エルサレム包囲攻撃【エレミヤ書、哀歌―神の計画と私たちの役割】#12

目次

中心思想

神の民が心から悔い改めないうちに、もし神がバビロンの侵入を中止しておられたなら、ユダの霊性はどうなっていたでしょうか。

アウトライン

  • 主に尋ねる(エレ21:l~10)
  • 弱い道徳心(エレ34:l~21)
  • エレミヤの捕縛(エレ37:1~21)
  • 最後の訴え(エレ38:l~28)
  • エルサレムの陥落(エレ39:1~7)

誤った態度が災いを招く

そのオートバイ乗りがエンジンの音をとどろかせて高速道路に入ったときには、すでに夕暮れになっていました。1日の仕事も終わり、彼は心地よい風の中を走っていました。考えごとをしていたのでしょうか、前方に車が渋滞しているのに気づきません。1台の車が彼の車線に割り込むのに気づいて、プレーキを踏みますが、間に合わず、彼のバイクは車の後部バンパーに激突しました。彼はハンドルを飛び越えて地面に激しくたたきっけられました。片脚骨折、全身打撲の重傷を負いましたが、一命だけはとりとめました。これは起こるべくして起きた事故なのでしょうか。それとも予防できた事故なのでしょうか。

ユダの指導者と民も自らの誤った態度と行動にとらわれていたために、近づきつつある災いを見通すことができませんでした。バビロンによる捕囚は事故ではありませんでした。彼らのはなはだしい偶像崇拝と利己主義が滅びを招いたのです。バビロンによる捕囚は真の信仰を守るための神の最後の手段でした。

主に尋ねる(エレ21:I~10)

紀元前588年1月15日に、バビロニア軍はエルサレムを包囲します。それから30か月後の586年7月19日に、エルサレムは陥落します(エレ39:I、2、52:4~7)。それから1か月後に、神殿、宮殿、町が焼かれ、城壁が破壊されます(エレ52:12~14)。今週の研究で学ぶ諸事件はこの2年半の期間に起こりました。

質問1

敵の軍隊が包囲攻撃を始めようとしたとき、王は正式の代表を通してエレミヤにどんな要求をしましたか(エレ21:1、2)。エレミヤは王にどんな回答を送りましたか。エレ21:3~7

ヨシヤの三男であるゼデキヤ王は優柔不断で、道徳的に弱い人物でした。その上、反逆的なつかさたちによって牛耳られていました(エレ38:5)。エルサレムがアッシリアに攻撃されたときのイザヤの執り成しのように(イザ37)、彼はエレミヤの執り成しによってエルサレムが滅びから救われるように望みました。しかし、このときのヒゼキヤと王室が霊的リバイバルを求めたのに対して、ゼデキヤとそのつかさたちは民を偶像崇拝と背信に導いていました。

バビロニア軍の侵入は、神ご自身がユダと戦っておられるようなものでした。何千人もの人々が戦闘と飢えと疫病で死にます。多くの人たちは生き延びるために人肉を食べます(エレ19:8、9、エゼ5:10比較)。

質問2

エレミヤは民にどのような行動をとるように勧めましたか。エレ21:8~10

エレミヤは今、かたくなな王室を避けて、直接、民に語りかけます(エレ21:3を21:8と比較)。各自は「命の道」か「死の道」かを選ぶことができました。主の約束を信じてバビロニア軍に降伏する者たちは生き延び、信じない者たちは滅びるのでした。神の道を選ぶことは預言の言葉に対する信仰と自発的に多数派を捨てる勇気とを要求しました。こうして多くの者たちが霊感の勧告に従いました(エレ39:9、52:15)。エレミヤは反逆者とみなされましたが、神はご自分の民を救うことだけを求められました。

弱い道徳心(エレ34:1~21)

質問3

エレミヤはゼデキヤ王の将来についてどんな託宣を与えましたか(エレ34:1~7)。神のさばきを変えることができないと悟ると、王とつかさたちはどんなことを誓いますか。エレ34:8~10

バビロニア軍はエルサレムのほかに要塞の町アゼカとラキシ(エルサレムの南西24キロと56キロ)だけを残して、ユダ全土を組織的に征服しました。しかし、神は弱い王にあわれみを施されました。彼の王国は滅び、民は捕囚になる運命にありましたが、王自身は手厚く葬られることになります。

モーセの律法によれば、ヘプル人の奴隷は6年間の労役の後に解放されることになっていました(出エ21:2、申命15:12~14)。しかし、そのような規定はずっと無視されたままになっていました。王とつかさたちは恐怖心にかられて、すべてのヘブル人の奴隷を解放することによって神の好意にあずかろうとしました。

質問4

バビロニア軍が不意に包囲を解き、侵攻してきたエジプト軍に対抗するために南に退却したとき(エレ37:5、11、34:21、22)、奴隷を所有していた者たちはどんな行動に出ましたか(エレ34:11)。神は彼らの弱い道徳心をどのようにみなされましたか。エレ34:12~21

「侵略者が城門に追っていたとき、ゼデキヤとその民は恐怖心から神の怒りを和らげるためならどんなことでも進んでする約束をした。……恐怖心が奴隷を解放するという彼らの性急な契約の唯一の動機となっていた。それも完全な悔い改めの始まりとしては有用かもしれないが、次には罪そのものを心から憎むという深い思いにまで到達する必要がある。道徳的悪に対する嫌悪をともなわない、刑罰に対する恐怖心は表面的な結果を生み出すだけである。真の悔い改めは罪の刑罰を逃れることではなく、罪から離れることである。単に利己的な恐怖心に訴えることによってでなく、良心に働きかけることによって人を悔い改めに導くことの重要性がここにある」(W・F・アデニー「説教学」『プルピット・コメンタリー』第26巻88ページ)。

エレミヤの捕縛(エレ37:l~21)

包囲が解かれると、また希望が戻ってきました。ユダの同盟国であるエジプトが援軍を送ってきたのです。王は再びたずねます。「われわれのために、われわれの神、主に祈ってください」(エレ37:3)。王はカルデヤ人が永久にエルサレムから撤退するように執り成しを望んだのでした。

質問5

エレミヤは王に何と答えましたか。彼はエルサレムの減亡が確かであることをどのように強調しましたか。エレ37:6~10

「バビロンがエルサレムを征服することは神のみこころであった。したがって、もしカルデヤ人の軍隊が離散して負傷者だけになったとしても、エルサレムはやはり屈服するのであった。ユダヤ人は、神に忠実である限りは敵の大軍に強いことを知った。神に逆らうときには、立場が逆転し、最も弱い敵によっても打ち負かされることを学ぶのであった」(W•F・アデニー「説教学」『プルピット・コメンタリー』第26巻123ページ)。

質問6

アナトテの故郷に帰ろうとしたエレミヤはだれによって捕えられましたか(エレ37:11~13)。つかさたちはエレミヤに対する偽りの告発に対してどんな態度をとりましたか(14~16節)。エレミヤは再び王に何と詰問しましたか(17~19節)。彼はどんな好意を求めましたか(20、21節)。(エレ32:1~5比較)

今回のエレミヤの投獄は1年ほど続きました。彼は初め地下の独房に入れられていたと思われます。

ハナニヤの平和についての偽りの預言に対して、エレミヤは次のような提案をしていました。「平和を預言する預言者は、その預言者の言葉が成就するとき、真実に主がその預言者をつかわされたのであることが知られるのだ」(エレ28:9)。しかし、これらの預言者は今、どこにいるというのでしょうか。王は真実を語ったエレミヤをなぜ投獄したのでしょうか。エレミヤは地下牢に戻さないように懇顧したので、ゼデキヤは彼を監視の庭に移し、日々の食物を与えるように命じました。飢餓はすでに滅びる運命にあったエルサレムの住民を苦しめ始めていました。

最後の訴え(エレ38:1~28)

質問7

つかさたちの目には、エレミヤは反逆者でした。彼らはついに言いなりになる王にどんな要求をしましたか(エレ38:1~6)。エレミヤはどのようにして助けられましたか。7~13節

ゼデキヤも一時、有能な支配者に見えたこともあったかもしれません。しかし、彼は神のさばきよりも、つかさたちの怒りを恐れました。つかさたちは絶望と怒りのあまりエレミヤに八つ当たりしました。悔い改めなければユダは滅びると、エレミヤが何年も警告していたからです。彼らはエレミヤの警告を反逆とみなしました。罪のないキリストも同じように反逆罪で訴えられました(ルカ23:2)。

質問8

王が改めて「主からの言葉」を求めたとき、エレミヤは何と勧告しましたか(エレ38:14~18)。王が勧告に従おうとしなかったのはなぜですか(19節)。王は自分自身と家族と町を恐るべき運命から救うためにどんな選択を迫られましたか。20~23節

ゼデキヤにとって、これはエレミヤとの最後の会見でした。条件は恐ろしいものでした。国家、包囲された首都、それに自分自身の決定さえつかさたちに支配されている王よりも、牢獄の中にいる預言者の方が明らかに自由でした。

「ある者たちは品性に強固さがない。彼らは石狂の固まりのように思いどおりの形になる。彼らは一定の形、一貰性を持たないので、世の中において実際的な役に立たない。この弱さ、優柔不断、無能を克服しなければならない。真のクリスチャンの品性には、逆境によって変形・屈服することのない不屈の精神がある。私たちは道徳的な気骨、すなわちへつらうこと、買収されること、恐れることのない正直さを持つ必要がある」(『教会へのあかし』第5巻297ページ)。

質問9

つかさたちに対するゼデキヤの過度の恐れはどんなところに再び示されていますか(エレ38:24~27)。あなたもエレミヤのように王の要求に従っていたと思いますか。

エルサレムの陥落(エレ39:I~7)

紀元前586年7月19日に、エルサレムの城壁が破れました。カルデヤ人は「中の門」に本部を設置し、そこから町の征服を指揮しました。飢餓が住民を衰弱させていました(エレ39:2、3、52:6)。

質問10

ゼデキヤと残りの兵士たちはどのようにして逃亡しようとしましたか。王は盲目にされる前に何を見させられましたか。エレ39:4~7、52:7~11、24~27

逃亡者たちはエリコの近くからヨルダン川を渡ってモアブやアンモンの地に脱出しようと図ったようです。ゼデキヤと国の指導者たちは、パレスチナ遠征軍本部、シリヤのリブラにいるネブカデネザルのもとへ、北に約240キロを鎖につながれて引かれて行きました。

「囚人は槍の穂先で眼球をえぐられることによって盲目にされるのがふつうであった。視力を失うときの拷問に耐えることに加えて、ゼデキヤは終生忘れることのできない精神的苦痛として、盲目にされる前に息子たちの処刑という恐るべき光景を見させられた」(『SDA聖書注解』第4巻538ページ)。

質問11

敵による1か月に及ぶ略奪の後に、どんな恐るべき破壊がなされましたか(エレ52:12~14)。神殿の庭にあった青銅の海と二本の柱はどうされましたか。17~23節

「神のみこころが明らかに示された義人たちがまだエルサレムに残っていたが、その中のある人々は、十誡の戒めが書かれた石の板を納めた聖なる箱が、乱暴な人々の手に入らないようにしようと決意した。彼らはそれを決行した。彼らは嘆き悲しみつつ、箱をほら穴の中に隠したのである。箱はイスラエルとユダの人々の罪のゆえに、彼らから隠されて、再び彼らにもどることはないのであった。その箱は今なお隠されている。それはそこに隠されて以来、人手に触れたことはないのである」(『国と指導者』下巻70ページ)。ユダヤ人の言い伝えによれば、幕屋と箱と香壇をほら穴に隠したのはエレミヤでした(旧約続編・IIマカバイ2:4~7)。

まとめ

ユダの「最期」は実にあっけないものでした。30か月後に、包囲された町は火で焼かれます。王とつかさたちの宮殿と神殿は略奪され、焼かれます。城壁は破壊され、剣とききんと疫病の中で生き残った者たちは鎖につながれて、異国に捕囚となって送られていきます。これらの生存者の中に、のちにバビロンとペルシヤ政府を動かし、神のみわざを遂行したダニエルがいました。こうして部分的にせよ、神は地上に真の信仰を保たれました。

*本記事は、安息日学校ガイド1994年2期『エレミヤ書、哀歌 神の計画と私たちの役割』からの抜粋です。

聖書の引用は、特記がない限り日本聖書協会口語訳を使用しています。
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『新改訳2017』 ©2017 新日本聖書刊行会

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