【ヨシュア記】ヨルダン川を渡る【3章解説】#5

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中心思想

献身したイスラエルはヨルダンを渡ると、二つの石の記念碑を建てて、この奇跡の記念としました。再び神の契約の民となった彼らは、割礼と過越を再開することによってカナン征服の準備を整えました。

初めの頂点ヨルダン

渡河は出エジプトにおいて始まったイスラエルのための神の救いの業の頂点にあります。「ヨルダン渡河は到着を意味していた。出エジプトの出発や荒野での契約と訓練の経験はそのための用意であった。渡河は最初に族長たちに与えられた神の約束の成就であった。

アバールという語は『渡る』あるいは『過ぎる』を意味するが、渡河物語(ヨシ3:1~5: 1)において21回用いられている。この動詞はヘブル人の歴史におけるこの瞬間の決定的な性格を強調し、それを過去のすべてのものと区別している」(『コミュニケーターズ・コメンタリー、ヨシュア記」70ページ)。

イスラエル人はヨルダン川を渡って、神が何世紀も前に彼らの先祖に約束された土地での新生活に入ろうとしていました。彼らの放浪の旅は終わるのです。彼らは再び神の国民になる機会を与えられ、神から与えられた目的を達成するのです。今回は、私たちもヨルダン川におけるイスラエルの喜びを体験しましょう。

渡河の準備(ヨシュア記3章1節〜6節)

質問1

 ヨシュアが朝早く起きたことにはどんな意味がありますか(ヨシ3:1)。ヨシュアの実体であるイエスはどんな模範を示しておられますか。マル1:35、ルカ4:42

質問2 

ヨルダンが大きな障害となっていたのはなぜですか。ヨシ3:15

聖書には、季節は春であったと記されています。この季節になると、ヘルモン山からの雪解け水がガリラヤ湖を満たし、ヨルダン川に流れ込み、川はあふれます。それで、川沿いの浅瀬は渡れなくなります。

危険な渡河を実行する前に、ヨシュアはイスラエルの民に身を清めるように伝えます。主が彼らのために不思議を行おうとしておられたからです(ヨシ3:5)。これらの用意が何を意味するかは明示されていませんが、この「身を清める」という行為はシナイ山で神から同じ命令が与えられた時に民が行ったそれと同じだと思われます。「彼らは身体と衣を洗い、やがて彼らのためになされる大いなる奇跡から注意をそらすようなあらゆることを控えなければならなかった」( 「SDA聖書注解』第2巻187ページ)。

外面的な行為は明らかに内面的な献身の働きから出たものでした。

「それには霊的な清め、……つまり神の約束に対する信仰と信頼をもって、心を神に向けること、また喜んで神の戒めに従うことが含まれていた。それは、主が翌日、彼らの中で、彼らのために行おうとしておられた恵みの奇跡を心に留めるためであった」(C・F・キール、F・デイリッチ「ヨシュア記」「旧約聖書注解」第2巻41ページ)。

私たちも清められるべき  

「もし私たちが神の祝福と導きによって天のカナンに入る用意をしようとするなら、私たちの生活を神にささげることによって自分自身を『清める必要がある。神によって清められ、聖としていただくためである。もしこれが地上のカナンに入るために必要だったとすれば、天のカナンに入るためにはなおさら必要である」( ISDA聖書注解』第2巻187ページ)。

「契約の箱」(ヨシュア記3章8節〜13節)

質問3

 イスラエルが約束の地に入る時の行進の順序はどのように変わりましたか。民数2:17,10:33、ヨシ3:11

契約の箱はヨルダンを渡る物語の中で中心的な位置を占めています。著者はヨシュア記3章の中で9回、4章の中で7回、さらに間接的に代名詞を用いて4回、契約の箱に言及しています。

質問4

契約の箱は何の象徴でしたか(出エ2521,22)。契約の箱がイスラエルの前に進むということによって、どんな霊的教訓が教えられていましたか。

「契約の箱は神の聖なる不変の律法の保管所であった。箱の上には贖罪所があって、神の憐れみ、忍耐、ゆるし、恵みを彼らに覚えさせていた。神はイスラエルの歴史の初めから、事実上、『わたしの品性、わたしの正義、わたしの憐れみをあなたがたの道案内とせよ、わたしの義の標準である十戒はあなたがたに生き方を示すものであって、わたしの恵みはあなたがたがそれに従うのを助ける」と彼らに言っておられた。これらの原則に従う限り、彼らは安全である」( 『SDA聖書注解』第2巻186ページ)。

カナンに向かって進む時、イスラエル人は2000キユビト(3分の2マイル、1.2キロ)の距離を置かなければなりませんでした。それは契約の箱の中心性を強調するもので、神の臨在を表していました。箱は民のかなり前を進みましたが、それによって彼らは神が導いておられることを知るのでした。

ヨルダンの水が分かれることは別のしるしとなるのでした(ヨシ記3 :13)。ヨシュアとカレブを除けば、紅海の乾いた地を通った者たちはみな荒野で死んでいました(申命記 :19~38)。

この出来事によって、神の民の指導者としてのヨシュアの働きが始まることになります。「ヨルダン渡河がヨシュアに果たした意義は、シナイにおける律法の賦与がモーセに果たしたそれと同じものであった—『それはわたしがあなたと語るのを民に聞かせて、彼らに長くあなたを信じさせるためである』(出エ19 : 9)」(『SDA聖書注解』第2巻187ページ)。

質問5

 ここで、どのような特別な名前が神に与えられていますか(ヨシ3:10,13)。これらの神の御名はあなたにとってどんな意味を持ちますか。

「全地の主[へブル語で、支配者、所有者]なる神」とは、カナンの神々とは対照的に、イスラエルの神が全宇宙の主権者であることを強調しています。「生ける神」は、神をカナン人の生命のない木や石の神々と対比しています。

「ヨルダンよ、流れよ」(ヨシュア記3章14節~17節,4 章10節~18節,5章1節)

質問6 

ヨルダンが分かれる奇跡はどのようにして起こりましたか(ヨシ3:14~17)。神が洪水の時期に民にヨルダンを渡らせられたのはなぜですか。ヨシ3:15

イスラエルは洪水の時期に入る1、2か月前にヨルダンを渡ることもできました。そうすれば、奇跡によって川を分ける必要もなかったでしょう。イスラエルはアカシヤの森(シッテム)に2か月宿営していたので、そうすることは可能でした。しかし、神はあえて奇跡によらなければ不可能な時期に、イスラエルがカナンに入るように計画されたようです。それによって、出エジプトの時と同じく、主の力がイスラエルとカナンの住民に啓示されるのでした(ヨシ5:1―出エ9 :16比較)。さらに、この時期にはエリコの住民もイスラエルの渡河を予想せず、浅瀬を警戒することもなかったでしょう。

質問7

水はどこでせき止められましたか。ヨシ3:16

「定められたときに前進が始まり、祭司の肩にかつがれた箱が先陣の前を行った。……祭司たちがヨルダンの岸をくだって行くのを、皆は非常な興味をもって見つめた。彼らは、祭司たちが聖なる箱をかついで一歩一歩、波立ちうねる流れのほうに進み、やがて、足が水につかるほどになるのを見た。そのとき突然、上の流れがうず高く立ち、下の水が流れ去り、川底が現われた」(『人類のあけぼの』下巻104ページ)。

私たちもみな一度や二度は、たとえば自分自身や愛する者の病気、親友や家族の死、収入の途絶、大きな失敗や失望といった、前進を阻む荒波の前に立ったことがあるはずです。しかし、イスラエルの経験は、神が私たちの悩みの中に立ち、ご自分の力と恵みの助けによってそれを乗り切るように私たちを招いておられることを教えています。

「神はいつでもご自分の民に対して、信仰をもって、神の命令に従って、神が道を開いてくださるという確信をもって、困難に立ち向かい、大胆に前進するように求めておられる。神は水を分け、すべての障害を克服すると約束しておられる(イザ43 : 2 ) 「SDA聖書注解」第2巻188ページ)。

質問8

この奇跡はイスラエルとその周辺諸国にどんな影響を及ぼしましたか(ヨシ4:14,24,5:1)。あなた自身に対してはどうですか。

「これらの石は、どうしたわけですか」(ヨシュア記4章1節〜24節)

質問9 

神はヨシュアに、ヨルダンを渡ってからすぐに何をするように言われましたか(ヨシ4:1~24)。

現代訳聖書(たとえば、新国際訳)の中には、一組の石しか記していないものがあります。しかし、元のへブル語を見ると、彼らが水の低くなった時に見えるように川の中央に一組の石(ヨシ4:9)、またヨルダン川西岸の最初の宿営地であるギルガル(ヨシ4:20)にも一組の石を立てたことがわかります。

質問10 

12の石でできた記念碑は何を意味しましたか。これらの記念碑はどんな人々に恩恵を与えるものでしたか。ヨシ4:5~7,21~24

第一に、この記念碑はカナンに入ろうとしていた人々にとって必要でした。ギルガルはパレスチナ征服のための基地だったので、定期的に記念碑のもとに来て、神の大いなる忠誠を思い起こしたことでしょう。第二に、後世の子供たちから「これらの石はどうしたわけですか」と尋ねられた時に、彼らに神の大いなる救いの業について語る機会となりました。

最後に、これらの記念碑は「地のすべての民に、主の手に力のあることを知らせ」るためにありました(ヨシ4:24)。イスラエルはまことの生ける神についての知識を全世界に広めることができました。

質問11 

ギルガルにおける石の記念碑をほかの記念碑と比べてください(ヨシ24:26,27、創世28:18~22,31:45~47、サム上7:9~12)。今日、私たちはどんな方法によって神の力強い業についての記念碑を立てることができますか。

「ある人々のように真理について聞く機会を与えられていなくても、主のために自発的に働こうとしている人々がたくさんいる。彼らは忠実にみ言葉を読んでいて、謙虚に光を人々に分け与えるその努力によって祝福される。そのような人々は日記をつけ、イスラエルの軍隊がペリシテ人に対して勝利を得た時のサムエルのように、主から興味深い経験を与えられた時にそれを書き記すとよい。サムエルは『主は今に至るまでわれわれを助けられた』と言って、感謝の記念碑を立てた。兄弟たちよ、あなたがたが神の愛と恵みを心にとめる記念碑はどこにあるか」( 「SDA聖書注解」第2巻1012ページ、エレン・G・ホワイト注A)。

「あなたの重荷を転がし去れ」(ヨシュア記5章1節〜12節)

質問12

特別な割礼式を行う必要があったのはなぜですか。割礼の意味は何ですか。ヨシ5:2~9(創世17:7~14、申命10:12~16、ロマ2:28,29,コロ2:10~13比較)

「カデシにおける反逆のとき以来、割礼の儀式が中止されていたことは、割礼が象徴している神と彼らとの契約が破られたことを絶えずイスラエルに証言してきた。……もうひとたび、神はイスラエルをご自分の民として認め、契約のしるしが回復された。割礼の儀式は、荒野で生まれた民のすべてに行なわれた」(『人類のあけぼの』下巻106ページ)。

神の命令は常識では理解できません。人間的な考えに従えば、カナン人がヨルダン渡河の衝撃と混乱から回復する前に直ちに攻撃するのが得策でした。それなのに、神は3日遅らせるように命令されました。その上、神はイスラエルの男子に割礼を受けるように要求されました。これは事実上、全軍を無力にし、敵の攻撃を受けやすくすることでした。これは人間的に考えれば全く愚かなことでした。しかし、神はイスラエルの霊的備えが軍事的優位よりもはるかに重要であることを知っておられました。神はご自分の民を守られます。荒れ狂うヨルダン川を通って彼らを導かれたように。

質問13

「ギルガル」という地名にはどんな意味がありましたか。ヨシ5:8,9

ギルガルという語は「転がす」を意味するガラルというヘブル語から来ています。イスラエルの辱めは転がし去られたのです。

またギルガルで、神はご自分の子らに過越を再開するように命じられました(ヨシ5 :10~12)。イスラエル人はこれを、カデシでの反逆以降、行っていませんでした(『人類のあけぼの」下巻106 ―108ページ参照)。これは彼らを一つの国民として互いに結びつけ、また自分たちの過去と未来に心を向けさせるのでした。過越の規定によれば、犠牲の小羊は正月の10日に選ばれることになっていました(出エ12)。イスラエル人は14日の夜に過越の食事をしました。神のタイミングの良さに注意してください—イスラエル人は正月の10日にヨルダンを渡りました。

まとめ

イスラエルが神に献身し、信仰よってヨルダンに足を踏み入れた時、神は彼らのために大いなる不思議を行い、ヨルダンの乾いた地を通って彼らを導かれました。私たちが個人的に神に献身する時、神は同じような力強い働きをしてくださいます。事実、神は御子の犠牲によってすでに私たちのために力強い業をしてくださったのです。さあ、あなたの足元に波立つヨルダンに足を踏み入れてください。水が分かれて、主があなたのためにしてくださることを見てください。

*本記事は、アンドリュース大学旧約聖書釈義学教授リチャード・デビッドソン(英: Richard M. Davidson)著、安息日学校ガイド1995年2期『神の安息に入る ヨシュア記』からの抜粋です。

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