあいだ』は働きの日であるが、『七日目』は休みの日である。『七日目』が特別に神の休みの日であるのは、戒めの冒頭の言葉、すなわち、『安息日〔休み〕を覚えて、これを聖とせよ』によって明らかである。」[7]

人間は体力を回復するために体の休みが必要ではありますが、神は神の手本にならってわたしたちが安息日に休むことをその戒めの基礎とされました。神がこの世界の最初の週の働きを休まれので、わたしたちも休むのです。

3. 安息日と契約

神の律法がその契約の中心であるように(出エジプト34:27)、その律法の中心に位置する安息日は、神の契約において重要です。神は安息日を「わたしと〔あなた〕との間のしるしとした。これは主なるわたしが〔あなた〕を聖別したことを、〔あなた〕に知らせるためである」(エゼキエル20:12、同20:20、出エジプト31:17参照)と宣言されます。ゆえに、神は安息日遵守は、「永遠の契約」であると言われました(出エジプト31:16)。「ちょうど契約が神のその民に対する愛をその基礎とするように(申命記7:7,8)、契約としての安息日は、神の愛のしるしである。」[8]

4. 年毎の安息日

週毎の安息日に加えて(レビ23:3)、年毎の祭儀的な安息日が七回イスラエルの宗教暦にはありました。これらの年毎の安息日は、直接には七日目安息日、または週毎の安息日とは関連していませんでした。それらの安息日は、「主の安息日」(レビ23:38)とは別のもので、それは種入れぬパンの祭りの初めと終りの日、五旬節の日、ラッパの祭りの日、あがないの日、そして仮庵の祭りの初めと終りの日でした(レビ23:7,8,21,24,25,27,28,35,36参照)。

これらの安息日は、太陰の暦による聖なる年の始まりに基づいていたので、週のどの日にもなり得ました。偶然週毎の安息日と重なったときは、その日は「大事な日」(ヨハネ19:31参照)と呼ばれました。「週毎の安息日は、創造週の終りとしてすべての人類に定められたものであるが、年毎の安息日は、シナイ山で制定されたユダヤの儀式また祭儀の一部であり、来たるべきメシヤを指し示し、その遵守は、メシヤの十字架の死をもって終った。」[9]

安息日とキリスト

聖書は、キリストがまさしく父なる神と同じく、創造者であられたことを明らかにしています(1コリント8:6、ヘブル1:1,2、ヨハネ1:3参照)。ゆえに、キリストこそ、七日目を他と区別して人類に与えられた方です。

やがてキリストは、安息日を、創造の働きと同様に、あがないの働きとも関連づけられました。偉大な「有って有る者」(ヨハネ8:58、出エジプト3:14)であられるキリストは、安息日を創造主との間でかわした週毎の礼拝の約束を強く思い起させるものとして十戒に組入れられました。そしてキリストは、その民のあがない(申命記5:14,15)という、安息日を守るもう一つの理由を加えられました。こうして、安息日はイエスを創造者、またあがない主として受入れた者を区別します。

創造者でありまたあがない主であるというキリストの二重のお働きは、キリストが、なぜ人の子は「安息日にもまた主なのである」(マルコ2:28)と言われたかを明らかにします。もし望むならば、そのような権威を持って、キリストは安息日を廃することもできましたが、そのようにはなさいませんでした。むしろ反対にキリストは、それを全人類に適用し、「安息日は、人のために作られた」(27節)と言われました。

キリストは、この地上での働きにおいて、わたしたちの忠実な安息日遵守の手本となられました。キリストが安息日に礼拝をするのは、「いつもの」(ルカ4:16)ことでした。安息日礼拝に対するキリストの参加は、キリストが安息日を礼拝の日として認めておられたことを表しています。

キリストは、安息日の神聖さを重んじられたので、昇天後に起きる迫害について語られたとき、それについて弟子たちに勧告されました。「あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ」(マタイ24:20)と、これは、ジョナサン・エドワーズが言っているように、「クリスチャンたちでさえ厳格な安息日遵守を課せられていた」ことを明らかに示しています[10]

キリストがこの世界の歴史における最初の偉大なわざである創造の働きを終えられたとき、七日目に休まれました。この休みは、完成を表していました。キリストは、この地上での働きの最後にも、すなわち、この歴史における第二の偉大な働きを終えられたときにも、同じように休まれました。金曜日の午後、週の六日目にキリストは、この地上でのあがないの働きを終えられました。その最後の言葉は、「すべてが終わった」(ヨハネ19:30)でした。聖書は、キリストがなくなられたとき、「この日は準備の日であって、安息日が始まりかけていた」(ルカ23:54)ことを強調しています。キリストは、死後、墓の中で休まれました。それは、キリストが人類のためのあがないをなしとげられたことを象徴していました[11]

それゆえ、安息日は、キリストの創造と、あがないの働きとをあかししています。安息日を守ることにより、キリストに従う者たちは、人類のためにキリストがなしとげられたことをキリストと共に喜ぶのです[12]

安息日と使徒たち

弟子たちは、安息日を大変重んじました。これは、キリストの死のときに明白でした。安息日になったとき、彼らは、葬りの準備を中断し、「おきてに従って安息日を休んだ」のです。そして「週の初めの日」、日曜日にその続きをしようと計画していました(ルカ23:56、24:1)。

キリストがなさったように弟子たちも七日目安息日に礼拝しました。パウロもその伝道旅行において安息日に会堂に出席し、キリストを宣べ伝えました(使徒13:14、17:1,2、18:4)。異邦人たちさえ安息日に神の言葉の説教のためにパウロを招きました(使徒13:42,44)。会堂のない場所では、パウロはいつも行っている安息日礼拝のために場所をさがしました(使徒16:13)。安息日礼拝へのキリストの出席が、キリストが七日目を特別な礼拝の日としておられたことを表していたように、パウロの場合も同様でした。

この使徒の週毎の安息日遵守は、年毎の礼典的な安息日に対する彼の態度と全く対照的です。パウロは、クリスチャンがもはやこれらの年毎の休みの遵守を義務づけられていないことを明らかにしました。というのは、キリストは、礼典的律法を十字架に付けてしまわれたからです(本書第18章参照)。「だから、あなたがたは、食物と飲物につき、あるいは祭りや新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある」(コロサイ2:16,17)と、彼は言われました。「〔この聖句の〕文脈は、祭儀的な事柄を扱っているので、この安息日は、「影」にすぎず、キリストの到来によって成就したユダヤの年毎の祭りである礼典的安息日を指している。」[13]

同様に、ガラテヤにおいてパウロは、礼典的律法遵守の要求に対し抗議しました。彼は、「あなたがたは、日や月や季節や年などを守っている。わたしは、あなたがたのために努力してきたことが、あるいは、むだになったのではないかと、あなたがたのことが心配でならない」(ガラテヤ4:10,11)と言っています。

多くの人々は、ヨハネが「主の日に御霊に感じた」(黙示録1:10)と述べるとき、それは日曜日を指しているという印象を持っています。しかし、聖書では主が特別に所有される日として言及されているのは、安息日だけです。キリストは「七日目はあなたの神、主の安息である」(出エジプト20:10)と言われ、後には、それを「わが聖日」(イザヤ58:13)と呼ばれました。キリストはまたご自身を「安息日にもまた主」(マルコ2:28)と呼ばれました。聖書において、主がご自分の日と呼んでおられるのは、七日目安息日ですから、ヨハネが言及したのは安息日であったと結論づけるのが理にかなっているように思われます。もちろんヨハネがこの言葉を週の第一日、あるいは日曜日に適用したと思われる先例は、聖書にはありません[14]

安息日以外の他の週日を守りなさいという戒めは、聖書のどこにもありません。聖書は、他のどの日をもそれが祝福されたとも、あるいは聖であるとも言っていません。また神が、安息日を週の他の日に変えたとは、新約聖書のどこにも書かれていません。

むしろこれとは逆に、聖書は神がその民が安息日を永遠に守るよう意図しておられることを明らかにしています。「『わたしが造ろうとする新しい天と、新しい地がわたしの前にながくとどまるように、あなたの子孫と、あなたの名はながくとどまる』と主は言われる。『新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前にきて礼拝する』と主は言われる」(イザヤ66:22,23)。

安息日の意味

安息日は広い意味と深く豊かな霊性に満ちたものです。

1. 創造の永遠の記念

すでに見てきたように、十戒に安息日が含まれていることの意味は、それがこの世界の創造を記念することにあります(出エジプト20:11,12)。七日目安息日を守れという戒めは、「創造のわざとわかちがたく結びついており、安息日の制定とその順守の命令は、創造のわざの直接的な結果である。さらに、全人類家族は、その存在を神の創造のわざに依存しているゆえに記念するのである。したがって、神の創造の力の記念である安息日の戒めに従う義務が全人類に課せられているのである。」[15]ストロングは、安息日を「神が定められた創造のわざの記念としての永遠の義務」と呼んでいます[16]

安息日を創造の記念として守る者は、感謝の告白としてそのようにするのです。というのは、「神は創造主、また彼らの正当な統治者であり、彼らは神のみ手のわざであり、神の権威に従う民だからです。それゆえに、この制度は全く記念のために、全人類に与えられたのです。そこには、あいまいな点はなく、ある特定の民だけにかぎられることもなかった」からです[17]。わたしたちが、神をわたしたちの創造者として礼拝する限り、安息日は創造の記念のしるしとして永く覚えられるでしょう。

2. あがないのシンボル

神がイスラエルをエジプトの奴隷の境遇から解放されたとき、すでに創造の記念であった安息日は、解放の記念ともなりました(申命記5:15)。「主は、週毎の安息日の休みが正しく守られるなら、国や時代に制約されず、むしろすべての国、そしてすべての時代にわたり、人をエジプトのような奴隷状態から解放しようと意図された。現代人は、貪欲、欲望、権力、社会的不公平、そして罪と利己心の奴隷状態から解放される必要があるのである。」[18]

十字架をながめるとき、安息日の休みは、あがないの特別なシンボルとしてきわだっています。「それは、インマヌエルの導きによる罪の奴隷からの解放の記念である。わたしたちが負っている最大の重荷は不服従の罪である。安息日の休みは、キリストの墓における休み、罪に対する勝利の休みを指し示すことにより、キリスト者にキリストのゆるし、平和、休みを受け入れ経験する確かな機会を提供する。」[19]

3. 聖化のしるし

安息日は、神の変革の力、清さ、また聖化のしるしです。主は「あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである」(出エジプト31:13、エゼキエル20:20参照)と宣言しておられます。ゆえに、安息日は、清める者としての神のしるしでもあります。人々がキリストの血によって清められるように(ヘブル13:12)、安息日は罪のゆるしのためにクリスチャンがキリストの血を受けるしるしでもあります。

ちょうど神が、安息日を聖なる目的のためにとり分けられたように、神の民も神の特別な証人となるという聖なる目的のために分けられました。その日における神との交わりは、彼らを清さへと導きます。彼らは自分たちの方策に頼るのではなく、彼らを清められる神により頼むことを学びます。

「すべてのものを創造した力は、魂を神ご自身に似たものと再創造する力である。安息日を清く守るものにとって、それは聖化のしるしである。真の聖化は、神との調和であり、その品性において神と一つになることである。それは、これらの原則に従うことにより、すなわちキリストにならうことにより与えられる。そして、安息日は服従のしるしである。第四の戒めに心から従うものは、すべての律法に従うことであろう。その人は、服従をとおし清められているのである。」[20]

4. 忠誠のしるし

アダムとエバの忠誠が、エデンの園の中央にあった善悪を知る木によって試されたように、人間ひとりひとりは、十戒の中心に位置する安息日の戒めによって神に忠実であるかどうかが試されるでしょう。

聖書によれば、再臨の前には、全世界が二つのグループに分かれます。すなわち、忠実であり「神の戒めを守りイエスを信じる信仰を持ちつづける」者たちと、「獣とその像」とを拝む人たちです(黙示録14:12,9)。その時には、神の真理が世界の前にあがめられ、聖書の七日目安息日の忠実な遵守は創造主への忠誠の証拠であることが、すべての人に明らかになるでしょう。

5. 交わりのとき

神は、動物たちを人類の友としてお造りになりました(創世記1:24,25)。そしてさらに高い段階での交わりのために、神は男と女とをそれぞれにお与えになりました(創世記2:18-25)。しかし、安息日には、神は人間に最もすばらしい交わりである神との交わりを賜物としてお与えになりました。人間は、単に動物たちの友として造られたのではなく、他の人のために造られたのでもありません。人間は、神のために造られたのです。

わたしたちが、わたしたちの間に特別に神の臨在を経験できるのが安息日です。安息日がなければ、すべてが果てることのない労働と骨折りであったことでしょう。毎日が同じようであり、世俗の追求に費やされたことでしょう。しかし、安息日の到来は、希望、喜び、意味、そして勇気をもたらします。それは、礼拝、祈り、讃美、み言葉のめい想と研究をとおし、そして他者と福音を分かち合うことをとおし、神との交わりのときを提供します。安息日はわたしたちにとって、神の臨在を経験する機会です。

6. 信仰による義のしるし

啓発された良心の導きをとおし、真理を誠実に求める非クリスチャンは、聖霊に導かれ、神の律法の一般的原則を理解できる(ローマ2:14-16)ことをクリスチャンは認めています。これは、第四条以外の九つの戒めがなぜキリスト教の外でもある程度実践されているかを説明しています。しかし、これは安息日の戒めにはあてはまりません。

多くの人々は、週毎の休みの理由を理解することができます。一方、働くことについては、週の他の日になされれば、正しく、推賞されるべきものが、七日目になされるとなぜ罪なのか、しばしば理解に苦しみます。自然界は、七日目を守る根拠を提供しません。あたかも毎日が同じであるかのように、惑星はその軌道を回り、植物は育ち、雨が降り、日が照り動物たちは生活を営んでいます。それでは、なぜ人間は七日目安息日を守らなければならないのでしょうか。「クリスチャンにとって他でもないただ一つの、しかし充分な理由がある。神がそうおっしゃったということである。」[21]

人々が七日目を守る道理を理解するのは、ただ神の特別啓示によってだけです。ということは、七日目を守る者たちは、信仰から、そして自ら安息日を守られたキリストにある全き信頼からそのようにしているのです。安息日を守ることによって信仰者たちは、彼らの生活において自分自身の判断にたよらず、神の意志を喜んで受け入れていることを表しています。

七日目を守ることによって、信仰者たちは自らを義としようとしているのではありません。むしろ、彼らは、あがない主であり、創造者であられるキリストとの交わりの結果として安息日を守るのです[22]。安息日遵守は、義認と聖化におけるキリストの義の結果であり、彼らが罪の束縛から解放されており、キリストの完全な義を受けていることを表しています。

「りんごの木は、りんごの実を結ぶことによってりんごの木になるのではない。もともとりんごの木でなければならない。そしてりんごは、当然の結果として実るのである。であるから、クリスチャンは、安息日や他の九つの戒めを自分自身を義とするために守るのではない。むしろ、これはキリストが分け与えてくださった義の自然な結果なのである。このように安息日を守るものは、律法主義者ではない。七日目を守るという外的事柄は、信仰者の義認と聖化という内的な経験を表しているのである。それゆえに、真に安息日を守る者は、神の好意を得ようとして安息日に禁じられている事柄をしないのではない。むしろそのようにするのは、神を愛し安息日により親密な〔神〕との交わりを求めるからである。」[23]

安息日遵守は、自分のわざに対するわたしたちの信頼の放棄を表しています。というのは、わたしたちは創造主なるキリストだけがわたしたちをお救いになることができると知っているからです。実に、「真の安息日遵守の精神は、創造者であり救い主であり、わたしたちを新しい者としてくださるイエス・キリストに対する最高の愛を表しているのである。それは、正しい日を正しく守り信仰による義のしるしとなっているのである。」[24]

7. キリストの内に憩うことのしるし

安息日は、神がイスラエルをエジプトから地上のカナンの休みへと救い出された記念であり、あがなわれた者たちを当時の周囲の国々から区別するものでした。同じように、安息日は、罪から神の休みへの解放のしるしであり、あがなわれた者を世から区別しています。

だれでも神が招いておられる休みに入る者は、「神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである」(ヘブル4:10)。「この休みは、霊的な休みである。『自分のわざ』からの休みであり、罪から遠ざかることである。神はその民をこの休みに入るように招いておられるのであり、安息日とカナンが象徴しているのはこの休みなのである。」[25]

神が創造のわざを終え七日目に休まれたとき、神はアダムとエバに神の内に憩う一つの機会として安息日をお与えになりました。彼らは失敗しましたが、神が人間にお与えになった休みの本来の目的は、変ることがありませんでした。堕落後も、安息日はそのような休みを思い起させ続けるものでした。「ゆえに、七日目安息日の遵守は、すべてのものの創造者としての神に対する信仰を表すばかりでなく、生活を変え、神が本来この地上の住民に対して意図された、永遠の『休み』に人々を入れる神の力に対する信仰を表している。」[26]神はこの霊的な休みを文字通りのイスラエルに約束しておられました。彼らがその休みに入ることに失敗したにもかかわらず、神の招きは変っていません。「こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されている」(ヘブル4:9)のです。その休みに入りたいものはだれでも、「まず、信仰によって神の霊的な『休み』、魂の罪からの休み、そして自分の努力による救いからの休みに入らなければならない。」[27]

新約聖書は、クリスチャンにこの信仰と恵みの休みの経験に入るのをのばさないように勧めています。というのは、「きょう」こそそれに入るときであるからです(ヘブル4:7、3:13)。この休みに入った者、すなわち、イエス・キリストにある救いの恵みを信仰によって受け入れた者はだれでも、自分自身のわざによって義を得ようとするすべての努力を放棄しています。このようにして、七日目安息日の遵守は、信仰者が福音における休みに入ることを象徴しています。

礼拝の日を変える試み

安息日は、創造主またあがない主としての神の礼拝において重要な役割を果しているので、サタンがこの聖なる制度を廃止しようと全力で戦い、行動したとしても不思議ではありません。

神がエデンで制定され、シナイで再び述べられた礼拝の日の変更を聖書はどこにも認めていません。他のクリスチャンたち、すなわち日曜遵守者たち自身がそれを認めています。カトリックの枢機卿ジェームス・ギボンは、かつて「聖書を創世記からヨハネの黙示録まで読んでも、日曜日を聖と認める箇所を一行も見つけられないであろう。聖書は、土曜日の宗教的遵守を強く主張している」[28]と書いています。

プロテスタントのA・T・リンカーンは、「復活以降、神が一日目を安息日として守るように定められたと信じる根拠を、新約聖書自身が提供していると証拠だてることはできない」[29]と認めています。「十戒全体を道徳律として拘束力を持つと理解する者にとって、七日目安息日を守る者となることが、ただ一つの一貫した道である」[30]と彼は認めています。

もし、キリストかあるいはその弟子たちが、礼拝の日を七日目から変えたという聖書的な根拠がないなら、なぜ多くのクリスチャンたちが七日目にかわって日曜日を受け入れたのでしょうか。

日曜遵守の起り

安息日から日曜礼拝への変化は徐々に起りました。2世紀以前には、クリスチャンの週毎の日曜礼拝の証拠はありません。しかし、2世紀の中ごろには、あるクリスチャンたちが自発的に日曜日を休みの日としてではなく、礼拝の日として守り始めたという証拠があります[31]

ローマの教会は、主として異邦人クリスチャンによって構成されており(ローマ11:13)、日曜礼拝の流れの先頭をきっていました。帝国の首都ローマにおいては、強力な反ユダヤ的感情が起り、時と共にさらに強くなって行きました。このような感情に対し、ローマのクリスチャンたちは、自分たちをユダヤ人たちから区別しようとしました。彼らは、ユダヤ人が一般に行う習慣を捨て、安息日を尊ばない傾向を持ちはじめ、日曜日のみを守る方向へ移行しました[32]

2世紀から5世紀にかけて、日曜日がその影響力を強める中で、クリスチャンたちは、七日目安息日をローマ帝国のほぼ全域において引続き守っていました。5世紀に歴史家ソクラテスは、「ほとんど全世界のすべての教会は、毎週安息日の聖なる秘儀を行っている。しかし、アレキサンドリアとローマのクリスチャンは、古来の伝統にもかかわらず、これをやめてしまった」[33]と書いています。

4世紀と5世紀には、多くのクリスチャンは、安息日と日曜日の両方に礼拝をしていました。当時のもう一人の歴史家ソゾメノスは、「コンスタンティノポリスの、そしてほとんどどこにおいても、人々は安息日に日曜日と同じように集まっている。このような習慣は、ローマやアレキサンドリアでは行われていない」[34]と書いています。これらの資料は、安息日遵守軽視におけるローマの指導的な役割を示しています。

七日目から日曜日に礼拝の日を変えた人々は、なぜ他の日を選ばなかったのでしょうか。主な理由は、キリストが日曜日に復活されたからであり、実際キリストがその日を礼拝の日として制定されたと主張しています。「しかし、不思議なことに2世紀、3世紀の著者はひとりも安息日にかわって日曜を遵守する根拠として、聖書の1節すら引用していない。バルナバも、イグナティオス、ユスティノスもイレナエウス、テルトゥリアヌスも、ローマのクレメンス、アレキサンドリアのクレメンス、オリゲネス、キプリアヌスまたヴィクトリヌスも、そしてイエスが生きられた時代に近い他のどのような著者も、イエスの、あるいは聖書のいかなる箇所からもそのような教えを知らなかった。」[35]

日曜日と一致する異教ローマの太陽礼拝の人気と影響は、礼拝の日としての日曜日受入れとその増加とに疑いなく寄与しています。太陽礼拝は、古代世界全般に重要な役割を果しました。それは、「ローマの宗教の最も古い構成要素の一つであった。」東方の太陽崇拝のゆえに、「2世紀初頭よりローマおよび帝国の他の地域では、ソル・インヴィクトゥス崇拝が支配的であった。」[36]

この一般的に広がっていた宗教は、新しい改宗者をとおし、初期の教会に影響を与えました。「異教からのキリスト教改宗者たちは、変ることなく太陽崇拝に魅せられていました。これは、〔教会〕教父たちがこの習慣をしばしば譴責しているばかりでなく、キリスト教式文における太陽礼拝の重大な影響にも表されている。」[37]

4世紀には、日曜令の導入がみられます。日曜令は、当初民法として発布されましたが、その後宗教的性格を持つようになりました。コンスタンティヌス大帝は、最初の日曜令を民法として紀元321年3月7日に発布しました。日曜日が、異教の太陽崇拝者たちの間で尊ばれ、また多くのクリスチャンたちもそれを重んじているという点から、コンスタンティヌスは、日曜日を祭日とすることにより、これら二つのグループの彼の統治に対する支持を確かなものにしようと考えました[38]

コンスタンティヌスの日曜令は、彼の太陽崇拝者としての背景を反映していました。「尊ぶべき太陽の日〔ベネラビリディーソリス〕には、行政長官たち、そして都市に住む人々を休ませ、すべての仕事場を閉じさせよ。しかし、田舎においては、農業に従事する人々は、自由にかつ合法的にその仕事を続けて良い」[39]と書かれています。

数十年後、教会はこの例に従いました。世界的な会議ではなく、ローマ・カトリックの会議ではありましたが、ラオデキア会議(紀元364年頃)では、初めて教会から日曜令が発布されました。教会法29において、教会はクリスチャンが、日曜日を尊び、そして「もし可能ならばその日には働かないように」と要求する一方、安息日に休む習慣を非難し、クリスチャンは、「土曜日〔ギリシャ語サバトン「安息日」〕に怠けるべきではなく、その日には働くように教えている。」[40]

1260年の預言の始まりの年である紀元538年に(本書第12章参照)、ローマ・カトリック第三オルレアン会議は、コンスタンティヌスのそれよりさらに厳しい法令を発布しました。その会議の教会法28は、日曜日には、たとえ「農作業であっても人々が教会に出席するのを妨げることがないようにやすむべきである」[41]と述べています。

預言された変更

聖書は、キリスト教の制度としての日曜日の起源が「不法の秘密」(2テサロニケ2:7)にあることを明らかにしています。この「不法の秘密」は、すでにパウロの時代にも働いていました(本書第12章参照)。ダニエル書7章の預言をとおし、神は礼拝日の変更を前もって明らかにされました。

ダニエルの幻は、神の民と神の律法に対する攻撃を描いています。小さな角(ヨハネの黙示録13章1-10節では、獣)によって表されている攻撃の力は、キリスト教会に重大な背教をもたらします(本書第12章参照)。第四の獣から生じ、ローマ滅亡(18章参照)の後は、迫害の中心的な力となる小さな角は、「時と律法とを変えよう」(ダニエル7:25)とします。この背教の力は、世界のほとんどを欺くことに成功しますが、最後の審判ではこれに対して判決がくだされます(ダニエル7:11,22,26)。最後の苦難のときに、神はその民のために介入され、彼らを救い出されます(ダニエル12:1-3)。

この預言は、キリスト教会の中のただ一つの権力にあてはまります。神の律法を変える特権を持つと主張するただ一つの宗教組織があります。歴史を通じ、ローマ・カトリック当局が主張してきたことに注目してください。

紀元1400年ころ、ペトロス・デ・アンカラノは、「教皇は、神の律法を変更できる。というのは、彼の力は人のものではなく神のものだからである。そして、彼はその羊をつなぎまた解く全権を持ち、この地上で神に変って働くのである」[42]と主張しています。

この驚くべき主張の影響は、宗教改革のときに明らかにされました。ルターは、教会の伝統ではなく、聖書が彼の人生の導き手であると主張しました。彼の標語は、ソラスクリプトゥラ「聖書、そして聖書のみ」でした。ローマ・カトリック信仰の主要な弁護者のひとりヨハン・エックは、ルターのこの点を、教会の権威は、聖書の上にあるという主張によって攻撃しました。彼は、聖書の安息日の代りに日曜日を遵守している点についてルターに挑戦しました。エックは、「聖書は『安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日の間働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから』と教えている。にもかかわらず、教会は安息日を日曜日にその権威をもって変えた。この点においてあなた〔ルター〕は、聖書にもとづいていない」[43]と言いました。

プロテスタントに対抗するために教皇によって招集されたトレント会議(1545-1563)において、レギオの大司教ガスパレ・デ・フォツソは、再びこの問題を取り上げました。「ところで、教会の権威は、最も明確に聖書によって説明されている。というのは、教会は、一方では聖書を推薦し、聖なるものとして宣言し、〔そして〕わたしたちに読むようにと提供している。…しかし、一方主によって教えられた聖書における命令は、同じ権威〔教会〕のゆえに廃止されている。律法において最も栄光に満ちた日である安息日は、主の日に変更されている。…これらの、また他の類似した事柄は、キリストの教えによって廃されたのではなく(というのは、彼はそれを廃するためにきたのではなく、成就するために来たと言っているからである)、それらは、教会の権威によって変更されたのである」[44]と彼は言いました。

この教会は、今でもこの見解を保持しているのでしょうか。1977年版の『改宗者のカトリック教理問答』(TheConvert’sCatechismofCatholicDoctrine)には、次のような質疑応答があります。

「問い、どの日が安息日ですか。

「答え、土曜日が安息日です。」

「問い、なぜ土曜日の代わりに日曜日を守るのでしょうか。

「答え、わたしたちが土曜日の代わりに日曜日を守るのは、カトリック教会がその祭典を土曜日から日曜日に移したからです。」[45]

ベストセラーである『百万人の信仰』(TheFaithofMillions)(1974年)においてカトリックの学者ジョン・A・オブライエンは、このような結論に達せざるを得なくなりました。「日曜日ではなく、土曜日が聖書にはっきりと示されているからには、教会からではなく聖書から直接信仰を継承していると告白するカトリックではない人々が土曜日の代わりに日曜日を守るのは、おかしなことではないだろうか。その通り。明らかにそれは、一貫していない。」日曜遵守の習慣は、「カトリック教会の権威に基づくものであり、聖書のはっきりした聖句によるものではない。この日曜遵守は、母なる教会の記念となっている。そこから離れた、カトリックではない分派は、家出をしながらそのポケットに母の写真や一筋の髪を持っている少年のようなものである」[46]と彼は言っています。

これらの特権についての主張は、預言を成就した小さな角の力がなんであるかを明らかにしています。

安息日の回復

イザヤ書56章と58章において、神はイスラエルを安息日改革へと召しておられます。異邦人たちを神の教会へと集める将来の栄光を明らかにしつつ(イザヤ56:8)、神はこの救いの使命の成功を、安息日を清く守ることと関連させておられます(イザヤ56:1,2,6,7)。

神は、注意深くその民の特別な働きのあらましを述べておられます。彼らの使命は、全世界的なものでしたが、それは特に信仰者であると告白していながら、実際は神の命令から離れている人々へ向けられていました(イザヤ58:1,2)。神は、信仰者であると告白している人々に対する彼らの使命を次のような言葉で語られました。「あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる。もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、空しい言葉を語らないならば、その時あなたは主によって喜びを得」(イザヤ58:12-14)ると。

霊的イスラエルの使命は、古代イスラエルのそれと類似しています。神の律法は小さい角の力が安息日を変更したときに犯されました。ちょうど、踏みにじられた安息日が、イスラエルにおいて回復されたように、現代においても安息日の聖なる制度が回復され、神の律法の壁の破れが修復されるべきです[47]

律法を回復し、大いなるものとする働きを完成させるのは、永遠の福音との関連におけるヨハネの黙示録14章6節−12節のメッセージの宣布です。そして、再臨のときの神の教会の使命は、このメッセージを伝えることです(本書12章参照)。このメッセージは、すべての人をさばきの備えへと招くために、世界に表されなければなりません。

「天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」(黙示録14:7)という礼拝への招きの表現は、神の永遠の律法の第四条を直接引用したものです。この最後の警告にそれが取入れられているということは、広く忘れられてきた安息日を、再臨の前に回復するという神の特別な関心を強調しています。

このメッセージの宣布は、全世界を巻き込んだ一つの戦いの始りとなるでしょう。争点の中心は、神の律法への服従と安息日の遵守となるでしょう。この戦いの中にあって、すべての人は、神の戒めに従うか、あるいは人間のそれに従うかを決めなければなりません。このメッセージは、神の戒めを守り、イエスの信仰を持ち続ける人々を生じさせます。それを拒否する人々は、結果的に獣の印を受けることになります(黙示録14:9,12、本書第12章参照)。

神の律法を大いなるものとし、無視されてきた神の安息日を高めるというこの使命を首尾よく成し遂げるために、神の民は、首尾一貫したすばらしい安息日遵守の実例を示さなければなりません。

安息日の遵守

「安息日を覚えて、これを聖」(出エジプト20:8)とするためには、一週間を通してこれを思い、神がお喜びになるような守り方ができるように準備しなければなりません。週日の間に力を使い果してしまい、安息日の礼拝に出席できないようなことがないように注意しなければなりません。

安息日は、神の創造とあがないにおける恵み深い働きを祝う神との特別な交わりの日であるので、その聖なる雰囲気をそこなうようなものを避けることは重要です。聖書は、安息日には、世俗の働きをやめ(出エジプト20:10)、生計のためのすべての働きや、すべての商行為を避けるようにとはっきり述べています(ネヘミヤ13:15-22)。わたしたちは、「おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、むなしい言葉を語らないならば」(イザヤ58:13)に、神をあがめるべきです。この日を自らの楽しみのために用い、世俗の事柄や会話また思いに没頭し、あるいはスポーツをすることは、創造主との交わりをそこね、安息日の神聖さを犯すことになります[48]。安息日の戒めに対するわたしたちの関心は、管理下にあるすべてのもの、すなわち、子供たちや雇用している人々、さらには訪問客や飼っている動物にまで向けられなければなりません(出エジプト20:10)。それは彼らもまた安息日の祝福にあずかるためです。

安息日は、金曜日の日没に始まり、土曜日の日没に終ります(創世記1:5、マルコ1:32参照)[49]。聖書は、安息日の前日(金曜日)を、準備の日(マルコ15:42)と呼んでいます。それは安息日の神聖を、汚さないよう、すべての事柄において備えをする日です。家族の食事のしたくをする者たちも聖なる時間にはその働きを休めるように、この日に彼らは安息日の食事を準備しなければなりませんでした(出エジプト16:23、民数記11:8参照)。

金曜日の日没直前、安息日の聖なる時間が近づいたなら、共に集まり、歌い、祈り、神の言葉を読み、このようにしてキリストの霊を喜んで迎えることは、家族にとって、また信仰者にとって良いことです。土曜日の夕にも、共に礼拝に集い、来る週の間の神の臨在と導きとを求めつつ安息日を閉じるべきです。

主は、その民に安息日を喜びの日とするように命じておられます(イザヤ58:13)。どのようにしたらこのようにできるのでしょうか。安息日の主であるキリストの模範に従うとき、はじめてその真の喜びと神がこの日に備えられた満足とを経験したいと望むことができるようになるのです。

キリストは、きまって安息日に礼拝し、集会を担当し、信仰の教えを与えられました(マルコ1:21、3:1-4、ルカ4:16-27、13:10)。しかし、キリストは、礼拝されただけではありませんでした。人々と交わり(マルコ1:29-31、ルカ14:1)、戸外ですごし(マルコ2:23)、恵みに満ちた聖なるわざを活発に行われました。キリストは、どこででも病める者、苦しめる者をいやされました(マルコ1:21-31、3:1-5、ルカ13:10-17、14:2-4、ヨハネ5:1-15、9:1-14)。

苦痛をやわらげるその働きを批判されたとき、イエスは、「安息日に良いことをするのは、正しいことである」(マタイ12:12)とお答えになりました。イエスのいやしのわざは、安息日を破るものでもそれを廃するものでもありません。それらのみわざは、元来は霊的清新と喜びを与える神の手段である安息日の意味をそこねてきた、あのたえがたい諸々の規則を廃したのでした[50]。神は、安息日を人間の霊性を豊かにするものとして意図されました。神との交わりを豊かにする諸活動は適切なものでありますが、この目的をそこない、安息日を単なる一つの休日としてしまうものは不適切です。

安息日の主は、ご自身の模範に従うようにとすべての人を招いておられます。この招きを受け入れる者は、安息日を天国の先取りとしての喜びまた霊的祝宴として経験します。彼らは「霊的失望から守るものとして安息日が神によって計画されたものであることを」見いだします。「週毎に七日目は、わたしたちの良心を慰め、わたしたちの未熟な品性にもかかわらず、キリストにあって完全なものとして立つことをわたしたちに確信させる。キリストがカルバリーで成し遂げられたことが、わたしたちのあがないとみなされる。わたしたちは、キリストの休みに入るのである。」[51]

[1]ジョン・N・アンドリューズ『安息日の歴史』John N. Andrews, History of the Sabbath, 2nd ed., enl. (Battle Creek, MI ・ Seventh-day Adventist Publishing Assn, 1873), 3rd ed., enl., 575ページ。

[2]『セブンスデー・アドベンチスト聖書注解』SDA Bible Commentary、改訂版、第1巻、220ページ。

[3]同。

[4]J・L・シュラー『神の永遠のしるし』J. L. Shuler, God’s Everlasting Sign (Nashville ・ Southern Pub. Assn., 1972)、114-116ページ、M・L・アンドレアソン『安息日』M. L. Andreasen, The Sabbath (Washington, D. C.・ Review and Herald, 1941)、248ページ、ワレンカンプ「バプテスマ、印、聖霊のみたし」Wallenkampf,“The Baptism, seal, and Fullness of the Holy Spirit”(未刊行原稿)、48ページ、ホワイト『人類のあけぼの』、上巻(福音社、1971年)、358ページ、ホワイト『各時代の大争闘』、下巻(福音社、1974年)、418ページ。

[5]ホワイト、『人類のあけぼの』、上巻(福音社、1971年)、358ページ。

[6]ワレンカンプ、「バプテスマ、印、聖霊のみたし」48ページ。

[7]『セブンスデー・アドベンチスト聖書注解』SDA Bible Commentary、改訂版、第1巻、605ページ。

[8]「安息日」『セブンスデー・アドベンチスト百科事典』“Sabbath,”SDA Encyclopedia、改訂版、1239ページ。

[9]「年毎の安息日」(“Sabbath Annual”)同1265ページ。

[10]ジョナサン・エドワーズ『エドワーズ学長著作集』Janathan Edwards, The Works of President Edwards (New York ・ Leavitt & Allen, 1852 repr. of the Worcester ed.)、第4巻、622ページ。ピューリタンたちは、日曜日をクリスチャンの安息日であるとみなしました。

[11]興味深いことに、イエスが墓で休まれたのは、「大事な日」でした。というのは、この安息日は週の七日目であるとともに、種入れぬパンの週の最初の安息日であったからです。何という日にあがないが項点に達したのでしょう。創始者と完成者とがいま一度、完成において休まれたとき、創造における「よしとされた」とあがないにおける「すべてが終わった」とが出会ったのです。

[12]サムエル・バキオキ『現代人の休み』Samuele Bachiocchi, Rest for Modern Man (Nashville ・ Southern Pub. Assn. 1976)、8,9ページ。

[13]「安息日」『セブンスデー・アドベンチスト百科事典』“Sabbath,”SDA Encyclopedia、改訂版、1244ページ、『セブンスデー・アドベンチスト聖書注解』SDA Bible Commentary、改訂版、第7巻、205,206ページ、ホワイト「オーストラリヤのキャンプ・ミーティング」『レビュー・アンド・ヘラルド』White,“The Australia Camp Meeting,”Review and Herald (Jan. 7, 1896)、2ページ参照。

[14]『セブンスデー・アドベンチスト聖書注解』SDA Bible Commentary、改訂版、第7巻、735、736ページ、ホワイト『患難から栄光へ』、下巻(福音社、1978年)、285ページ参照。

[15]「安息日」『セブンスデー・アドベンチスト百科事典』“Sabbath,”SDA Encyclopedia、1237ページ。

[16]A・H・ストロング『組織神学』A. H. Strong, Systematic Theology、408ページ。

[17]ホワイト『人類のあけぼの』、上巻(福音社、1971年)、23ページ。

[18]バキオキ『現代人の休み』Bachiocchi, Rest for Modern Man、15ページ。

[19]同・19ページ。

[20]ホワイト『教会への証』White, Bachiocchi, Testimonies、第6巻、350ページ。

[21]アンドレアセン『安息日』Andreasen, Sabbath、25ページ。

[22]律法主義は、次のように定義することができます。それは、「救いを個人の努力によって獲得しようとする試みです。また、神の前における義の手段として律法や祭儀を守ることです。『律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである』(ローマ3・20)とあるように、これは間違っています」(シュラー『神の永遠のしるし』Schuler, God’s Everlasting Sign、90ページ)。シュラーはさらに続けます。「安息日遵守を律法主義として非難する者たちは、次のことを考える必要があります。生まれ変わったクリスチャンが、偽りの神々を礼拝するのをやめ、第一と第三の戒めに命じられているように、敬神の念を持ったとしたなら、彼は恵みによる救いに反対していることになるでしょうか。第7条、第8条、第9条に主張されているきよさ、誠実さ、そして正直さは、恵みによる救いに反するのでしょうか。これらの問いに対する答えは『いいえ』です。同じように、新たにされた魂にとって、七日目を守ることは、律法主義でないばかりか、むしろそれは、恵みのみによる救いです。実際安息日の戒めは、律法の中では、罪からの解放と恵みのみによる潔めとのしるしとなっている唯一の戒めです」。

[23]同・89ページ。

[24]同・94ページ。

[25]アンドレアセン『安息日』Andreasen, Sabbath、105ページ。

[26]『セブンスデー・アドベンチスト聖書注解』SDA Bible Commentary、改訂版、第7巻、420ページ。

[27]同。

[28]ジエームズ・ギボンズ『われわれの父祖たちの信仰』James Gibbons, The Faith of Our Fathers、第47改訂増補版(Baltimore ・ John Murphy & Co., 1895)、111,112ページ。会衆派のメンバーであるR・W・デールは、「いかに厳格に、また敬虔に日曜日を過ごしたとしても、安息日を守っているのでないことは明白です。安息日は、明確な神の命令において制定されました。わたしたちは、日曜遵守のつとめに対して、そのような命令を主張することはできません」と言っています。(R・W・デール『十戒』R. W. Dale, The Ten Commandments)、第4版、[London ・ Hodder and Stoughton, 1884]、100ページ。)

[29]アンドリュー・T・リンカーン「安息日から主の日へ―聖書的・神学的視点」Andrew T. Lincoln,“From Sabbath to Lord’s Day ・ A Biblical and Theological Perspective”、D・A・カーソン編、『安息日から主の日へ―聖書的・歴史的・神学的研究』From Sabbath to Lord’s Day ・ A Biblical, Historical, and Theological Investigation, ed. by D. A. Carson, (Grand Rapids ・ Zondervan, 1982)、386ページ。

[30]同・392ページ。

[31]ユスティノス『第一弁証論』Justin Martyr, Fist Apology、『ニカイヤ会議前の教父たち』Ante―Nicene Fathers (Grand Rapids ・ Wm. B. Eerdmans, 1979)、第1巻、186ページ、マクスウェル『神はかえりみられる』Maxwell, God Cares (Mountain View, CA ・ Pacific Press, 1981)、第1巻、130ページ参照。

[32]例えば、バキオキ「初期キリスト教における日曜遵守の起源」Bachiocchi,“The Rise of Sunday Observance in Early Christianity”、ケネス・A・ストランド編、『聖書と歴史における安息日』The Sabbath in Scripture and History, ed by Kenneth A. Strand (Washingqton, D. C.・ Review and Herald, 1982)、137ページ、バキオキ『安息日から日曜日へ』Bachiocchi, From Sabbath to Sunday (Rome ・ Pontifical Gregorian University Press, 1977)、223-232ページ参照。

[33]ソクラテス『教会史』Socrates, Ecclesiastical History、第5篇、第22章。これは、『ニカイヤ会議及びニカイヤ会議後の教父たち』Nicene and Post―Nicene Fathers、2nd Series (Grand Rapids ・ Wm. B. Eerdmans, 1979) Vol. 2.、132ページにおいて訳出されているものの引用です。

[34]ソゾメノス『教会史』Sozomen, Ecclesiastical History、第7篇、第19章。これは、『ニカイヤ会議及びニカイヤ会議後の教父たち』(Nicene and Post―Nicene Fathers)、第二集、第2巻、390ページにおいて訳出されたものの引用です。

[35]マクスウェル『神はかえりみられる』Maxwell, God Cares、第1巻、131ページ。

[36]ガストン・H・ハルスベルゲ『ソル・インヴィクトゥス崇拝』Gaston H. Halsberghe, The Cult of Sol Invictus (Leiden ・ E. J. Brill, 1972)、26,44ページ。バキオキ、「日曜遵守の起源」Bachiocchi,“Rise of Sunday Observance”、139ページも参照。

[37]バキオキ「日曜遵守の起源」Bachiocchi,“Rise of Sunday Observance”、140ページ。バキオキ『安息日から日曜日へ』Bachiocchi, From Sabbath to Sunday、252,253ページも参照。

[38]例えば、マクスウエル『神はかえりみられる』Maxwell, God Cares、第1巻、129ページ参照。

[39]『ユスティニアヌス法典』Codex Justinianus、第3篇、第12―3表題。これは、シャフ『教会史』Schaff, History of the Christian Church、第5版(New York ・ Churles Scribner’s, 1902)、第三巻、380ページ、注1において訳出されているものの引用です。

[40]ラオデキヤ会議、教会法29、カルル・J・ヘーフェレ『原資料に基づく教会会議史』Charles J. Hefele, A History of the Councils of the Church From the Original Documents, trans. and ed. by Hery H. Oxenham (Edinburgh ・ T and T Clark, 1876)、第2巻、316ページ。『セブンスデー・アドベンチスト聖書学者のための資料集』SDA Bible Students’ Source Book、改訂版、885ページも参照。

[41]ジォヴァンニ・ドメニコ・マンシ(編)『サクロルム・コンキリオルム』Giovanni Domenico Mansi, ed., Sacrorum Conciliorum 第9巻、第919段。これは、マクスウェル、『神はかえりみられる』Maxwell, God Cares、第1巻、129ページに引用されているものです。部分的には、アンドリューズの『安息日と週の第一日の歴史』Andrews, History of the Sabbath and First Day of the Week、374ページにも引用されています。

[42]ルキウス・フェラリス「教皇」(“Papa”)、第2条項、『プロンプタ・ビブリオテカ』Prompta Bibliotheca (Venetis, [Venice] ・ Caspa Stori, 1772)、第6巻、29ページ。これは、『セブンスデー・アドベンチスト聖書学者のための資料集』SDA Bible Students’ Source Book、改訂版、680ページに訳出されているものの引用です。

[43]ヨハン・エック『ルター及び他の異説奉持者に対して用いられる定型語の手引書』John Eck, Enchiridion of Commonplaces Against Luther and Other Enemies of the Church, trans. Ford L. Battles, 3rd ed. (Grand Rapids ・ Barker, 1979)、13ページ。

[44]ガスパレ〔リキウリ〕・デ・フォッソ(Gaspare [Ricciulli] de Fosso)、1562年1月18日、トレント会議の第17会期における講演、マンシ、『サクロルム・コンキリオルム』Mansi, Sacrorum Conciliorum、第33巻、第529、530段。これは、『セブンスデー・アドベンチスト聖書学者のための資料集』SDA Bible Students’ Source Book、改訂版、887ページに訳出されているものの引用です。

[45]ピーター・ガイヤーマン『改宗者のカトリック教理問答』Peter Geiermann, The Convert’s Catechism of Catholic Doctrine (Rockford, IL ・ Tan Books and Publishers, 1977)、50ページ。

[46]ジョン・A・オブライエン『百万人の信仰』John A. O’Brien, The Faith of Millions、rev. ed. (Huntington, IN ・ Our Sunday Vistor Inc., 1974) 400,401ページ。

[47]ホワイト『各時代の大争闘』、下巻(福音社、1974年)、174-177ページ参照。

[48]ホワイト『セレクテッド・メッセージズ』White, Selected Messages、第三編、258ページ。

[49]聖書における創造の物語が明らかにしているように、一日は、日没と日没で区切られていました。レビ23:32参照。

[50]キリストの実例は、キリスト教の病院がその職員に安息日の休みを与えず、七日間開けるようにと指示しているのでしょうか。ホワイトは、病院職員の必要に気づいており、次のように言いました。「救い主は、この日に苦痛を取り除くことが正しいことであると、その模範をもってお示しになりました。しかし、医者及び看護婦たちは、不必要な働きをすべきではありません。緊急でない治療や手術は、翌日に延ばすべきです。患者たちに医者にも一日休みが必要なことを教えなさい」(『医療の働き』White, Medical Ministry, Mountain View, CA ・ Pacific Press, 1963、214ページ)。

安息日におけるこれらの医療行為の報酬は、福祉の働きのために分けておかれるべきです。「苦しむ人を救うためには、聖なる安息日の時間であってもそれに当てることは必要でしょう。しかし、このような働きの収益は、治療を必要としていながら、経済的な理由のためにそれを受けられない貧しい人々のために使われるように、主の会計に入れられるべきです」と、ホワイトは書いています(同、216ページ)。

[51]ジョージ・E・バンデマン『神が休日をもうけられた時』George E. Vandeman, When God Made Rest (Boise, ID ・ Pacific Press, 1987)、21ページ。

*本記事は、『アドベンチストの信仰』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
そのほかの訳の場合はカッコがきで記載しており、以下からの引用となります。
『新共同訳』 ©︎共同訳聖書実行委員会 ©︎日本聖書協会
『口語訳』 ©︎日本聖書協会 
『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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